男は不条理に笑う

賀下 御影(がもと みかげ)

 

 男は遂に一世一代の大スクープを発見したと、嬉々に満ちた顔で新聞の一面を見ながら両の手でそれをしっかりと握りしめていた。


 男は約3ヶ月前にルポライターになると言い出し、勤めていた出版会社を半ば強引に辞めたばかりだった。都会の喧騒、人間関係に嫌気が差していた男はとにかく旅をしたかった。それ故、フリーのルポライターにでもなって、世界各地を飛び回り食っていこうといった考えになったのだろう。

 幸い、男にはユーモアがあり、文才にも長けていた。出版社に勤務していたおかげであった。


 ーとりあえず大きな街に行けばそれらしい記事になる事件事故くらい起こるだろうー

そんな浅はかな考えで男はこの国で一番栄えている大都市、フルーレンに滞在することにした。

 会社を辞めるという男史上最大のビッグイベントにエネルギーを使い果たしてしまったのか、滞在してからの男はとにかく消極的であった。朝起きて、なにか記事はないかと大通りをぶらぶらし、夜床につく。フリーのルポライターらしい生活といえばそうなってしまうが、男の場合、記事探しという名の大都市観光であった。

 そんな生活を3ヶ月も続けていた男は、安定した職を失ったことと、一瞬の開き直りから生じた自分の愚行を悔みながら途方に暮れていた。

 会社員時代にコツコツためた貯金も男の愚行で底が見えかけていた。このままでは駄目だと、男は重い腰を持ち上げようとしていた。

 ーそんな矢先での事件であったー


 男が両の手でしっかりと握りしめている新聞には、大々的にこのような文字が書かれていた。


ー世紀の大罪人、捕まるー

『今日未明、未だかつてない大罪を犯した男が捕まった。男はミシュー大学経済学部に通う3年生で、今日夜7時に大通り聖堂前で緊急公開裁判が行われることとなった。』


 男は、これは一世一代のチャンスだと思った。これを逃せば自分はこの人生を棒に振るとも思った。

 (現在の時刻は17:30 。公開裁判には十分に間に合う。誰よりも早く、そして素晴らしい記事を書き留め、出版社に送れば俺は晴れて有名なルポライターになれるはずだ。)

男には文才があり、そしてユーモアもあったが、思慮が欠けていた。その考えのなんと浅ましいことだろう。

 興奮しきった男は、麻布で出来た安っぽい肩掛けカバンにペンとメモ用紙を詰め込み、宿を飛び出した。

ー男は腹の奥にうごめいていた所在のない不信感を気に留めないことにしたー


 大通り聖堂前には1時間前からすでに数多の見物人がいた。あまりの人の多さに、男は目前にある人の海の、更に奥にあるであろう公開裁判所の存在が目視できないほどであった。

 早速男はルポライターとして周りの見物人の一人に話を聞く事にした。

「失礼、私、この街でルポライターとして活動してるものです。今回の騒動についてお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」

男が一丁前に挨拶を交した相手は、50代前後の髭面の男だった。

「構わんよ。なんせ今日はこの街にとっての一大事件が起こった日だからね。是非、記録に残しといてもらいたい。」

腕を掻きながら髭面の男は返答した。

「正直、私自身この騒動がどういったものなのか存じ上げていないのですが、彼は一体どんな過ちを犯したのでしょうか?」

「それは、とんでもない大罪だよ。彼は死刑になって当然だろうね。」

 男の腹の奥にいた不信の百足が、もぞもぞと蠢く気配がした。

「ですから、その大罪っていうものを聞いているんです。一体彼は何をしたんですか?」

「君、もしかして彼の肩を持つというのかい?それはとんでもない罪になるよ。彼は大罪を犯したんだ。許されるものではない。」

「ですから....」

男は途中で嫌気が差して、髭面を後にした。きっとあの男は気が狂っているのだろうと思った。男の質問に対して的を得た解答を一切しなかったからだ。


 気を取り直して男はギンガムチェックのシャツを着た20代の青年に話を聞いてみることにした。

 その青年は取材に応じてくれた。

「まず、今回の騒動について、彼が一体どんな大罪を犯したのかを教えてほしいのですが。」

「もしかして、あなた知らないのですか?あれはとんでもない大罪ですよ。これはきっと許されるものではない。彼はきっと死刑ですよ、死刑。」

「ですから、その大罪の内容を聞いているんですよ。たとえば、窃盗、殺人、強姦、色々あるでしょう?彼はいったい何をしたんですか?」

「話になりません。」青年は浅く溜息を吐いた。「そんなこと、今となってはこの街の誰でも知っています。ルポライターなのにそれすら知らないなんて、向いてませんよ。その仕事。」

男はその後もしつこく質問したが、青年は軽くあしらい嘲るばかりだった。

 不信の百足は蠢いた。

 男はその後も様々な人に同じような質問をした。しかしその答えはどれも同じようなものであった。

「ミシュー大学なんてここらへんじゃ名門なのに、どうしてあんな大罪を...」

「正直、これは許されるものではないありませんね。なんせ、彼はとんでもない大罪を犯したのですから。」

 聞く人聞く人「彼は大罪を犯した」と答えるばかりで、肝心のその大罪の内容を教えてくれるものはいなかった。

 彼はとうとう腹の中にいた不信の正体を掴んだ。

 

 どうにもおかしい、この大都市フルーレンではもう殆どの人が今回の騒動を知っているだろう。しかしいくら聞いても『彼はミシュー大学の3年生、大罪を犯した。』以上の情報は得られない。きっと何か裏があるはずだ。

 男が疑念を抱いているとずっと奥の観衆がざわついた。どうやら公開裁判が始まったらしい。男は前方にいる人間を押しのけ、親友セリヌンティウスを助けに行くメロスさながら人の海を泳ぎ、なんとかしてこの目で不信で満ちた裁判を見てやろうと思った。

 十数分かけようやく公開裁判所が目に見えるようになった。さらに前へ前へと泳ぎ、どうにかして最前列まで漕ぎ着けた。

 手枷をつけ、薄汚い麻の衣服を身に纏い立っている生気を失った人形のような青年、大罪を犯したであろうミシュー大学の3年生は、少なくとも男の目には大悪党のようには映らなかった。男は青年がどこにでもいる普通の大学生に見えた。彼がとんでもない大罪を犯したなどとは思えなかった。男の不信感は一層増した。

(きっとこの騒動の裏にはドス黒いものが隠れているに違いない。そうでないとおかしい。フルーレンの奴らは洗脳されているんだ。本当はあの大学生は大罪なんて犯しちゃいない。現に、大罪の内容を知っている人間などここには一人もいないからだ。この気狂いじみた空間で正常を保っているのは紛れもない、この俺だけだ。)

 しかし人と人とが揉みくちゃなこの状況で男は何もすることができなかった。

 観衆は法廷で突っ立っている青年に罵声を浴びせ続けた。しかし青年の目は依然として人形のような死んだ目を貫いていた。

 大声で騒ぎ立てていた観衆の一人が、周りの興奮に連動したのか、柵をよじ登り、法廷の中に侵入しようとし始めた。当然、護衛に止められたが、それを見た他の観衆たちの興奮は連鎖に連鎖を重ね次々と柵に飛びつき、数十もの人間が公開裁判所の中に入っていった。その結果騒動はさらに大きなものとなり、遂には柵を斧で壊すもの、法廷に物を投げつけるものまで現れた。

 法廷に侵入した数十の観衆たちは護衛を押しのけ、被告人である青年に飛びかかった。青年はなんの抵抗をするでもなく、ひたすらに観衆たちの標的となった。

 そして青年は人と人とに押しつぶされ、窒息死してしまった。


 翌日の新聞は昨日の騒動で持ちきりだった。

ー大罪人、死すー

『昨日、前代未聞の大罪を犯したミシュー大学経済学部3年の男に対する公開裁判が行われた。裁判中、暴徒化した観衆の一部が法廷に侵入し被告人の男を殺害した。』

 男は状況を整理するので手一杯であった。

 大罪を犯した青年が捕まった。

 しかし、その大罪の内容を知っているものはいない。

 青年は裁判中に観衆に押しつぶされ、そして死んだ。

 男は幾度となく考えたが、この騒動は『不条理』という言葉以外の何者でもないといった結論に達した。

 そして男は筆を執った。

 

 男は一番真相を知っている。しかし、男は間違っている。なぜなら、男以外の人間が間違っているからだ。

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