第10話 彼の国の亡霊


 クラウディアを縛り上げるというジークハルトの言葉を聞いた途端、ヘラは明らかに顔色を変える。やはりクラウディアに対して特別な思い入れがあるようだ。

 フローラを見ると彼女に剣を向けて牽制したままその言葉を待っている。

 そしてゆっくりとその重い口を開いた。


「全てを話します。ですからクラウディア様を見逃してはいただけないでしょうか?」


 ヘラは心から懇願していた。そんなにクラウディアのことが大切なのか。だがその願いを聞き入れることはできない。

 そして再び彼女に回答を促した。


「もう一度聞く。君はクラウディアとどういう関係だ?」

「私は……クラウディア様の忠実なしもべです」

「王女のか?」

「っ……!」


 ジークハルトの推測を言葉にして尋ねるとヘラが驚きのあまりに目を瞠る。

 この反応……自分が予想していたことに間違いないようだ。


「クラウディアは旧ゲルリッツ王国の王女なのではないか?」

「……もうそこまで分かっているのですね」


 やはりクラウディアが旧ゲルリッツ王国の王女。ではヘラは一体……?

 ジークハルトが思いのほかクラウディアの正体を突き止めていることに対して、ヘラは諦めたように溜息を吐きぽつりぽつりと話し始めた。まだ麻痺が残っているようで言葉が出しづらそうではあるがゆっくりであれば大丈夫なようだ。


「クラウディア様は……姫様は確かにゲルリッツ王国の王女です。私はその乳母の娘、姫様の乳姉妹になります」

「乳姉妹……」


 なるほど、彼女の忠誠心の理由はこれか。ヘラはクラウディアの乳姉妹だった。幼い頃から共に育ったのだろう。王国が滅びたのは20年前。あの家系図によると22年前に1才だったわけだから今23才か。ヘラも見た目からすると同じくらいの年齢だろう。

 王族が粛清されたときに逃げのびたということは恐らく大人の……乳母の手によって我が子とともに連れ去られたのだろう。幼子の彼女たちに亡国への想い入れなどはなかった筈だ。

 ということは乳母に……ヘラにとっては母親によって彼の国のことを聞かされて育てられたのだろうか。


 ちらりと見るとフローラもかなり驚いているようだ。剣を抜いたまま目を見開いて固まっている。

 クラウディアとヘラの動機は一体なんだ?

 淡々と話し続けるヘラに対して再び質問を開始する。


「君たちの目的は? なぜこんな犯罪を犯した?」

「……」

「答えないならクラウディア本人から無理矢理聞き出すしかないが」


 ジークハルトがクラウディアのことを持ち出すとヘラがその瞳を揺らし慌てて抗議する。


「やめてください! 姫様は細かいことは何も分かっていないのです。罪を犯している自覚すらないと思います」


 ヘラの話から察するにクラウディアはどうやら中身もお姫様のようだ。

 クラウディアが主犯だと思っていたがあの無防備さと、今回のジークハルトを用意周到に捕らえた狡猾さとのギャップにどうしても違和感があった。

 ということは頭脳としてパルウに関する犯罪やジークハルトを捕らえるために動いていたのはヘラなのか……?


「他にも亡国の関係者が関わっているのか?」

「いえ、姫様と私の二人だけです……」

「……ライマー王子はどうなったんだ?」


 あの肖像画をクラウディアの執務室で初めて見たときから不思議だった。王族の粛清のことはジークハルトでも知っている。だが話に聞いていたのは王と王妃のことだけでライマーとクラウディアに関しては全く聞いたことがなかった。

 ジークハルトの問いかけに、ヘラは途端に沈痛な表情を浮かべる。


「ライマー殿下は……旧王家粛清の際に行方不明となりました……。もう20年前のことです。これまでに何も噂を聞くことができませんでした。もうこの世にはいらっしゃらないのかもしれません……」

「そうだったのか……。それで君たちがこんな犯罪を犯した目的は?」


 ヘラは観念したようにゆっくりと答える。


「この国の支配者から……下賤な金の亡者からこの国を取り戻すにはどうしたらいいか……。それには金の力を使うしかないと考え財力をつけるために旧王家からひっそりと持ち出したパルウを増やすことを考えました」

「ふむ……」


 やはり実際に動いていたのはヘラか。国の再興を目論んだのか。手段はどうあれ彼女たちの気持ちは分からないでもない。

 彼女たちにとってゲルリッツ王国は決して過去のものではなく未来に見据えたもの。そしてヘラにとっては今でもクラウディアは絶対の忠誠を誓うべき崇高な王族なのだ。

 確かに勝てばそのための手段の全てが正義となる。それが国というものだ。だがジークハルトの立場から見れば犯罪を見逃すわけにはいかない。

 それにしても国が滅びたときに幼子だった彼女たちがそのような気持ちを抱くことにはやはりいささか違和感がある。


「君の母親、クラウディアの乳母は今も健在なのか?」


 ジークハルトの質問はヘラの瞳に暗い影を落とす。沈痛な面持ちでヘラがゆっくりと答える。


「母は……5年前に亡くなりました。私と姫様を残して……。母が生きているうちにゲルリッツを再興したかった」


 やはり彼女たちは乳母の無念の思いを聞かされながら成長したらしい。亡くなった母の彼の国への思いを叶えたかったというところか。


「私はできることなら姫様とジークハルト様に親密になっていただいてお子をなしていただけないかと思っていました。なぜなら貴方様は姫様が幼い頃大変慕われていた兄上であるライマー殿下に瓜二つなのです。」


 ああ、やはりそうだったのか。あの肖像画に描かれていた少年はは自分の幼い頃とそっくりだった。あれがライマーで間違いないだろう。

 しかし兄への思慕の情から兄と似た伴侶を選ぶなど、クラウディアはブラコンか?

 そこでちらりとフローラの顔を見ると何やら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。そりゃいい気分はしないよな……。子作りのために婚約者を攫われたなんて。

 そしてヘラはさらに話を続ける。


「そこで貴方を姫様に会わせようと計画したのです」

「それがあの倉庫での狂言騒ぎか」

「はい」


 あれがなければ……ジークハルトを捕まえなければ彼女たちの計画はあるいは頓挫せず順調に進んでいたのかもしれない。少なくとも内側から暴かれることなどなかっただろう。

 にも拘らずそんな危険を冒してまでジークハルトをクラウディアに会わせたかったのか。


「国の再興という目的は君たちにとっては崇高なものだろう。だが私はマインツ国と友好の立場を取るハンブルク王国の騎士団副団長だ。今の立場から言わせてもらえば君たちのことを見逃すわけにはいかない」

「私の独断ということで姫様だけでも、どうかっ……!」

「ヘラ……」


 ヘラが後ろ手に縛られたまま額を地面に着けて懇願する。

 ジークハルトはクラウディアのためにその額を土で汚してまで平伏す彼女に何も言えなかった。この期に及んでこれほどまでの忠誠心を見せる彼女を尊敬こそすれ侮蔑する気持ちなどもはや微塵も湧かなかった。


 そのまま何も言えずヘラを支えて立ち上がらせる。そして捕縛した彼女を屋敷内へ連れて戻った。





 自室に戻ったあと隣の書庫に彼女を閉じ込めそこを出た。そして声を抑えながらフローラと今後のことを話し合う。

 フローラがレオンとの作戦について説明を始めた。


「潜入した屋敷にジーク様が居なかったらすぐに脱出し殿下に報告する手筈になっていました。ですが戻らない場合ジーク様が捕らえられていると判断して、わたくしがこの屋敷に潜入して3日後の夜には殿下が騎士団を率いてここへ突入することになっています。つまり今夜がそのときです」

「なるほど。それまでに財産の場所を調べておきたいな。それを押さえておけば万が一逃亡されても無力化を図れる」

「ジーク様……」


 おっと、つい本心が漏れてしまったようだ。このまま捕まってしまえば犯罪の主犯という罪状以上に、恐らく亡国の遺恨を絶つためにまず間違いなく2人とも処刑されるだろう。

 正直彼女たちを助けたい気持ちはある。クラウディアだけがたった一人残された王族の最後の血筋なのだ。

 かといって謀反を起こされるのは困る。ジークハルトはその事実を知ってしまった以上それを阻止しなければいけない立場だ。

 せめてその力を削いだ上で彼女たちを逃がせればいいのだが。そして国の再興など忘れて庶民としてどこかで平和に暮らしたらいい。





 フローラが前もって見つけていたジークハルトの装備を受け取り剣とともに装着する。彼女にヘラの見張りを頼み、クラウディアに会いにその私室へ向かった。彼女の私室は例の執務室の隣にある。ノックをすると中から返事があった。どうやら留守ではなかったようだ。

 扉を開けて中へ入りクラウディアと向き合う。全てを話してもらわなければ。彼女は帯剣したジークハルトの姿を見て一瞬目を見張り、全てを悟ったかのように諦観の表情を見せこちらの言葉を待っている。


「クラウディア……いや、クラウディア王女殿下。貴女の乳姉妹であるヘラを捕縛しました。どうか大人しく従っていただけないでしょうか」

「……分かりました。ですが全て私が一人で考えてやったのです。彼女を……ヘラを見逃してはいただけませんか?」


 主人もまた従者を大切にしていた。お互いを大切に思う彼女たちを哀れに思った。

 そんな彼女に何も答えることができないままその腕を拘束する。そして彼女を連れて部屋を出た。





 部屋を出た途端廊下の異常に気がついた。廊下に焦げ臭い匂いとともに煙が徐々に漂い始めていたのだ。

 どうやら今度こそ間違いなく火災のようだ。いつも静まり返る屋敷の中に使用人たちの悲鳴が聞こえる。すぐにフローラの顔が頭をよぎる。彼女の無事が気になる。

 ふと廊下の向こう側から使用人が駆けてくる。避難しようとしているらしい。


「どうした、何があった!?」

「使用人のマルクスが突然屋敷に火を放ち屋敷の財産を持って逃亡しようとしたのです!」

「なんだって!?」

「隠し場所を突き止めたと言っていました! ですが窓から見ていたら今は屋敷の外で庭師に殴られて気絶しているようです! 私も逃げます、失礼します!」


 そう言って使用人は屋敷の外へ逃げ出すべく走って行った。

 なんて無茶なことを!

 ジークハルトはクラウディアの腕を引っ張ったままフローラと合流すべく自室へと向かう。

 フローラ、どうか無事でいてくれ!




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