邂逅アンサンブル
腹筋崩壊参謀
【短編】邂逅アンサンブル
心の奥底で思い悩む何かを抱えながらも、自分の力では解決策が見いだせない。そんな時、もう1人の自分『ドッペルゲンガー』が何の前触れもなく現れる――私が昔通っていた高校には、そんな奇妙な噂話が昔から語り継がれていた。
自分以外の存在が別個に現われる摩訶不思議で常識外れな事態。もし本当に起きたらどんな事になるのだろうか、少し怖い、でも楽しそう、と賑やかに話す吹奏楽部員仲間の会話に混ざっていた私だけど、その時は全くもってその話を信じてなかった。そんな異常事態が勃発していたとしたら、今頃テレビや新聞、ネットに取り上げられて大騒ぎになっているはずだ――そんなあまりにも現実主義すぎる考えが、私の中に宿っていたからである。
でも、それから少し経ち、ドッペルゲンガーの噂話なんてすっかり忘れかけていた、まさにその時だった。
「……えっ……」
「……えっ……」
よりによってこの私自身が、常識外れな事態に巻き込まれてしまったのは。
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その日、早めに掃除を終わらせた私は、大事にしている楽器を片手に空き教室へと向かった。音楽室は打楽器パートが使っているため、私を始めとする管楽器や弦楽器パートはあちこちの教室を使うのが吹奏楽部の日課だったからだ。そして、何の気なしに教室の扉を開いた私の瞳に映ったのは、椅子や譜面台の準備を今にも始めようとしていた1人の部員――本来ならそこにいるはずのない人物だった。
「……誰?」
そんな言葉が出てしまったのも無理ないだろう。目の前にいた『誰か』は、頭のてっぺんからつま先まで、朝から夜までたまに見る鏡を介さないと出会う事がない存在――フルートパートに所属するこの私と何一つ同じ姿をしていたからだ。そして、唖然とする私に対して相手が返した言葉や表情もまた、私と寸分違わないものだった。
「……いや、私は『私』だけど……」
「……何言ってんの?私は『私』だよ?」
私と言う存在は世界で1人だけと言うのは、説明されなくても分かる確固たる常識のはず。だったら目の前にいる私と全く同じ姿形の貴方はいったい誰なのか――互いに尋ねあっても答えは出なかった。当然だろう、私が目の前にいる存在を『私そっくりの他人』だと認識しているように、相手もまた私を『自分そっくりの他人』と考えていたからだ。どうして貴方はそんなに私とそっくりなのか、私こそが本物なのに――頑なに考えを崩さない相手に対してつい声を荒げかけた私だけど、何とかその気持ちを抑えながら急いで椅子や譜面台を準備し、そっとフルートを構えた。あの柔らかく穏やかな音色を奏でれば少しは不安や焦りが鎮まるかもしれない言う切実な思いと、相手より素晴らしい音を出せば、自分こそ『本物の私』だと証明できる、と言う勝ち誇った心を抱きながら。
だけど、2人きりの教室の中で同時に奏でられた音は――。
「「……!」」
――少なくとも私にとっては、寸分も区別がつかない響きだった。
そして、音の力でも抑えきれなくなった怒りが溢れた私は、傍にいたもう1人の存在を真似するなと言わんばかりに睨みつけた。当然、相手も全く同じタイミングで私を睨み返してきた。でも、何度吹いても2本のフルートから出てくる音色はどれもこれも全く同じ響き。唇の形や指の動きまで全く同じだった。結局不安感も恐怖感も一切解消しないまま、私は諦めたかのように基礎練習を早々と切り上げてしまった。ところが私の横で、相手もまた全く同じように基礎練習を切り上げたのである。
「……ねえ、なんで真似ばっかりするの……?」
「それはこっちが言いたいよ……真似しないでよ」
「いや貴方の方じゃん、真似するのは!」
「なっ……何言ってるの!」
とうとう我慢できなくなった私と相手は互いに大声で怒鳴りあった。ふざけないで、いい加減にして、それはこっちの言葉――同時に発せられた私の怒声が響き続けた後、教室の中は次第に静寂に包まれていった。私と同じ周波数の悪口が私自身の口を経ずに放たれると言う異様な事態が、これほどまで私の耳を痛くするとは思いもよらなかったからだ。いや、耳だけじゃない。私の心にも、自分自身の罵詈雑言が突き刺さっていたのだ。
と言うか、そもそも本物の『私』はどちらかという問題以前に、一体何がどうなって『私』と同じ姿かたちをした存在が同時に2人もこの教室に存在しているのか――少しづつ冷静さを取り戻し始めた私はじっと相手を見つめながらその答えを求めた。でも、相手も全く同じ行動を取っている以上、良い知恵が出る訳はなかった。
「「……はぁ……」」
諦め混じりのため息を吐きながら、私たちはフルートを同時に構え、ゆっくりと曲を演奏し始めた。数週間後に控えた本番のステージで演奏する楽曲のうち、私を含んだメロディパートが中盤の要となる曲だ。だけど、少し前の合奏で私は顧問の先生に、まだ不十分な箇所が目立つと注意されてしまった。基礎は出来ているがそれを曲に活かしきれていない。もっと『自分の音』をよく聞いて欲しい、と。
その言葉の真意を見つけようと今日の練習に臨んだはずなのに、どうしてこんな常識外れの事態巻き込まれてしまったのか――そんな後ろ向きな思いを抱えながら、私はそっと曲を奏で始めた。当然、私と何もかも同じ相手も一緒に。そして、そのまま合奏で指摘された箇所を吹き終わろうとした時だった。
「「……あれ?」」
私が止まれば、相手も止まる。鏡以上にわたしそっくりの相手も、きっと同じ事を考えていたのだろう。何年も聞き慣れていたはずの私自身の音色に、妙な違和感を覚えたのだ。何があったのかと互いに唖然としつつももう一度同じ箇所を吹いても、耳に入ってくるのはまるでほんの少しだけ違う別人が吹いているかのような音だった。今までずっと噛み合い続けていたかのように思えた歯車にほんの僅かなずれを見つけたかのような、妙に気になって仕方ない感覚が私の心に残り続けたのだ。
「「……どう言う事……?」」
「「……分からない……」」
そして、私は隣の相手と顔を見合わせた後、意を決して尋ねた。もう一度先程の箇所を吹いてくれないか、と。心の中に引っかかるものがある以上、互いにいがみ合っている場合ではない。心の中から消えない自分の音に対する不安を払いのけるのが先決だ――私はそう考えたのだ。そして同じ事を考えていたであろう相手もすぐに同意し、フルートを構えてそっと音色を奏でた。
正直言って、その音は非常に心地良く、どこか安心できるものだった。だからこそ、あの時おかしいと感じた場所が余計に際立ってしまうのだ。
「ねえ、やっぱりそこ……もう少し音を弱めに……」
「こうかな……?」
それから私は、音の違和感がなくなるまで思った事を何度も相手に指摘し続けた。私と同じ姿形を持ち、同じ楽器の構え方をする相手は、まるでその言葉を素直に反映させるかのようにフルートから奏でる音色を良い方向へと変え続けた。少しづつ全ての音が安定してくるにつれ、次第に私の心の中にあった苛立ちや憤りの心も不思議と薄れ始めていた。例え相手が名前も含めた自分の全てを真似していようとも、それに対する嫌悪感が私から無くなっていったのだ。
「うん、それでもう少しだけ……」
「こんな感じ?」
「……そうそう、良い音になってきたよ」
「あ、本当だ……」
すっきりした顔を見せた相手と共に、私の口元もまた微笑みへと変わった。そして、試しにそちらも演奏してみたらどうだ、と促された私もそっとフルートを構え、相手が吹いた部分をもう一度奏でた。
教室の中に響いた音は、ずっと私が指導し、それに従いながら相手が吹いていた音と同一だった。
「……ねえ……」
「……大丈夫、言わなくても分かるよ」
私も同じ事を考えているから――そう言いながらもう一度笑顔を見せた相手もまた、私と同様にこの不可解な現象の答えをようやく導き出そうとしていた。あの合奏の時、先生がこんな事を言っていたのを思い出したのだ。自分自身の音を自分の中だけで聞いて満足するだけでは不十分、音色を『客観的』に聞く事が大切なのだ、と。録音や録画でもしない限りは難しい話だ、と言うのが先生の話のオチだったけれど、先程までずっと私たちが行っていた行為は、まさしく自分自身を『私』とは別の視点で感じ、全く別の立場からその音を聞くと言うものである事に、ようやく気付いたのだ。
そして、私はようやく本心で認める事が出来た。私の目の前にいる、私と全く同じ制服、同じ髪型、同じ顔、同じ背丈、同じ楽器、そして同じ声を持つ存在は――。
「……そっか、そう言う事なんだね……『私』」
「……そうだね、『私』」
――学校に伝わる奇妙な噂が『真実』であるという、確固たる証拠である事に。
例え目の前で信じられないような出来事が起きたとしても、それは疑いようのない現実そのもの。肩を張って懸命にそれを拒むよりも、互いにそれらを受け入れ合ったほうがどれだけ楽か――当たり前の事を考えているうち、『2人の私』の心は次第に晴れやかになった。勿論、ずっと貶したり苛立ったりした事を謝られても、私たちには快くそれらの非礼を許す心の余裕が戻っていた。
そして、私と『私』には、ある1つの考えが浮かび上がった。折角非現実が現実になったのだから、この機会を逃すわけにはいかない。
「さっきの場所、もう一度合わせようよ、『2人』でさ!」
「……勿論!」
焦りや諦めの音色ではなく、自分同士で奏でる素晴らしい音をたっぷり楽しもう――そんな約束を守る、という意思を証明するため、私たちは指切りげんまんをし合った。互いの人差し指に触れた感触は、私であって私ではない、何とも不思議な感触だった。そして、互いに隣り合った場所に椅子を移動させ、準備が整った事を互いに頷きで示し合った後、2人の私はそっとフルートに息を入れて指を動かし、楽譜に書かれた音色をそっと奏で始めた。
教室の中に響いたのは、息遣いから音の震えまで全く同じ音色であった。曲に彩りを添えるように優しく奏でる箇所、感情を込めて大胆に吹く箇所、そしてメロディーパートとして全て楽器の先頭に立ち、皆の応援を背に吹く箇所――その全てが、昨日までの私とは違う、澄み切った音色に変わっていた。
それらを互いの音で確認し合っているうち、次第に私たちの音は文字通り区別がつかないものになっていった。隣り合った私のどちらのフルートから発している音なのか、右の『私』か左の『私』か、奏でている私自身にも少しづつ分からなくなっていった。それでも私たちは気にする事なく、自分同士で交わした約束を果たすため、楽譜に書かれた全ての音を吹き切ろうとした。そして、最後の一音を吹き終え、そっと口元からフルートを放そうとした直前――。
「……失礼します!すいません遅くなりました!」
「ごめん、私も遅くなった!」
――フルートパートの同級生や後輩が、賑やかに扉を開けた。
今までの光景を見られてしまったのではないかと思い、心臓が飛び出そうなほどに驚いた私だけど、逆に同級生や後輩たちの方が驚いた顔を見せた。ただ教室に入っただけでそんなにびっくりする事があったのか、と。そう言われて隣を向いた私の視線の先には――。
「……ふふ……」
――誰も座っていない椅子が、静かに佇んでいた。
「どうしたの、椅子見て笑ったりして?」
「……ううん、何でもないよ」
~~~~~~~~~~
その日以降、私が『もう1人の私』と遭遇する事は二度となかった。非現実の時間はあっという間に終わり、私は一般常識が支配する現実へと帰還した。だけど、あの時の経験――別の私自身との交流と言う奇妙で不思議で実りある経験が、この私を大きく成長させたのは間違いない。あの日以降、フルートの腕前が自他共に認めるほど格段に上達したからだ。そして迎えた本番が大成功に終わったのは言うまでもないだろう。
だけど、1つだけ心残りがある。最初はいがみ合い、共に音を奏でていくうちに意気投合し、そして最後には互いの音色を合わせるほどに思いを通わせた相手、私とは別の『私』に対し、一度も感謝の言葉を言えなかった事だ。だからこそ私は、これからもずっと音楽の道を歩み続ける事を決意した。もう1人の自分に再会した時、お礼の代わりに胸を張って素晴らしい音色を奏でられるように――。
「そういえば、先生……」
「先生!先生!」
「ん、どうしたの?」
――母校の吹奏楽部の顧問となった私を信頼してくれる、素敵な部員たちと一緒に。
「ドッペルゲンガーの噂って知ってますか?」
「学校にあるんすよ、そういう変な話が!」
「……へぇ、どんな話?」
《おわり》
邂逅アンサンブル 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice
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