第15話 蠱惑的タイムマシン

 とある喫茶店に、トランクを持った何やら怪しげな男が入店した。黒のスーツを着ているが、整ったひげと山高帽のせいか、サラリーマンというより英国紳士のような印象を受ける。服それ自体は現代でも手に入るのかもしれないが、身にまとった雰囲気もあってひどく時代錯誤で、男の周りだけ別の時間の映像が流れているようだった。

 顔を上げたマスターは男に気づくと笑みをこぼした。

「ずいぶんと久しぶりだな」

「私にとっては先々週に来店されたばかりですよ、ロッド」

 ロッドと呼ばれた男はカウンター席に座るとトランクを置くと、舞台俳優のように大げさに表情を変えた。

「まだ二週間しかたっていないのか?そのうち経営破綻するんじゃないか、この店」

 確かにその日は客入りが少なく、今は男のほかに客は誰もいない。ただでさえはやり病の影響で外出が控えられているなか、必ず誰かと会話しないといけないという不思議なルールのあるこの店は多くの人が避けていた。

「仕方ないですよ。あなただってこの時代に来るのは避けているでしょう」

 そう話すマスターは注文を聞かずにコーヒーを入れている。男は常連客のようだった。他に客がいないためか、珍しくマスター自身の分も用意している。

「今回の土産話はすごいぜ、サイモン。未来の話だ。結構先にはなるが、まああんたには関係あるだろう」

 そういうと男はトランクから数枚の写真を取り出した。

2018

 一枚目の写真は何の変哲もない、どこか海外の町を上空から撮影したような写真だった。二枚目の写真は一枚目と画角が同じで同じ場所を撮影しているようだが、一枚目と違いモノクロで、撮影ミスか町全体が黒い円で覆われている。

「遠慮しておきます」

 写真を一瞥し、マスターは一瞬驚いたような顔をしたものの、男の期待とは裏腹に写真にはあまり興味を示さなかったようで、写真をわきに避けてコーヒーとチーズケーキをカウンターに置いた。

「奥さんを救えるかもしれないんだぜ?」

 男はチーズケーキを突き刺したフォークを上下に動かし、不服そうな顔をしながら言った。マスターは首を横に振る。

「過去を変えるということは、その後の未来をなかったことにするということです。過ちを犯しながらも、或いはそれが過ちと気づかずに何かより大きなものが手に入ると信じて突き進む。それは若さの特権です。まだ未熟だったころの私ならわかりませんが、今はもう、手放すものがあまりにも大きい。……ほら、あまり長話をするとコーヒーが冷めてしまいますよ」

「……裏技があると言ったら?」

 男が先ほどまでの大袈裟な表情と違い、真剣な顔つきで言った。マスターは怪訝そうな顔をする。

「今日の話は聞かなかったことにします。私は――あなたほど強くないので。現代はあまりにも情報が多い。子供は昔よりもはるかに早くに現実を突きつけられ、夢を見る暇もなく、厳しくとも何かを得られる道よりも楽にそれなりの成果を得られる道を選んでしまう。先人の成功体験、失敗談は大切ですが、何億人もの人間が情報を発信していると、それをなぞるだけでよくなってしまう、そんな蠱惑的なものも多い。私はとうの昔に、試行錯誤をやめました。あなたは旅人、私はしがない喫茶店のマスター。それでよいでしょう」

 そうかい、と男は言ってコーヒーを一口飲んだ。しかししかめっ面をし、カップを置く。

「やっぱりブラックで飲むなんて日本人はいかれてるな。あんたもすっかりこの国に染まりやがって」

 男は砂糖とミルクを自分とマスターのコーヒーに入れた。ちょっと、とマスターが声を上げる。コーヒーの黒に白が混ざり、螺旋を描いて茶色になる。茶色くなったコーヒーが黒く戻ることはない。だからコーヒーはブラックに砂糖とミルク付きで提供される。あるいは、コーヒーそのものの風味を楽しんでほしいという店のこだわりか。

「……過去はどうあがいても変えられない。今を生きるしかない。だから今まで起きたことは、この世界にはすべて意味がある、そんな暴論が真実だとは思いませんが」

 話の結論はもう出たと言わんばかりに、男はマスターの言葉に興味をなくしコーヒーを堪能している。

「けれど、苦しいことも、つらいことも、すべてに意味があると信じて生きることには、大きな意味があると思うのです」

 それは自分に言い聞かせるようでもあり。マスターは茶色いコーヒーを口に含んだ。

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放課後コーヒーブレイク 有縺鶸 @arimotsu

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