第14話 罪悪メイクアップフォー

 とある喫茶店。いつものように、1組の男女が中に入ろうとしていた。しかし、ドアに手をかけたまま良太は動かない。じっと店内を見つめている。


「どうしたの?」

 怪訝そうな表情を浮かべた美保が尋ねると、良太は困った顔で肩をすくめた。

「多分中に高橋先生がいるんだ」

「ほんと?」

 そう言いながら美保も中を覗き込んだ。確かにカウンター席にそれらしき人影が見える。席に着いたばかりのようで、メニューをパラパラとめくっていた。


「うわ本当だ、どうする?」

 うーん、と良太は唸る。高橋人志は2人の通う高校の教師で、倫理を教えている。絵に描いたような熱血さ、やたらと長い話、大量の提出物に時間を守ることの厳しさ、淡々とした授業等、生徒から好かれる要素は何一つとしてなかった。あまり学校外でまで関わりたくない、というのが2人の本心であった。

 そうしているうちに高橋が注文をし終えたのか、メニューを閉じ窓の外を眺めだした。慌てて観葉植物の陰に隠れる。

「今日はやめとこっか。ほら、駅前に新しくできたたこ焼き屋行ってみようよ」

 美保が提案する。正直に言うと美保は良太が何と天秤にかけているのか検討もつかなかった。美保に限らず、全ての倫理選択者が気づかれる前にこの場を離れたいと思うだろう。

「そうだね、そうしよっか」

 そさくさと、二人は灰色の空を映す無機質なガラス戸から離れていった。


 二人が離れていくのを視界の端で確認してから高橋は深いため息をついた。壁にかけられたテレビからは、強盗殺人の報道がしきりに流れている。ここのところ、殺人事件や心中自殺など、暗いニュースが続いていた。何かしないといけない気がして、ただできることもなくて、高橋はコップの水を飲みほした。


「何かお悩みのようですね」

 マスターが尋ねる。高橋はどう切り出せばいいものか、と考えを巡らせていた。この喫茶店がそういう場所だということは知っていた。カウンター席に座れば大抵の悩みは解決すると、この狭い田舎町の中では噂になっていた。

「私は……教師をしています。ニュースになっているあの事件の犯人は、元教え子でした」

 うつむきながらぽつぽつと高橋は語りだした。マスターは食器を布巾で拭っている。その様子は懺悔する罪人と牧師のようにも見えた。曇天は日光を遮り、今にも雨を降らせようかとしている。そのせいも相まってか、薄暗い店内には二人以外のだれもいなかった。

「確かに在学中から、よく問題を起こす生徒でした。不良たちともつるんでいて、警察の厄介になったことも少なくはなかったんですけど、そのたびにちゃんと叱って、最終的にはあいつ、不良たちと縁を切って工場に就職したんです。おやじとお袋には迷惑をかけたから真面目に働くんだって」

 パラ、パラと雨粒が屋根を、窓をたたく音がしだした。そう思った時には雨は急に勢いを増し、空間を裂くような光に遅れて遠雷の音が聞こえてきた。

「あの時、確かにあいつは心を入れ替えていました。少なくとも、連絡をとっていた卒業してからの2年間はちゃんとやっていたようなんです。私は……どうするべきだったんでしょうか。この3年間、私はあいつに何もしませんでした。その間に、あいつを犯罪に駆りたてるほどのことが起こっていたなんて知りもしませんでした」

「つまり、自分がなにかしていればその生徒さんを救えたはずだ、と?」

 マスターはそう言ってコーヒーを出した。高橋は湯気をたてる暗い表面をじっと見つめていた。

「それは、分かりません。救えたはずだなんて、そこまで驕った考えでは無いと思います。ただ、なにか出来たはずなのになにもしなかった。その点がずっと心に引っかかっています」

 自分にも罪があるはずだ、とでも言うように高橋はカップを強く握った。カチャリ、とカップとソーサーが音を立てる。そうですね、とマスターが話し始めた。

「あなたは犯罪者の親に罪はあると思いますか?」

「……あると思います。育て方によっては、その人が犯罪者にならない可能性もあるでしょう」

「それでは、その犯罪の原因が子供が完全に自立したあとの交友関係にあるとしたら?」

 今度は少し考えたあと、高橋は答えた。


「その場合も、あると思います。定期的に連絡を取れば、防ぐことだって出来たでしょう。止める能力があるというのに、止めないのはひとつの罪じゃありませんか?」


「それはそうでしょう。止めれるのにあえて止めないというのなら、それは罪です。しかし、あなたは少々自分のことに当てはめすぎのようです。それは自分の感じている罪悪感がそれだと思っているからの答えでしょう。この場合、確かに親が止めることはできたかも知れません。でもこの親はそうしなければ我が子が犯罪者になるとは夢にも思っていない。犯罪を止めるために定期的に連絡を取る、なんて考えが出る方が異常です」

 マスターは食器洗いを続けながら語った。

「誰もそんな人に罪があるなんて思いません。そこに罪を感じるのは当人だけです。自分にはなにかできたと思うその本人だけが罪を主張します。しかし、その罪は裁かれない。そこに罰は与えられない。救いのない罪と言ってもいいかもしれません」

 高橋はじっと俯いたままコーヒーを見つめている。

「そもそも、自分自身と他人から見た自分は違うものです。罪とは、他人が認めるものではなく、本人が背負うもの。罰とは、それを背負おうとしない人へのだけではなく、むしろ罪を背負う人への赦しだと私は思います。罪悪感は人を過去に縛りつける。罪の重みでそこから歩けなくなってしまう、そんな人のために罰は存在するのです」

「でも私には罰は与えられない。そうでしょう?」

 マスターはいいえ、と首を横に振った。

「罪を感じるのが当人だけというのなら、罰を与えるのも当人だけです。あなたは今後の教師生活で、きっとその生徒さんのことが頭をよぎり続ける。危うい生徒を見る度に、二度とおなじ過ちを繰り返さないようにと卒業後も面倒を見続けようとするでしょう。それはもう普通の教師生活ではない。あなたは今後、自らを罪人として生活するのです。自ら罪を背負った人は、歩く道を選ぶことが出来なくなってしまう」


 マスターは雨を降らす曇り空を見上げた。この雨は、たまたま今日酷く降った、それだけの話だ。それを罪と結びつけるのは、勝手にそう感じているだけにすぎない。


「ただ、罪によってその道を歩む人生なのか、罪を背負ってその道を歩んでいく人生なのか。そこには大きな違いがあると思いませんか?」


 高橋はしばらく俯いたままだったが、冷めてはいけないとコーヒーを口にした。その苦みを、自分の罪と結び付けて考えることは出来た。ただ今は、それを美味しいと思うことにした。

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