第10話 恋愛ウォントラブ オア ウォントトゥラブ・後
「バイトさん入ってもらって良かったねー」
「マスターずっと1人で忙しそうだったもんね」
春の暖かな日差しが差し込む午後、いつもの喫茶店に、いつもの男女2人がいた。
彼らの言うように、カウンターでは一人の女性が食器を洗いながら一人で来ていた男性客と話していた。
「すっかり慣れちゃったけど、目の前でお皿洗ってるお店ってなかなかないよね」
「お客さんと話すためだろうけど、確かになんか家庭っぽいね」
春休みというのもあり、店内は非常に賑わっていた。あちこちから会話の声がするが、多くの客はその雰囲気も好きだった。妙に静かな店内で、声を小さくして話したり、大声で笑う声が目立ってイライラするような店より気軽に話せる、という点では確かに家庭的であった。
「マスター、バイト雇ったんですね」
春の新作だというおはぎ、ずんだ餅、きなこと黒蜜のアイス、黒豆ケーキがセットになった豆和洋セットを運んできたマスターに良太は尋ねた。
コトリ、コトリと6つの皿が並べられていく。
「ええ、ずいぶん助かっています。彼女は話も上手ですし、他の人にない経験も積んでいますから、1度話してみてはどうです?あの男性以外におひとり様はおられないようですし」
「そうさせてもらいます。マスターは?」
「私はもう少し注文が。では」
そう言うとマスターはカウンターの奥へと消えていった。カウンター席の目の前にもコンロなどはあるのだが、そこは例の女性アルバイトが使用していた。
2人がアイスとおはぎを食べ終えた頃、カウンター席に座っていた男性が席を立った。会計を済ませ、そのまま店を出る。
新しい客が来る様子もなく、良太はおはぎの余韻に熱いお茶を飲んだ。セットにはコーヒーとお茶が両方ついてきていた。こちらもコーヒーに負けず深い味わいがあった。
「お母さんってさ、何を楽しみに生きてるのかな」
「どしたの急に。いつもと立場が逆だけど」
いつもと違い、美保が先に話し始めた。彼女から話し始めること自体は珍しいことではなかったが、こうした抽象的な思考を広げる問いかけは大抵良太が投げかけていた。
「いや、なんか私達はこうやって毎日の楽しいし、たまに遊園地いったりしてるけど、お母さんって毎日毎日おんなじ家事こなして料理作って、テレビは見るけどお父さんか私か弟が付けてるのを一緒に見てるだけだし、何が楽しくて、というか何を楽しみに生きてるのかなって思って」
「お母さんは何か趣味とかないの?」
良太がそう聞くと、美保は「うんん」と首を振った。良太はやれライブだ、ランチだ飲み会だバンドだとしょっちゅつ家を開けている母を思い浮かべ、苦笑した。
「テレビとかは見てるんでしょ?」
「うん、でもゲームとかもしてないし、テレビもついてたら見るだけでついてなかったら何も見ないの」
「へー、質素な……でいいのかな、いいお母さんじゃない?」
「これはまた、面白い話をしてますね」
一段落着いたのか、マスターが二人に寄ってきた。
「日田様のお母様が実際何を楽しみにしておられるのか、はたまた自身の楽しみを棚に上げてご家族に尽くしておられるのかは、ここでは答えが出ません。では、楽しみの在り方や楽しみのない人生などに話を広げてみてはどうでしょう」
「なるほど……」
「それでは……小林さん、こっちに」
マスターが呼びかけると、「はーい」と返事をしながら女性アルバイトが走ってきた。その女性、小林は「なんですか?」とマスターに尋ねた。
「今は少し落ち着きましたし、しばらく会話に入っていてください。私は黒豆を仕込んできますので」
「分かりました」
小林が「こんにちは」と挨拶し、2人は「はじめまして」と返した。小林は「マスターから色々聞いてますよ、常連さんなんですよね」とわらった。
「結論から言うと、私は楽しみがないと生きていけないと思います。楽しみがない人生を生きている人がいないか、というともちろん違います。私もそうでした。私は以前、ブラック企業に務めていて、毎日辛く、楽しみなんてない日々を過ごしていました。そしてある日、思ったんです。死のうって。なんでかは分かりません。ぽっと頭の中にでてきたんです。多分人は、楽しみがない人生は簡単に諦めてしまうんです」
「なるほど……それじゃお母さんにも楽しみはあるのかな」
「それはあると思いますよ。楽しみを減らして家事をされているかもしれませんが、少しはあると思います」
その時、入口のベルがなった。新しい客が入店し、小林は「いらっしゃまいませー」と声をかける。
「すみません、私はここで」
そう言って小林舞子は客を迎えに行った。結論を出せないふたりであーだこーだと言い合うが、議論は進まない。
普段あれほど会話が進むのは、良太がある程度結論を考えてから話すからであった。ケーキの皿はとっくに空になり、コーヒーが減るばかりだ。
「全く、若いなぁてめぇら。知識が足りてねぇぜ。いや、知識の問題じゃねぇか」
不意に二人に声がかかった。2人がそちらをむくと、中学生くらいの背丈の少女が、見た目に遭わない口調で話している。
「えっと……どなたですか?」
良太が聞くと、マスターが駆け寄ってきた。「ヴィヴィアン、勝手に出てはいけないと言ったでしょう!」と叫んでいる。
「いいだろうが、別に。暇してんだよ」
「早く戻りなさい」
「いいじゃねえか、話を発展させるのもここの店員の仕事なんだろ、ただ手伝ってるだけじゃねえか」
ヴィヴィアンがそう言うと、マスターは大きなため息をついた。
珍しいな、こんなマスター。良太はそう思い、「話すくらい、いいじゃないですか。構いませんよ」と言った。
マスターは少し考えた後、
「すみません、この子はヴィヴィアン、私の養子です。面倒見てやってください」
と言ってまたカウンターの奥へと消えていった。
ヴィヴィアンはマスターが完全に見えなくなったのを確認して、話し始めた。
「何を楽しみにしてるって愛に決まってんだろ、愛。バカだろお前ら」
いきなりの罵倒に、なんだコイツと美保は思ったが、相手が年下なのもあってこらえ、質問した。
「愛が楽しみってどういうこと?」
ヴィヴィアンはわざとらしい溜息をつき、やれやれと首を振った。
「やっぱバカだよおまえら。ていうか愛って言われてフィーリングでピンとこないとかお子ちゃまにも程があるだろ。んじゃあお堅い理屈頭にもわかるように言ってやるよ。欲が満たされた時に満足と幸せを感じるって言ってたのお前らなんだろ?自分で言ったこと自分で忘れてんじゃねぇよバーカ。愛ってのは愛したい、愛してあげたいっていう一種の欲だ。こういうと綺麗なお言葉で返してくる輩がいるが、人間の行動理由はぜーんぶ欲だ。理性ってのは欲を現実的に満たすために存在してるんだよ」
「なるほど、だから家事をしたりすることで満足が得られるんだ……」
良太が納得し、そう呟くと、ヴィヴィアンに脛をけれた。「いった!?」と店内に声が響く。
「てめぇ1人で勝手に理解してんじゃねえよ、そいつが理解できてねぇじゃねぇか、3人で話してんだぞ考えろ。つまりだ、愛したいという欲は愛することで満たされる、なら家事とか些細なことで家族を愛したら欲が満たされて満足が生まれるってことだ」
良太は納得したが、美保はピンと来ないようで、「うーん」と唸っている。
「んだよ言いたいことあるならハッキリいいやがれ」
「理屈はわかったんだけど、イマイチ分からなくて。家事って仕事みたいなものだし、毎日同じことしかしないから、ほんとにそれで幸せなのかなって。それに、愛しても同じだけ愛されないって嫌じゃないのかな。お父さんはそんなお母さんを愛してる素振り見せないけど……」
「確かに、想像は出来ないね」
良太が美保に同意すると、ヴィヴィアンはまたわざとらしい溜息をついた。
「もういい、十分だ。じゃあな」
そう言ってヴィヴィアンはカウンターの奥へと消えていった。良太と美保は「なんなんだろうね、あの子」とヒソヒソ話し合う。
「そりゃわからねぇよ、恋をしてるお前らには。愛して欲しいって欲を満たそうと生きてるお前らには」
帰り際、ヴィヴィアンは呟いたが、店の喧騒に包まれ、2人の元には届かなかった。
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