第7話 人生エンドポイント
とある喫茶店に、1組の男女がいた。秋が終わり、冬が始まろうとしているこの季節、暖かい店内は混みあっていた。
外の冷気で体が冷えていた良太は、コーヒーが出されるやいなや、カップを両手で包み込むように持ち、口をつけた。
温かいが、熱過ぎない。その温かさが喉を通り、胃の中へと落ちていくのを感じながら、受け皿へカップを戻すと、椅子の背もたれに体重をあずけた。
「ふと思ったんだけど、生きる意味について、どう思う?」
いつものように、その問いかけは突然で、ふと思ったと言いながらも、しっかりと彼の考えはまとまっていた。
「んー、わかんない。そもそも意味なんてあるの?」
「そう、まずそこだよね。あるかないかで言えば、僕はずっとない派だったんだけど」
「まあ意味があるならそれを達成しちゃえば死んでいいってことだもんね」
こくこく、と良太は頷いた。相手の意見に同意を示すとき、よく頷くのが彼のくせだった。
「でも、実際に"目標を達成したら死んでもいい"を実行した人がいることに気づいたんだ」
「……まさか、おじいさん?」
「そうなんだよ」
良太の祖父、西野秀明。やりたいことを、全てやりきり、死んでいった人物。彼の行動を、マスターは、なんと表現していたか。
「生きるために、死ぬ……生きる意味を確定させて、確立させるために僕達は死ぬんじゃないかな」
良太が行き着いた結論も、同じものだった。逆説的な考え。生きるために、死ぬ。
「生きる意味って、当然人によって違うし、同じ人でも成長していく度に変わっていくと思う」
「それはそうだね」
「なら、生きている間はずっと意味が変わり続けるから、答えはずっと出ない。でも、死んでしまったなら、それ以上先がないなら、その意味は確定するんじゃないかな」
「でも意味がわかってすぐ死ぬ……それって意味がある意味がないんじゃない?」
「それもそうだね、死後の世界があったら別だけど」と笑いながら良太は答えた。
半分ほどになったコーヒーに、電球の光が映りこんでいた。
光あれ、から世界が始まったというのはキリスト教の教えだったか。宗教の命題でもある、『我々はどこに行くのか』。
「死後の世界はあるかどうかは分からないけど、あったらいいなとは思う」
「どうして?」
美保が問うと、良太は少しはにかみながら言った。
「うーん、なんというか……その方が、素敵?じゃないかな」
普段使わない言葉というのは、いざ使うとしっくり来ないものだ。良太はなにかスッキリしない感じを流すため、コーヒーを飲んだ。
「本題に戻すと、死がなかったら、それこそ確実に生きる意味はなくなると思うんだ。生きることが当たり前で、それが終わることなんてないんだから」
「おじいさんみたいに自分から決めたならそうかもしれないけど、事故とかで突然なくなっちゃった人は、亡くなる瞬間に意味なんて見いだせないんじゃない?」
「これは僕の考えだけど、走馬灯はそのためにあるのかもしれない。これまでの人生を振り返って、整えるために」
「じゃあ、死ぬために生きてるってこと?」
その問いに、良太はすぐには答えず、コーヒーの黒を見つめていた。
「そういうこと……なのかな。生きるために死ぬということは死ぬために生きること……?なんかしっくり来ないけど……」
カランカラン、と入口のドアに着いているベルが、乾いた音を鳴らした。
一瞬冷気がドア付近を駆け抜ける。
「いらっしゃいませ」
厨房の奥から、マスターが出てきた。入ってきたのは男子高校生4人組だった。
マスターは4人を唯一空いている一番端のテーブルに案内し、またカウンターへ戻ってきた。
未だ悶々としている良太の前に立つと、洗い終わったカップを吹き始めた。
「確かに、日田さまの言う通り、生きる意味が死ぬ直前にしか分からないというのなら、我々は人生の路頭に迷うことになりますな」
「やっぱりそうですよね」
「死があるから生を実感出来るけど、死ぬ瞬間に人生を振り返る、その時のために生きている訳では無いですもんね……それじゃ今後のためにやっておく、ってことになってしまう。就職のためだけに留学する、みたいな」
マスターはカップを拭く手を止めると、「少々お待ちください」といい、コーヒーをテーブルに運びに行った。
先程入ってきた4人組の机をはじめとし、2つ3つテーブルを回ると、カウンターへと戻ってきた。
これで、一切従業員を募集していないというのだから、美保は少し心配していた。
「お待たせしました。先程言った通り、死ぬために生きる、というのは少し違うのかもしれません。実に逆説的で私好みの考えなのですが」
再びカップ拭きを始めながら、マスターは語る。この店、コーヒー注文率が非常に高いだけあって、コーヒーカップの数は相当なものだった。
「確かに西野さまの言う通り、意味が確立されるのは先が無くなってから、つまり死んでから、または死ぬ瞬間、ということになります。しかしそれでは、それこそ意味が無い」
2人は頷きながら、食い入るようにマスターの話を聞いていた。さながら教師と生徒のような光景だった。
「では我々の生きる意味とは、むしろ先に亡くなって行った人達の人生に、意味を見いだしていくことなのではないでしょうか」
「あー……なるほど、確かにそうかもしれません」
「亡くなった人の存在は、その人を知る生きている人の心の中にしかなくなります。そこにこの人はこういう人だった、と意味を見いだし、弔うことこそが、生きている者の義務であり、生きる意味だとも思うのです」
「じゃあ、周りの人達に凄かったなーって思って貰えるように生きろってことですか?」
美保がそう聞くと、マスターは優しげに笑いながら返した。
「いえ、そういう訳ではありません。これは生きている者、生き残っている者の義務であって、生きること自体のルールやゴールは存在しません。我々は、先に人生という物語を終えた先人達を、敬い、供養し、憧れ、懐かしみ、慈しみながら、自由に生きていくのです」
そこまで言うと、マスターは一旦言葉を切った。
少しの間が空いたが、それは2人が発言できるようにするためではなく、次へとつなげる「間」であることが、良太にはもちろん、美保にも感じられた。
「だってその方が——素敵、じゃないですか?」
マスターは、静かに、微笑んでいた。
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