第6話 弱者フォーリングアウト

 




 とある喫茶店、そこで話される会話の全てを聞いている者がいた。

 マスターではない。その者は、店の中に1度も入ることなく、存在を察知されることなく、会話を聞き続けていた。

 いや、者、というのも正確ではない。

 それは、一匹のカラスだった。

 そのカラスは、魔法使いに知性を与えられていた。無欲と欲と幸せの関係を調べようとした魔法使いは、当然幸せを知る不幸と不幸を知らない幸せについても調べていた。

 カラスは、人の暮らしという幸せを理解するためだけに、知性を与えられていた。


 そんな観察対象のはずのカラスが、自由に飛んでいる理由は単純だ。

 魔法使いも、夢にも思わなかった。まさか知性を吹き込んだカラスが、それによって得たパーソナリティが、天邪鬼だったなんて。

 さらに、魔法使いはもう1つ、失敗をした。知性を与えすぎたのだ。最低限を与えればよかったものを、人間にしてもかなり高めの知能を与えてしまった。

 故に、カラスは悟りすぎた。この幸せは、なんの努力もせずただ生きるだけで、他のどの生物より安定した生活を送れるというその幸せは、決して自分が得られるものでは無いと。

 故に、カラスは諦めた。欲が、わかなかった。何より、そんな人間の娯楽のために使われるのが気に入らず、実験は無駄だったと思わせるため、なんの変化もないように演技した。

 その結果、カラスは魔法使いの興味からはずれ、自由を得たのだ。


 ——腹が減った。

 そう感じたカラスは、いつもの場所に行くことにした。


 カラスが舞い降りたのは、この街に一つしかない公園だった。

 子供というのは、知識が少ない。だから、きちんとした判断をしにくく、親が教えていかなければならない。

 当然、野鳥に勝手に餌をあげてはならない、ということを知らない子供もいる。

 午後4時に、必ずこの公園に来ている子供を、カラスは利用していた。

 カラスは、その子供が、あきらと呼ばれていることを聞いたことがあったが、特に興味はなかった。


「あ、来た来た」


 小学校中学年くらいだろうか。あきらは、ランドセルを背負ったままで、公園のベンチに座っていた。

 ポーチからパンを——カラスは知る由もなかったが、それは学校給食のパンだった——取り出すと、少しちぎってカラスの方に放った。


「はい」


 正直に言うと、カラスはパンよりも赤身肉がいいのだが、ないものをねだっても意味が無いため、ネズミと果物は自分で採っていた。


 いつもと同じ時刻、同じ場所、同じサイズの同じパン。しかしいつもと違ったのは、周囲の様子だった。


「お、からすいんじゃん」

「ちょうどいいんじゃね?」

「うつ?うつ?」


 公園に入ってきたのは、3人の高校生だった。1番背の高い真ん中にいる男は、エアガンを持っていた。つい最近買ったところで、公園で試し打ちに来た、といったところだろうか。

 その男は、エアガンをカラスの方に向けたが、カラスはそれがなんであるかを知らなかった。先に述べた通り、知らなければきちんとした判断が出来ない。

 故に、その発砲音の直後、痛みを訴える鳴き声が公園に響き渡らなかったのは、偏に本能によるものだった。



 ああ、くそ!ふざけるな!お前らは何もしなくても安全な暮らしを確保できるというのに!人の幸福を妬むというのに!どうしてより弱いものをそれ以上貶めようとするのか!



 カラスはその日のパンを諦め、飛び去った。

 3人は笑っている。あきらだけが、少し心配そうな顔でカラスを見送っていた。



 カラスが人の生活にある幸せを諦めたのは、どうしようもなかったからだ。そこに、嫉妬や妬みがない訳では無い。幸せを知ることで、確かにカラスは不幸になっていたのかもしれない。



 翌日、カラスは公園の周囲一帯を飛び回り、前日の3人組がいないことを確認した後、公園へと降りた。時刻は午後3時。まだあきらは小学校から帰ってきていないはずだが、昨日食べ損ねたパンくずを拾いに来たのだ。

 驚いたことに、あきらは既にベンチに座っていた。カバンはひとつも持たず、パンもなかった。

 カラスはあのパンが給食の残りということを知らなかったため、これから1時間のうちにパンを調達するのだろうか、と考えていた。

 あきらの前で羽を羽ばたかせ、鳴き、催促のアピールをする。

 繰り返すが、カラスは知らなかった。外に出歩けるのに小学校に行かないということが、何を意味するのか。

 そして誤った判断をした。あきらの顔にある痣は、人間版の縄張り争いみたいなものによる怪我だと。血が出ていないため、大きな傷でもないと。

 あきらは俯いたまま、反応しない。カラスは、よりけたたましく鳴いた。


「うるさい!」


 突然怒鳴られたカラスは、少し驚き、動きを止めた。時間が違うため、自分と気づいていないのだろうか、と思ったが、すぐに違うと理解した。


「カラスはいいよね、自由で……」


 自分がどれほど幸せか気づかないのだろうか。カラスである利点だけ挙げ、欠点を見ていない。だからそれは逃避だ。本当に比べているのはカラスではなく、より恵まれた人間だろう。


 しかしその言葉は、カラスのガー、という鳴き声にしかならなかった。

 不意に、公園と接しているマンションの、三階の窓が空いた。ベランダにでてきた男は、30代後半、と言ったところか。タバコに火をつけ、煙を吐くと、タバコを叩き、灰を公園に落とした。

 男は灰を目で追い、その先にあきらがいるのを見かけるやいなや、大声で叫んだ。


「おいあきら!何やっとんや!さっさと帰ってこい!」


 あきらは、黙ったまま、震えている。

 ——ああ、なんだ。結局、弱いものは強いだけの者に虐げられるのか。

 男は、ガー、とやかましく鳴いたカラスに、火のついたタバコを投げつけた。





 





 とある喫茶店に、ひと組の男女がいた。この2人、少し前にカウンター席に座ってから、空いている時はカウンター席に座るようになっていた。2人の他には、数名しか客はいなかった。


「あれ、マスターテレビ置いたんですか?」


 美保の言った通り、美容室の待合場所にあるような感じで、テレビが設置してあった。


「ええ、お客様の会話の妨げになるかと思い、今まで置いてなかったのですが、何分平日の午前中は暇な時間が多くありまして。消しましょうか?」

「いえ、大丈夫です」


 そういった良太は、なにに興味をひかれたのか、ニュースの画面を見つめていた。


『続いてのニュースです。今朝、兵庫県K市で、平谷康介容疑者が保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕されました——』


「え、K市じゃん」

「ほんとだ。虐待……?」


 テレビから流れた内容は、この街の事だった。2人とも、そんなことがあったとはちっとも知らなかった。


「たしか、小学三年生の男の子が亡くなったらしいですよ。可愛そうですよね」

「ほんと、なんで自分の子を殴ったりするんでしょう」


 テレビに移されたその男の子の顔は、その写真しかなかったのだろうか、楽しそうに笑っていたが、どう見ても小学三年生のものではなかった。恐らく、入学式の写真。スマホというだれでも簡単に写真を取れる媒体がありながら、2年以上写真が取られていないことが、意味することは。


『あきらくんは、よく1人で近所の公園のベンチに座っていたとの情報もあり、亡くなった当日は学校を休んでいたとのことです。また、この県に関してK小学校は——』


 バサバサ、と羽音がし、良太が窓の外を見ると、カラスが一匹、飛び立つところだった。


「そう言えばあのカラス、ずっとこっち見てたよ。テレビでも見てたのかな」

「いや、それは無いでしょ」

「そうとも限らないかもしれませんよ」


 美保の感想を、奇妙なことにマスターは否定しなかった。

2人が驚いて顔を上げると、マスターは静かに、笑っていた。それは、悲しみや哀れみを含んだような、静かで寂しげな笑顔だった。










 カラスは飛んでいた。雲ひとつない、晴れ渡った大空の中を。力強く、精一杯羽ばたいて。

 飛び立てなかった、思いを乗せて。

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