第39話 落語女子 其の9
「その、しやさん。ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど」
そう言って、俺がしやを連れて行く場所は、困った時のインターネットカフェである。
例によって例のごとく、店員が応対してくれる。
「いやあ、お兄さん。すっかり常連さんだねえ。それで、どのようなご用件で」
この店員とは、長い付き合いではないが、深い付き合いにはなっていそうな気がする。しっかりと
「少し、ネット検索をさせてもらうよ、店員さん」
「どうぞどうぞ」
そうして、俺はしやを連れてパソコンの画面に向かうのだった。検索する言葉は……
“落語 テキスト”
その言葉で検索すると、様々なサイトがヒットする。
その内一つを選ぶと、古典落語を文章に起こしたものが読める。
インターネットが普及し始めたこの時代、動画配信者なんてものは存在しようはずもなく、ブロガーだっていなかったと俺は記憶している。
どういうことかというと、ネットでコンテンツを配信して、お金を稼ぐというビジネスモデル自体なかったのだ。じゃあ、なんでこういったテキストが読めるかというと、お金を目的とせずに、ネットに文章をアップしていた人が大勢いたのである。
そのあたりは、令和元年でもそう変わらないかもしれない。一部の動画配信者などは、年収数億円という景気のいいことになっているようで、小学生のなりたい職業ランキングに動画配信者がランクインするご時世になっているが、そんなのはほんの一握りである。
お金目的で動画を配信したりする人間も結構いるようだが、そんなのは営利目的の企業がネットに入り込んできたからに他ならない。
少なくともこの時代は、ネットが令和元年より商業主義に侵されていなかったはずなのだ。
「しや、ここの、落語の内容が文章で書かれているだろう」
「そうですね、古典落語がいっぱいあるみたいです」
千九九九年になると、ネットには文章をメインとしたテキストサイトが数多く登場していた。当時はまだ通信環境が未発達で、動画はもちろんのこと、画像や音楽すらネットで楽しむにはいちいち時間がかかっていたのだが、文字媒体のテキストならば、それなりに待たされることもなく楽しめたものだった。
そんな状況で、ただ大勢の人に見てもらうことを目的として、日々ネットに文章を入力していた数々の人間がいた証拠の一例が、この検索結果なのである。
「しや、この落語の文章、どんな人が書いてるんだと思う」
「さあ、わかりません」
「少なくとも、お金目的ではないと思うよ。だって、この文章を俺たちが読んだからって、この文章を書いた人に、直接お金が入ることなんてないんだから」
「じゃあ、なんでこんなことをする人間がいるんですか」
「それは、単純に、落語が好きだからなんじゃあないかな」
俺は、しやに向かって、この時代にネットに文章を投稿していた多くの人間の気持ちを代表して、俺の当時の気持ちを話すのだった。
ひょっとしたら、昭和以前のことを話した結果のルール違反として、店員にお仕置きされてしまうかもしれない。と言うわけで、これからはこう言ったことをする場合はこの店でしかやらないことにしよう。これからがあればの話だが。
「しやさん、少し難しく考えすぎなんじゃないかな。オリジナリティとかなんとかんとか。そもそも、古典落語だよ。著作権なんて、とっくの昔に消滅してるさ」
「だけど、落語家さんたちが、今も伝統を伝え続けているわけでしょう。それを軽々しく改変しちゃうなんて、ちょっとあれじゃない」
「ちなみに、著作権法で禁じられているのは、著作権を侵害して金銭的利益を得ることだよ」
「どう言うことよ」
「例えば、俺が街角で誰かの歌を歌ったとしても、それでお金を稼いでいると言う事実がなければ、法律的に罰を与えようがないってことさ。少々変な人って思われるくらいかな」
「それでも、仁義とか、礼儀とかそう言うのがあるんじゃないの」
「俺は、落語は、そんなに
「そうなの、成一君」
「ちなみに、しやさんがやった『反対俥』だって、演じる噺家さんによっていろんなオチがあるんだよ」
「いろんなオチって?」
「もともとは、『終電に乗り損ねた』と怒る客に、車屋さんが『始発になら間に合う』と返すオチだったみたいだね」
「ああ、あたしもそれは知ってるわ」
「他にも結構なパターンがあるんだ。急ぐあまりに車屋さんが、川に芸者さんを落っことしちゃって、客が『川から芸者をあげないと』なんて言ったら、車屋さんが『芸者をあげられるくらいなら、車なんて引いてませんよ』と言い返すパターンとかね」
「ふうん、成一君って、おじいちゃんの家でカセットテープを聞いていただけなんでしょう。それなのに、色々知っているわねえ」
「そんなことはどうでもいいんだ。俺が言いたいのは、しやさんがやったくらいの話の改変は、とっくの昔に落語会は受け入れているってことさ。なんならこう言い換えよう。グダグダ言ってないで、まずは人前でやってみろ、話はそれからだ。落語は、人に聞かせてナンボなんだ」
「そうですか、成一君」
「そうなんです、しやさん」
そうやって、俺がなんだかんだとしやに言い含めていると、しやがいたずらっぽく微笑むのだった。
「そこまで言ってくれるなら、これからもあたしの落語聞いてくれるんでしょう、成一君」
昭和五十七生まれの俺が、西暦千九九九年(平成十一年)にタイムスリップしちゃたけど、話していいのは昭和以前の出来事限定です @rakugohanakosan
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