第38話 落語女子 其の8

「あ、ありがとうございました」


 すっかり息を絶え絶えにしながらも、落語を一席し終えた後に、きちんとお客さんである俺に対して一礼してくれるしやである。今時の若い娘にしては、ずいぶんと礼儀正しいものだ。


「どう。これで満足かしら、成一君。そちらのリクエスト通り、『反対俥』やってあげたわよ。それで、感想くらい聞かせてくれるんでしょうね」


 もはや完全に、俺を変態とみなしているしやの目つきである。そんな目つきで変態として俺を見ながらも、感想を求めてくるあたり、しやの表現者としてのごうがうかがえる。


 それで、しやの『反対俥』に対する感想である。まあ、いかにしやが正座の姿のまま、何度も何度もぴょんぴょん飛び跳ねる姿がエロティックだったかを、思いつくままストレートに語ってもいいのだが、それはそれとして、しやに言っておきたいことがある。


「いや、予想外だったよ。しやは、いきなりの俺のリクエストに、アドリブで応えてくれたようなものだろう。だから、たいしたものはできっこないだろうなとたかをくくっていたんだけど、なかなかどうして、お上手に落語をやってくれたじゃないか。その辺の女子高校生には、とてもじゃないけどやれるようなことじゃあないよ」

「そ、そうだったんだ。ほ、褒めてくれてどうもありがとう」


 俺は率直にしやの落語を褒めたつもりだったのだが、当のしやは、狐につままれたような顔をしている。どうせ、俺がエロ方面の感想しか言いはしないと考えていたのだろう。


 だが、俺はこれでも令和元年までに、それなりに大人として社会生活を営んできたのだ。ちょっとしたおべんちゃらを言うくらい、何でもない。


「あれ、俺はしやの『反対俥』を褒めたのに、これはまた、何ともはや淡白な反応だな。ひょっとして、俺がいやらしい感想を言うとでも思っていたの?」

「そ、そんなことあるわけないじゃない。成一君が、あたしがスカート姿でぴょんぴょん飛び跳ねる姿をどうのこうの言わなかったからって、なんか期待はずれなんて思ってないわよ」


 これまた、お手本のようなツンデレである。さっきも言った通り、この時代にはツンデレなんて言葉はなかったので、しょうがないと言えばしょうがないのかもしれないが。


「そうだよねえ。俺は、純粋に『反対俥』と言う古典落語を楽しみたかったのに、しやが制服のスカート姿でぴょんぴょん飛び跳ねる姿を見たいがために、『反対俥』をリクエストしたなんて思われるのは心外だよ」

「そ、そうよね。そんなことを成一君が思ってたなんて、あるはずがないわよね」


 まあ、あるはずがないもなにも、実際のところとして、俺はただ、純粋に卑猥な目的でしやに『反対俥』をリクエストしたのだが、いつの時代にも、本音と建前というものは存在するのである。


「全く、せっかくしやが、生で落語を見たことがない俺のために、俺の目の前で落語をやってくれるっていうのに、そんないやらしい目線でしやを見るはずないじゃないか。そんな、落語に対するはなはだしい侮辱を、俺がするとでも思うのかい」

「そ、そんなこと思ってもいなかったわよ。そもそも、そんな発想をすること自体、頭の中が年から年中ピンク色になっている証拠じゃない。そんなことありませんとも」


 しやが言うように、年から年中ピンク色どころか、俺はこの千九九九年から令和元年に至る二十年間、頭の中をピンク色一色にしていたのだが、それはさておいて、しやの『反対俥』の真面目な評論を行うとしよう。


「それで、しやさんの『反対俥』だけど、最後のオチはしやさんのオリジナルなのかな。明らかに受験を控えた高校生をターゲットにしたオチだったと思うけど」


 俺が令和元年までに、動画投稿サイトで見た『反対俥』のオチは、『終電乗り損ねちまったよ』と言う客に対して、『始発には間に合いますよ』と車屋さんが答えると言うオチだったが、しやの『反対俥』は、それとは違ったオチだった。


「オリジナルなんてものじゃないわよ。話の流れは古典の『反対俥』そのままで、最後のオチだけ、ちょこちょこっと変えただけだもの」

「でも、人力車に激しく動き回られて、それに乗っているお客さんが落ちる落ちないと、受験に落ちる落ちないを引っ掛けてあって、面白いじゃない。少なくとも、現役高校生である俺には、どんぴしゃりなんじゃないかと思うよ」


 と、精神年齢三十七才で、実年齢十七歳の俺が言うのであるが、しやは嬉しがる様子を見せることはない。


「どうせ、こんなもの、すでに誰かが思いついてやっちゃてるわよ」

「でも、俺はしやさんのオチ、しやさんの落語以外では聞いたことないよ」


 多分これから先二十年間は。俺は心の中でそう付け加える。


 しやの『反対俥』のオチは、俺が初めて聞いたものであることは、間違いなく事実なのである。


「それは、このオチが大したものじゃないからよ。プロの落語家さんがやるようなものじゃないってこと。どこかの大学の落語研究会で、とっくの昔にしちゃわれたに決まってるわ」


 しやはしやで、創作につきものの悩みを抱えて、鬱屈うっくつしているようだ。

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