第37話 落語女子 其の7

「車屋さん。ちょいとそこまで乗せてっててくんな。急いでるんだ」


 そんなみだらなことを俺が考えていると、いつのまにかしやの『反対俥』が盛り上がってきた。さあ、いよいよ本番だ。


「ああ、いいよ。急ぎなんだね。なら乗ってくれ。ちょいととばすから、振り落とされないようにするんだよ。何かにぶつかりそうになっても、ちゃっちゃと避けてくれよ」

「ああ、わかった。ほら、乗ったよ。急いでくれ」

「それじゃあ出発だ」


 そう言って、しやが正座したまま、人力車を引いて走り始める車屋さんを演じ始める。やはり、若さのはじける高校二年生だ。元気いっぱいである。正座したまませわしなく走っている様子を見せるしやを見ていると、俺は座布団になりたくなってくる。


「あっ、お客さん、危ないよ。木の枝がお客さんにぶつかりそうだ。お客さん飛び跳ねて避けてくださいよ」

「わかった。よっこらしょっと」


 待ちに待ったこの瞬間である。制服のスカート姿の女子高校生が、正座したまま飛び跳ねてくれるのである。それも俺の目の前で、ライブで、最前列で、かぶりつきで。こんなに嬉しいことはない。そのしやの下半身に、俺の目は釘付けである。


 しやのスカートの中身が、ひょっとしたら見えるかもしれない。十中八九見えないだろうけど、もしかしたら、神様の御恵みがあるかもしれない。そんな事を考えると、俺は目線をしやの下半身に釘付けにせずにはいられないのだった。


 しかし、しやの滞空時間は、俺の望みを叶えすぎるにはあまりにも短すぎる。無情にも、しやは座布団に着地してしまうのだった。


「おっと、お客さん、今度は前から鳥が飛んできたよ。ちゃんと避けちゃってね」

「了解だ。そらよっと」


 再びしやが正座したまま飛び跳ねてくれる。俺は当然のごとく、しやの下半身に注目するはずだったが、俺の心の中の何かが俺に向かってささやくのだった。


「下半身だけでいいのかな。上半身だって見逃せないんじゃない」


 そんなどこからともなくやってくるささやきに誘われて、俺はついついしやの上半身に目を向けるのだったが。おお、これはこれは。


 しやが、座ったまま全身のバネを使って飛び跳ねてくれるのだ。自然と、その体は激しく上下する。これは凄い。


 千九九九年から令和元年にかけて、乗馬マシンが開発され、それに乗る女性の動画が何故か大量生産されたが、このしやの上半身はそんなものとは比べ物にならない。


 乗馬マシンに乗る女性は基本的に受け身である。それを好む男性諸君も大勢いらっしゃるだろうが、やはり俺は自分から主体的に動いてもらう女性に一票を投じたい。


 千九九九年には、とうの昔にストーカーという言葉は一般的になっていた。俺のような男が、下手に自分から女性にアプローチをかけると、即座にストーカーだの痴漢だのと言った汚名を着せられたのだ。


 そんな時代に多感な青春時代を生きてきた俺である。自分から女の子にモーションをかけるなど考えられなくなってしまったのだ。


 そう言うメンタリティを持ってしまった俺にとって、自分から正座したまま飛び跳ねて、上半身のいろんな部分を上下させてくれるしやの姿は、いくら感謝しても感謝しきれないくらいである。


「さあさあ、お客さん。近道しますよ。あの路地に入りますからね。ああっ、物干し竿がかかってる。お客さん、危ないですよ」

「わかってるって、ほらよっと」


 またまた正座したまま飛び跳ねてくれるしやだ。その息づかいは、荒々しくなってきている。無理もない。なにせ、飛び跳ねる客だけでなく、人力車を引く車屋さんまで演じているのだ。


 いくら若い体のしやと言えども、息切れの一つや二つぐらいしてきちゃうだろう。が、これはますます絵的に問題がありそうだ。


 苦悶くもんの表情をこらえている女子高校生を、一段高い場所で正座させて、それをニヤニヤしながら見物している、おっさんのような男子高校生。どこぞのいかがわしいショーみたいである。


 だが、そのしやの表情がたまらないのも、また事実なのだから困ったものである。


「おっと、お客さん、もうすぐ路地から出るところだよ。わっ、路地の出口に、誰かが担いでいるのれんがある。お客さん、危ない」

「わかりましたってば、よいしょっと」


 もうそろそろ、しやも疲れ果ててきている頃だ。こうなってくると、いやらしいとかそんなことを感じるよりも、可哀想だと言う思いがまさってくる。汗ばんだしやの体を、正座から解放する必要がありそうだ。そして、今すぐしやが座っていた座布団の匂いを嗅ぐ必要もありそうだ。


 そんなことを俺は考えていたのだが、俺が別に何かする必要もなく、しやの『反対俥』は“落ち”るのであった。


「いやあ、お客さん、慌ただしくてすみませんね。でも、よく人力車から落っこちませんでしたね」

「当たり前だよ。こちとら受験を控えているんだ。“落ち”るわけにはいかねえよ」



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