第33話 落語女子 其の3
とりあえず、俺は古典落語が好きであろうしやの、自分の好きなものが一般的ではない人間特有の、ひねくれたファン心理のツボをつくような発言をするよう心がける。
俺が古典落語についてそれなりの知識を有していること、馬鹿にすることはもちろん、褒めちぎりすぎないことも重要だ。ちゃんと、マイナー分野のファン同士としての、節度ある会話が重要である。
「ほら、やっぱり今の時代ならさ、落語家って言ったらさ、日曜日の夕方にしてる大喜利してるイメージじゃない。もちろん、俺はあれが落語じゃないってことはわかってるよ。あれは落語じゃなくて、落語家がやるバラエティー番組だからね」
「わかってるじゃない、成一君」
「それと、有名どころが司会者をしていることもよくあるね。新婚さんのやつとか、ガッテンとか、だけど、あれも落語ではないよね」
「ご高説ごもっともですけど、成一君。じゃあ、そんなご時世に、成一君はどうしてそんなに落語にお詳しいんですかねえ」
しやの問いかけに、俺は肝を冷やす。
『動画投稿サイトで落語見てました』なんて言えるはずがない。そんな事をうっかり漏らしてしまったら、バッドエンドまっしぐらである。あの店員に一体どんな事をされるというのか。
とは言え、下手に寄席に行ったなんて言って、しやに『えっ! 寄席に行くなんて、成一君ったら、わかってるじゃない。どこの寄席? 誰の何を見たの?』なんて喜び勇んで突っ込まれては、あっという間にボロが出てしまう。
俺だって、実際に生で落語を見たこたなんてないのだ。それでしやに馬脚を現してしまっては、しやの態度が途端に冷ややかになってしまうのは、火を見るより明らかだろう。
となると、当たり障りのないところを、いろいろぼやかして言うしかないだろう。
「ええと、俺のじいちゃんの家に、落語のカセットテープがあって、夏休みとか冬休みとかにじいちゃんの所に行ったら、よく聞いてたんだ。だけど、誰の落語だったかまでは覚えていないんだ。結構うろ覚えで」
「へええ、カセットテープねえ。うろ覚えねえ」
俺が、『偉そうな事を言っても、実はそんなに詳しくないんでーす。すいませーん』なんていった様子で、申し訳なさそうに言い訳した途端に、しやが優越感にあふれた得意げな顔をしてくるのだった。何にったらにったらしてるんだ、この小娘が。
「だったら、実際に寄席に行って、
「は、はあ、その通りでございますが」
しやの言う通り、俺は生で落語を見たことはないのだが、それを目の前の
「ちなみに、あたしは行ったことあるわ、寄席に。それも何回も。やっぱり落語は実際に寄席で見てこそよ。それを体験していないなんて、成一君はまだまだね」
「まだまだでありますか、しや殿」
まだまだ未体験なんて、令和元年の俺にだって突き刺さる言葉である。なんの体験かは言いたくはないが。しかし、ついついしや殿なんて敬称をつけてしまう俺であった。
「いいわ、成一君、お姉さんが君をテストしてあげる。しってる古典落語の演目を言ってごらんなさい。その結果次第では、お姉さんがご褒美をあげるわ」
「ご褒美をいただけるんですか、しや殿」
全く何が“お姉さんだ”。二十才も年上のこの俺に向かって。それなら、俺の令和元年までの、ドラマやら教育番組やらによる、量だけは無駄に多い知識の火を吹かせてやる。
「まあ、有名どころからあげて言って、『時そば』、『寿限無』、『まんじゅう怖い』、『目黒のさんま』、『猫の茶碗』、『子別れ』、『権助提灯』、『明烏』、『品川心中』、『粗忽長屋』、『出来心』、『ちりとてちん』、『死神』……」
「わかった。わかりました。もう十分です、成一君」
「もういいの。まだ全然言い足りないのに」
「その、成一君の実力のほどはよくわかったわ」
すっかり俺の実力に恐れおののいてしまった様子のしやである。ざまあみろ。となると、気になる点が一つある。
「それで、ご褒美ってなんですか、しや殿」
「殿なんてもうつけなくていいわよ。成一君の古典落語への
「だけど、お姉さまを呼び捨てなんて、失礼ではないかと」
「あたしも、二度と自分のことをお姉さんなんて言ったりしないから、勘弁してくれない?」
しやへの仕返しはこのくらいにして、本題に入らさせていただこう。
「まあ、かまわないですけど。それじゃあしや、ご褒美ってなんなの。結果次第でいただけるんでしょ。足りないと言うのならまだまだあげつらねますけど」
「もう十分だってば。ご褒美ってのはね、成一君に何か古典落語をやってあげようと思って。あたしが、今日この学校で」
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