第22話 ウホッ いい腐女子 其の1

 さて、やみや和香さんと、なんだかんだあった千九九九年、五月一日の翌日である。この日、五月二日は日曜日だ。昨日、和香さんと別れた後、当時の自分の家に戻ったが、父さんと母さんは、なんら変わることなく俺を迎えてくれた。


 あの憎たらしい店員のように、俺に妙な含みを持った言い回しもするようなことにはなっておらず、俺は安心して眠ることができた。


 というわけで、俺は日曜日だったが、俺が通っていた高校に行くことにした。正直懐かしいし、色々見て回りたいところもある。となると、生徒がたくさんいて、授業も行われている平日よりも、今日みたいな日曜日の方が、何かと都合がいいだろう。


 そんなわけで、俺の母校を久し振りに見物するのだった。校庭や体育館は、部活動をしている生徒たちでにぎやかだが、校内は静かなものだ。さて、どこからにしようかなどと考えていたら、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。


「きゃっ」


 そんな悲鳴を、俺とぶつかった誰かさんがあげる。この悲鳴はなら女の子だ。であれば、当然サービスシーンとして、下着の一枚や二枚拝めるはずだが……


 たしかに、俺は、いかがわしいものを見ることができた。そのいかがわしいものとは、やたらと官能的に描かれた男の二人組が、裸で絡み合っている絵だった。


 この女の子は、令和元年で言うところの“腐女子”であろう。俺としては、こういった女性とは、できればお近づきになりたくない。


 令和元年には、“腐男子”なる言葉もあるようだが、残念ながら、俺にはそう言った趣味はない。と言うわけで、一刻も早く、この場を立ち去ろうと思ったのだが、その俺とぶつかった女の子が、大変申し訳なさそうにしているのだった。


「す、すいません。非常にお見苦しいものを見させてしまって。どうか、なにとぞこのことはご内密に。急いで拾いますので」


 そんな風に、急いで男が盛りあっている絵を拾っている女の子の様子に、俺は違和感を感じるのだった。


 もしこんなことが、令和元年にあったら、あんなエグいものを見せられた、俺の方が糾弾されるに違いないのである。


「なによ、その顔、文句あるの。セクシャルマイノリティーに対する差別は、断じて許されないわ。ほら、しっかり見なさいよ。異文化交流よ。互いの趣味嗜好を尊重しなさい」


 こういった具合に。


 あるいはこうなるかもしれない。


「あらあら、そんなに過敏な反応をしちゃって。ひょっとして、こう言う世界に興味があっても、最初の一歩が踏み出せないチキンさんなのかな。問題ないのよ。ちょっとノーマルじゃないくらい、全然平気なんだから。さあさあ、しっかりお勉強しましょうね。目を見開いて、この男同士のまぐわいを観察するのよ」


 なにせ、国営放送の大河ドラマで、“お稚児さん”だの、“色小姓”だのといった単語が、公共の電波に乗せられるのが、令和元年という時代なのである。そんな風潮に、いささか辟易へきえきしていた俺だったので。この女の子のような反応は、かえって新鮮である。


 千九九九年は、まだまだやおい文化は一般的とは言えず、“腐女子”と言う言葉すらなかっただろう。


 となると、さっきまでこの場から逃げようとしていた俺だが、うってかわって、女の子が必死になって拾っている絵を見たくなってくる。『見ろ』と言われたら見たくなくなるが、『見るな』と言われたら見たくなるのが人情である。


 だが、強引に女の子が隠している絵を奪い取って、見ると言うのでは風情ふぜいもなにもあったものではない。そこで俺は、令和元年までにネットでかじった程度の、やおい知識を披露するのだった。


「それってボーイズラブだよね」

「ボーイズラブ、ご存知なんですか!」


 想像以上に食いついてくる。さて、次はどうしよう。下手に漫画やアニメのキャラクターをあげて、カップリング論争を始められてはかなわない。とし、ここは歴史的事実で行こう。それなら、あの店員もごちゃごちゃ言ってはこないだろうし」


「その、俺、歴史に興味があって、武田信玄が、部下に『他の男の子に色目を使っちゃったりもしたけど、本当に愛しているのはお前だけだよ』、なんて手紙を送ったりしてたんだよね」

「そうなんですよ。よく知ってますね。凄いです。そう言ったことは、時代劇なんかでは、全然表現されていないのに」


 何という食いつきの良さだろう。食いつきというか、まな板の前で包丁を用意していたら、自分から海から飛び出して、まな板にその身を差し出してくれたレベルだ。


 逆に、少々申し訳なってくるが、ここで、ボーイズラブの話を止めるのも彼女に失礼だろう。歴史的事実として、男色を語る以外に道はないではないか。


「そりゃあ、時代劇もエンターテイメントなんだからさ、ただ歴史を忠実に再現すればいいものじゃないってことはわかるよ。俺だって、お歯黒をつけた女優さんをテレビでは見たくないもん。でも、だからと言って、戦国時代で男色を無視したら、ちょっと話に整合性が取れなくなっちゃうよねえ」

「そう、そうなんですよ」

「ほら、例えば、なんで織田信長に、あそこまで部下たちが心酔していたかって言うと、主人と部下との間に、ただの主人と部下ではない、男と男が惚れあった関係があったからこそじゃない。そこを、カリスマ性とか、リーダーシップとかで片付けちゃあ、製作陣もわかってないなあとなっちゃうよ」

「凄いです。そこまでご存知なんて。何でそんなことまでお知りになってるんですか」

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