第13話 ガチンコ 其の1

 店員にいいようにあしらわれた俺は、すっかり疲れ切って、この時代の自宅に帰ろうとする。いくらなんでも、俺の両親まで、あの店員みたいな意地が悪いことはしてこないだろう。たぶん、俺の希望的観測だが、俺の両親は、西暦千九九九年、五月一日の両親のままでいてくれるはずだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、なんだか言い争いの声が聞こえてくる。正直言って、これ以上面倒ごとにはかかわりたくないのだが。どうも、一人の女の子に、二人の男が絡んでいるようだ。


「なあ、姉ちゃん。ちょっとでいいから付き合えってば」

「少しくらい、構わねえじゃねえか」


 男の二人組の言うことは、よくある内容である。たちの悪いナンパにほかならない。女の子のほうは、俺の高校の制服を着ているようだが、顔までは識別できない。ここで、俺がこの女の子をさっそうと助けられたら、話としては実にご都合主義だ。


 だが、そんなことにはなりそうもない。別の世界で無双するというのはありがちだが、大した特殊技能を持っているわけでもない俺には、とてもじゃないができる話ではない。大体、こういったケースで一番役に立つのは腕っぷしなのだが、あいにく俺はそんなものは持ち合わせていないのだ。そんなふうに考えていると、男のうち一人が俺に気づいてしまう。


「なんだ、てめえ、邪魔する気か。漫画のヒーローにでもなる気かよ」

「まあまあ、お兄さん。あんなの気にしないでさ、わたしといいことしようよ」

「へへっ、そうかい。お姉ちゃん、話が早いじゃねえか」


 そう言って、女の子のほうから、俺に悪態をついてきた男に抱き着いていく。男はと言えば、さっきまで俺へ飛ばしていたガンはどこへやら、すっかり鼻の下を伸ばしている。男に絡まれて、それを嫌がる女の子というシチュエーションだと、てっきり俺は思っていたのだが、どうも女の子も乗り気みたいだ。


 それなら俺の出る幕はない。後は三人でよろしくやってくださいなと、別の道で帰ろうとした俺だったが、突然思いもよらぬことが、俺の目の前で起きる。


 ぶんっ! ぐしゃっ!」


 男をしっかりと抱きしめていた女の子が、そのまま背中をそらしてブリッジをする。自然と、男はそのまま、女の子の後ろの地面にたたきつけられる。地面はアスファルトだ。これは、男にとって、大いにまずいことだろう。案の定、男は気を失ってしまって、ぴくぴくけいれんするだけになってしまった。


 見事なフロントスープレックスだ。まさかこんなプロレス技が、この目で見られるとは。これだけ見事なものは、令和元年になっても、そうそう実際にお目にかかれるものではない。そんなふうに見惚れている俺だったが、もう一人の男が叫びだすのを聞いて、我に返るのだった。


「けっ、プロレスかよ。どうせ、台本がなきゃあ、何もできないいかさま八百長じゃねえか」


 もう一人の男のその言い草に、当事者ではない俺だったが、これはいけないことになると思った。様々な業界の暴露話ばくろばなしがネットをにぎわす令和元年だ。当然、プロレス業界も例外ではない。


 しかしながら、そんな令和元年ですら、プロレスラーに、”八百長”とか、”台本”とか直接言ってはいけない空気と言うのは、厳然として存在するのだ。そんなものなのだから、この千九九九年に、”いかさま”なんて言おうものなら……


「もう一回言ってみろよ」


 思った通り、その女の子はお怒りである。大声で騒ぎ立てるのではなく、一見したところ物静かに、しかし内心ははらわた煮えくりかえっているであろうところが、余計に恐ろしい。そんな女の子の怒気に、もう一人の男は、なおもケンカを売り続けるのだった。


「何度でも言ってやるぜ、プロレスラーなんて、ケンカじゃあからきしだってな」


 もう一人の男の言葉が言い終わるのを待たずして、その女の子は、もう一人の男に対して、走り出していくのだった。


「おもしれえ。かかってきやがれ」


 もう一人の男も、それを受けて立ち、自分も女の子に向かって走っていく。その二人が、ぶつかり合うと俺が思った矢先に、女の子が華麗に宙を舞うのだった。


 ばこっ!


 打点の高い、見事なドロップキックが、もう一人の男の顔に直撃する。そのもう一人の男は、首を危険な角度まで曲げてしまい、そのまま地面に倒れこんでしまう。これは金がとれるドロップキックだ。ただで見させてもらって、なんだか申し訳ない。そう言えばと、俺は思い出す。この子は”岡田おかだ和香かずか"。


 女の子でありながら、入学初日に、俺の高校のヤンキーを全員叩きのめしたとか、柔道部顧問と寝技でバチバチやりあっている、とか言ううわさが飛び交っている女の子だ。そんな大変お強い和香さんが、俺を、いまだ怒りが収まらぬまなざしでにらんでくる。


「なあ、あんたもこいつらの仲間か」


 和香さんは、俺も下種げすなナンパ野郎の一員と思ってしまったようだ。このままでは、俺も地面に転がされてしまう。実にまずい。これと言った対策を考える間もなく、和香さんが俺に向かって近づいてくる。さっきのように走ってきたりはせずに、のっしのっしと悠然と構えて俺に近づくのだが、それだけに、かえって迫力がある。何とか命だけは勘弁してもらいたいと俺は切に望み、和香さんに悲鳴を上げるのがった。


「やめてください。そちらに絡まれていた男二人組はとっくに気を失っています。今、ここにいるのは、二人だけじゃないですか。客もマスコミもいないのに、プロレスしたって意味なんかないですよ」



 

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