第12話 いだてん 其の11

「せっかく、お客さんの役に立ちそうなもの見つけたのになあ」


 そんなことを、残念そうに言う店員である。当然、俺は聞き返すのだ。


「役に立つもの? なんですかそれ?」


 そう聞き返した俺に、店員はパソコンの画面を見せてくれる。


「ほら、これ、見てくださいよ。本の通販サイトです」


 そう言われて、てっきり“アメイジン”のことかと思った俺だが、画面に表示されている企業のロゴマークは、俺が見たことも聞いたようなものだった。多分、令和元年には、アメイジンに潰されて、影も形もなくなっていることだろう。


 この時代に、一攫千金いっかくせんきんを夢見て、多くの人間がこういった事業を立ち上げようとしたが、その大半が、 グーゴルだのリンゴだのと言った、巨大企業に、跡形もなく踏み潰されたのだと思うと、俺は切なくなるのだった。そんな俺に構うことなく、店員はパソコンを操作するのだった。


「この本は、テレビ番組の批評雑誌なんですがね、お客さんが調べた、最初の日本人のオリンピック選手について、僕も気になってあの後自分で調べたんですよ。そしたら、日本人で初めてオリンピックに出場した、金栗四三さんを紹介した、テレビのドキュメンタリーが、なんだかすごい賞を取ったらしくって、そのことについて書かれた雑誌を売っているところ、見つけたんですよ。こんな、聞いたこともないような雑誌が、通販で買えちゃうんですから、いい時代になったものですねえ」


 令和元年なら、雑誌どころか、そのドキュメンタリーそのものを、動画サイトで簡単に見られるのだが。この時代ならそんなものだろう。しかしながら、それでも、ずいぶん、俺に取って都合がいいことをしてくれる店員だと思いながら、俺は店員の話を聞き続けるのだった。


「ほら、簡単な紹介があるでしょ。金栗四三が、何十年も後に、ゴールして、その記録が正式なものになってるって。マラソンの記録が、数十年単位なんて、ロマンを感じますよねえ。こんなロマンのある話、女の子ならイチコロですよ。あの女の子にこの本見せれば、仮にお客さんが何かをして、あの女の子を怒らせたのだとしても、すぐに機嫌を直してくれると思ったのに」


 そもそも、この店で、金栗四三について調べることになった経緯を話しただろうか。いや、話していないはずだ。だとしたら、やみに金栗四三のことが書かれた本を、見せたって、どうにかなると、この店員が考える理由はあるだろうか。そんなことを思案している俺に、店員がまたもや意味ありげに話しかけてくるのだった。


「お客さん、アメイジンじゃなくてがっかりしましたか」


 そんなことを言ってくる店員に、俺は再度肝を冷やしてしまう。


「まあ、アメイジンという会社名を言わなかったことは、褒めてあげますよ。でも、あんなにマイナーな雑誌が、買えちゃうんですよ。この時代の人間なら、もうちょっとは驚いてもらってもいいんじゃあないですかねえ。じゃないと、僕も、金栗四三について調べた甲斐がありませんよ。違いますかねえ」


 この店員にとって、俺はいったいなんなのだろう。生かすも殺すも自由自在なのだろうか。俺は、このインターネットカフェでいじくりまわされている、頭に電極つけられた、実験動物なのかもしれない。


「それで、どうです? この本、注文なさいますか。」


 そして、この店に俺が初めて来たとき同様に、店員は冷徹な表情から打って変わって、営業スマイルに豹変ひょうへんするのだった。


「ちゅ、注文ですか。だ、だけど、ここはカフェですよね。それなのに、本の注文なんてできるんですか」


 俺は、白々しく店員に質問するのだった。ネットでの通販なんて、令和元年になるまでにさんざんやっている。パソコンに向かって、ポチればいいだけの話だ。しかし、店員に嫌と言うほどこれまでにおどかされてきたのだ。そのために、ネットに無知な高校生を、今さらながらも演じてしまうのだ。


「あれれ、お客さん。ちっともインターネットというものを理解していませんねえ」


 店員は、ことさら嬉しそうになりながら、俺のネットに対するとんちんかんな質問に返事をするのだった。しかし、できれば、この店員は俺にとってどういう存在なのか、はっきりするような立ち位置でいてもらいたい。この時代にいるような、ごく普通の店員としてふるまってくれるなら、俺もそれなりの対応が取れるのだ。


 西暦千九九九年にいる、きわめて一般的な高校生としての対応を。それなのに、普段はただの店員みたいになっていながら、いきなり俺が令和元年からのタイムトラベラーであることを、当然のごとく知っている様子で、耳元でささやいてくるのだ。心臓に悪いことこの上ない。


 ただの店員ならただの店員、俺をその手のひらでもてあそぶような、絶対的存在なら絶対的存在と、きっちりしてほしいのだ。しかし、店員は俺の心の中での訴えを、知ってか知らずか、嫌らしく笑いながら、ネットについて偉そうに講釈を垂れるのだった。


「このパソコンで注文すればですね、本を宅配で届けてくれるんですよ。すごい時代になったものですよねえ。送料は別にかかりますけど、お兄さん、どうなさいます? 注文します?」


 巨大資本にものを言わせた、送料無料サービスなんてものが出てくるのは、まだまだ先のことか。なんてことを考えながら、俺はすっかり投げやりになって、店員に本の注文を頼むのだった。


「でも、俺、注文の仕方よくわからないんですよすよ。だから、今回はやめておきます」


 俺は、これ以上店員にぼろを出さないように、遠慮を装うのだった。これなら、未来のことを、うっかり口を滑らせたりはしないだろうと思ったからだ。ざまあみろ。いい加減俺も学習したんだ。大体、下手に俺の住所やらなにやらの個人情報を、お前なんかに教えてやるものか。


 この店で、俺の自宅への配送を頼んだりしたら、みんな赤裸々せきららになっちゃうじゃないか。そんなことしてやfらないもんね。しかし、店員は笑顔で俺の浅知恵を踏みにじるのだった。


「だめですよ。そんなことじゃあ、あの女の子に申し訳ないじゃないですか。そうだ、僕が代わりに注文しておきますよ。この店に届けてもらうようにします。一週間もすれば届くと思いますから、またこの店に取りに来て下さいよ。はい、会員カードも渡しておきますね」


 俺に有無を言わせない店員の迫力だ。また、この店を訪れることになるのだろうか。






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