第9話 いだてん 其の8

「そ、それじゃあ、靴下、脱いじゃいますね」


 俺の頼み通りに、やみが靴下を脱いでくれる。しかしながら、公園で靴下を脱ぐという行為、それ自体は、なんらアブノーマルではないのかもしれないが、それをこうしてまじまじと眺めていると、妙にエロティックな気分になってくるのはどういうわけだろうか。


 しかも、やみはなんだか恥ずかしげに、靴下を脱いでくれるのだ。これが、なんのちゅうちょもせずに、あけっぴろげに靴下を脱がれて、そのあたりにポイと捨てられたのでは、風情も何もあったものではないが、その羞恥心しゅうちしんでうつむいたやみの表情は、これだけで、平成から令和への技術の進歩がどうでもよくなってくるレベルだ。


 バーチャル方面の発達はたしかに素晴らしいが、やはり現実にかなうものではないと、俺はまざまざとやみの仕草に思い知らされるのだった。


「ぬ、脱ぎました。靴下、脱ぎました」


 そう言ったやみの、生の足の裏が、俺の目の前に現れる。先程、保健室で俺が貼った湿布薬の匂いと、やみの汗やら何やらが靴下の中で熟成された香りが、いい具合に混ざり合って、なんとも言えないパヒュームといった具合だ。思わず、顔を近づけたくなってくる。そんな俺に、やみが尋ねてくるのだ。


「あの、触っちゃうんですか」


 なるほど、やみの疑問ももっともだ。実際に触れるか触れないか。これも大問題である。しかし、俺は、さっきの、靴下を両方とも脱がせるか、片方だけ脱がせるべきか、という問題を思い返す。最初から両方ともなんて、欲張りがすぎる。


 後にも楽しみをとっておこうと、片方だけの靴下を脱がせたのではないか。だとすれば、今回も、最初からクライマックスなんてやぼな真似は、つつしむべきだと。そう考えた結果、俺はやみに、おのれの決意を、紳士的に伝えるのだった。


「そ、そうだね。触るなんて、急展開すぎるよね」


 俺の言葉に、やみも、首を上下にぶんぶんして、うなづいてくれる。それにともなって、俺の目の前に差し出された、やみの片方だけ靴下を脱いで、素足となった足の裏が、上下に揺れるのだ。実に扇情せんじょう的な動きだ。


 だが、こうして動いてくれている、やみの足の裏も格別だが、とりあえずは、静止しているところを、じっと眺めていたいと思うのがごく自然である。なにせ、今は千九九九年だ。動画配信サービスなんて影も形もないのだから。そう考えた俺は、やみに足の裏をじっとさせてもらうよう依頼するのである。


「その、やみさん。あんまり足の裏を、ぶらぶらさせられると、見づらくなっちゃううんだ。少しの間でいいから、動きを止めてもらえないかな」

「わ、わかりました。大人しくしていればいいんですね」


 俺の頼みを、やみは恥ずかしながらも受け入れてくれる。結果、やみの足の裏が、片方だけ俺に、凝視ぎょうしされることになったのだ。


 それにしても、女の子の足の裏を、こんなに間近で、しげしげと眺めていられるというのは、なんとも言えず心地がいい。目の前にあるのだから、視覚情報が満ちあふれているというのもそうなのだが、それに女の子の足の裏から発せられる、どうにもかぐわしい香りがたまらない。


 視覚と嗅覚が織りなす相乗効果は、令和元年でも、パソコンの画面の前では楽しめるものではない。平成万歳と叫びたくなってくる。そんな風にやみの足の裏を楽しんでいると、心なしかやみの足の裏が、汗ばんできた気がする。特に激しく動いているわけでもないのに、どうしたものかと思って、俺はやみに質問する。


「あの、やみさん……」

「す、すいません。あたし、男の人に、こんなに足の裏をじっと見つめられるのって、初めての体験で、なんだか緊張しちゃって、ぶるぶる震えてきちゃいそうになるんです。でも、へいきです。あたし、頑張ります。じっとしてますから、安心して、あたしの足の裏、もっと見ててください」


 そんな風に、やみは健気に答えてくれるのだ。そんなやみが必死にこらえている様子を見つつ、俺はふとあることに思い至るのだった。


 そういえば、激しく動き回るのもきついけど、じっと動かないで居続けるのも同じくらいきついと、何かで読んだことがある。どこかの伝説的スナイパーの話だっけ。だとしたら、やみさんが足の裏をじっとさせているのも、かなり大変なはずだ。俺みたいなやつにじっと見つめられているんだからなおさらだろう。


 となると、足の裏を汗ばませてしまうのも、当たり前かもしれない。よく見ると、足の指と指の間の、股の付け根の部分が、じんわりとしてきているようだ。やみは、さぞかし辛い思いをしながら足の裏を、静止し続けていてくれるのだろう。となると、汗でぐっしょりしてしまうのも、当然なはずだ。


 足の裏を、こんなに汗で濡らしてしまって、なんだかやみに申し訳なくなってくる。あわよくば、両方の足の裏を同時にだとか、視覚嗅覚だけでなく、触覚でも感じようなんて計画していた俺が浅はかだった。


 俺には、片方の素足の足の裏の、じっくりと見つめることがせいぜいなんだと思い知らされてしまい、この辺りでおしまいにしようと、やみにお礼を言おうとしたその時である。やみが急に悲鳴をあげるのだ。


「きゃっ!」


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