第8話 いだてん 其の7

「足の裏、ですか」


 そんな俺のリクエストに、やみは顔を赤らめる。当然と言えば当然かもしれない。しかし、赤面するやみに、俺は力説するのだ。


「ええとね、やみさんに登山の才能があるかどうかは、俺にはわからないけどね、毎日毎日走り続けられると言うのは、素晴らしいことだと思うんだ。たしかに、オリンピックみたいなスポーツの世界だと、大きな大会で、一回でも結果を出せばそれでいいのかもしれないけど、世の中のたいていのことはそうじゃあないんだ」

「はあ」


 俺の熱い言葉と比較して、やみの返事は、どうにもそっけない。しかし、そんなことには構わずに、俺は熱弁を続けるのだ。


「よく言われるんだ。『百点を一回だけ取ってもしょうがない。それ以外が、四十点ばっかりだったら、なんの意味もないんだ。六十点。普通の点数だが、それを継続して取ることが大切なんだ。一発当てるよりも、平均点をコンスタントに。後者の方が重要なんだよ』みたいに」

「そ、そうですか」


 やみの様子を見ると、呆れていると言うよりは、戸惑っているみたいだ。もう一押しかもしれない。


「その理屈で言えば、やみさんの、毎日怪我もなく、健康な体で走り続けられると言うのは素晴らしいことなんだよ。ぜひ、あやからせてくれ。その、ずっと走り続けてきた足の裏に。健康増進、無病息災、生涯現役、間違いなしだから」

「あ、足の裏……」


 やみは、自分の足元に目を向けてくれている。これは希望が持てそうだ。


「俺のせいで、やみさんの大切な足を傷つけてしまった。俺には、その怪我を確認する義務と責任がある」

「できれば、他の人が来ないところがいいです」

「何よりもなお……人の来ないところ? うん、そうだね。さすがに、大勢いるところなんてダメだよね」


 なおも説得を続けようとする俺に、思わぬやみの肯定こうてい的な返事が聞こえてくる。となれば、善は急げである。


「じゃ、じゃあ、あそこに公園があるよ。あそこなんてどうかな」

「こ、公園ですか」


 やみは、やはり照れくさいようである。だが、ここは引くに引けないところなのだ。


「ち、違うよ。別に変なことは考えていないよ。これは、やみさんがした怪我に対する医療行為なんだからね。だとすると、公園というのは、かなりベターな選択肢なんじゃあないかな。公園で遊んでいた女の子が、うっかり怪我をしてしまって、それを介抱する男の子。これは、ごく自然な出来事とは思わないかい」

「それもそうですが」


 ここぞとばかりに、やみに詰め寄る俺である。


「これが、下手にどこかの路地裏とか、薄暗い小屋とか、誰もいないような体育倉庫だとしてごらん。そんな場所に、男女がいるなんて、それだけで怪しくなってしまうじゃないか。それがどうだい。公園に男女がいたって、なんら怪しいところはないだろう。健全な場所である公園だからこそ、逆に問題がなくなるんだ」

「わかりました。わかりましたから、公園に行きましょう」


 遂に俺の説得にやみさんが応じてくれた。過去に戻れて本当に良かった。これで、やみさんの足の裏を、思う存分堪能できる。俺の無双が、今、まさに始まるのだ。


「そ、それじゃあ、靴下を脱いでくれるかな、やみさん」


 公園のベンチにやみさんを座らせて、靴下を脱ぐよう指示する俺である。ちなみに、俺はやみの足の裏が見やすいように、地面にどっかりとあぐらをかいている。


「りょ、両方ですか」


 そんな問いを、俺にしてくるやみである。たしかに、それは大問題だ。一つより二つというのも正しいような気もするが、いっぺんに二つも出されては、かえってひとつひとつがおろそかになってしまう恐れがある。俺は悩みに悩む。


 そして、あるひらめきが俺に起きるのだ。最初から二つ出されて、それから一つになってしまっては、なんだかがっかりだが、まずは一つだったのが、段階的に二つとなれば、これは、じらされたぶん、よけいにありがたいのではないかと。そんなアイデアのおかげで、俺は悩みから解放されてやみにリクエストできるのだ。


「いや、片方だけで十分だよ、やみさん。言ったじゃないか、これは、やみさんの怪我に対しての治療だとね。だったら、その怪我をした方の足の裏だけを、俺に見せるべきだ」


 そんな俺の紳士的振る舞いに、やみが好意を抱いてくれたかどうかは知らないが、やみが俺の言葉通りに、靴下を片方だけ脱いでくれる。





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