第5話 いだてん 其の4

 そんな店員と、検索画面を覗き込むと、“日本人のオリンピアン一覧”という記事を俺は見つける。店員も気づいたようで、俺に教えてくれるのだ。


「これなんて、いいんじゃあないですか。このページ、開いてみてくださいよ。ああ、と言っても、本のページをめくるんじゃないですよ。やりかた、わかりますか」


 店員の、この時代ならではの冗談を聞き流しつつ、俺はパソコンのマウスを動かすのである。


「まあ、初めてじゃあないですから。こうやって、マウスを動かすと、画面の矢印も動くから、それをこう、“日本人のオリンピアン一覧”ってところに合わせて、ダブルクリック、と」


 俺の、令和元年ならなんてことのない行動に、店員はいちいち感心してくれるのだ。


「いやあ、お客さん。よくわかってますねえ。僕も、商売ですから、パソコンをさわるのが初めての人にも、説明しますがね、“マウス”や“ダブルクリック”なんて言葉自体わからない人も、たくさんいるんですよ。直接画面を、手で触って操作しようとする人もいる始末で、画面を触ってパソコンの操作なんて、できるはずありませんよねえ」


 店員の、令和元年のタブレット型端末なんて、知るよしもない、千九九九年では、至極当たり前の言葉を聞きながら、俺はパソコンに表示される、日本人のオリンピック選手の一覧をのぞき込むのだ。その一覧の先頭には、こう書かれていた。


 一九一二年(明治四十五年) 第五回ストックホルムオリンピック

 三島弥彦 男子陸上百メートル 予選敗退

 二百メートル 予選敗退

 四百メートル 予選敗退

 金栗四三 男子陸上マラソン 途中棄権


 その画面を、店員も見て、感想を言ってくれる。


「へえ、明治四十五年かあ。そんな昔から、日本人がオリンピックに出場していたんですね。それも、第五回かあ。結構最初の方ですね。でも、一人は予選落ちで、もう一人は棄権しちゃったのかあ。やっぱり、世界の壁は厚かったんですね」


 店員のその言葉を、俺は心の中で精いっぱい否定するのだ。


 違う、違うんだ。金栗四三は、たしかに途中で、一旦走るのを辞めて、日本に帰国したが、棄権したと、運営側が正式に承認したんじゃあないんだ。だから、記録の上では、そのままマラソンを続けていることになっていて、だからこそ、オリンピックさんサイドも、そのあたりをわかってくれて、数十年後のストックホルムに、金栗さんを招待して、当時のゴール地点にまで走ってもらって、その、うん十年、何ヶ月、何日、何時間、何分、何秒というマラソン記録を、正式に認めるなんて、粋なことをしてくれたんじゃないか。大河ドラマでやっていたから間違い無いんだ。


 しかし、今それを言って何になるのだろう。パソコンの画面には、“金栗四三 途中棄権”としか書かれていないのだ。どう考えても、店員もやみもこっちを信じるだろう。令和元年ですら、ネットの情報の真贋しんがんなんて怪しいものなんだ。まあ、フェイクニュースなんてものも出てきたが。とにかく、この時代のネットなんて、まるであてにはならないということがよくわかった。そう痛感した俺は、店を出ることにしたのだった。


「ええと、店員さん、どうもありがとうございました。やみさん、面倒かけちゃったね。すまない。それで、店員さん、お代はいくらですか」


 そんな俺の言葉に、店員は優しく親身になってくれるのだ。


「あれ、もういいんですか。うちは、ドリンク付きで、三十分五百円からなんですが。お客さん、まだ飲み物も頼んでないですよね」


 そういう店員に、俺は力なく、それでもすぐに店を出ると答えるのだ。正直言って、やみにも、金栗四三の、数十年かけてのマラソン完走が、俺の大ボラと思われているだろうし、これ以上、やみといっしょにこの店にいるのも気まずくてしょうがない。


「じゃあ、五百円払います。知りたいことはわかったし、その情報を調べさせてくれた、この店へのお礼ってことで。ああ、消費税はどうなるんですか」


 そう言って、財布を取り出す俺に、店員はますます感心するのだ。


「いやあ、お客さん。情報料だなんて、なかなか言ってくれるじゃない。『形のないものに、金なんか払えるか』なんていう人も中に入るのに。じゃあ、こうしよう。とりあえず、五百円いただきますよ、消費税込みです。そのかわり、また来てくださいよ。その時は、初回三十分ただにしますから。僕、お客さん気に入っちゃいましたよ」

「いえ、そんな、悪いですよ」


 そう遠慮する俺に、店員は、俺の耳に口を近づけて、小声でささやくのだ


「いえいえ、お客さんは、未来のこともばらしませんでしたし」


 その店員のささやき声に、俺はギョッとするが、店員はかまわず続けてくる。
















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