第21話

これは何だろう…。

血なのは…間違いないが…なんの血なのだろう。

僕の目の前には丸い容器に入れられた何かの血液が置かれている。

これを僕は飲まないといけないらしい。

「カーラ…これは?」

「血です。」

「それは分かるんだけど…。」

赤黒くてドロっとしているこの液体を僕は今から飲むのか…。

だけど、いつまでもじっとしているわけにもいかず、僕は容器を手に取ると一気に喉へ流し込んだ。

喉の奥が熱くなる。

「んく…んく…ぷっ…はぁぁぁっ。」

なんとも言えない味だ、飲んだ瞬間、気持ちが悪くなってくる。

それにとても不味い。

「いい飲みっぷりですね。感心しちゃいました。」

カーラはそう言いながら容器に付いている水滴を指で拭うと舐め出す。

「やっぱり、獣の血は不味いですね。」

「獣の血?」

「ええ、この近くにいた狼の血です。」

僕の口にした血はどうやら狼の血だったらしい。

とてもじゃないがこんなものを飲むことはできない。

「今、嫌そうな顔をしていましたが、それでも人の血を飲めない以上はこれで我慢しなければなりません。それに飲んでいたら慣れていくものですよ。」

確かにその通りだがこれは結構、辛いものがある。

まだ口の中には嫌な味が残っている。

「これを君は毎日…飲んでいるのかい?」

「ええ、でなければ自我を失う可能性があるので。まぁ辛いのは最初だけですよ、慣れてくると獣特有の臭みにもあんまり気にしなくなります。味だけはどうにもなりませんが。」

とても慣れていく気がしない。

それどころかもう飲みたくもない。

だけど、一応は喉の渇きを抑えられている。

「一応、聞くけど、他に代わりになりそうなものってないのかな?」

「うーむ、赤ワインが意外といけますね。けど、一時的にしかならないので、結局は血の方がいいのですが。」

だから、彼女はお酒をよく飲んでいたのか。

ただの酒飲みなのかと思っていたがただ喉の渇きを潤す為に飲んでいた。

本人はそう言うが多分…お酒が好きなのだろう。

「赤ワイン…か。お酒はあんまり得意じゃないけどこれよりも我慢できそうな気がするよ。」

「でしたらこちらを差し上げます。」

彼女は鉄でできた水筒のようなものを僕へ渡してきた。

振ってみると中からパシャパシャと音がする。

「それはお酒を携帯するときに便利なものですよ。ただ、あんまり長持ちはしませんけどね。あと私のお古なのですぐに買い換えなければいけませんが。」

「それなら新品が欲しいんだけど…。」

「ダメです。新しいのは私のものなので。」

彼女はどこからこういうものを手に入れてくるのだろう。

水筒の蓋を開けるとお酒の匂いが漂ってきた。

「あの…ジル。一応それ、私の飲みかけなので匂いを嗅がれるのは少し恥ずかしいのですが…。」

「何だか少し変な匂いが…「殴りますよ?「ごめんなさい。」

彼女に殴られる前にバカなことはやめておこう。

「まったく…デリカシーってものがジルにはないようですね。」

「こんなことするのは君の前だけだよ、それよりも吸血鬼になったってことは僕は死ねなくなったんだよね?」

「その考えは少し間違っていますね。吸血鬼は不老なだけなので不死ではありません。いくら私達でも銀製の武器で心臓を刺される、柱にくくりつけられ燃やされたりすれば簡単に死んでしまいますよ。あと陽の光にも気をつけることですね。」

「陽の光って本とかだと、当たっただけで灰に変わってしまうとか。だけど、君はそんなことなかったよね。」

「…恐らくその本を書いたお方は本物の吸血鬼にあったことがないのでしょうね。私達、吸血鬼は陽の光に当たると吸血鬼の力を失うだけです、不老以外の力をですが。だからもし、陽の下で野盗などに襲われた時はすぐに逃げることですね。一応、衣服などで肌を隠すのもいいですけど、やっぱり出来るだけ争いは避けた方がいいでしょうね。」

意外にも吸血鬼には弱点が多いらしい。

陽の光に当たると力を失う。

それさえ、気をつければ危ない目には合わなさそうだ。

「喉の渇き、あと陽の光に気をつければいいってことだね。それならなんとか生活はできそうだね。」

「ええ、あとは…人狼にも気をつけるべきかと。」

「人狼?」

「はい、人狼という言葉に聞き覚えは?」

「あるよ。確か狼の姿に変わる人間のことだろ?まさかだけど…存在するの?」

人狼は吸血鬼と同じように架空の生き物だと確か言われていたはずだ。

「私は一度も見たことがありませんが、どうやら存在はするようです。ただ、満月の夜にしか現れないとのことなので滅多に会わないかと。けど、もしあった時は戦おうとはせずにすぐに逃げてください。人狼は吸血鬼を超える力を持っているので。」

本当に気をつけなければならないことだらけだ。

それに今の話を聞いて満月の日には家に籠ることに僕は決めた。

「大体のことは分かったよ。気をつけるべきことは喉の渇き、陽の光に人狼だね。まぁなんとか考えながら生活していけば問題なさそうだけどね。」

「ジルは…吸血鬼に変わってしまったことを…どうお考えで?」

どうやらまた彼女の負のスイッチが入ってしまったようだ。

「さっきも言ったろ…気にしてないって。」

「ですが…きっと貴方にはこれから様々な苦難が待ち構えています。きっと貴方は私のことを…「恨まないよ。もしそんな苦難が待ってるとしてもその時は君がまた助けてくれるんだろ?」

「ええ、きっと助けてみせます。私には貴方しかないいないので。」

「そんなことはないさ、今はジャンもいるだろ?君はもう一人じゃないんだ。僕やジャンが君にはいる。それにきっとリナだって君のことを守ってくれるさ。だからもうこの話はおしまい、ねっ。」

「…はい。そうですね、いつまでもウジウジしていたらダメ…ですもんね。」

「そうだよ。つぎ、またこんな話をしたら無理矢理笑わせるからね。」

「……どうやって?」

「それは……くすぐるとか?」

「……変態…。」

彼女は目を半分開くと僕のことを薄く睨みつけてくる。

「どんなことを考えてるんだよ…まったく。そういえば、ジャンもこれと同じようなものを飲んでいたと思うけど…。」

帰ってきた時にジャンは口元を真っ赤にさせていた。

もしかしてジャンも…。

「いえ、ジャンが飲んでいたものはただのジュースですよ。ストロベリーやラズベリーなどを使ったものなのであのような色になってしまっただけで、ジャンはどうやらあれがお気に入りのようです。ただ、材料があまり手に入らないのでジャン専用のものですが。」

てっきりジャンも吸血鬼に変わってしまっているのかと思ったがどうやら僕の思い過ごしのようだ。

「それでこれからどうしましょうか。」

「これからって?」

「今後のことですよ。いつまでもここで三人で暮らすのもいいし、何処かへ旅立つのもいいかもしれませんね。貴方はどうしたいですか?」

僕がやりたいことはただ一つ。

だけど、その為にも彼女達の元へ離れ、一人で行かねばならない。

「そうだなぁ、のんびりとどこかで過ごすのも悪くないかな。」

「ええ、いい考えだと思います。私達にはまだまだ時間がたっぷりとあるんですから。だから、何もかもを忘れ新たな人生を歩みませんか?」

何もかもを忘れる、それはリナのこともなのか。

そんなことは僕にはできない。

僕にはまだやるべきことがある。

それを成し遂げるまでは本当はのんびりと過ごす時間なんてない。

「ああ…それもいいかもね。だけど、その前に準備がいるだろ?色々とね。」

「色々…ですか?」

「ああ。」

彼女もきっと薄々と感じているには違いない。

だからこんなことを言ってきたんだと思う。

わざわざ危険な目にあう必要なんて無いって、彼女なりの言い方で僕に伝えたんだ。

だけど、僕は大バカ者だから、そんな風に暮らすことなんて出来ない。

彼女達と僕は生き方を変えなきゃいけない。

いつ彼女に別れを切り出そうかずっと僕は考えていた。

「カーラ、その話があるんだ。」

「話…ですか?」

「ああ、僕はやらなきゃいけないことがあって、それで…「リナの仇を取ることですか?」

話の振り方が下手くそすぎて彼女にはすぐにバレてしまう。

どうしてこうも僕は不器用なのか。

「貴方は分かりやすすぎますね。見ているとすぐにそのことが分かってしまいました。それで…どうしても行くと?」

「ああ、行かせてほしい。僕はどうしてもリナの仇を取りたい。」

彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめる。

そして、僕の手を掴むと固く握り出した。

「きっと…危険な目にあいますよ。それに生きては帰ってこれないかもしれません。先程も言った通り、吸血鬼は不死ではないのです。それでも行くのですか?」

「決めたんだ、僕は絶対にユージンを…いや、アノーレスを壊滅させるって。僕のこの手で。」

「……一度助かった命を…わざわざ捨てると言うのですね…。」

「いや、違うよ。僕はきっとこの為に生き返ったんだ。アノーレスを壊滅させる為に。」

「それは違いますっ。リナは貴方に幸せになって欲しかったから貴方のことを助けたのです。私だってそうです。貴方と幸せに生きていたいと思ったから貴方のことを私は助けたのです。…それが…それが何故、貴方には分からないっ。こんなことをしてもあの子は帰ってきませんよっ!!」

「ああ、分かってる。それでも僕はやるよ。この世界を不安定な世界へと変えたアノーレスを地獄へと変える。」

「……もう私が止めても覚悟を決めているのですね…。それなら私も貴方にっ「それはダメだっ、君はリナのためにもジャンを守らなきゃいけない。これは僕だけでやるよ。」

彼女は拳を固く握りしめると何も言わずに椅子へ腰を下ろす。

そして顔を上げると彼女の綺麗な瞳が潤んでいた。

「……そうです…ね。それならば…約束してくれますか?絶対に帰ってくるって…貴方には私の夢を叶えてもらわなければ…いけないので。」

彼女の夢…。

「ああ、アストラの大陸を目指すこと…だよね。約束…いや…誓うよ、何があっても絶対に君の元へ、ジャンの元へ帰ってくるって。」

座っているカーラの前で跪くと僕は彼女の手を取り誓いを立てる。

彼女は僕の姿を見た途端、僕へ飛びつき、キスをした。

「絶対に帰ってきてください。じゃなければ、貴方とは口を聞きませんから。」

「それは困るな。」

「だったら五体満足で帰ってくること…そうすれば、いつも通り、貴方と話をしてあげます。」

「分かったよ。それまで、君はジャンのことをよろしくね。」

「……ええ…分かりました。」

僕は彼女の返事を聞くと立ち上がり部屋を出て行こうとする。

僕の後ろを姿を眺めていた彼女は僕へ思いを伝えた。

「ジル…貴方は知らないかもしれませんが、私にとって貴方はとても大切な…最愛な男性ですから…。」

「それは…知らなかった。だけど奇遇だね。僕も君のことを最愛な女性だと思ってるよ。」

僕はそう言うと扉を閉める。

彼女が僕の言葉を聞いてどんな反応を取っていたかは分からない。

きっと顔を真っ赤にしてジタバタしているのだろう。

そんなことを考えながら僕は彼女の部屋を後にした。

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