第18話
波の音が聞こえる。
だけどそれ以上に僕の感情は破裂してしまいそうなほど大きなものを感じていた。
服装がちゃんとしているかを確認して来るのを怠った僕は少し焦っていた。
しまったな…緊張しすぎて何も準備ができなかった。
彼女の思いを聞いた僕は彼女の願いを叶えることに決めた。
まぁ僕もそれは望んでいたんだけど。
だけどここまで緊張するものなんだな。
手が震えて何だか落ち着かない。
僕は彼女よりも先に約束の場所までついたのだけれどその方が良かった。
こんな姿、彼女には見せることができないや。
彼女は僕の為に出来る限りのおめかしをしてくると言っていた。
彼女はどんな姿でここへ来るのだろう。
きっとどんな姿でも彼女は綺麗に決まっている。
それにしても本当に気持ちがもたない。
少しでも気持ちを落ち着かせようと海を眺める。
海にはあの日のように星空を写し出し、とても綺麗だ。
一瞬、海の奥で光の玉が複数見えた気がするが緊張のしすぎでおかしくなってしまったのだろう。
僕はポケットの中から宝石を取り出すと月の光に当てる。
指輪なんてものは準備できなかったけど、釣りをしている時にたまたま見つけたこの宝石なら同じぐらいの価値があるかもしれない。
彼女にプレゼントしようと思いネックレスに変えておいたがまさかここで手先が器用なのが役に立つ時が来るとは。
それにしてもリナは遅い。
何か問題でも起きたのか。
もしそうだとしたらすぐにでも彼女の元へ向かうべきだろう。
だけどもし違えば彼女を怒らせてしまうかも。
彼女は今日の日をどれだけ待ちわびたか、彼女の昔からの夢。
今夜の主役は僕ではなく、彼女の方だ。
本当は大勢の人に彼女の晴れ舞台を見せてあげたかったのだが、それは叶わなかった。
だがそれでもいいと彼女は言っていた。
僕と彼女さえいればいい、二人だけの式だと。
やっぱり、彼女が来てしまう前に身なりを整えなければ。
目に見える範囲でどこか崩れている場所はないか確認する。
どうやら、ちゃんと出来ているみたいだ。
僕は海に写る自分の姿を眺める。
そこには情けなく頼りない一人の男が写っていた。
どうして彼女はこんな僕のことを好きになってくれたのだろう。
お金はないし、頼り甲斐だってない。
彼女はそれでも僕のことを好きと言ってくれた。
そんな彼女を僕はちゃんと幸せに出来るのだろうか。
正直、不安しかないがそれでも彼女とならば何とかなりそうな気がする。
後ろから足音が聞こえ、僕の心臓がさらに激しく動き出す。
「ジル…。」
彼女の声が後ろから聞こえる。
僕は覚悟を決めて後ろを振り返った。
そこには純白なドレスを着て、頭に綺麗な花模様の描かれたベールをかけた彼女が立っていた。
その姿を見た瞬間、僕の中の時間が止まってしまったように見えた。
ここからでは彼女の表情は分からないがそれでも彼女の姿に心を奪われる。
生まれて初めての感覚だ。
ここまで美しいと思えるもの見たことがない。
月の光が彼女の体を包み出し、闇の中から彼女の姿が現れる。
まるでおとぎ話のお姫様のようだ。
「えっと…どう…かしら。」
彼女に見惚れていると彼女は恥ずかしそうにはにかみながら僕は話をかけてきた。
「へっ…あっ…えっと、綺麗…だよ。」
「ふふっ…何その反応…。」
本当にその通りだ。
もっと他に言葉なら見つかるだろう。
だけど今の僕にはそれ以外言葉が思いつかなかった。
こんなにも美しく可愛い彼女を目の当たりにしてしまえばきっと誰もが僕みたいに言葉を失うだろう。
彼女は僕の前に立つと僕の手を取り、幸せそうに微笑んでいる。
僕もぎこちなく彼女へ微笑み返した。
「んっんんっ…ジル…あなたはここにいる私を病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「……誓います。」
「…えっと……リナ、あなたはここにいる僕を病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を…誓いますか?」
「誓います。」
「それではジルさん…「ちょっと待ってくれるかい。」
僕はポケットの中からネックレスを取り出すと彼女の首へつけ始める。
「ごめん…突然だったから…こんなものしか用意できなくて…。」
「そんな……。」
彼女は瞳を潤ませると僕の目を真っ直ぐに見つめる。
「確か…次は誓いのキス…だっけ?」
そう言うと僕は彼女の肩を掴む。
自分から彼女へキスをするのは初めてな気がする。
肩や全身に力が入ってしまう。
彼女は僕を見てクスリと小さく笑う。
「ちょっと待って、このままする気?」
「へっ?」
よく見るとまだ彼女の顔はベールで隠れている。
僕としたことが緊張のしすぎで忘れていた。
震える手で彼女のベールをめくると彼女の顔がくっきりと現れる。
彼女の綺麗な群青色をした瞳が僕の目を真っ直ぐに見つめている。
彼女を見つめていると何だか少しだけ気分が落ち着いてきた。
「リナ…愛してる。」
「ジル…。」
リナは僕の名を呼ぶとゆっくりと瞼を閉じた。
僕もリナと同じように目を閉じると彼女へ顔を近づけていく。
近づいていくたびに彼女の存在を感じる。
そしてついに僕は彼女へキスをした。
その瞬間、頭の中がとろけ出し、何も考えることができないほど感情が昂り始める。
瞳からは涙が流れ出し、そして時が止まる。
何度も何度も熱い口づけを彼女と繰り返す。
彼女と僕はお互いの存在、感触、そして愛を確かめるようにキスをしていた。
息を止め何十回も何百回も身体中の酸素がなくなるまで彼女とキスを繰り返す。
時間で言えばそれほど長くはないが僕には随分と長い間彼女とキスをしていたかのように思える。
そしてその幸せな時間は終わりを遂げ、僕と彼女は息遣いを荒くしながら顔を離していく。
「ジル…大好きよ。」
「僕もだ。僕もリナのことが大好きだ。」
こんな気持ちは感情は初めてだった。
やっと僕は大切なものを手に入れた。
これからは彼女のことを幸せにしよう。
この先、何が起きても彼女を幸せにする、そんな覚悟を僕は決めた。
だけど、終わりは突然にやってくる。
彼女から離れた途端に僕の体は謎の光に包まれ始めた。
「…これは?」
体がどんどん光に包まれていく。
まるで何処かへ連れ去られてしまうかのように。
「そんな…もう…時間が…。」
彼女の震える声が聞こえ、彼女の方を向くと彼女は両手で顔を押さえていた。
彼女の反応を見るとどうやらよくない状況だと僕は察した。
「何が起きてるんだっ…リナっ!!!」
何が起きているのか、リナはきっと分かっていたんだ。
だから僕はリナへ聞いた。
「ごめんね…ジル。もう時間なの…貴方は帰らなければいけない。」
彼女が何を言っているのか僕には理解ができない。
時間とは何の時間なんだ。
それに帰るって…。
「帰るって…どこに…。」
「元の世界に…だよ。」
元の世界…。
ここが少しおかしな場所だと僕は気づいていた。
だけど、それでも僕は構わないから彼女と一緒にいたかった。
「ジル…貴方は…ここにいてはダメなの。」
「君が何を言っているのか僕には分からないんだよっ!!!ちゃんと説明してくれよっ。」
彼女に何度もそう叫ぶが彼女は頑なに説明しようとはしない。
「それでいいの、理解したらダメ。もし、理解してしまったら貴方は帰れなくなる。私みたいに。」
僕は消えていく体を必死に動かしながら彼女の元へと向かって歩いていく。
「こっちに来ないでっ!!!来たら…ダメなの。」
だけど彼女は僕から逃げるように離れて行こうとしていた。
このままではもう彼女に会えない気がした僕はそれでも構わず彼女へ近づいていく。
「ジル…お願い…それ以上は…こっちに来ないで。」
「いやだっ!!!僕は君といたいんだっ。やっと…やっと僕は幸せを手に入れたんだ。大切な人を…さ。それなのに…こんな…終わり方なんて…。」
「ジル……。」
彼女は立ち止まり、僕は彼女の元へと歩いていく。
「私は幸せだったよ。大切な人とこうして…一緒にいれたんだもん。それどころかこんな風に私の願いも貴方は叶えてくれた。もう私には思い残すことは何もないよ。」
「僕は…あるんだよ。思い残すことがたくさんあるんだっ。それにそれは君の本心なんじゃないだろ?君はっ「やめてっ!!!」
彼女は大きな声を出し僕の声を遮る。
その言葉の続きを聞いてしまえば彼女は思いとどまっていたかもしれない。
「私はもういいの。貴方と星空を見ることもできた、貴方とキスをすることも…抱きしめることもできた。それにこうして貴方の妻にもなることができたの。だから私はいいんだよ。」
彼女は無理やり、笑顔を作り出す。
そんな彼女の表情が僕の胸を締め付ける。
「ジル…私は貴方と笑ってお別れをしたいの。だから…そんな顔をしないで。」
そんなの無理だ。
こんなお別れなんて僕は望んでなんかいない。
それはきっと彼女だってそうだ。
「無理だよ…僕は君と離れたくない。だってリナのことが…好きなんだ。堪らなく好きなんだ。だから…もっと一緒にいたい、帰りたくなんか…。」
「ありがとう、ジル。」
僕は彼女の体を抱きしめようと手を伸ばした。
だけどそれは叶わず、彼女の体を通り過ぎる。
よく見ると僕の体はもうほとんどが消え始めていた。
「いやだ…帰りたくなんかない…リナっ!!!」
僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔を彼女の方へ向かせる。
すると彼女は触れることのできない僕の体を抱きしめてくれる。
体の感触は伝わってこない。
完全に僕の体は消えている。
「ジル…貴方の気持ちが…私には嬉しい。本当に嬉しいの。だけど、安心して向こうへ帰ったらその心の痛みは無くなるから。」
心の痛みがなくなる…。
それってつまり彼女のことを…。
「そんなのいやだ。リナっ、お願いだから止めてくれ。君は止める方法がわかってるんだろっ。だったらこれを止めてっ。」
僕の口を塞ぐように彼女は僕に最後のキスをする。
彼女の柔らかな唇の感触がすることはなかったがそれでも彼女の思いは僕へ伝わった。
「リナ…やっぱり…君も……じゃないか。」
「じゃあね…ジル。」
僕はそうして彼女の前から消え去った。
最後に見た彼女の顔は僕と同じように涙でぐしゃぐしゃになっていた。
だけどほんの一瞬だけ、彼女の唇が動くのが見えた。
彼女は最後に本心を口から漏らしていた。
彼女が僕へ向かって放った最後の言葉は、
行かないで。
だった。
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