第13話

「お隣、失礼しますね。それで何か釣れましたか?」

釣り糸を水面へ垂らしている僕へ彼女は話をかけてきた。

「いや、全然だよ。本当にここには魚が住んでるのか疑うほどに釣れないな。」

さっきから黙って釣り糸を眺めてはいるが竿が引く様子など一度もなかった。

湖の中を覗くと魚はいるのだが。

「泳いで捕まえた方が早いのでは?」

「……水の中では人間よりも優れている魚をどうやって捕まえるんだい?」

「やって見せましょうか?」

彼女はそう言うと立ち上がり身にまとっている衣服を僕へ投げつけ、湖の中へと入っていく。

「あっ…まったく…。」

僕は呆れながらも彼女の衣服を集め綺麗に畳むと隣へ置いた。

湖を見ると彼女が魚のように水の中を泳いでいく。

「こりゃ…すごいな…。」

彼女は10分近く息継ぎもなしに水の中を泳いでいる。

その姿はまるで人魚のような姿に見えた。

彼女の姿に見惚れていると彼女は水の中から首を出し、僕の方を見ていた。

「とても気持ちいいですよ。ジルも一緒にどうですか?」

彼女は微笑みながら僕に手を振っている。

彼女はあれから僕のことをジルと呼んでいた。

その名が本当に僕の名前なのかはわからない。

おそらく彼女は僕のことを知っているのだろう。

だが彼女に聞いても何も教えてはくれなかった。

僕の身に何が起きたのか、そして夢に出てきた彼女達は誰なのかを彼女に聞いても彼女は何も答えずにただ一言、言った。


貴方は今、新しい人生が始まったのです。

だから過去のことは…全て忘れて今を精一杯楽しめばいい……と私は…思います。


と。

そして僕は今、彼女の言う通り、こうして身を潜めて山の中で過ごしている。

彼女の言う通り、僕は第二の人生を始めることにした。

「僕が泳げないことは知ってるだろう?」

「知っていますよ。その上で誘っているのです。」

僕のことを吸血鬼に変えた彼女。

けどこんな暮らしも悪くはない。

最初は彼女に冷たく当たってしまったが今ではこうして一緒にいるのが当たり前になってしまった。

それはいい変化なのかもしれない。

「ほら、早くっ。」

可愛らしく僕のことを待っているエド。

僕は服を脱いで畳むと彼女の元へと飛び込んでいく。

バシャーンっと大きな音と水飛沫が上がり、僕は水の中へと沈んでいった。

必死に水面に上がろうとするがどんどん下へ沈んでいく。

だけどすぐに彼女は僕のことを迎えに来てくれた。

彼女は僕の体を掴むと水面へ泳いでいく、そして僕と彼女は水面から顔を出した。

「はぁぁ…はぁ…はぁ…死ぬかと思った…。」

「ふふふっ…死ぬことができないのにですか?」

「こんな風にしたのは君だろ…まったく。」

「後悔…していますか…。」

「ああ、後悔してるよ。」

僕がそう言うと彼女はしょんぼりとし始める。

「水に飛び込んだことをね。」

「……もうっ…手を離しますよ。」

「ごめんなさい。」

僕と彼女は互いに笑い合う。

彼女は人をからかうのが好きらしい。

だからそのお返し。

僕はそれから彼女に手を引かれながら湖の中を泳いでいく。

「その調子です、いい感じですよ。」

何となくだが泳ぎ方が分かってきた。

まだ彼女の手に捕まっていないと泳ぐことはできないけど進歩はしたと思う。

「それにしても吸血鬼って意外と便利なんだね。お腹は空かないし、眠たくもならない。それに死ぬこともないんだろ?」

「いいえ、吸血鬼にも死は訪れます。」

「そうなんだ。けど歳はとらないんだろ?それってずっと若い姿でいれるわけだ。女性ならみんな羨ましがるものなんじゃないかな。」

「ええ……ですがそれは永遠の孤独を意味しているのです。周りにいるもの達は皆、歳をとります。そして自分のことを知っていた人間は気付いた時にはもう誰もおりません。最後には一人…孤独が待ち構えています。それがどんなに辛いことなのか…まだ貴方は分かっていないだけ…。いつか必ず…貴方はこの言葉の意味を知り…私のしたことを……許せなくなる日が訪れる。」

「君は僕のことを変えたことを後悔してるのかい。」

「………。」

彼女は何も言わなかった。

けどその反応はすべてをものがたっている。

きっと彼女は少しだけ後悔してるのかもしれない。

「安心してくれよ。僕は絶対に君のいっている通りにはならないからさ。だって僕には君がいるんだ。君も僕と同じで吸血鬼なんだ、だったら何百年、いや何千年と二人で生きればいい。二人で手を取り合って幸せになればいいんだ。君が何百年孤独で生きてきたかは僕にはわからない。だけどこれからは僕がいる。だから顔を上げていつもみたいに微笑んでくれないかい?」

僕がそう言うと彼女は表情を明るくする。

「そうですね、ジルの言う通り。それと今のは告白と受け取っても良いのですね。」

「へっ?」

「貴方は今、私へこう言いました。何百年、何千年と二人で手を取り合って生きていけばいい、そして君のことが大好きでたまらないと…私…泣いてしまいそうなほど嬉しいです。」

「いや…ちょっと話を盛りすぎて「ああ、等々、私にも伴侶が…こんなに幸せなことはありませんっ!!!」

彼女は一人、変な世界へと入っていく。

そして僕の方を見たと思ったら彼女は思いっきり僕の胸へ飛び込んできた。

「大好きですっ!!!世界で一っっ番っっっ貴方のことが大好きですっ!!!!」

初めて聞いた彼女の大声に思わず、固まってしまった。

おそらく頭のネジが取れたのだろう。

そして自分を抑えることができなくなりこうして暴走している。

うん、きっとそうだ。

彼女はずっと僕の胸に顔をグリグリと押し付けて微笑んでいた。

そんな彼女からおかしな匂いが漂って来る。

なるほど…それでか。

彼女はお酒を飲んでいたらしい。

吸血鬼もお酒には酔うものなんだな…。

僕も少しだけ入った酒瓶を飲んでみるが思わずむせ込んでしまった。

僕にはお酒は合わないみたいだ

「……不味い…。」

酒飲みなエドを見ると幸せそうな顔で微笑みながらまだ僕の胸に顔を埋めている。

だけどどうせ今日の記憶なんて明日の彼女には残ってないんだろう。

最近の彼女は酷く暗い顔をしていたから彼女のこんな幸せそうな顔を見ることなんてなかった。

彼女にとって僕はそれだけ特別な存在なのだろうか。

記憶を取り戻せば僕もこんな表情を浮かべることができるのだろうか。

だけど記憶が戻ってしまったらこの生活は崩れていく。

そんな気が僕にはしていた。

だから僕は過去のことを忘れようと努力している。

だけど忘れようとしても頭の隅にあの二人の面影がまだ残っている。

名前も何も覚えていない彼女達。

あれ以来、僕は毎日睡眠を取らなくてもよくなったがそれでもたまに夢の中で彼女達の姿が思い浮かぶ。

消えてくれ、もうやめてくれといくら願ったことか。

それでも構わず彼女達は僕に助けを求めて来る。

僕にはどうしようもない、彼女達を助ける術などない。

「ジ…ル…。」

どうやらエドは寝てしまったようだ。

吸血鬼は毎日睡眠を取らなくても生きていける、ただこうして眠りたい時に眠ることもできるらしい。

本当に便利なものだ。

「エド、ちゃんと家で寝ないと誰かに襲われるよ?」

「……ジル…そこは胸ですよ…ふふふっ…。」

一体、どんな夢を見ているのだろうか。

彼女達について考えるのを一旦やめ、僕は彼女の体を優しく抱きかかえると我が家へと歩いて帰る。

僕達はあのボロ屋から出ていき、今では新しい我が家へと移り住んでいた。

獣か何かに襲われたのであろう家はボロ屋ほどではないが荒れ果てていた。

けど今ではエドと二人で掃除や穴を塞ぎ、少しだけオシャレな家へと変わっている。

フカフカとは程遠いベッドに彼女を横にさせると僕はベッドに腰をかける。

上を見ると天井に穴が空いておりそこから月が見えていた。

あそこも直さないといけないかな…。

そんなことを考えながら眠りに落ちているエドの隣で僕は月の光を浴びていた。

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