第12話

「はぁ…はぁ…はぁ。」

何も見えない道をただひたすらに走る。

後ろからは馬の蹄の音が聞こえ、僕の不安な心をさらに駆り立ててきた。

「カーラッ…リナッ…何処にいるんだっ。」

暗い森の中の草を掻き分けながら走っていく。

屋敷への道はこっちでいいはずだった。

だけど屋敷があった場所には屋敷はなく、代わりに大きな火が現れた。

まるで屋敷でも焼いているような大きな火。

僕は火を見つめながら地面へ崩れ落ちる。

もう何もない。

後ろから足音が聞こえる。

足音は僕の横で鳴り止むと声が聞こえた。

「…ジル。」

「どうして…君は…僕を守ってくれていたんじゃ…。」

「……。」

鈍い音が聞こえたと同時に僕の頭に衝撃が伝わり、視界が真っ暗になっていく。

そして僕は意識を失った。


✳︎


「…で…が…ジル……?」

「ああ、……で……。」

何処かから声が聞こえ僕は目を開けた。

目の前には見たことのない屋根が見える。

起き上がろうと体に力を入れるが上手く力が入らずに横たわったまま首だけを動かし辺りを見渡した。

穴の空いている壁やガラスの割れた窓、床は湿っておりジメジメとしている。

どうやら何処かのボロ屋みたいだ。

外からは雨音が聞こえ、雷の光が部屋の中へと入ってくる。

「起きたようですね…。」

ボロ屋の入り口から声が聞こえる。

女性の声だった。

声の方に顔を向かせるとそこには銀髪の髪を後ろで一つにまとめた女性が立っていた。

「君は…?」

僕がそう尋ねると彼女は一瞬悲しそうな表情を浮かべる。

「……ぁ……。…相手に名を名乗る時は…自分から名乗るものですよ。」

彼女の言葉にはどこか聞き覚えがある。

だがいつどこで聞いたかはわからない。

「…僕の…名前…。」

それどころかこうして自分の名前すらも自分が何者なのかも思い出すことができずにいた。

そんな苦しんでいる僕に気づいた彼女は僕のそばに寄り添い、肩を掴むと頭を撫でてくれる。

この手の感触にも覚えがあるような気がする。

「思い出すことができないのなら無理に思い出さなくても大丈夫です。今はただ…休んでいてください。」

僕は彼女の言葉に甘えて少し休むことにした。

彼女は僕の頭を優しく持ち上げると自分の膝の上に頭を乗せる。

少し恥ずかしくなったがそんなことを言っていられないほどの睡魔が僕に襲いかかり、僕はゆっくりと瞼を閉じて行った。

夢の中ではブロンドの髪を肩まで伸ばした女の子が優しく僕へ微笑んでいる。

彼女のことを僕は知っている。

知っているはずなのに彼女の名前が分からない。

彼女は口を動かし、僕へ何かを伝えようとしているが彼女の声は僕には届かず、彼女の意図が分からなかった。

彼女は悲しそうな表情をすると僕の目の前から遠ざかって行く。

だがすぐにまた別の少女が姿を現わす。

今度は僕よりも背の低いおでこを出した女の子だ。

彼女もさっきの女の子のように僕へ何かを伝えようとしていた。

彼女の口の動きを見て何を言っているのか、何を伝えようとしているのか、考える。

結局、分かったのは最後の言葉だけ。

彼女達が言っていた言葉は


助けて。


どういうことなのだろう。

彼女達のことは知っている。

それなのに思い出すことができずに何だか心がモヤモヤし始める。

他にも何か大事なことを忘れている、そんな気がしていた。

突然、目の前が暗くなり、翼の生えた化け物のようなものが現れる。

化け物は僕の方へとゆっくりと歩み寄って来た。

僕は恐ろしくなり化け物から急いで逃げる。

「こっちへ来るなっ!!!」

ありったけの罵声を化け物に浴びさせながら僕は逃げて行く。

だが逃げ切ることが出来ずに体を赤い霧のようなものが包んで行く。

そうして赤い霧は体の中へと侵入する。

口や鼻、耳などから体の中へと何かが入ってきた。

苦しい…息が…できない…。

身体中が痛み出し、血管の中を熱い何かが動き回って行く。

だけど手や体を何かが包み始める。

今度は赤い霧ではなく柔らかくそして優しい何かだった。

そして…僕は目を覚ました。

目を開けると雨空は晴れ渡り陽の光が部屋の中に差し込んでいた。

体がなんだか少し重たい、それに柔らかい何かが肩や腰に触れている。

それがなんなのか確かめようと体を起こすと声が聞こえた。

「んっ…おはようございます。」

声のする方を見るとエドと名乗っていた女性が裸で僕の体へ抱きついていた。

「なっ何をっ!!!」

僕は慌てて目をそらすがバッチリ彼女の裸体を目に焼き付けてしまった。

「後々説明します。それよりも今は…もう少し…。」

彼女はそう言うと僕の手を掴み、自分の方へと引き寄せて行く。


………。


そしてしばらく経った後、僕と彼女は服を着替え、星空を眺めていた。

「それでご感想は?」

僕は顔を赤くして彼女から顔をそらしていた。

「感想って……別に…。」

「満足いただけませんでしたか?」

「満足って……よくもまぁ見ず知らずの男とあんなことを…。」

さっきのことを思い出すとまた顔が赤くなる。

「ふふふっ…私はそんな尻軽な女ではありませんよ。それに望んでいたことですから…。ただ…一つ謝らねばいけないことがあります。」

彼女は立ち上がると僕の目の前へ移動し、しゃがみこんだ。

「何なのさ。」

そして僕の手を取ると首に当てさせた。

そこには見覚えのない傷が出来ていた。

獣の歯型のような傷が。

「申し訳ありません。貴方を助けるには他に方法がありませんでした。本当にごめんなさい。」

彼女は頭を深く下げずっと謝り続けている。

何だかとても嫌な気分がし、彼女へすぐに頭をあげるように伝えるが彼女は頑なに頭を上げず、ただごめんなさいとしか言わなかった。

「エド頭をあげてくれ。君のその姿を見ると何だかとても嫌な気分がするんだ。だからお願いだ。」

「………分かりました…。ですがちゃんと説明をさせて下さい。」

「分かったよ。」

僕の言葉を聞くと彼女は頷き、僕に何をしたのか説明を始めた。

「私が貴方を見つけた時、貴方はひどい傷を負っていたのです。どうしても見捨てることができなかった私は貴方をあの子屋へ運び、治療を始めました。ですが…私ではどうしようもないほど傷ついた貴方を助けることはできずに途方に暮れていた時、一つの可能性に賭けてみようと思ったのです。それは……私の眷属にすること。私は人間ではありません…吸血鬼なのです。私は貴方を一か八か……眷属にしようと考えました。他に方法はなかったにせよ…本当にごめんなさい。」

彼女の言っている意味がわからない。

ここに来る前に僕はケガをし、彼女は吸血鬼で僕を助け、眷属へと変えた。

痛む頭がさらに痛みを増す。

「どういうことなの?吸血鬼って…僕はもう人間じゃないのか?」

「落ち着いてください。」

「落ち着けるわけないじゃないかっ、僕は自分のことがわからないんだっ。それなのに突然、現れた君にそんなこと言われても…。」

わけが分からない。

ぐるぐると頭の中が回り、よろめいてしまう。

彼女は僕の体を支えてくれようと手を伸ばすが僕は彼女の手を払った。

「触らないでくれ…少し一人になりたいから。」

僕の言葉を聞いた彼女は寂しげに立ち上がると

「本当にごめんなさい。」

と謝り、僕の前から姿を消した。

彼女は僕を助けるために僕のことを化け物へ変えた。

本当ならお礼を言うべきなのかもしれないがそんな余裕など僕にはない。

そもそもなぜ僕は怪我をして倒れていたのだ。

彼女は間違いなく、何かを隠している。

だけど何も思い出せない僕にはどうしようもなかった。

夢に出てきた少女や女の子のことが頭に浮かぶ。

彼女達のことも結局、分からずじまいだ。

僕や彼女は何者なんだろう。

その答えを知ることができる日が来ることを願いながら夜風に当たり、星を見上げていた。

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