第9話

あれはまだ、宇佐美湊兎が宇佐美海月の兄になる前の話。

そして、湊兎の主人がまだジュエ リー海月だった時の話。


ジュエリー海月は不機嫌だった。

だいたい常に不機嫌なのだが、食事の時はいつにも増して不機嫌だった。


馬鹿みたいに長い長テーブル。

綺麗な硝子細工の飾りを、これ見よがしに窓側へありったけ並べているので、その光が反射してとても目障り。

音楽は鳴らさない。

煩いだけだから。

ただただ、ジュエリー海月のフォークとナイフをカチャカチャやって遊ぶ音だけが静まり返っ た深海色の空間に響いていた。


食事をしているのはジュエリー海月だけ。


召使がジュエリー海月の口元に食事を運び、口を 開けると自動で高級食材をふんだんに使った一流シェフの料理が入ってくる。

足置きにして いる宇佐美湊兎の腹を気まぐれに蹴ってから、 「ぷっ」と、床に咀嚼物を吐き出した。


「もういらない」


ジュエリー海月は、召使が持っているガラスの器に盛られた、ふわっふわのカキ氷を手に握 ると、宇佐美湊兎の耳を持ち上げて耳の中に詰めた。


「うっ…」


耳はコニアにとってとても重要で敏感な器官。

痛いくらいの冷たさが、傷つけられた鼓膜にしみる。


「あーつまんない。ほんっと、つまんない」


ジュエリー海月は、何が気に触ったのか、自らの触手を伸ばし、宇佐美湊兎を鞭打った。


「ねぇ、なんで逃げないの? 面白くないじゃん。逃げなよ?」


もう一発、ジュエリー海月は床に転がる宇佐美湊兎を鞭打った。


「悲鳴も上げられないの? それとも、もっとヤバイことしてあげようか?」


触手で宇佐美湊兎の両耳を掴んで頭を持ち上げるが、なんの抵抗もされない。

それがジュエリー海月には無性に腹ただしく、再び宇佐美湊兎を床に打ち付けると、今出し ている触手をしまい、代わりに糸のように細く、白色に光る一五本の触手を出した。


すると、 周りの召使達はサッとその場から一目散に逃げ去り、シャンデリアの煌めく青い部屋には床 に転がる宇佐美湊兎とジュエリー海月だけになった。


「あんたも、いらない」


椅子から飛び降りると、長さ四メートルほどもある細い糸を、まるで白い彼岸花のように広 げる。


「キロネックス。さよなら、コニアさん」


十五本の触手が一斉に宇佐美湊兎に襲いかかろうとしたその時だ。

分厚いガラス扉の向こうから、ノックする音と共に、召使の声がした。


「お嬢様、お父上がお呼びです」


ジュエリー海月は、興ざめしたような顔をして、十五本の触手をしまいこんだ。


「命拾いしたわね。来なさい」


素手で宇佐美湊兎の耳を引っ張り上げ、引きずるようにして深海色の部屋を出た。



玉座のような装飾にまみれた椅子に座る父を前に、ジュエリー海月は跪く。


「何でしょうか、お父様」


父に対しては、ジュエリー海月も横柄な態度をとれない。

アヒトの家庭内で最も重要なのは 実力ではなく、立場なのだ。


ジュエリー海月の父は、貴族の中でも王家と親しい間柄であり、それはこれまでの国の順位 を競う戦争に、ジュエリー家が大いに貢献してきたことにあった。

そして、ここ数年の勝利は ジュエリー家の御息女、つまりジュエリー海月によってもたらされたと言っても過言ではなく、 戦場はジュエリー海月の独擅場であると言われている。


「わかっているだろう、海月」


「はい。それで、今度の相手はどこでしょうか?」


国の順位は、その差が開けば開くほど、下位国は上位国のされるが儘に支配される。

現在 一位のジュエティア国が何かを欲して他国にゲームを仕掛けるということは、その国の順位 は高いと考えられる。

現在二位のレオネス国か、それともオルソロ国か、あるいは…


「次の相手は、コニアだ」


「…は?」


現在最下位、コニア国。


そこはもはや奴隷大国と成り果て、建物も、文化も、国の資財も、個 人の権利も、ジュエティア国は何も手を下さずとも思いのままにできるはず。

何を今さらコニ ア国にアンリーシュによる戦争を仕掛ける必要があるのだろうか?


「聞こえなかったのか? 次の相手はコニア国だ。負けは断じて許さん。夜明けとともにコニ ア国に向けて出発だ。この戦争には念の為最高クラスの国軍もつけるそうだが、アンリーシ ュのゲーム内容はコニアの方に一任したらしいから内容は向こうに着いてから宣誓される そうだ。だがゲーム内容がどうであれ、主力はお前だ。いいな」


本来、ゲーム内容は両者合意のもとで決定されるが、ジュエティアがコニアにゲーム内容の 全決定権を与えたのは、それだけジュエティアがコニアを見下している証拠だ。


だが、プライド の高いジュエリー海月は、保険とはいえコニアにジュエティア国の最高クラス国軍を出動さ せることに対しても屈辱的なことだと思った。


「それはつまり、国を挙げての総力戦になる可能性もあるという事でしょうか?」


「そうだ」


ジュエリー海月は、部屋の前に置いてきた宇佐美湊兎を見るように、分厚い扉を横目で見 やると、腹の底が煮えくり返りそうになる。

カッと目を見開き、湧き出る感情を抑えながら父に 進言する。


「お言葉ですが、ただのコニアごときに、我々ジュエティアが総力を挙げずとも勝利は確実 でしょう。何故そこまでなさるのですか? ご命令とあらば、海月が一人であんな国、滅ぼし てご覧に入れましょう!」


血の気の多い我が娘に、困るでも呆れるでもなく、ジュエリー海月の父は淡々と答える。


「今回のアンリーシュ、コニアから奪う物は国宝以上の値打ちがあるものだ。一〇〇〇年の 時を費やし練り上げられた秘薬だという。コニア国は最下位でありながらその存在はその 秘薬により維持されるべき国なのだよ。永久に、我々の奴隷国としてな」


父親の、まるで心を感じさせない威圧感に、ジュエリー海月は深く頭を垂れ、渋々承諾の意 思を示した。


「用件は以上だ。さがれ」


「…はい、お父様」



ジュエリー邸、浴室。


ミズクラゲを象ったジャーから、ジュエティア好みの冷たい水が滝のように流れ出る。

浴槽 には、およそ一〇〇〇匹ものウリクラゲが、まるで電光掲示板のような光を体の淵に走ら せながら泳いでいた。


その水面にジュエリー海月が足をつけると、ウリクラゲがスッとスペースを空ける。

流れる水の音に耳を澄まし、頭がおかしくなりそうな妖しくも美しい七色の光を眼球に反射 させ、ジュエリー海月は今回のアンリーシュについて考える。


正直言って、コニア国の秘薬なんて興味が無かった。

けれど、父親の命令ならば、行かざる 負えない。

ジュエリー海月は洗い場に連れ込んで控えさせている宇佐美湊兎を睨みつける と、舌打ちした。


「ねぇ、なんでこの海月様が、コニアなんかの相手をしなきゃなんないわけ?」


話の経緯を知らない宇佐美湊兎に呼びかけても、もちろん返事はない。ジュエリー海月は更 に苛立ち、水面を泳ぐウリクラゲを掴んで立ち上がると、ウリクラゲを宇佐美湊兎に投げつ けた。


ベチャッとウリクラゲが宇佐美湊兎の耳に当たって潰れた。


「一〇〇〇年の時を費やした秘薬だかなんだか知んないけど、それにいったいなんの意味 があるっての!? そんなんで海月は幸せになれんの!? 海月はそんなもんいらないん だよっ!」


水面をバシャバシャと蹴りながら、心の叫びをこだまさせる。


「なんとか言いなよっ! 言えっ! 言えって!」


ウリクラゲ達は暴れるジュエリー海月から遠ざかり、海月はますます孤独になっていく。


「海月は不幸だっ! 不幸だ不幸だ不幸だ不幸だ不幸だっ!」


足をバタつかせて暴れ回り、キッと宇佐美湊兎を睨みつける。

そして、水から上がると、ズカズカと足音を立てるように宇佐美湊兎のもとへ近づいた。


「海月を殺しなさいっ! そして、あんたも死になさいっ!」


跪く宇佐美湊兎の前で、拳を握りしめながら言い放つ。


召使が更衣室に控えているが、ジュ エリー海月の声を聞いても無関心、あるいは聞いてすらいなかった。

それだけ、ジュエティア は他人に関して無関心な生き物なのだ。


「なにやってるの? 海月を殺せるんだよ? 早く殺してよ」


無理に作る笑いは歪み、奇妙に見開かれた目は自暴自棄の心を映し出している。


宇佐美湊兎は床に着いていた膝を上げ、ジュエリー海月の前に真っ直ぐ立った。

ジュエリー 海月よりうんと背の高いオスのウサギに見下され、ジュエリー海月に一瞬だけ不安が過る がそれも振り払い、下から宇佐美湊兎を睨みつける。


「さぁどうしたの? この先、生きてても良い事なんて何も無いんだから、いっそここまでにし ましょうよ。海月も早く死にた─! !


宇佐美湊兎が行動に移した。彼はジュエリー海月の鼻と口を、大きな手で覆い塞ぎ、冷たい 床にジュエリー海月の背中を押し付ける。


突然のことで少々驚いたジュエリー海月だが、無抵抗で苦しみに耐えていた。


(やっと、誰かに殺してもらえるんだ。海月は一人で死んでいくんじゃない。コイツと死んでい くんだ。海月の生涯はずっと一人で不幸だったけど、死ぬ時くらい誰かといたい)


景色がボンヤリとにじんでいき、意識が暗くなっていく。


目の前の宇佐美湊兎が、遠くなって いく。


遠く、遠く…


(…待って、こんなの違う。やっぱり海月は孤独。嫌だ、一人は嫌だ。死にたくない、死にたく ない。こんな不幸な死に方したくない!


苦しみの中、もがき、這い上がろうとしても宇佐美湊兎の腕力に敵わなかった。思考が回ら ず、感覚が痺れていく。


(こんなの嫌だよ、助けてっ─)


そしてジュエリー海月の意識は絶望の中へと落ちていった。



温かい。ふわふわしてて滑らかな感触。


(海月は死んじゃったの?)


けれど、こんなに幸せな感触に包まれているのなら、死も悪くはないかもしれない。

そんな ことを思いながら、ゆっくりと意識を浮上させる。


目を開けると、そこはまだ、冷たい床の浴室だった。

床が乾ききっていないことから、あれか らそんなに時間は経っていないと思う。

少し離れたところに、宇佐美湊兎が背を向けて立っ ていた。

いや、それよりも気になったのはジュエリー海月の体を包むこの白くてふわふわした 毛皮だ。

その正体がわからず、毛皮を撫でてみたり擦ってみたりした。


「何なのこれ? あんたが持ってきたの?」


しかし返事はない。ジュエリー海月はじっと宇佐美湊兎を見つめる。

と、褐色のボロ着から、 赤く腫れ上がった皮膚が見えていた。


瞬時にこの毛皮が宇佐美湊兎のものだということに気 がついた。


「あんた馬鹿じゃないの!」


褐色のボロ着は薄く、湿気に満ちた浴槽では剥き出しになっている真皮にピッタリと張り付 き、剥がせば痛みを伴うことは容易に想像できる。


「海月を殺さず、自分の毛皮ひん剥いて…何のつもりだよっ! 気持ち悪い!」


ジュエリー海月は毛皮を宇佐美湊兎に投げつけると、扉を開きっぱなしにしたまま一目散に 出て行った。


浴室に残された宇佐美湊兎は、毛皮をたたみ、濡れた床を一歩ずつ進んでジュエリー海月 の後を追う。

歩く時の振動も、体を動かすと伝わってくる刺激も、ビリビリと神経を伝わって、 焼き付けるような痛みが走った。

更衣室の隅っこで丸くなっていたジュエリー海月は宇佐美湊兎が来たことに気がつくと、顔を 伏せたまま更衣室に控えていた召使に向かって出て行くように言った。


「何で海月を殺さなかったの?」


顔を上げずに、脚の間から辛うじて見える宇佐美湊兎のつま先に向かって言った。しかし返 事はない。


「答えて」


ジュエリー海月が消え入りそうな声で答えを促す。すると、


「お前が死にたくないと思ったからだ」


初めて聞いたかもしれない、宇佐美湊兎の声。それは白い毛皮と同じように、温かくて、優しい 声だった。


「はぁ? 海月は死にたいって言ったんだけど。いつ死にたくないって言ったっていうの?」


嘲笑うような、疑うような、もう何がなんだかジュエリー海月自身、自分の感情を見失いつつ あった。


「俺は目の前のやつの心の声が聞こえる。確かにお前は心の中で、死にたくないと言った」


ジュエリー海月は黙ってしまった。図星だったのだ。

確かに自分はあの時、苦しみ、もがく中 で死にたくないと叫んでいたことを思い出した。


「はんっ。心の声が聞こえるとか、さすが低俗で野蛮なコニアね。戦闘力の足しにもならない、 キモいだけのスペックね」


ジュエリー海月は、まだ顔を上げずに指だけ真っ直ぐに伸ばし、宇佐美湊兎の毛皮を指した。


「じゃあそれは? ただ毛皮が剥げるだけとか言わないわよね? そんなゴミみたいなスペ ック、あるはず無いものね」


「いや、その通りだ」


「…は?」


今度こそジュエリー海月は驚いて顔を上げて、立ち上がった。


「そんな馬鹿なことあるわけ無いじゃない。海月たちは生き残るために必要なスペックしか発 達させてこなかった。生存のため、相手を傷つけ、騙し、戦うためのスペックしか! そんな、 自分の身を危険に晒すためのスペックなんて、あるわけないじゃない!」


ジュエティアをはじめ、アヒトモンドの生き物たちは皆、それぞれの種に特有の能力を発達 させてきた。


どの能力をどれだけ発揮できるかは個体差があるが、どれも生き残るため正に 働く能力しかジュエリー海月は知らない。

宇佐美湊兎の、自ら毛皮を剥ぐという能力は、自分で自分の命を危険に晒すというありえ ない行為だった。

けれど、目の前でそういう能力がある事を見せつけられた以上、その存在 は認めざる負えなかった。


「言いなさい。どういうつもりであんたは海月にあんたの毛皮を被せたの? 海月に何をし ようとしていたの?」


すると、宇佐美湊兎は、ジュエリー海月をくるりと自分と同じ方向へ体を向けるように回すと 同時に、持っていた毛皮を広げ、再びジュエリー海月の体を包んだ。


「ちょ、ちょっと!」


急なことで反応しきれなかったジュエリー海月は、されるがままとなってしまい、慌てて毛皮 を振り落とそうとしたが、その温かさにもっと触れていたいという感情が顔を出し、肩越しに 宇佐美湊兎を睨みつけるだけにとどまった。


「いつまでもそんな格好じゃ風邪ひいちまうぜ? 俺はあっち向いててやるから、着替えな」


そう言って宇佐美湊兎は、本当に壁の方を向いて胡座をかいて座りこんだ。 命令されたようで面白くないジュエリー海月は、毛皮を羽織ったまま宇佐美湊兎の背中に一 発蹴りを入れてから、用意して置いてあった衣服を乱暴に掴んで着替えた。


そして、更衣室 の出口までさしかかると、出て行きざまに宇佐美湊兎の背中に吐き捨てるようにして叫ぶ。


「これで海月が奴隷に優しくしてあげるとでも思ったんでしょうが、そうはいくかっ! コニアの 所へはあんたも連れて行く。お仲間が海月に殺されていくのを間近で、しかもジュエティア側 に寝返った裏切り者として同行しなさいっ!」


バタンっ! と、ガラスが割れそうなほど勢いよく扉を閉めると、廊下に控えていた召使と ぶつかった。

その召使に、持ってきてしまった宇佐美湊兎の毛皮を押し付けると、なんの説 明もしないまま走り去って行った。



夜明け前、ジュエティア国南海岸。


「これより、コニア国へ向かう! 飛べない者は直ちにギヤマンクラゲのゴンドラに乗り込め!」


大隊長の指揮でふわりと一斉にジュエティアたちが空へと浮き上がる。

大気を蹴るように脚 や触手を動かせば、夜空に打ち上げられた幾つものロケット花火のように、白く尾を引き進 んでいくジュエティアの大群。


ジュエリー海月は飛べるのだが、今回もギヤマンクラゲのゴンドラ、もとい口と胃袋に優雅に 腰掛け脚を組み、後ろに首輪にリードをつけた宇佐美湊兎を乗せた。


冷たい深海やオーロラ色のガラスでできたような見た目が美しいジュエティア国の領土から みるみる離れて行き、細長い煙突から煙を吐いている工業国の景色も、朝も早くから目を覚 ましだす商業国の景色も、木々の寝息が白い息を吐く自然大国の景色も踏み潰しながらジ ュエティアの大群が朝焼けに染まりつつある広い空を飛んでいく。


そして見えてきたのは、黒い排ガスが蔓延し、クラゲ国の冷たさとはまた違う、硬くて冷たい 大陸。

その産業のほとんどが他国に強制的に強いられ、搾取される植民地状態の国、コニ ア国。

それでも一応、コニア国にも質素ながら王宮があり、今回のジュエティアたちの目的地はそ こだ。大規模な戦争を行うので、国の景観を損ないたくないジュエティアは、通常は下位国の 者が上位国に出向くところをわざわざジュエティアがコニアのもとへやって来たのだ。


王宮の入り口をすっ飛ばして、ジュエティア達は直接王宮の中庭に着地する。

すると直ぐさま中庭近くにいたコニア達が平伏し、一匹のコニアが身を縮めながら近づいて きた。


「ジュエティア国のご一行様、遠路はるばるようこそおいでくださいました。お疲れの事かとお 思いますので 「疲れてなんかいないわ。さっさとアンリーシュの内容を教えなさい」


と、コニアの言葉を遮って、ギヤマンクラゲから飛び降りたジュエリー海月が刺々しい声で言 った。 その声に身をすくめ怯えながらも、コニアは更に深々と頭を下げながら会議室へと続く道を 指し示した。


「では、ご案内させていただきます」


哀れなコニアは、背中にとてつもない威圧感を感じながらもなんとか押しつぶされぬよう耐え 切り、コニア国の中では最大限豪華に作り直した会議室にジュエリー海月を初めとするジュ エティア国の幹部たちを。隣の大ホールには入り切らなかったジュエティアの軍隊を通した。


「それでは王を呼んで参りますので、少々お待ちください」


木造建築の古びた王宮の会議室は、そこだけ緊急に塗り直し、建物の汚れや傷を隠してい るのでその部屋だけ妙に浮いていた。

部屋の中央には、ジュエティア国の公園にあるベンチ 程度の高級感しかない四つの椅子と四角い机があり、その上にはかつてのコニア国の名産 品である、ユキコニア大福と温かいお茶が並べてあった。

四つの椅子のうち、ジュエリー海月とジュエティア国軍大隊長が腰掛ける。

リードで引きずら れてきた宇佐美湊兎はジュエリー海月の横に置かれ、ジュエリー海月はリードを引っ張って みたり、波打たせてみたりと、おもちゃにしている。

そしてジュエリー海月がユキコニア大福に気が付いて手を伸ばそうとした時、大隊長がその 手を遮った。


「いけません海月様。そんなゲテモノなど」


「ふんっ。ミツキが食べるとでも思ったの? 安心しなさい、こうするだけだからっ」


ジュエリー海月は柔らかくて皮がスベスベしたユキコニア大福を乱暴に掴み、愛らしい顔を 握り潰すと、宇佐美湊兎に向かって投げつけた。

ジュエティアの大隊長はジュエリー海月の行為に、半ば呆れながらも何も言わず、前かが みに肘をつく体勢に変えてジュエティア国の王がやってくるのを待った。

そして、コニアの王と一人の大臣が飛んで来るようにしてやってきた。


「おまたせして申し訳ございません、ジュエリー様、フィッシャー様」


フィッシャーと言うのは、ジュエティアの国軍大隊長の事であり、他人に興味の無いジュエリ ー海月はこの大隊長の名をコニアの王が言うまですっかり忘れていた。


「それで早速だが、アンリーシュのゲーム内容を教えてもらおうか」


「はい。と、その前に一つ確認してもよろしいでしょうか? あなた方ジュエティア国の王は、 今回のアンリーシュのゲーム内容における決定権を、フィールドがコニア国でさえあれば、 全て我々コニアに一任する。そのことに変更はしないという事でよろしいですかな?」


「ええ。我らが王は、ジュエティア国の景観を損なうことを嫌ったため、 “ゲームはコニア国で 行うこと。そうであればひ弱なコニアにゲーム内容を決める権利を与えよう”とおっしゃられ た。今さら確認するまでもない。コニア程度の国でできるゲームなど限られておるからな」


「はい。そのとおりでございます。我々コニアはご存知の通り、財力が底を突きかけておりま す。しかし、今回のアンリーシュ戦は我々の伝統を危機に晒した大事な戦い。門外不出の その秘薬をジュエティア国に渡すということは、この国の真の意味で滅亡を意味します。そ して我々はこのアンリーシュ戦に勝利すればジュエティア国の植民地の半分をいただける。 これはつまり、最下位からの脱却および国の存命が保証されます。なので、我々は捨て身 でこのゲームに挑むつもりなのですよ」


コニア王の長ったらしい前置きに、ジュエリー海月は心底面倒臭そうに大あくびをする。

ジュ エリー海月にとってはそんな事どうだっていいのだ。

目の前に与えられたゲームをこなして 勝つだけ。

その後で何を与えられるかなんて関係が無い。

それに、どんなゲーム内容だろうと、相手はコニアだ。負ける気など微塵も感じない。


「どうでもいいから、はやくゲーム内容を教えなさいよ。ジュエティアはどんな内容だろうと変 更を強要したりなんかしない。なんなら、先におまじないの言葉を言っておいてあげましょう か? “エиş৳ɪ иɕ৳”。ほら、これでもう安心でしょう?」


心底コニアをバカにしたジュエリー海月は、コニアの王が手に持っているアンリーシュに向 かって、その内容を確認する前に同意を示す宣誓を行ってしまった。

これでジュエティア国の 主力であるジュエリー海月は、アンリーシュに記載された文字を見た瞬間に本能がアンリー シュによって解放され、アンリーシュに従わざる負えなくなる。


ジュエリー海月のあまりの軽率な行動にフィッシャーは面食らってしまうが、相手がジュエリー家の御息女、並びにジュエティア国最強にして最凶の兵器なだけに文句も言えない。

コ ニア王と大臣も驚きはしたものの、ならばと意を決して丸めていたアンリーシュを机の上に 広げた。



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“The Nostrum Hunt” “主:ジュエリー海月” “ジュエリー海月、 、コニア国の全国民” 以上の者は欲望の向くままゲーム内において、下記の本能に逆らわない事をここに記す。 “ジュエリー海月はコニア国の門から領土の中心にある王宮を目指し、王宮内のどこかに保 存してある秘薬を探す” “ジュエリー海月が秘薬を見つけた時点でジュエリー海月の勝利となる” “ジュエリー海月が戦闘不能または降伏した場合コニア国の勝利となる” “ジュエティア側として、ジュエリー海月の他一人までゲーム参加を認める” “ジュエリー海月の勝利でコニア国は秘薬をジュエティア国に譲渡する” “コニア国の勝利でコニア国は、ジュエティア国の植民地の半分を譲り受ける” ──エиş৳ɪ иɕ৳


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「なんだこれは!」


と、怒鳴り声をあげて机を叩いたのはフィッシャー大隊長だった。


「これではまるで、海月様がお一人で全コニア国民と対戦するようではないか!」


「ええ。ですから我々も念押ししたのです」


クッと唇を噛んで悔しそうにするフィッシャー大隊長に、コニア国の王は少し強気に出る。

ジュエリー海月が“エиş৳ɪ иɕ৳”を唱えてこのアンリーシュの文字を目にしてしまったしま った以上、ジュエリー海月およびその関係者はこのアンリーシュに縛られる。


「だが、これはいくら何でも 「構わないわ」


フィッシャー大隊長が交渉を試みようとするのをジュエリー海月が遮った。


「海月様っ!」


「それと、一人まで海月の味方を付けられるんだよね?」


焦りを見せるフィッシャー大隊長を無視してジュエリー海月はさらに信じられない発言をす る。 クッと手にしていたリードを引っ張り上げ、宇佐美湊兎の首を机より上に上げると、


「海月はコイツを連れてくわ」


「なんですとっ!?」


「だからそこの空欄に書いといてくれる? 海月、こいつの名前忘れちゃったし。あんたなら よく知っているでしょ?」


とんとん拍子に話を進めてしまうジュエリー海月に、流石のフィッシャー大隊長も口を出す。


「いけません海月様。既決された内容はもう後戻りできませんが、だからこそ同伴者は慎重 に選ぶべきです。ジュエティア側としてコニアを使うなど、ありえません! 少し考えれば分 かることです。これは遊びではないのですよ!」


しかしジュエリー海月はそんなフィッシャー大隊長の訴えには耳を貸さず、机を蹴ってコニア の王にサインを促す。


「ほら、早く書きなよ。海月の気が変わらないうちにさ」


「やめなさい、コニアの王!」


「うるっさいわね!」


これまで気怠げな態度しかとっていなかったジュエリー海月が鋭い目つきでフィッシャー大 隊長に毒牙を向けた。

そのあまりの剣幕に、フィッシャー大隊長は動揺を隠しきれず、まるでヘビに睨まれたカエル のように固まってしまう。


「アンリーシュはちゃんと効果を発揮しているということは、このゲーム内容は公平なバラン スを保っているという事。何も問題はない。それに、宝探しの情報を聞き出すのに人質がい た方が便利でしょ? フィッシャー大隊長」


「…失礼しました、海月様」


ジュエリー海月が冷静な判断を下していたと分かり、フィッシャー大隊長は浮かせていた腰 をそっと下ろし、口を閉ざした。


「で、では同伴者はそこにいる彼でよろしいですかな?」


ジュエリー海月の怒りの炎を目の当たりにし、その火の粉に当てられそうになったコニア王 はしかし、気を取り直して再度ジュエリー海月に同伴者を確認する。


「ええいいわ。それで、どうすればゲームスタートなわけ?」


「はい。明日の夜明け以降、ジュエリー様がコニア国の東西南北いずれかの門をくぐった時 点でゲームが開始されます。今日一日は互いに準備期間として設けさせていただく所存で ございます」


「おーけー。じゃあこれで用件は済んだし、海月は眠いから帰って寝るわ。こんな煙臭いとこ ろで眠るはめにはなりたくないもの。ほら、行くわよ」


と、ジュエリー海月はフィッシャー大隊長に言ったのか、宇佐美湊兎に言ったのか、あるい はその両方にか、宇佐美湊兎を引きずりながら早々に会議室から出て行ってしまった。

フィッシャー大隊長もすぐに後を追い、会議室にはコニア国王と大臣だけになった。


「王、よろしいのですか? その、湊兎様を今回の一件に巻き込んでしまって」


「今の我々には、どうしようもできぬことよ。本人も納得しておる」


コニア王は、ポケットに入れた手帳から、一枚の写真を取り出し、深くため息をつく。

写真に は、コニア王と妃、そして二人の兄妹が写っていた。 コニア王は、写真の中の宇佐美湊兎を愛おしそうに撫で、唇を噛み、喉の奥から込み上げ てくる叫びを押し込み、それでも言葉が漏れだしてくる。


「湊兎よ、すまない」


目を閉じれば瞼の裏に蘇る、最愛の息子との思い出。

だが、コニア王は、奴隷国の王と成り 果ててもなお一国の王として、国民のためにやるべき事を優先させるのだ。

簡素な会議室に吹き込む冷たい風は、一層冷たくコニア王の冷たくなった指先を更に冷や していくのだった。

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