第4話
アイトーポたちとの戦いは、一時停戦モードに入っていた。
向こうから攻めてこない以上、比較的平和なノア艦内にも穏やかな空気が流れる。
昼食後、少し眠たくなりそうなほど気持ち が良い昼下がり。
船上員の少年はぐっと欠伸をこらえながら伸びをした。
「見ぃーちゃったっ。あとで艦長に言いつけてやろーっと」
その様子を隣で見ていた船上員の少女がからかった。
「このくらい勘弁してくれよ。こっちは朝から反応の無いレーダーとずっと睨めっこなんだぜ?」
ははっ、と和やかに笑い合いながら二人は仕事に励む。
と、その時だ。
少年の目の前のレーダーが反応を示した。
「敵襲! 先日と同じアイトーポの戦艦反応です!」
先程までの空気は一変。張り上げられた少年の声にノアの艦内に緊張が走る。
「場所は!?」
安藤輝子がその船上員の少年に叫ぶ。すると、その船上員は青ざめた顔で、
「場所は…エリア一三六六です」
安藤輝子と機関室にいる全員に告げたると、全員の血の気が引いた。
そして 更に悪いことに、エリア一三六六をドローンでリアルタイム撮影した映像が機関室のモニタ ー一面に映し出されると、そこには無数の鼠色をした飛行艦隊がエリア一三六六の空から 街へ着地しようとしている映像が見れた。
「どうしますか、艦長…」
安藤輝子は心の中で留めることのできなかった心情を舌打ちで吐き出し、すぐ作戦を艦内全域にアナウンスする。
「エリア一三六六にアイトーポ出現。直ちに全ガリオットを出動させろ!」
ノアの母船には、数一〇〇隻の小型航空軍船が搭載されている。
その名もガリオット。
ニ本のマストと二〇本のオート機能で漕がれる櫂を持ち、帆と櫂の両方を推進力としたことで高速化と小回りを効かせた小型の飛行艦。
その一隻一隻には口径の小さい大砲を各一〇 門、戦闘員を五〇人載せることができる。
普段ガリオットを用いた作戦は、敵の大群を相手取る際に白神・アルビーノ・歌燐の援護として立ちまわる歩兵を運ぶ最も有力な手段だ。
アヒトモンドの特殊物質か、テラタイトにより生み出された生命エネルギーにより形作られた攻撃でしかアヒトの強靭な肉体は傷一つつけられないのだが、行く手を塞ぐ障壁や追い返す程度には十分機能する。
だが、それも白神・アルビーノ・歌燐がいなくては致命的な一撃を 喰らわずには程遠い。
「艦長、その…歌燐さんは?」
「歌燐は自室で待機。絶対に襲撃させるな!」
艦内放送で安藤輝子の指示が飛ぶ。エリア一三六六、そこは医療大国日本の中心施設が 多数集まる大都市で、白神・アルビーノ・歌燐が多くの子どもたちの命を奪ってしまった病院、 さくら総合こども病院があるエリアだ。
自室で待機していた白神・アルビーノ・歌燐。
だが、部屋の外の騒がしさにいても立っても居られなくなり、プロテクタースーツに着替え、扉を開いた。
と、ちょうど廊下を走る大多数の隊員の少年たちと鉢合わせる。
彼らが向かう先はガリオット。
みな、これから戦場へ出るのだ。 隊員の先人を切る少年が、白神・アルビーノ・歌燐の格好を見て、怪訝な表情になる。
「白神さん、貴方には待機命令がくだっています。自室へお戻りください」
「いいえ、私にも何かできることがあるはずです。ここを通してください」
「残念ながら、今回のエリアは一三六六。その、申し上げにくいのですが…」
少年の言いたいことはよく分かる。
だが、こんな所で両者油を売っている場合ではない。
しかし、白神・アルビーノ・歌燐はこのまま険悪なムードを引きずらせて彼らを戦場へ送り出したくもない。
白神・アルビーノ・歌燐は少年の両手をとり、ぐっと握りしめる。
突然の白神 ・アルビーノ・歌燐の行動に、少年は戸惑い頬を紅潮させる。
「大丈夫です。勝利の女神ホワイトヴィクトリアは必ず貴方達の元へ舞い降りることでしょう」
かつて白神・アルビーノ・歌燐が地上の人間たちに呼ばれていた二つ名を出す。
少年たちは、なにか確信を得た白神・アルビーノ・歌燐の気持ちを受け取り、白神・アルビーノ・歌燐の手をおろすと、敬礼だけしてガリオットへ向かって行った。
(皆さん、必ず後で向かいます!)
その背中を敬礼しながら見送る白神・アルビーノ・歌燐もまた駆け足でその足先を機関室へ向けた。
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「艦長!」
勢いよく開かれた鉄扉から白神・アルビーノ・歌燐が姿を現す。
「歌燐! 待機してろと言ったはずだ。自室へ戻れ」
「艦長、お話があります」
「今はそれどころでは無いのだ…」
時速約六〇〇キロと、リニア並の速度が出るガリオットは、第一部隊が既にエリア一三六六 へ到着し、戦闘を繰り広げていた。だが、モニターに映るエリア一三六六の状況は見るからに劣勢。
ガリオットが放つ砲弾は鼠色の艦隊に傷一つ付ないのに対し、ガリオットのマスト は次々と大砲に打ち砕かれる。
避難指示を出す警察たちも市民のパニックを抑え切れず、 エリア一三六六は混沌状態となっていた。
「艦長、出撃許可をください」
安藤輝子は我が耳を疑った。エリア一三六六には、さくら総合こども病院がある。
よもや白神 ・アルビーノ・歌燐はそのことを忘れたわけではあるまい。
「ダメだ。あそこにはさくら総合こども病院がある。歌燐が出ればどうなるか分かるだろう? 出撃は許可できない」
予想通りの即答だ。だが、白神・アルビーノ・歌燐は怯まない。
「私だけではありません。捕虜の二体も同行してもらいます」
「何!?」
またしても安藤輝子は耳を疑った。
「ダメだ。いくらあの者たちが対抗手段となりうるからと言って、信用が置けない者をこちら側として出すわけにはいかない。奴らが裏切れば市民の命はさらに危ういものとなる。我々は 市民の命を任されているのだぞ」
こうしている間にも、安藤輝子は次の作戦を頭の中で練る。
しかし、情報が不足しているこの現状では突破口が掴めない。
それでも踵を床に打ちつけながら必死に頭を回転させる。
「なら、あの者たちの命も握ってみては如何でしょうか?」
安藤輝子の踵の音がピタリと止む。怪訝な顔つきで眉をひそめ、視線をモニターから白神・ アルビーノ・歌燐に移す。
「禁錮室へご一緒願います」
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ノアの地下室、鉄パイプが入り組んだ廊下の先に禁錮室がある。見張りの船上員が安藤輝 子を見るなり立ち上がり、敬礼する。
「二体の様子は?」
「はッ! ずっとおとなしくしており、異常ありません!」
禁錮室の重い鉄扉が開けられると、硬いベッドの上に横になる宇佐美湊兎の上に丸くなるようにして宇佐美海月が眠っている。
「よぉ、待ちくたびれたぜ」
カラカラと乾いた笑い声をあげる宇佐美湊兎。
その声に目覚めた宇佐美海月も眠い目をこ する。
どういう事だ?
と白神・アルビーノ・歌燐に視線を送る安藤輝子。
「カリンが来たってことは、戦況は芳しくないということだ。案外早かったな」
「それで私に話があるそうだが、一体何だ?」
「まぁまぁ、そう焦らずに落ち着きんさい。食いかけだけど、堅パンでも食うか?」
戦況が良くない事を知りつつも呑気なことを言う宇佐美湊兎。
そうこうしている間にも戦況は 更に悪化しているのにこれ以上機関室に艦長不在という状況を長引かせるわけにはいかない安藤輝子は苛立たずにはいられない。
「用がないのなら私は戻る。歌燐、行くぞ」
「まぁ待て待て。急いでほしいならそう言いなって」
手招きする宇佐美湊兎に、安藤輝子は不愉快ながらも、中へ入る。白神・アルビーノ・歌燐も続いて中へ入り、見張りの船上員に一礼してそっと鉄扉を閉める。
「こんな状況でないと話せなくてね」
「だから何がだ? 要件だけ話せ」
「わーかったわかった。話の要点は三つ。一つ目は、俺の妹が持つロケットはカリンの無差別生命エネルギー搾取を阻害し、ロケットの中のバーナクルという石の力から無制限にエネルギーを取り出すことができる。誰の命を縮めることなくな」
「なっ…嘘をつけ! エネルギー源があるのなら無制限になどあり得ない!」
「おいおい急ぐんだろ? 話の腰を折るんじゃねぇよ」
宇佐美湊兎の言葉に安藤輝子はぐっと苛立ちを飲み込む。
宇佐美湊兎は勝ち誇ったような笑みをニヤリと浮かべる。
「二つ目、俺と妹とカリンを今から戦場へ行かせろ。論より証拠ってわけだ」
「それで、三つ目は?」
「あんたは二つ目の要求を呑まない。なぜなら、俺達みたいな得たいの知れないものを野に放つわけにはいかないからだ」
宇佐美湊兎は、最初からこうなる事がわかっていた。
初めて白神・アルビーノ・歌燐と出会い、 口裏を合わせたあの日も、宇佐美湊兎は同じことを言っていた。
「当たり前だ。お前たちの出動は認めない。軟弱なウサギを野に放ったと思ったら実はウサギの毛皮を被ったトラだった、だなんてリスクを負うくらいなら我々は現状ある力を尽くすのみだ」
話は終わりと言わんばかりに安藤輝子は切り上げようとする。
白神・アルビーノ・歌燐は剣呑な面持ちで二人の会話を見守る。
「んじゃあ、そのトラにリードと首輪を付ければ問題ないんだな?」
「ば兄ちゃん!」
と、ずっと黙りこくっていた宇佐美海月がいきなり叫び声を上げた。
「…どういうことだ?」
ニヤリと、怪しげな笑みを見せながら宇佐美湊兎は反発する妹を制するように抑えている。
安藤輝子は臨戦態勢に入るかのように身構える。
ズボンのポケットに手を突っ込み、細い金 色のチェーンをシュルシュルと取り出した。
チェーンの端をつまみ宙にぶら下げると、掴んだ 反対側に位置する箇所に小さな懐中時計が揺れた。
「なんだこれは?」
揺れる懐中時計を一瞥してから安藤輝子は尋ねる。
「俺のリードだ。そしてこれが、」
そう言って懐中時計を安藤輝子に投げ、空いた手で耳に付けた大きな三つのリングピアスのうち一つを外すと、カチリと自分の首に装着した。
「俺の首輪ってわけだ」
金色のリングは宇佐美湊兎の首より一回りしか大きくなく、ガッチリとロックされて外れない。 そのことを示すように宇佐美湊兎は金の首輪を引っ張ってみせる。
「その懐中時計は壊れて動かないのは分かるな? その針を上のツマミできっかり十二時 に合わせると、首輪にしかけられた爆弾が爆発し、俺の首が飛ぶって仕掛けだ」
ギリギリと歯噛みする宇佐美海月。白神・アルビーノ・歌燐も息を呑む。
「なるほど、暴れたトラはこちらでいつでも殺処分できるというわけか」
「言っとくが、これはマジな話だぜ。その懐中をちょっと調べればすぐ俺が嘘をついていないことが分かる」
「ふん、なるほどな。これはデミハンターそのものという事か」
安藤輝子はしばらく懐中時計を調べるように観察し、安全性を確認する。
技術課にも身を置いたことがあった安藤輝子は、この手の作りならすぐに構造を理解できた。どうやらこのコニアの言うことは本当らしい。
だが、
「私はお前のリードなんか持っていたくはない。何なら今ここでお前ら二人をつまみ出して、時計の針を十二時に合わせてやってもいいのだぞ?」
禁錮室に沈黙が流れる。宇佐美海月の視線が刃のように尖る。
ここまでしても通用しないというのなら、正直これ以上の策は宇佐美湊兎たちに無い。いつもの軽薄な笑みは消え、真剣な面持ちで目を細める。
白神・アルビーノ・歌燐はここまで頑なになる安藤輝子の気持ちも分かるが、下手をしたら一 触即発のこの状況に何も言えず息を呑む。
「だからこのリードは歌燐が握っておけ」
へ?
と顔を上げる白神・アルビーノ・歌燐。安藤輝子は宇佐美湊兎から受け取ったチェーン 付きミニ懐中を白神・アルビーノ・歌燐に向けて差し出す。
「歌燐、これはお前が持っていろ」
「はっ、はい!」
慌てて差し出された懐中を受け取り、まじまじと眺める。真ん中が透明ガラスで中の針が見えるようになっているハーフハンターケースのそれは、直径五センチメートル程しかないのにずっしりしており、金無垢だと分かった。
ケースの縁には文字盤の代わりに、ギロチンや苦悩の梨、親指締めなど様々な拷問器具のシルエットが彫られており、十二時の所にはウサギの彫刻が施してある。
パラシュートサスペンション機能搭載の年代物で、精巧な作りながらも頑丈だ。芸術的で壊れていなければとても価値のあるものである。
「あっ、なるほどそういうことですね!」
そこで白神・アルビーノ・歌燐はあることに気が付き、声を弾ませる。
「デミ・ヒューマン、つまり亜人であるミナトさんを“狩る”ニンゲンが持つハーフハンターケー スの懐中時計。ハーフハンターケースは別名デミハンターとも呼ばれます。なかなか洒落が効いていますね♪」
緊迫した空気の中、場違いにも程があると、安藤輝子は頭を抱える。
白神・アルビーノ・歌燐 のこういう所は、彼女の魅力であり愛嬌でもあるのだが、同時に珠に傷でもあるのだ。
それに宇佐美湊兎が反応しないわけもなく、彼はコイツはいい!と、大いに腹を抱えて笑いまくった。
「だがな、カリン。もう一つ、ハーフハンターケースの別名にナポレオンってあるの知ってるか?」
「そうなのですか?」
へー、と感心したように、ハーフハンターケース、デミハンター、ナポレオンの名を持つ形の懐中時計を嬉しそうに観察する白神・アルビーノ・歌燐。
「だから気をつけな、ナポレオンはウサギに襲われたことがあるって逸話があるぜ」
瞬間、ぞわっ…と宇佐美湊兎の言葉に冷や汗が流れる。
安藤輝子が今にも噛みつきそうな形相で宇佐美湊兎を睨みつけるが、宇佐美湊兎はものともしない。
「冗談だってば」
とケラケラ高笑いした。
「んで、俺はもうコイツのせいで後には引けないわけだが、あんた達はどうする?」
迫る選択。
だが、アヒトに対するまともな対抗手段が白神・アルビーノ・歌燐による出撃しかなく、それすら封じられたこの状況においてこちら側にも選択の余地などない事は明白だ。
それに、懐中を白神・アルビーノ・歌燐に託した時点で安藤輝子の答えは出ていたも同然だ。
「白神・アルビーノ・歌燐、宇佐美湊兎、宇佐美海月の出動を命ずる。場所はエリア一三六六。 宇佐美兄妹は歌燐の指示に必ず従う事。急げ!」
「はッ!」
見事、宇佐美湊兎は命を売って安藤輝子の信用を買い取ることに成功した。
白神・アルビーノ・歌燐は安堵と同時に気を引き締めて安藤輝子に敬礼すと、
「では、お二人とも行きましょう!」
宇佐美兄妹を率い、出動場へと急いだ。
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─目標エリア一三六六自然公園。高度一八〇〇〇メートル、直線距離六〇〇〇〇メートル。
白神・アルビーノ・歌燐たちは、れいの二重扉にたどり着き、一重目の扉をくぐる。
「ではこれより、第二扉を開きます。そこの柱にしっかりと掴まっていてください」
宇佐美兄妹が柱に掴まったのを確認し、白神・アルビーノ・歌燐は第二扉を開く赤いガラス 張りのボタンを押した。扉が開く前に、白神・アルビーノ・歌燐も急いで備え付けの柱に飛び付く。
「カリン、当たってる」
と、とびきり不機嫌極まりない声で宇佐美海月が白神・アルビーノ・歌燐の胸に顔を埋める形になりながら睨みつける。咄嗟に柱を掴んだので宇佐美海月の位置まで気にしていられなかったのだ。
「ごごっ、ごめんなさいっ」
睨まれた恐怖と恥ずかしさで吃ってしまう白神・アルビーノ・歌燐。
「おっ、いいなぁ。妹よ、カリンの胸の触り心地はどうだ? 言ってみ? もし口に出すのが恥ずかしいのなら兄ちゃんが直接確かめてやろう。だからちょいと場所代わっ
「この発情ウサギさんがぁ!」
宇佐美湊兎は一体どれだけ宇佐美海月の兄を努めてきたのだろう?
そんなことを言えば 宇佐美海月の逆鱗に触れる事など、出会って間もない白神・アルビーノ・歌燐にだって容易 に想像がついた。
だから先手を打って叱る役を白神・アルビーノ・歌燐が買って出たのだが…
「ば・か・兄ぃぃぃちゃぁぁぁあああんんんッ! ! !」
白神・アルビーノ・歌燐の胸のあたりがカッと熱くなり、宇佐美海月の赤帽子から十五本の触 手が伸びる。
「ちょっとまて! 妹よ、 “ば”と“兄”の後に一文字多いんじゃないのか!?」
「そこじゃないでしょうにっ!」
今度は純粋な白神・アルビーノ・歌燐の叱責だ。宇佐美海月は、いわゆるマジギレ。
それは白神・アルビーノ・歌燐のプロテクタースーツを通して感じる凶兆の震えと、ヌルヌルと怪しげな動きを する十五本の触手が物語っている。
「ミミミ、ミツキさんっ、落ち着いてください! こんな所で兄妹喧嘩をされては危険ですっ!」
しかし白神・アルビーノ・歌燐が何を言おうと、人間嫌いな宇佐美海月の感情を逆撫でしかしない。
「アイ・キル・ユーッ! ! !」
と、何故か宇佐美湊兎に向けられたはずの触手の刃は白神・アルビーノ・歌燐を襲う!
悲鳴を上げながらギュッと目を瞑る白神・アルビーノ・歌燐。
だがしかし、宇佐美海月の触手が襲ってくることは 無かった。恐る恐る目を開けると、宇佐美湊兎が柱から手を離したのか、開いたばかりの鉄 扉の向こう側に吸い込まれていくのが見えた。
「ば兄ちゃんっ!」
と、宇佐美海月も触手を引っ込め、柱から手を離す。置いてけぼりを喰らった白神・アルビ ーノ・歌燐は事態が呑み込めず、目を赤白させている。
が、ハッと我にかえり、
「お、お待ちくださいお二人とも!」
白神・アルビーノ・歌燐も宇佐美兄妹の後を追うようにノアの縁へ駆け出し、身を乗り出して下を覗き込む。
するとそこには、宇佐美兄妹が仲良く手を繋いで宙に浮いているのが見える。
「もぅ、ば兄ちゃんは空飛べないんだから無茶しないでよねっ! ば兄ちゃんはミツキと離れ離れになったら死んじゃうんだからっ!」
涙目になりながら、ばかばかばかっ! と、兄を叱りつける妹。
「ははっ、俺が落ちたら、お前はいつだって迷わず俺の胸に飛び込んできてくれる。そうだろ? 妹よ」
臭いセリフを恥ずかしげも無く妹に吐露する兄。
「…ば兄ちゃん♡♡♡」
「妹よ…♡♡♡」
何をやってんだこの兄妹は…。白神・アルビーノ・歌燐は、焦って損をしたと呆れ、ため息混じりにノアの床から足を離す。
**************************************
「妹よ…♡♡♡」 「…ば兄ちゃん♡♡♡」
(この兄妹、まだやっているのですか…)
「うぉっほんッ!」
いかにもわざとらしい咳払いでおバカな兄妹の世界に介入した白神・アルビーノ・歌燐。
二 人きりの甘い世界を壊された宇佐美海月が「ぁあ゛ん?」と、ヤンキーのような声を発して睨めつける。
それに白神・アルビーノ・歌燐は若干怯んだがここでナメられてはいけないと気を取り直す。
「お二人とも、仲がよろしいのは結構ですが、急いで行きましょう。エリア一三六六までおよそ 六〇キロメートル。到着までおよそ十八分かかってしまいます」
「おう。それより、どうだ? ミツキの生命の使い心地は」
宇佐美湊兎に言われてハッと気づく。そうだ、空中停止しているという事は白神・アルビーノ・ 歌燐は生命エネルギーを使っているということ。そしてこの高度では地上の人間たちからの生命エネルギーは届かない。
だから使っているのはノアの船上員たちからの生命エネルギ ー。
だが、今は目の前にバーナクルのロケットを首にさげた宇佐美海月がいる。
誘われるように宇佐美海月のロケットに目を向けると、透明のロケットケースの中の月形バーナクルが輝き、ロケットに黄色を添えている。
そして、これまでの生命エネルギーを使って空を飛ぶより格段に制御が効くのを感じる。
試しに白神・アルビーノ・歌燐は自由落下からの垂直上昇。三回ひねりに八の字飛びと、荒運 転をしてみるが、どの動きもこれまでとは格段にキレが違うのを感じる。
「万事良好です!」
「そりゃなにより。んじゃ、地上まで三分でアライバルだ」
…へ?
と、白神・アルビーノ・歌燐は宇佐美湊兎の言っている意味がわからず首を傾げる。
その様子を面白がるように喉の奥を鳴らして宇佐美湊兎がはにかむ。
「おいおい、まさか俺の妹の力が自由落下やリニアモーターカーに劣るとでも? 時速六 〇〇メートルがカリンとこのあの援護船のウリなら、カリンはその半分の時間で駆けつけるべきだろ」
カッカッカッと笑う宇佐美湊兎。
だが言っていることは笑えない。
時速六〇〇メートルと、リニアモーターカー並の速度が出る小型航空軍船ガリオット。
彼は そのことを言っている。
これまでノアと地上までの間の距離を生命エネルギーの力を使わず 自由落下していた白神・アルビーノ・歌燐。直線距離六〇キロメートルのエリア一三六六ま で、落下の最高速度を保ち続けたとしても約十八分。ガリオットを使っても約六分かかる距離だ。
「ま、待ってください! 六〇キロメートルの距離をたったの三分で行くということは、えっと、 時速…」
「時速一二〇〇キロメートル。この国の旅客機の最高速度よりちょっと速いくらいかしら?」
サラッと答える宇佐美海月に、白神・アルビーノ・歌燐はプルプルと首を横に降る。
「旅客機のその最高速度は空気抵抗の少ない高度七四〇〇メートル以上の時ですっ! それにもし、常にそのような高速で飛びつづければエンジンや機体が故障しますし、機体の 寿命を縮める原因になってしまいます!」
「ミツキ、寿命ないし」
「そういう問題ではありません!」
肩を上下させながら息を荒げて叱りつける。だが、そんな事では怯まないのがこの兄妹だ。
「けどよ、あのアポロの発射時速は四〇三二〇キロメートル、太陽探査機ヘリオスは時速二五二七二〇キロメートルって聞くぜ? そいつらを使えば地上までそれぞれ約五・四秒と〇・八秒で着いちまう。それと比べたら俺達なんて亀みたいなもんじゃねぇか」
いったいこの男は何と比べているのだろう…。
要らない計算能力を発揮してくれたせいで頭脳がオーバーヒートし、正常な速度感覚まで狂ってしまったのではないだろうか?
そんなことを考えながら、今まさに旅客機にされようとしている白神・アルビーノ・歌燐はまたも大きなため息をつくのだった。
「まぁ、帰りは重力の影響もあるから多少は勘弁してやるが、せめてあの自転車並みの速度はやめろよな。エリア一三〇二からここまで一時間半もかかってやがったじゃねぇか。よく生命エネルギーのストックが保ったもんだな」
白神・アルビーノ・歌燐は地上からノアに帰るとき、地上の人間たちから貯めた生命エネルギーを使って飛んでいる。
エリア一三〇二の人口密度は第一次アヒト戦で随分減ってはいたが日本屈指の大都市ということもあり六〇万はあるだろう。
それだけいれば白神・アルビ ーノ・歌燐の半径〇・五キロメートル圏内にいる人間たちから約十間分の補給で帰還するだけの生命 エネルギーが貯まる。裏を返せば、十分間は地上にいなければならない。
その間、市民の 生命エネルギーを吸い取り続けている白神・アルビーノ・歌燐はそういう後ろめたさもあっ て、なるべく低出力な力の具現化で街を最後に掃除しているのだ。
「…」
速度についての皮肉を言う宇佐美湊兎だが、白神・アルビーノ・歌燐には別の部分で耳が痛かった。
それを察してかどうかは分からないが、宇佐美湊兎が、
「まっ、それもこれも綺麗サッパリ解決だ。俺のスーパー可愛い妹のおかげでなっ!
」
と言いながら屈託のない笑顔を見せる。
今まで見せたことのなかった宇佐美湊兎の新たな一面に、白神・アルビーノ・歌燐は少しだけ元気が出た。
「さぁ、こうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。さっさと駆けつけてやろうぜ、勝利の女神ホワイトヴィクトリア様よ」
からかう様な宇佐美湊兎の言葉に、白神・アルビーノ・歌燐は顔がカァァっと赤くなった。
「き、聞いていたのですか!?」
「聞こえてきたんだよ。俺のウサ耳はその気になれば直径一キロ圏内、ありとあらゆる音を識別して聞き分けることができる」
自慢気に首を振って垂れ耳を揺り動かす宇佐美湊兎。確かに、彼はウサギの能力を受け継 ぐアヒトなのだから、耳がいいのは当たり前かもしれない。
だが、直径一キロ圏内の音を、しかも聞き分けられるとなると只単に聞こえが良いのとではわけが違う。
彼がその気になれ ば、ノアのぶ厚い障壁など何の意味もなさなく筒抜けというわけだ。
「…ん? って! やっぱり聞いていたんじゃないですかっ! !」
「カッカッカッ、まぁそんな事はどうでもいいじゃねぇか。穢なき勝利の女神様よ」
さらに茶化す宇佐美湊兎に白神・アルビーノ・歌燐は今度こそ文句を言ってやろうとした時、
「どーでもいいけど、こんなことしてる間に三分は経つわよ?」
宇佐美海月の指摘に、白神・アルビーノ・歌燐は我にかえる。
「そうです! とんだタイムロスを…急ぎましょう。本当に三分で到着できるのですね?」
やる気になった白神・アルビーノ・歌燐は、宇佐美湊兎の言質をとろうとする。
「あぁ。俺らアヒトは嘘つかねぇ」
宇佐美湊兎は自分の体を宙に浮かせている宇佐美海月に目線を送ると、阿吽の呼吸で宇 佐美海月は湊兎と同時に白神・アルビーノ・歌燐に飛びついた。
海月が白神・アルビーノ・歌燐の首に腕をまわしてしがみつき、湊兎が白神・アルビーノ・歌燐の足首をしっかり掴んだ。
「ちょっ、何なんですかいきなり!」
「歌燐は旅客機なんだから客を乗せなきゃだろ? 俺らが最初のVIP 客だから、カ リンはしっかり地上まで送り届けろよ」
「そっ、それもそうですが…」
「なに? ミツキたちが重たいとでも言いたいの?」
白神・アルビーノ・歌燐の首をとっている宇佐美海月の腕に力が入る。
「いえいえ! 決してそのような事はありませんっ」
実際、宇佐美兄妹は驚くほど軽かった。
海月の方は見た目からして華奢で小さいからある程度、軽いことは想像できたが、それにしたって軽い。
そして、白神・アルビーノ・歌燐より頭一つ分背が高く、大きなウサ耳を持つ湊兎がこんなにも軽いのは予想外だった。
「だったら早く行くっ!」
「そうだそうだー、風を切り、雲を突き抜け、行け行けカリンー!」
「あぁもう、わかりましたよっ! やれるだけやってみますので、お二人とも振り落とされても知りませんからね!?」
速度一二〇〇キロメートル毎時。距離六〇キロメートル。推定飛行時間三分。目標エリア一 三六六・自然公園。
「はッ!」
細脚の旅客機は大気を一蹴り。
二人のブラックなVIP 客を乗せ、風を切り裂き、雲に大穴を 開け、三分後にはエリア一三六六の自然公園外れにある大池に、大きな水柱を建設して不時着したのだった。
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