第2話

─目標エリア一三〇二市役所前。高度一八〇〇〇メートル、直線距離二五〇〇〇メートル。


白神・アルビーノ・歌燐は航空艦隊ノアの内と外とを繋ぐ二重扉の前まで来ると、一つ目の扉をくぐり、しっかりとロックをかけ る。


続いて二番目の扉。

この先、氷点下一〇〇度の世界。

そこに暴風と低酸素が加わる極限環境。

外と内とを隔てる頑丈な壁は、薄いガラスで囲まれた赤いボタンで開閉する。


白神・アルビーノ・歌燐は周りに誰もいないことを指差し確認し、ガラスカバーをスライドさせて赤いボタンを拳で殴るように押す。

重い音と同時に、二番目の扉が真ん中から左右に開いていく。

その瞬間、艦内から外へ向かって空気が勢いよく押し出された。

備え付けられていた柱にしっかりと掴まっていた白神・アルビーノ・歌燐は、長い白髪を突風に攫われながらも赤い目をしっかり開き、一呼吸を置く。


透明部分のプロテクタースーツは白神・アルビーノ・歌燐の眼球表面までしっかりと覆っているため、突風の衝撃に目を細める必要はない。


風に慣れてくると、徐々に柱から体を離し 、巨大空中戦艦ノアの縁に立つ。


目下、高度およそ五〇〇〇メートル付近には鼠色の雲が広がる。


そのさらに下、エリア一三〇二にはアイトーポの大群がウジャウジャしているかと思うとゾッと身の毛がよだつ。

しかし、私が行かなければ誰が行く! そんな思いで勇気を振り絞り、全人類の命と地球の未来を一身に背負わされた齢十六歳の アルビノの少女は、航空艦隊ノアの硬い地から足裏を離した。



空気を切り裂く轟音がうるさい。

押し寄せてくる大気のせいでプロテクタースーツがあるとはいえ呼吸は苦しい。

全身が猛烈に冷たい。

孤独な時間が続く。


極限環境にポツンと放り出された白い小さな体は、あっという間に重力に引っ張られていく。

だが、白神・アルビーノ・歌燐にはこの苦痛な時間はあまりにも長く感じられた。


「はぁ…」


落下中、思わず大きな溜息をつく。


この憂鬱な時間をじっくりと味わった後、待ち受けるのは 襲い掛かってくるネズミの大群。

それも憂鬱だが、白神・アルビーノ・歌燐はそれよりももっと 憂鬱に思うことがあった。


「私って、世界一不幸な人間かも…」


雲を切り抜け、自由落下を続ける。


地上までの距離、約五〇〇〇メートルを切った。


劈く風の音以外は何も聞こえない。


エリア一三〇二まであと九〇秒…

そうして脳内カウントダウンをしていた時だった。


「やぁやぁ、世界一不幸なニンゲンのお嬢さん。俺達が救ってあげようか?」


「─ッ!?」


どこからか聞こえた声に驚き、カッと赤い目玉を見張る白神・アルビーノ・歌燐。声の主は、すぐ隣にいた。


(全く気配がしなかった!?)


白神・アルビーノ歌燐は空中で身を捻って自由落下を続けながら臨戦態勢をとる。


高度およそ三〇〇メートル。

ここなら垂直下の人々からの生命エネルギーがギリギリ届く。


「おっと、まぁ待て。俺達は敵じゃない。今攻めてきているのは狡猾なネズミだろ?」


ニカッと笑い、敵意がないことを示そうとするソイツだったが、白神・アルビーノ・歌燐はソイツ の両手を掴んで浮いている、もう一体の殺意に気がついていた。


(ウサギ型アヒト…コニア。それからそっちは…女の子? いえ、あの触手からしてクラゲ型アヒト、ジュエティアですね)


コニアの方は一見するとただの少年、と言うには異様な大きさの耳が目立つ。

ぶら下がった 脚は白い毛皮に覆われ、よく動く口から白い八重歯が光る。


ジュエティアは、赤いシニヨンカバーと見間違う大きなフリルキャスケット帽を被った華奢な少女。

そこから垂れるツインテールはヌルヌルと不気味な動きをしながら伸び縮みしている。


「貴方達は単独ですか? 見たところ異なる種族のようですが、アイトーポの手先か何かといったところでしょうか?」


地面に着地するタイミングを計らいながらも獣のように鋭くした眼光をソイツ等から離さない。

生命エネルギーにより具現化したマシンガンを構え、人差し指をトリガーに掛ける。


「バ兄ちゃん!」


と、殺意の眼差しを向けてくる少女の方が声を張り上げた。


(…バニーちゃん?)


とそこへ、白神・アルビーノ・歌燐たちのいる上空へ向かって銃が乱射…否、正確に一撃一撃を狙い撃ちしてきた。


(くっ…さすがに計算高いネズミさん達ですね)


白神・アルビーノ・歌燐の肩を銃弾が掠めるが、プロテクタースーツのおかげで傷一つ付かない。


視界を広くすると、アイトーポの群れが何一〇〇〇匹も、エリア一三〇二の鬱蒼とした街を占領しているのが見えた。


「ッ…!」


またもアイトーポの銃弾が白神・アルビーノ・歌燐の腹部をかすめるが、やはりこの程度ではプロテクタースーツの装甲を破れはしない。


それでもやはり銃弾が掠められると、反射的に全身の皮膚がわっと粟立つ。


白神・アルビーノ・歌燐は目の前のコニアとジュエティアから、いったん目標を目下のアイトーポ達に絞る。


今手にしているマシンガンはアイトーポの大群を一掃するのにうってつけだが、街で人々を傷つけない保証はない。

白神・アルビーノ・歌燐はマシンガンの具現化を解き、新たにロングソードを具現化させる。


アイトーポ達の銃弾を避けながら、エリア一三〇二に着地。


「このっ! 一斉に撃てぇ! !」


アイトーポ一匹が号令をかけると同時に、体長三〇センチメートルほどのアイトーポたちがフォーメーションを組み、白神・アルビーノ・歌燐めがけて一斉射撃を仕掛けた。


スッと一瞬だけ目を閉じ、全神経を集中させる。

白神・アルビーノ・歌燐の周りの空気が燃え上がる。


(視力増強、筋力強化。行きます!)


「はぁぁぁッ!」


ブーストモードですべての弾丸をロングソードで弾き落とし、アイトーポ共が怯んだ懐に飛び込む。

横薙ぎに振った白い剣が次々にアイトーポたちの間を縫い、白く見えていた残像がみるみる赤くなっていく。


わっと何一〇匹ものアイトーポ達から鮮血が飛び散り、深く切り取られた肉がボトリと街の地面に落ちていく。

それを見た他のアイトーポたちは早速戦意を喪失したかのように、白神・アルビーノ・歌燐に背を向け一目散に逃げ出す。


この場のリーダー格と思わしきアイトーポが退避の号令をかけて真っ 先に逃げている。


白神・アルビーノ・歌燐は深追いをしない。彼女の役目は、街の人々を守ること。殺しではない。


構えていたロングソードを下ろし、具現化を解除する。異空間の出入り口として切り開かれた 巣穴にアイトーポ達の航空艦隊が吸い込まれるようにして消えていったのを見送る。


「さて…」


白神・アルビーノ・歌燐の仕事はまだ終わってはいない。

とは言っても、これは彼女が自主的に行っている事で、任務でも何でも無い。

彼女はゴミ袋を具現化させると、街に落ちたアイトーポの肉を素手で拾い、ゴミ袋へと回収していく。

回収し終わったところで、今度は手の指を ホースのように丸め、そこから水を出し、血塗られた道を洗っていく。


─パリンッ


そんな白神・アルビーノ・歌燐の頭に食器皿が投げつけられた。


投げたのは、街の住人で ある少年。

次いで魚の背骨が投げつけられ、白神・アルビーノ・歌燐の白い髪に引っかかっ た。


「この白子め! あたし達の命を吸い上げといてヒーロー気取りかい? とっとと失せな!」


ガミガミ声の女が白神・アルビーノ・歌燐に罵声を浴びせる。他の住人たちも、冷たく、鋭く、怒りに満ちた視線を白神・アルビーノ・歌燐に刺す。


白神・アルビーノ・歌燐は魚の骨を器用に髪から外して袋に入れるとそのまま何も言わず、 後ろを一切振り返ることも無く、生ごみ入りの袋を近くの公共ゴミ置き場に捨てて、とぼとぼと一八〇〇〇 メートル上空の居場所に帰っていくのだった。



鼠色の雲は厚く、重々しく、今にも雨が降り出しそうだ。

だが、雨より先に白神・アルビーノ・ 歌燐の頬を濡らすものがあった。


赤い瞳から透明な、しょっぱい水がプロテクターの膜をすり抜け、風に吹かれて落ちていく。


(本当に、私は世界一不幸な人間…)


厚い雲の中。

誰もいない、何も見えないこの空間で白神・アルビーノ・歌燐は上昇を止める。


雲を抜けてそのままノアに戻るのもまた心の癒やしを与えてくれるだろう。

しかし、落ち込ん だ気分のままでは船上員のみんなに心配をかけてしまう。

それは不本意だった。


だから誰もいない、何も見えない、聞こえない、孤独な雲の中で白神・アルビーノ・歌燐は歌うのだ。


澄んだ音色が乙女の純粋な心から発せられ、自分の心を洗い流していく。


自分のための歌。自分の不幸を忘れさせてくれる歌…


「よしっ!」


ぐっと脇腹を引き締め、きゅッと口角を上げると、先ほどまでの涙で濡れた仮面を捨てて白神 ・アルビーノ・歌燐は意気揚々と雲を切り抜ける。


厚い雲の層を抜け、水蒸気が尾を引きながら青い空に霧散した時、白神・アルビーノ・歌燐の目の中に星が散った。


「イッテテテ…おいおい、ニンゲンってのはこうやって挨拶するもんなのか?」


その声にはっ! とし、星を振り払った白神・アルビーノ・歌燐は、目の前の状況を確認した。


そこには、エリア一三〇二へ向かう途中に出会ったコニアの少年が、ジュエティアの少女に両手を捕まれぶら下がっていた。


白神・アルビーノ・歌燐は目の前の星を払い、改めてよく二体を観察した。


コニアの少年は長い垂れ耳の片方に金色のリングピアスが三本、もう片方の耳には幾何学 模様のタトゥーが入っている。

顔立ちはまだ幼さの残る端正な顔つきで、オレンジ色のTシ ャツには「I LOVE 」に続けて人参のロゴが入っている。


ジュエティアの少女はコニアの少年よりさらに幼く見え、赤いクラゲのような形の大きな帽子を深く被り、水色のツインテールを金色のリングで留めている。

赤紫色のローブの中身はペシャンコな胸とお尻のみを覆う薄着の服装だった。


「あなた達はさっきの」


警戒態勢をとる白神・アルビーノ・歌燐に、軽薄とも取れる笑みを浮かべるコニアの少年。


「話の途中で無粋な邪魔が入っちまったもんだからな。待ってたぜお嬢さん」


奇妙な少年少女との再会に、白神・アルビーノ・歌燐はマシンガンを具現化させて再び警戒の色を示す。


「おっと、そんな物騒な物はしまってくれよ。こっちは美しい歌声の余韻にまだ浸ってるんだからさ」


ぱちんッとウィンクしてみせたコニアの少年。白神・アルビーノ・歌燐はその言葉と行為の両攻めで、真っ白な顔が紅潮する。


「ば兄ちゃん!」

と、コニアの少年を吊り下げているジュエティアの少女が目を吊り上げながら一喝した。


「安心しろ妹よ。もちろん兄ちゃんはお前の歌声が一番だぞ」


「…ば兄ちゃん♡♡♡」


白神・アルビーノ・歌燐を他所に、熱い視線を交わし合うコニアとジュエティア。プラプラと浮かびながらいつまでも見つめ合い続けるその姿は少々間抜けに思えた。


「あのぉ…」


堪らず白神・アルビーノ・歌燐は声をかけると、ジュエティアの少女がぐわっと睨みつけてきた。


あまりの気迫に白神・アルビーノ・歌燐はゴクリと生唾を呑む。

しかし、これくらいで怯んでは世界は守れない。

気を勇んでコニアとジュエティアに問いかける。


「貴方達は何者ですか? 見たところコニアとジュエティアのようです。アヒトの方から私に接触してくるなんて何を考えておられるのか分かりませんが、何が目的なのですか!?」


「チッ…」


え?


と、いきなりジュエティアの少女が、これ見よがしに大きな舌打ちをしたので白神・アルビーノ・歌燐は面食らってしまった。


「あんた、脳みそニワトリなの?さっき、ば兄ちゃんが言ったでしょ」


ジュエティアの少女が吐き捨てるように言った言葉に白神・アルビーノ・歌燐は記憶を巻きもどす。


「えっと…」


「やぁやぁ、世界一不幸なニンゲンのお嬢さん。俺達が救ってあげようか?」


白神・アルビーノ・歌燐が頭に浮かべた答えをコニアの少年があの時と同じように繰り返す。


「えっと、それはどいういった意味なのでしょうか?」


目が点になる白神・アルビーノ・歌燐。薄笑いを浮かべるコニアの少年と不機嫌そうな ジュエティアの少女。


「そのままの意味。ミツキ達が救いようのないあんたを救ってやるって言ってんの」


ジュエティアの少女の言葉にますます頭を抱える白神・アルビーノ・歌燐。


「そ、そうです! これはきっと貴方達の罠なのですね!? そうやって私を混乱させて襲うつもりなのですね!? だって、アヒトはニンゲンを殺すためにわざわざ異世界からやってくるのですから!」


すっかり混乱しきってマシンガンをロングソードのように構える白神・アルビーノ・歌燐にジュエティアの少女は大きな溜息をつく。


「まったく信用されてないよ。ば兄ちゃんどうする?」


白神・アルビーノ・歌燐と話す時とは全く異なる甘えたような声音でコニアの少年に話すジュエティアの少女。


「仕方ない。先にアレを見せてみるか…と、その前に場所を変えようぜ。そろそろ妹と俺の手が限界だ」


高度およそ一〇〇〇と言ったところだろうか。白神・アルビーノ・歌燐と話すためにここで宙ぶらりんのまま待ち続けていたのなら何という筋力だろう。

この状態では話がしにくいというのもあり、三人は街外れの砂浜に足を着けた。



**************************************



「んじゃ、話の続きだ。俺達はまず、お嬢さんの信用を得たい。ちょっとコレを見てくれ」


そう言ってコニアの少年はポケットから三日月の形をした透明な石を取り出すと、手のひらにのせて白神・アルビーノ・歌燐に見せた。


「綺麗な水晶。これは…?」


「ご明察。これはバーナクルっていう水晶だ。意味は“生命力”、 “再生”、 “絆”。ただし、これは そんじょそこらのバーナクルじゃあない」


コニアの少年はバーナクルをつまみ上げると、白神・アルビーノ・歌燐に手に取るよう促した。

警戒してバーナクルとコニアの少年を交互に見やる白神・アルビーノ・歌燐。


「大丈夫だってば。ほれっ」


「わわっ!」


コニアの少年がヒョイとバーナクルを放り投げたので、思わず白神・アルビーノ・歌燐はバー ナクルを慌ててキャッチしてしまう。


爆弾でも仕掛けられているのではないかと危惧していた のだが、コニアの少年が言うように、本当に何も起こらなかった。


「その石は、世界一不幸なお嬢さんのお悩みを一つ解決してくれる。お嬢さんはニンゲンを 救う一方でニンゲンを危険にも晒している。それで前に子供達を死なせてしまったと聞いてるぜ」


ギクリとコニアの少年の言葉が白神・アルビーノ・歌燐の心に突き刺さる。それでも構わず コニアの少年は話を続ける。


「アイエナの奴らが来た時だったか? お嬢さんはいつも通り空から舞い降り、ニンゲンを守りながら戦っていた。どんどん周りのニンゲンから生命力を吸い上げ、諦めの悪いアイエナたちと交戦を続けていた」


白神・アルビーノ・歌燐の苦い過去をズケズケと容赦なく語るコニアの少年。だが、新聞の一面にもなって全国で号外されたこの事件について、今更とやかく言うつもりは無かった。


「だが、お嬢さんはその近くに大きな子供病院がある事を知らなかった。無意識のうちに病気の子供達の生命力を吸い上げて戦っていたお嬢さんがアイエナ達を追っ払った時には、危篤の子供達が何一〇人も同時に命を落とした」


指先が冷たくなり、白い皮膚から血の気が引いて真っ青になる白神・アルビーノ・歌燐。その 肩が小刻みに震える。


「それ以来、ニンゲン達のお嬢さんに対する態度は一変。ちょっと前までは正義の白。純白の救世主。勝利の女神、ホワイトヴィクトリアなどと謳われていたお嬢さんも、古い差別用語で呼ばれるようになっちまった」


古い差別用語。それは、さっき街の女性が白神・アルビーノ・歌燐に浴びせた罵声の中にあった。


「シラコ。白の子と書いて白子。…全く、これだからミツキはニンゲンは大ッ嫌い!」


怒りに身を任せ、砂浜の砂を足で押し固めるジュエティアの少女。

ジュエティアにとって故郷である海は心休まるものなのだが、それを前にしても尚、怒りが収まらないのだからよっぽど 人間が嫌いなのだろうか。


「あんたもあんたよ! 何でそんなニンゲン達のためにまだ頑張っちゃってるわけ? あんたがいなければアイツらは侵略者に成すすべも無く殺されるだけだっていうのに、感謝するどころか魚の骨を投げつけてくる! そんな奴ら、放っておけばいいじゃない!」


事実、アヒトに対して人間たちは成す術がない。

白神・アルビーノ・歌燐がいなければとっく に人類は撲滅されていたことだろう。


「それでも…いえ、そうだから私が救わなくちゃいけないんです」


人類を…世界を救えるのは自分しかいない。たとえ嫌われようが疎まれようが、自分がや れる事をやらずに、救える人達を見殺しにするような真似は白神・アルビーノ・歌燐にはできなかった。


自分一人が我慢すれば、世界は救われる。


そう思ってずっと戦ってきたし、それが正しいと信じてやってきた。


震えていた拳をグッと握り、真っ直ぐジュエティアの少女を見つめる。


ジュエティアの少女は白神・アルビーノ・歌燐の決意したかのような言葉が気に入らないらしく、嫌なものでも見るようにスッと目を細めると小さな声で …


「自己犠牲ヤロー…」


「えっ…?」


「んじゃ、話を戻して、そのバーナクルについてだ」


シリアスな雰囲気を一気にブチ壊してくれたコニアの少年の言葉に注意を持って行かれる。


「そのバーナクルは特殊で、ある特定のテラタイトと呼応するようになっている。普通ならただそれだけの事なんだが、このバーナクルは身に付ける者の生命力を表に引き出す力があり、 つまり生命力を吸う力が体外に引き出されると、優先的にバーナクルを持った者の生命力が吸われ、周りのニンゲンには一切テラタイトは反応しなくなる」


コニアの少年の言葉に驚愕し、分かっていつつも確認してしまう。


「つまり、生命力の高い者がこのバーナクルを身につけていれば、私は生命力の低い人々 から無差別に生命力を吸い上げることがなくなる。そういうことですか!?」


「そゆこと♪」


波の打ち寄せる音も、ケラケラと高らかに笑うコニアの少年の声も、頭の中に響き続ける衝撃波に掻き消された。


これまでずっと、人々を救いつつも危険に晒している。自分は救って いるつもりで誰かの命を奪っているという負い目を感じてきた白神・アルビーノ・歌燐にとっ て今、この手の中にある三日月型の水晶の力はそれほどまでに強いインパクトを与えた。


「け、けれど一体誰がこの石を? 生命力の高い人がいたとして、すすんで寿命を縮めるような事をする人なんていませんし、一人が生命エネルギーを吸収され続ければいつかはその人の命が尽きてしまいます。なので私はそれでは解決できているとは思えません」


その通りだ。

もし仮にもすすんでバーナクルを身につけてくれる人が現れたとしても、白神・ アルビーノ・歌燐が戦う限り、誰かの命を奪っている事に何ら変わりはないのだ。


「そこで、俺の可愛い可愛い妹の出番。俺の妹がお嬢さんを救う」


「それはどういう…このジュエティアの子が命を削ってくださるとでも言うのですか?」


「そうじゃない。妹よ、このお嬢さんに説明してやってくれ」


得意気に鼻を鳴らすコニアの少年。


白神・アルビーノ・歌燐は、ありえない。理解不能と言ったかのように、首を小刻みに横振る。


大きな溜息をつきながら、ジュエティアの少女は応える。


「面倒くさいけど、ば兄ちゃんの頼みだから説明してあげる。ミツキがジュエティアなのは正解。あんたがどこまでクラゲについて知っているかは知らないけれど、ベニクラゲの名前くらいは知っているでしょうね?」


「まぁ…名前くらいなら」


ベニクラゲ。


白神・アルビーノ・歌燐の知識では、直径およそ四から一〇ミリメートル程の丸 っとしたベル型のクラゲで、透けて見える消化器官や触手の先に付いた目玉が赤い色をしている事からこの名がつけられたのだとか。


「なら、ベニクラゲは不老不死だって事は知ってる?」


えっ、と白神・アルビーノ・歌燐は聞き間違いではないかと、怪訝な顔つきになる。


「知らないみたいね。なら教えてあげる。普通、生き物は必ず死ぬし、多くの生物は子孫を残した直後に死ぬことが多い。サカナなんかにそういうのが多いかしら。まぁそれはいいとして、 ベニクラゲは子孫を残した後も、死ぬどころか若返るの。その能力を引き継いだのが、あんたたちがベニクラゲのアヒトとかいうニンゲン中心的なダッサイ名前で分類してくれちゃってるミツキってわけ」


ベニクラゲは有性生殖の後、触手の収縮や外傘の反転、サイズの縮小などを経て再び岩 などの基物に付着し、ポリプと呼ばれる幼体となる。命のサイクルを逆回転させるこの能力 は動物界では大変稀であり、これによりベニクラゲ類は個体としての寿命による死を免れているのだ。


「つまりミツキは寿命がないの」


寿命がない。


だから不老不死。


そんな伝説でお伽話のような話が現実となっている事に白神 ・アルビーノ・歌燐は動揺を隠しきれなかった。

ただ意味もなく不機嫌そうなジュエティアの少女と、軽薄な笑みを浮かべるコニアの少年と、手の中にあるバーナクルをくるくると見比べるばかり。


「だからあんたが戦う時、そのバーナクルをミツキが身につけて近くにいれば、あんたは他の軟弱なニンゲンから生命力を奪わなくて済むってわけ。単純な話でしょ?」


そういって引っ手繰るようにしてジュエティアの少女は白神・アルビーノ・歌燐の手からバーナクルを奪い取ると、そのバーナクルの三日月形にピッタリ合いそうな黄色い三日月形のロケットを取り出し、その中にバーナクルをしまった。


「ミツキはこのバーナクルを身につけてあんたを救う。さぁ、儀式よ。ミツキの首にこのロケットをかけなさい」


ロケットを白神・アルビーノ・歌燐に突き出すジュエティアの少女。

しかし、これがもし何らかの契約なら、白神・アルビーノ・歌燐はこのバーナクルの恩恵に見合うだけのモノを与えなく てはならない。寿命の代償には、何が見合うのだろうか?


「どうして貴方はこのような事をするのですか? 人が良すぎ…いえ、クラゲが良すぎますよ?」


「そういうのいいから。それに、勘違いしないでよね。ミツキはニンゲンなんて大ッ嫌い!」


(は? …ならどうして?)


白神・アルビーノ・歌燐の頭上に大きなクエスチョンマークが浮かんだ。

人間が嫌いだという のに、人間である白神・アルビーノ・歌燐を救い、人間の命に代わって無制限とはいえ自分の命を差し出すのだ。

とても正気の沙汰とは思えない。


「ミツキはニンゲンが大ッ嫌い。でも、ば兄ちゃんはニンゲンが大好き。ミツキはば兄ちゃんが大好きだから…ば兄ちゃんがニンゲンを救いたいって言うから…ミツキはそれを手伝うだけ。それだけなんだからね」


とんだブラコンだ!!

と白神・アルビーノ・歌燐は心の中で絶叫した。


このジュエティアの少女は兄の好き嫌いで命をかけると言い切ったのだ。

本当に正気の沙汰ではない。


「な、ならその…バ、バニーちゃんさん、ですか? は、どうなんですか? どうして貴方は私を救ってくださるのですか?」


白神・アルビーノ・歌燐はバニーちゃんという言葉に引っかかりを覚えつつも、容疑者を尋問する検察官のように圧をかけて問いただそうとした。


「おっと、そういや自己紹介がまだだったな。俺の名前は、宇佐美湊兎。ミナトって呼んでくれ。 見ての通り、ウサ耳が超イカしてるイケメンで人類とエロをこよなく愛するコニアの紳士だ。 んで、こっちが俺の妹」


「宇佐美海月。ミツキはジュエティア。ば兄ちゃんはミツキのば兄ちゃんだから、手ぇ出したら 許さないんだからね」


片や厳ついウサ耳がイカしてるだとか、エロを愛する紳士だとか、めちゃくちゃな自己紹介を披露した兄ミナト。


そんなミナトに抱きつきながら鬼の形相で白神・アルビーノ・歌燐を威嚇する妹ミツキ。


この後の自己紹介はとてもやりにくい。やりにくいが、やらねばなるまいと思ってしまうあたり、白神・アルビーノ・歌燐は真面目が過ぎる。


「私は、白神・アルビーノ・歌燐。見ての通りニンゲンのアルビノです。新防衛省対アヒト課専用艦隊ノアで、ライフスペント作戦によるテラタイト生命エンジン駆動型機体のパイロットをしています」


「オーケー、カリン♪ これからよろしく!」


「はい、よろし…って! 何がよろしくですか! 私はまだ貴方達と契約を交わすとは一言も言っておりません!」


危うく宇佐美湊兎の手を取りそうになった白神・アルビーノ・歌燐だったが、寸手の所で踏み止まった。


「まぁまぁ、そう堅いこと言わず」


鼻息を荒くする白神・アルビーノ・歌燐をからかうように宥める宇佐美湊兎。


「まだ私は貴方の答えを聞いておりません! 貴方は…ミナトさんは何故、私を救ってくださるのですか? ニンゲンが好きだと言ってましたが、それだけですか?」


ふーん、と一瞬こまったような顔をした宇佐美湊兎だったが、それはすぐに、柔らかな桃の花のような、優しい微笑みに変わった。


「そうだな。俺がニンゲンのことが大好きだから」


白神・アルビーノ・歌燐は宇佐美湊兎のその言葉に一喜し、それならば…

と、宇佐美湊兎の手を取ろうとしたが、


「…ってのも無くは無いが、だ」


白神・アルビーノ・歌燐の手がピタリと止まった。


彼女はもう一度、顔を上げて宇佐美湊兎の 表情を慎重に吟味すると、その笑顔は優しい笑顔などではなく、なにか悪巧みを思いついた子供のような、不敵で怪しげな笑みであった。


「俺は世界一不幸なニンゲンであるカリンを救い出し、最後に死ぬ時にもう一度不幸のどん底に突き落とす。上げといて落とされるという最悪で、最高に面白いカリンの絶望の幕切れを見届ける!ってのが一番の目的だな!」


意味が分からなかった。


今まで白神・アルビーノ・歌燐の生きてきた十六年間、様々な表情や言葉を見聞きしてきた。

その中には悪くて、ズルくて、どうやったって好きになれない表情や言葉もあった。

ここ最近 では、ノア以外で出会う人々から迫害を受け、罵声を浴びせられ、皆それぞれが持っている 色んな悪意や敵意を彼女は一身に受けてきた。


だが今、目の前のコニアの少年が放った言 葉は耳を疑うものだったし、キラキラと瞳を輝かせながら薄ら笑いとも軽薄な笑みとも言える、なんとも表現しにくい笑みなど見たことがなかった。


ただ、白神・アルビーノ・歌燐は思っ た。


このコニアの少年、宇佐美湊兎を一言で言うのなら何と表現するべきか─


─宇佐美湊兎 は、ウサギの皮を被った悪魔である


と。


「さぁ、カリン。お望み通り、俺がカリンのことを救う理由を話してやったぜ。どうよ?」


「最低…ですね」


こみ上げる憤りを抑え、なんとか理性を保って紡いだ言葉だ。

そんな白神・アルビーノ・歌燐を見下すかのように、満足気な表情で宇佐美湊兎は続ける。


「だが、カリンは俺達の手を取らざるをえないだろ? でないと、カリンはまた関係の無いニンゲンたちから命を吸い上げてニンゲンを守らなくちゃあいけない。あっれれー? おっかし いなぁー? それって矛盾してなあーい? カリンは一体、何がしたいんだろうー?」


後半、白神・アルビーノ・歌燐バカにするように大根役者を演じる宇佐美湊兎。


だが、痛いところを突いているだけに、白神・アルビーノ・歌燐は何も言い返せない。


すると宇佐美海月までも、滲み出すような悪魔的笑みを顔の全面に浮かべ、狂気的に天を仰いだ。


「さあ、ミツキの尽きることのない命を使って使って使って使って使って使いまくって、幸せな人生を 送りなさい! あんたにはそれが許された。周りのニンゲンもあんたの手によって幸せになる! 不幸なのは最後に死ぬあんただけ。 自己犠牲ヤローにピッタリな契約じゃない!」


この兄妹は、本物の悪魔だ。


賢く、優しく、知恵と勇気を持った先人はこう言った。

─わたしたちが犠牲になることなく、システムを変えるただひとつの方法は、悪魔が張り巡らした蜘蛛の巣の罠一つひとつに対し、力強く「ノー」と声をあげることである。


だが、齢十六で全人類の命を一身に背負い、自分が精神的にボロボロになってしまっている事に気が付きもしていない白神・アルビーノ・歌燐には、マハトマ・ガンディーの言うような勇気は持てなかった。


彼女は「ノー」と言えないのなら、代わりに自分が犠牲になればいい。

死に際くらい、 不幸だっていいじゃないか! それで世界が救われるのならば…そう思った。


「さぁ、カリン。もし、あんたが我が身を犠牲にしても己と己の世界を救ってほしいのなら、このロケットを手に取り、ミツキの首にかけなさい」


先ほどまでの悪魔的で狂気的な声音とは打って変わり、宇佐美海月は語りかけるように白 神・アルビーノ・歌燐に再びロケットを差し出した。

白神・アルビーノ・歌燐には、それが悪魔 の誘いであることは分かっていた。


だが、彼女の選択は一つしかなかった。


「契約、成立ですね」


白神・アルビーノ・歌燐は宇佐美海月の手からバーナクルの入ったロケットを受け取り、宇佐美海月の首にそっとかけた。


そのタイミングで、まるでいつもの決め台詞を言うかのように、 宇佐美湊兎が宣言した。


「世界一不幸なニンゲン白神・アルビーノ・歌燐の人生、ウサギと」 「クラゲが」

「 「救います! ! ! 」」

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