ウサギとクラゲが救います!

來縁 祈

第1話

 小高い丘の上に、とある兄妹の奇妙な影が青々とした芝の上に伸びる。


兄はじっと耳を澄まし、世界の音を聞く。

妹は風に浮かされた、大きな赤帽子を深く被り直す。


「見つけたぞ」


ゆっくりと目を開いた兄の大きな耳がピクリと反応する。


身長ほどある大きな耳が、頭の上の方から垂れ下がる。

怪しく光る瞳の奥は、赤い炎が燃えるようだ。


「そぅ… 救えそう?」


さほど興味もなさそうに尋ねた妹が、帽子の中からのびるツインテールをヌルりと揺らす。

冷めた瞳は透き通ったコバルトブルーで、髪も触手も同じ色。


「あぁ。必ず世界一の不幸者にする」


ニヤリと八重歯を覗かせて微笑み、妹の頭を撫でる兄。

妹はそんな兄に擦り寄るように身を寄せる。


「で、どこにいるの? ソイツ」


妹が氷のような目で尋ねると、兄はスッと暗雲のたちこめる空に向かって指をさす。


「今、落ちてきている」


妹も、フサフサの白い毛が生えた指でさされた空の上を見る。


「ここで待つか? それとも…」


「迎えに行く。どんな奴なのか、早く行って見てやる」


そう言って立ちあがつた妹は、兄の両手を優しく取り、ふわりと宙に浮かぶ。

そしてそのまま、 海の中と同じように空を泳いで昇っていく。


ゆらりゆらりと上昇していく奇妙な兄妹の背後で、街は鈍色の不吉に蝕まれていく……



**************************************



巨大飛行艦隊ノア、機関室。


壁一面のモニターに映る光景は、

戦火、瓦礫、銃撃戦、血飛沫、死体、死体、死体……

つまり惨劇、 地獄絵図、カタストロフィ、─絶望。


そんな中、何よりも目に付く異様な光景は、何一〇〇〇人もの兵隊の格好をした……子供?


…否、それは子供ではない。

ましてやヒトですらないのだ。


よくよくその子供のようなナニカを観察してみると、顔から下の皮膚は銀鼠色の毛がフサフサと生えている。

手も足も、形こそヒトそっくりだが、爪がまるで鎌のように鋭い。


どこからどう見ても、ニンゲンと言うには程遠い体躯をしている。

だが、兵隊服を着せられたケモノの体の上に乗った頭は、ニンゲンと変わらない。


変わらないのだが、決定的に異なる。

ニンゲンではない、ナニカ。


彼らの頭は、ヒトと言うには決定的に異なる特徴として、頭上に小さなパラボラアンテナのような耳が付いていた。

薄くも固く、音を捉えることに特化した形状。

体と同じく直毛やら巻き毛やら、薄茶色やら灰色やら様々な種類の毛並みが生えた、凹凸の少ない耳。

それは、ネズミの耳だ。


ニンゲンではない、ナニカ。

これらはアヒト。

パラボナアンテナ型の耳と、鎌のような爪を持つそれらは、

ネズミ型アヒト、アイトーポ。


新防衛省対アヒト課専用艦隊ノア保管資料、アイトーポのページ──


アイトーポ

アイトーポは体長およそ三〇センチメートルに、成人しても幼い子供のような顔を持つ。

しかし子供のような見た目だからと言って侮れない。


アイトーポは小さいがゆえ動きが素早く、そしてずる賢い。

何より、数の有利を上手く使った戦闘スタイルで標的を追い詰める。


と、記載されている。


同資料、アヒトのページ──


アヒト

第一次アヒト戦から三年もの月日が流れても尚、日本はアヒトからの侵攻に耐え続ける日々を強いられている。

絞りカス程しかない国家予算は全て軍事力に注がれ、文明は退化、人々の心は廃れてし まっていた、そんな地球……というよりももっと限定的だ。


なぜなら、 “日本は”アヒトからの侵攻に耐え続ける日々を強いられているのだから。


アヒトはどうやら、日本を獲物に、最後まで食い潰す生物らしい。


世界人口およそ一〇〇億人。

日本国内人口、およそ三〇〇万人。


西暦の千の位が二になったばかりの頃、二・一パーセントほどあった日本の世界に対する 人口割合は、ついに小数点第二位までゼロの数字を並べるまでに減少してしまっていた。


すっかり広くなってしまった日本列島の領空に浮かぶクジラのようなフォルムの飛行艦隊ノ アは、そんな日本の未来を乗せて飛べるだろうか……



**************************************



 ──…… ノイズ音が入り、無線から援護を求める悲痛な叫びが聞こえる。


─こ、こちらガリオット第〇四二号機、エリア一三〇二……敵はアイトーポ! 街に甚大な被害が出ている。数が多すぎて我々だけでは手に負えない! 至急応援求む! 繰り返す、至急応援求…─


砂嵐のような音が通信の声を遮り、途絶えた。耳障りなノイズ音だけが飛行艦隊ノアの艦内に響く。


ノア、機関室。


鉄壁の床に砂嵐の音がコダマし、ブチッと音をたてて切れた。


通信を切った船上員の目線、および機関室にいる全員の視線が悲痛な眼差しを、ある一人の女性に向ける。


新防衛省対アヒト課専用艦隊ノア艦長、安藤輝子。

彼女は長い黒髪を扇のように広げて振り返ると、機関室にいる全船上員に聞こえるように声を張り上げる。


「これより、ライフスペント作戦に切り替える! 総員、位置につけ!」


歯切れのよい安藤輝子の指示は、総員を一瞬にして動かす権力を持つ。


総員一斉、安藤 輝子に敬礼。

一糸乱れぬ動きで艦内の所定位置につく。


新防衛省対アヒト課専用艦隊ノア保管資料、作戦ページ──


ライフスペント作戦。

我が国最高峰の技術者たちが完成させた現在、地球外生命体ア ヒトに対して唯一効果の認められた道具的手段である、プロテクタースーツを用いた直接戦闘。

プロテクタースーツには、特殊なテラタイトというパワーストーンが胸の部分に埋め込ま れてあり、このテラタイトがもたらす超常的で奇跡的な現象により、プロテクタースーツを装着 したパイロットは周囲の人間から吸い上げた生命エネルギーをプロテクタースーツと装着者 の間に循環させて筋力調節、飛行、物体の具現化、潜水、レーダー、五感強化等などありとあらゆる能力を発揮できる。


だが、このパワーストーンの適合者はたった一人しか見つかっていない。

その選ばれし者であり、人類および地球の運名を任された人間の名は─…


「ほらほら、歌燐ちゃん恥ずかしがってないで! 人類の危機なんだから、そろそろ慣れてもらわないと困るわ!」


「そそそ、そんなこと言ったってですね! こんな露出度の高い格好をさせられて恥ずかしがらない方がおかしいと言うものなのですよ! 戦闘用スーツだというのにこの防御力の低さは如何なものでしょうか!?」


彼女の名前は、白神・アルビーノ・歌燐。


日本人の父とイタリア人の母を両親に持つハーフである。

そして、彼女は名前の通りアルビノである。


アルビノ、先天性白皮症。

読んで字のごとく、生まれつき皮膚が白い突然変異種だ。


白いのは皮膚だけではない。

生物種の主な色素であるメラニンが作られないのだから、髪も 眉もまつ毛も何もかもが真っ白。


ただ例外として、その瞳だけは血の色なのである。


これは比喩ではない。

そもそも目の色素も 無いため、眼球の中の血管が透けて見えているので、アルビノの瞳の奥は、本当に血の色が見えているのだ。


「問題ありません。布地が無いように見える所も実際は目に見えないほど薄いプロテクターが歌燐ちゃんの全身を覆っているので、ちょっとやそっとでは傷一つ付きません。高い機動力を維持するため、ウェイトコントロールは重要です」


「だからってこれはやり過ぎというものなのですよ! プロテクターが見えなくなるほど薄くする必要がどこにあったというのでしょうか!?」


両手で自分の体を抱きかかえるようにし、脚はハの字型に膝をしっかり閉めながらも足の裏は気張って白神・アルビーノ・歌燐は、無理やりノアの機関室に集まる人前へ引っ張り出そうとする女性船上員に必死で抵抗する。


その様子を他の男船上員たちは見ていいものか見てはいけないものなのかと、そわそわす るしかない。

女船上員たちはその光景を朗らかな眼差しで見つめる。


ノアの船上員は若者が多く、実際この女性船上員も今年で十八歳。

白神・アルビーノ・歌燐は十六歳だ。


年頃の娘がボディライ ンの隠しようがない戦闘スーツを着て人前に晒されるというのは、本人にとってこの上ない 屈辱だろう。


更に、白神・アルビーノ・歌燐がこのような格好でこの場に現れたくなかった理由はもう一つある。


「か〜〜〜り〜〜〜ん〜〜〜♡♡♡♡♡」


途端、白神・アルビーノ・歌燐の肩がゾワッと震える。

声のする方を振り返ると同時にシャイニング・ラブ・タックルを決め込まれて水平に空中を一時飛行する。


「うう~ん♪ やっぱりこの白くてスベスベの肌はええのう! 安心せい、このスーツのプロテクターは一切の紫外線を通さない特別加工で歌燐の頭の先からつま先、極部、粘膜、全 てに至って歌燐の繊細な全裸を優しく包み ─…


ガツンッ!


「言い方がイヤらしすぎます! 輝子さん!」


白神・アルビーノ・歌燐は、新防衛省対アヒト課専用艦隊ノア艦長、安藤輝子、二十二歳の頭に容赦なく肘落としを喰らわす。


ふぎゃッ、と喉の奥から変な音を出した安藤輝子はしかし、一向に白神・アルビーノ・歌燐の胸から頬を離そうとしない。


「艦長、お戯れはその辺に。そろそろ歌燐ちゃんには出動してもらわなければ困ります」


ここでようやく女性船上員からの助け舟が出された。


「むぅー。仕方ないのぉ…」


口を尖らせながらも咳払い一つで普段の艦長モードに切り替わった安藤輝子は、先ほどの 目尻が下がりきった面持ちはどこへやら。

キリッと鋭い眼を艦隊のモニターに映るエリア一 三〇二の光景に向ける。


「敵はネズミ型アヒト、アイトーポ。数はおよそ五〇〇〇〇匹。一体一体はそこまで恐れることは無いが、奴らは数の利を利用して襲ってくる。くれぐれも油断するな!」


「はッ!」


白神・アルビーノ・歌燐は勇ましく敬礼で返し、出動場へ向かった。

ハーフアップツインテールの白い髪を揺らし、駆け足でノアの機関室をあとにする白神・アルビーノ・歌燐。

その小さな背中を安藤輝子は母親にも似た眼差しで見つめて呟く。


「歌燐、今日も必ず元気で帰ってこいよ」

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