◇ 07

 ソリュは薬を飲ませ終えると、「今後の話しをしなくちゃいけないから」と、アティを連れて早々に部屋を出て行った。緊張する甘い香りが離れた事で体の強張りは解け、ほっと一息をつく。


「……あおば、だいじょぶ?」

「うん。大丈夫だよ」

「そー……あおば、どしてぺるるみないの?」

「うーん……今ちょっと、見えなくて」

「そぉなの」


 布団から手を出すと小さな手に捕まって、球体の上に柔らかい糸束が乗せられたような感触のものの上に乗せられた。多分、ペルルの頭だろう。撫でながら、聞こえないもう一人の声の主に話しかける。


「ユラさん、いますか……?」

「……うー、どしてゆらおへんじしないの? いるのにぃ」


 先にペルルが答えてくれた。部屋の中にはいるようだ。ペルルのものとは違う足音がゆっくり近づいて来て、近くで金属同士が擦れ合ったような音がした。彼女の薙刀の音だと、これまでの経験から分かる。


「どうして右目まで人にやるんだ」

「いやぁ……今回ばかりは、無意識だったので……」

「無意識に使うな。止められないんだから」


 それはさすがに無茶な要求ではなかろうか。言った本人も自覚はあったようで、言葉に詰まったのかしばらく無言になった。


「……こういう時、見えないと困っちゃいますね」


 ユラがすぐ近くにいるのは確かなのに、彼女がどんな顔をしているのかが分からないだけで、足元がぐらついて不安になる。


「泣いていませんか」

「……ああ。呆れてはいる」

「あー……ははは」

「笑いごとじゃないんだぞ」


 窘められて、愛想笑いも苦い顔になる。感情を押し殺した淡々とした声からでは彼女の心情は伺えず、こんな時ぐらい感情的になってくれればいいのにと、どうしようもない不満を内心抱いてしまっていると、子供の手の平が左目を包帯越しに触れた感触がした。慣れ始めていた痛みが、ジクジクと熱を持って顔の半分に伝わる。


「いてて……」

「あおば、いたいいたい?」

「う、ううん、大丈夫だよ。刃先でつつかれてるぐらいの感じ」

「ペルル、痛がってるからやめなさい──」


 抑揚のない拙い声に返答し、ユラが注意したその時。


 カラン。


 と、部屋の中で金属製の何かが転がったような音がした。ペルルが音の方に顔を向けたのか、顔に触れる手の平の角度が少し変わり、またじわりと耐え切れない程ではない微弱な痛みが広がる。例えるなら、カッターの刃先で皮膚を薄く切ってしまった後にくる、小さな痛みだ。


 カタン、と。また何かが部屋の中で落ちた音がした。


「何の音……?」


 体を起こした。痛み止めのおかげか痛みはそれほど無いものの、何かに阻まれているかのように動きは鈍い。腕に力を込めて、ようやく上半身が少しだけ持ち上がる。釘を打たれた人形みたいだな、なんて感想が頭の中に浮かぶ。


 ダンッ!!


 固いものが壁に打ち込まれた、ような音がした。


「……な、何?」

「──ペルル、すぐアオバから手を離せ!」

「あう?」


 素直にユラの言葉に従ったのか、ペルルが離れた。もうどこにいるのか分からない。


「ユ、ユラさん?」

「アオバ、力を使うな。制御しろ。できるはずだ」

「力……え、もしかして僕、使ってますか……?」


 能力を行使している意識がまるでなかった。それもそのはずだ、今まで能力を使っているか否かは、胸の辺りが淡く光るのを視認していた。目が見えない今、光すらも感じ取れない現状では判断がつかない。


「制御……制御? どうやって……?」

「今までどうしてたんだ?」

「わ、分からないです。どうやってたんだっけ……ええと……」


 今までは、深呼吸をしたり、問題から目を逸らすことで一時的に落ち着けていた。近くにはいつもユラがいたから不安はほとんど感じることもなく、ペルルを危ない目に遭わせないようにと気を遣うことで能力が抑制されていたのだと、今更ながら知る。心理的な面だけでなく、能力面でも彼女らには支えられていたのだ。


(……そういえば、この世界に来たばかりの頃に、能力暴発させてたな)


 あの後すぐ、ペルルが生まれ、ユラが『守ってやる』と言ってくれて傍にいるのが当たり前の環境になった。知らず知らずのうちに抑制が働き、能力と向き合う事もないまま能力に対する自制が出来ていると誤認してしまっていた。実際は、あれから何一つ進歩のない、“いつ能力が暴発するかも分からない状態”なのだ。


 バタバタと廊下の方が騒がしくなって、ノックも無しに扉が開く。誰が入ってきたのか分からず──それが恐怖心に繋がった。嫌な予感がした。


「アオバ君──うわっ!?」


 友人に似た声が驚いたのが、耳に届く。リコルだ、と認識するよりも早く、扉付近で床に何かが突き刺さったような鈍い音がいくつも聞こえた。


「リコル様、ご無事ですかぁ!?」

「ああ……平気だ。誰だ、アオバ君の部屋にこんなものを置いたのは」

「置いたというか、たった今天井から落ちてきたように見えましたけど……」


 リコルの傍にテルーナとウェルヤもいるようだ。天井から落ちた? 何が? どこに顔を向けたら良いのかも分からないまま、布団を握り締める。傷口が引っ張られて、痛みが走る──カラン、と何かがベッドの端に落ちた音がした。


「あ……」


 落ちたのは何だ? 何を作った? 剣? ナイフ? それともカッターや鋏か? 見えないから何も分からず、見えないから嫌な想像ばかりが働き、また何かが部屋を転がる音が響いて肩を揺らす。


「アオバ君……?」

「あ、あの、リコルさん、お願いが」


 俯いて、深呼吸をしようとして上手くいかずに浅い呼吸をする。落ち着こうと意識すればするほど、焦りが勝ってどうしようもない。


「ペルルを、部屋の外に……すみません、今ちょっと、力が……」

「それは構わないけれど……君は大丈夫か?」

「大丈夫です。それより、ペルルが怪我をしたら嫌なので……お願いします」


 ペルルが傍に居る方が能力は抑制されるかもしれない。だが、何かの拍子に作り出した刃物などに触れて、ペルルが怪我をする可能性を危惧する。少し間があって、リコルがペルルを呼んだ。しかし、ペルルが動く音がしない。


「ペルル?」

「うー……やー」

「……ごめんね。今は一人にして欲しいな」


 言い切る前に、金属が軋む音が空間に響いたかと思うと、唸って動かないペルルの傍に、床に散らばる金属類も蹴り飛ばして足音が近づいて来た。嫌々と言い続けるペルルの声が、足音と共に離れていく。


「てるぅな、やー」

「暴れないでくださぁい。大丈夫ですよぉ、一晩だけです。待てますよね?」

「やー」

「あらぁ、いつもより聞き分けないですねぇ。ちょっとだけイラぁっとしちゃいますぅ」


 ペルルを部屋から連れ出したのはテルーナのようで、会話だけでもペルルが抵抗しているらしいのが伝わり、再度「すみません」と謝ると、「大丈夫でーす」と案外軽い返事がされた。


「こっちはいいですからぁ、アオバ君はその刃物どうにかしてくださいねぇ」

「はい……」

「リコル様は、物音がしたからって飛び出さないでくださいよぉ。危ないですからね?」

「うん……。アオバ君、出発準備はこちらでしておくから、安静にね」

「……はい」


 そうっと扉が閉じる音を聞き終えてから、膝を抱えてため息をついた。あれもこれも任せっきりで、申し訳ない気分でいっぱいだ。扉越しに聞こえる彼らの声(テルーナは他の聖騎士に連絡を取りに行く予定があったからか、ペルルの面倒を代わりに見るとリコルが申し出ていた)が遠ざかっていく。


「……ユラさん」

「何」

「ペルルの傍についてあげて欲しいです」

「……」


 出来る事なら、ここにいて欲しいという気持ちは強いが、ユラが傍にいれば落ち着くのはペルルも同じだ。さすがに不満から暴れまわるとは思っていないが、これ以上リコルたちに迷惑をかけたくない。


「……分かった」

「ちょっと一人で落ち着きたいだけ、ですから」

「ああ……」


 人が遠のいていく気配がする。意外と音だけでも分かるもんだなと、妙な感心をしていると、ユラがアオバの名を呼んだ。


「気配は追えているから、困り事があったら呼べ」

「はい。わがまま言ってごめんなさい」

「この程度でわがままなら、私の方がよっぽどだ」


 鼻で笑ってユラはそう言うと、静かに気配を消した。本当に部屋から立ち去ったのかどうかまでは分からない、見えないというのは思った以上に厄介だ。

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