◇ 05
目が突然、見えなくなった。
能力を使用した自覚は無く、ただ暖簾越しにウタラとその祖母の会話を聞きながら、考え事をしていただけだった。『祖母の目が見えたら、その上でウタラをウタラだと呼んであげられたら、彼女から不安は無くなるだろうな』、そんな願望だ。
それから自身が渡されたこの能力でどうにかならないだろうか、と思考を巡らせた。だが、外傷ならともかく、失明した視力を回復するとなると、何をどうしたらいいのか分からない。自分の視力を渡せればいいけれど、形が無い物を渡すなんて事は難しい。だから──
『“幸福の王子”みたいに、宝石で出来た目を外して、財を分け与えられたらいいのに』『この世界じゃ目は抉りだしたら宝石になるんだし、近しいようなものだろう……いや違うか』などと、閉眼してぼんやり考えている内に、目は見えなくなっていた。
見えない。それ気づいた途端に血の気が引いて、急に肌寒くなった。喉がざらついて、咳を一つしたらしばらくは咽てしまいそうな予感がする。ただでさえ片目を失ったばかりだというのに……。
(ウタラの御祖母さんは喜んでいたみたいだし、それはいいけど……ちょっと困ったな。さすがに何一つ見えないとなると、ユラさんとの約束に支障が出る)
この先山道や足元の悪い地形を歩かないとも限らないのだ、何も見えない中でペルルを連れて移動するのは難しい。
閉眼時と変わらない暗闇に平衡感覚が狂い、背を預けた壁にもたれたままへたり込んだアオバの顔を、小さな手がぺたぺたと無遠慮に触る。ペルルだろうな、と思っていると、やはりペルルの声が目の前からした。
「あおばどしたの」
「……何でもないよ」
「うそぉ」
一秒とかからず見抜かれてしまい、苦笑する。最近思い始めたが、想像しているよりもずっと聡い気がする。
音でしか判断がつかないと、黙ったままのユラやリコルがどうしているのか分からず、不安になって周囲を見渡すが、二人からは特に反応が無かったのでウタラに声をかけた。
「ウタラは、これからどうするの」
名を呼べば、彼女は一度言葉を詰まらせて思い出したように噴き出したかと思うと、嬉しそうに息を吐いた。
見えずとも、彼女がにんまり口元に笑みを浮かべる姿を思い浮かべて、こちらも自然とほほ笑む。胡散臭い笑い声に若干苦笑に変わるアオバの眉間を、誰かが突く。多分ウタラ、だと思う。
「しばらくは旅には出ずに、お祖母ちゃんの面倒を見る今まで通りの生活をするよ」
含み笑いをしながら、青年の声でウタラは答えた。彼女はそれから、指を右眉のあたりに移動し、撫で下ろし、反射的に閉じた瞼を弱い力でなぞった。
「こんなに高い物を売ってくれたというのに、換金できるだけの物も貨幣も持ち合わせていなくて申し訳ないね」
「いや、別に売ったわけじゃ……」
「タダで譲ってもらう方が遠慮しちまう代物だ、そう謙遜なさんな。そうだなぁ……今出来る仕事といえば……おっと、良いのがあった。御使い様、君に言伝を預かっている」
誰からだろう。リヴェル・クシオンを出て以降は誰かに伝言を頼んでいないので、その返信というのは考えにくい。ウタラは思考を絞るように短く唸った。
「えーと、そうそう。カルド=マピ、という男の子からだ」
「……知らない名前、だと思う」
「そうなのかい? 御使いと知り合いだ、言伝しろって別の俺が脅されたみたいなんだけど。覚えていないかなぁ、ニルムって名前のラバ族の女の子を連れた、
名前に覚えは無いが、ラバ族の女性を連れた聖騎士の卵、という部分に記憶が引っかかる。人攫いに遭った時、保護区へと逃げて行った少年たちがその特徴に合う。
「もしかして、精霊王の加護を受けてたり……」
「ああ、そっちを言ったほうが伝わるのか! 失礼、情報を適度に伝えるのにまだ慣れてなくって。そうそう、精霊王の加護を受けた
一応その少年らの話しは報告しておいたからか、リコルが「ああ。前に言っていた子ども達か」と独り言を溢したのが聞こえた。生きていて良かったと安堵し、無事に保護区を抜けてどこかの町にたどり着いた事に胸を撫でおろした。保護区内で別れてそれっきりで、連絡手段も無く、気になっていたのだ。
フィル・デが脅された、という言葉が気にならないわけではないが、今は保留にしておく。
「その反応を見るに、知り合いで間違い無いようだ。では言伝なのだけど……『御使い様、アンタの加護のおかげか知らねぇけど、何とか生きてる。今は奴をぶっ殺す為に剣の先生を見つけて腕を磨いてるぜ!』」
「よかった、元気そう……」
「物騒な理由だけど、そこはいいのか……?」
やや怪訝なリコルの声がしたが、それに被せるようにしてウタラは続けた。
「『俺は確実にやり遂げるからよ、アンタも死ぬんじゃねーぞ!』……だそうだ。君に言ってもしょうがないだろうけど、俺たちにイチャモンつけて値引き交渉を仕掛けてくるのはやめてね」
「イチャモンっていうと……」
「購入した商品に傷が入っていたとか、揉めた時に足が引っかかっただけなのに踏みつけられたと大声で吹聴しようとしたりとか、だね」
「本当にごめん」
想像よりもやらかしていた。着の身着のままで保護区から脱出しているから、言伝の代金はどうしたのだろうと思っていたが、まさかそんな方法だったとは。再会ができたなら、注意しておこう。
床に座ったまま呑気にも談笑を続けていると、前方で扉が開く音がした。足音と思しき音はたった一度だけで、風が吹き荒んだかと思うと、人の気配が目の前に立つ。
「用事は済みましたかぁ?」
語尾を間延びさせた、可愛い子ぶったこの場に無いはずの声にぎょっとして肩を大きく揺らすと、近くにいたリコルも動揺したのか近くの家具でガタリと物音を立てた。
「!! え、テルーナ!? ついて来ていたのか!?」
「当然ですぅ。お二人で揃って──」
そういえば図書館を出た時にペルルが背後を気にしていたな、と思い出す。ついでにユラもわざとらしく何も知らないフリをしていた事を思い出し、気配に敏感な二人は気づいていたのだなと感心していると、近くで誰かが動いた。少し間を開けて、テルーナは続けた。
「はい、ペルルちゃんも見えてますよぉ。三人で揃って仲良く人目を避けてぇ、どちらに向かうか気にならない護衛がいますでしょうかぁ?」
どうやら再びペルルが挙手をしていたらしい。テルーナと思しき手がアオバの額に触れ、無理やり上を向かせると右の目を開くように瞼が引っ張られた。どこを見ていいのか分からず、暗闇を探る。
「あーあ……何しちゃってるんだかぁ……」
「テルーナ、アオバ君は……」
「分かってますよ、リコル様ぁ。自分で差し出したんでしょぉ。だからこそ──馬鹿ですねぇ、アオバ君。そんな大事な物をタダであげちゃうなんて、何の得にもならないじゃないですか」
「本当に、何か情報なり物なり代価を出せればいいのだけど、無いんだよ。ただの田舎娘だからね、俺」
「何か今の状況に丁度良い情報とか下さいよぉ」
「えー? 一部の精霊が本腰を入れて情報収集を始めた、ぐらいしか無いよ」
ウタラはさらりと、自身がフィル・デに変えられたであろう理由を答えるが、テルーナを納得させるにはいかなかったようで、語尾が間延びする少女聖騎士が「じゃあ」と提案する。
「どこかの町でアンタたちの店を利用する時にぃ、割引を要求しまぁす。三割でいいですよ」
「新人にそれを要求するのは酷だと思わないのかい、聖騎士様!」
大げさに悲観を装ったウタラだったが、(おそらく)テルーナの冷たい視線に負けたのか、「ありゃりゃ」と残念そうに声を漏らし、すぐにケラケラと笑った。
「ま、御使い様にご贔屓にしてもらえるなら、多少の痛手は目を瞑るさ! どこかの町で会ったなら、『私』の名を呼んでおくれ。更に特別価格で売ってあげよう」
それから、今の俺は語るぐらいしか出来ないけど……と続けながらウタラは近くの紙束を捲るような音を立てた。そして楽し気に、かつての少女の面影を口ぶりに乗せて笑った。
「今後ともよろしく頼むよ、“羽振りの良い兄ちゃん”!」
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