◇ 02

 赤い日差しが差し込む窓のカーテンを閉め、セイラは部屋の中央に置かれたテーブルセットの内の一つの椅子に座った。それからポケットから紙束を取り出した。


「あれ、トランプ?」


 対面の席に座り(ペルルはその隣のもう一席に座った)、セイラと二人で会話する癖で耳飾りを外しながら、この世界にもあるのかと尋ねると、セイラは得意げな顔でカード切った。


「作ったんだ~」

「おー。すごい」

「だろー? あと、このカード専用の記号ってことで、数字も使ってるんだ。ほら、見覚えあるだろ?」


 普段と違って少々砕けた口調になりながら、セイラはカードをこちらに見せた。今となっては懐かしい、アラビア数字が書かれている。


「まさかこんな物が懐かしく思う日が来るとはなぁ……」

「そういえばアオバって、こっちでの数字の読み方分かる?」

「知らない」

「覚えてたほうが楽だぞ。ソレ、急に無くした時とか、とりあえず数字が分かれば買い物はできるしさ」


 それ、と指さされたのは、今しがたテーブルの上に置かれた自動翻訳機能がついた耳飾りだった。指先でそれを弄びつつ、「そうだよね」と頷いて返す。


「今はズルしてるけど、ちゃんと覚えた方がいいよね」

「じゃあ、今回はトランプに使われてる奴で教えてあげようじゃないか」


 手元でカードを選び抜き、セイラは数字が小さい順に左から右へと並べた。それからトランプを入れていた箱を展開し、アラビア数字と、この世界の数字と思われる記号が並んだ物をこちらに見せ、一つ一つ指しながら読み方を教えてくれた。


「0(レクロ)、1(ヌーア)、2(ソッド)、3(ストゥロ)、4(タウク)、5(ノイック)……」


 脳内でメモを取りながら、十まで聞いて唸る。


「覚えられるかな……」

「法則があるんだか無いんだかよく分からないもんね、これ」

「せめて知ってる読み方と似てればなぁ」


 こちらの世界の数字は少し見慣れてきたが、まだまだ読み方というのには慣れずにいた。思わず眉根を寄せていたアオバを見て、セイラは苦笑しながらトランプを回収し、「ま、気長に覚えていけばいいよ」と言いながら、カードを二つの山に分け始めた。どうやら赤と黒とで分けているらしい。


「アオバ、スピードってやり方分かる?」

「うん」


 カードの色を揃えていたセイラは、ふと苦笑した。何事かと顔を上げれば、その手を一旦止めて、彼は「ごめん、ごめん」と手振りを見せた。


「いや、俺さ。結構人見知りで、クラスメイトとも目を見て話せなかったぐらいなのに、いきなり一人で異世界に放り込まれて、自分でどうにかするしかないって状況を三年続けたら……こうやって、ほぼ初対面の人とも話せるものなんだなぁって思ったら、なんか可笑しくって」


 再びカードを分ける動作に戻りつつ、彼は続けた。


「それもこれも、皆が俺の事、聖女だと、特別な人だって思って、扱ってくれたからなんだけどさ」


 他のカードとは違って絵が描かれたものを抜き取り(ジョーカーだろうか)、最後の一枚をテーブルの上を滑らせるようにしてこちらに渡し、「何色?」と尋ねられる。捲って確認する。赤だ。カードを見せて返答すれば、まとめていた片方をこちらに寄越した。ほとんど同時に手元のカードをかき集める。指で囲み、何度かテーブルで叩くようにして向きを揃える。


「荒療治ってやつだね」

「そうそう」

「変わりたかった?」


 何気なくカードを数回切り、手札から四枚を取り出し、手前に並べる。


 セイラの返答が詰まったのをきっかけに、視線を持ち上げて表情を窺う。


「……なんで?」

「うん? や、そんなに深い意味はなかったんだけど……『セイラ』って、アニメのキャラクターなんでしょ?」

「ん? うん」

「キャラクターが好きだからって、そのキャラの恰好しようってなる人そんなにいないんじゃないかなーって思って」


 一拍置いて、セイラは四枚を裏向きに手元に並べた。タロット占いでもしているかのように、緊張しながら表に向けていく。


「はは。アオバってもしかして、割と陽キャ側?」

「あんまり意識した事ないや」

「んじゃ、オタクの気持ちは分からんかもなー」


 最後の一枚を表に返し、セイラはゆるく息を吐く。


「別に、『セイラ』に成り代わりたかったわけじゃないよ。ただ……『セイラ』でいる間は、現実の色んな柵を忘れていられる。好きな事を好きだって、俺は言えなかったけど、『セイラ』でいれば、言えたんだ」

「自分を変えたいわけではない、と」

「そうだよ。だって、俺はもう変われないし」

「そう?」


 赤褐色の目と視線がかち合う。


「だって今は、変われただろ?」

「え……いや、それは」

「……スピード」


 セイラが口籠り、これ以上この話題は掘れないとそうそうに判断し、話題を変えるべく手札から一枚を引いて、場に出す。セイラが慌てて一枚取り出して場に放り出したのを合図に、トランプゲームが始まり、あっさりとアオバが勝利を収めると、「ずるい!」と声を上げた。


「今のは反則だ! こっちの動揺を誘う巧妙な手口だ!」

「あはは」

「ぜ、全然悪いと思ってなさそうな顔しやがって……! これだから北高生は……!」


 むくれながら、セイラは場に山となったカードを再び色分けする。もう一戦するようだ。


「……アオバって女子と喋り慣れてたりします?」

「なんで敬語?」

「いや、あれだ。今はいいじゃん」

「んー……まあ、普通に話すよ。というか、時々伝言役にされてたってだけなんだけど」

「何それ?」

「や、だから……僕の友達の事を好きな女の子に、仲介役的な感じで声かけられる」

「かーっ、なんだその青春謳歌は! いや俺みたいに、教室の隅でオタトークしてた話とかされても困るけど!」


 分け終えたトランプを再び片方こちらに渡し、同じように向きを揃え、手前に四枚並べる。


「アオバは?」

「何が?」

「彼女いたの?」

「彼女はいたことないな。彼氏はあるけど」

「えっ」

「はい、スピード」


 セイラの場が整っている事を確認し、会話を切り上げて勝負を始めると、セイラはまた慌ててカードを一枚場に出した。さすがに動揺が酷かったのか、落ち着きを取り戻す間も無く再びアオバの勝利で終わった。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って。どこまで本当なんだ」

「嘘は言ってないけど」

「え、アオバはそっちの趣味あんの?」

「僕は女の子が好き」

「無いの!? じゃあなんで付き合ったんだ!? 分かんねぇ!」


 言いながら立ち上がって前のめりになり、今度は勢いよく座って頭を抱えだすセイラを眺めつつ、ちょっと面倒だなぁと思いながら説明をする。


「いやなんか、冗談っぽく告白されて、最初は流したんだけど。『本気だって言ったら付き合ってくれる?』って言われて、まあそこまで言うなら、と」

「えっ、すっごい軽い。何、陽キャってそんなコンビニ行こうぜみたいなノリで付き合うの?」


 カルチャーショックだ。と、同文明の人間に面と向かって言われてしまい、困惑しながら頬を掻く。


「まあ、一か月ぐらいしか持たなかったよ」

「そらそうだろ……。振ったの、振られたの?」

「振られました」

「なんて言われて?」

「『好きじゃないのが分かってても辛い』って」


 会話の合間にカードをかき集め、向きを揃える。テーブルに突っ伏すようにしていたセイラは「だろうね」と相槌を打ってから続けた。


「いや、アオバはその、好きでもないのに付き合うの、相手に失礼かなーとか、思わなかったのか?」

「うーん……こういう言い方はよくないけど、もしかしたら、付き合っている内に好きになったりするものなのかなぁと思って……」

「……好きになれた?」

「ただただ友達って感じ」

「うーん……まあ、そうか。俺もそんな感じだし」


 何の話か分からなくて一瞬悩んでしまった。すぐにセイラがコーディアから好意を抱かれている事を思い出し、「あー……」と妙な相槌を打った。やたらとその話題に触れてきたのは、似たような状況を経験済みだったからのようだ。


「でもなぁ……アオバは男として告白されたけど、俺は状況が違うしなぁ……上手い事この勘違いに気づいて正気に戻ってくれないかなぁ……」


 額を机につけて、セイラは言う。


 特別な力を持った聖女だという勘違い。

 女性だという勘違い。

 能力のせいなのに、好意を寄せているという勘違い……。


 セイラの現状は、勘違いで成り立っている。そのどれもを、セイラは正せないでいた。


「……変われてないよ、俺は」


 ぼそりと彼はそう呟いた。

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