◇ 03

 息苦しさを表すようにため息をつきながら、セイラは顔を上げた。乱れてしまった前髪を整えて、彼は手を机の上で組んで、真剣な面持ちで口を開いた。


「頼みがあります」

「……はい?」


 まとまったトランプを脇に置き、セイラを見つめる。


「聖女を辞めたいです」

「本当に?」


 予想だにしない返答だったのだろう。セイラは面食らった顔になり、おどおどとし始めた。「なんで」とか、「いや、え?」とか、言葉にならず漏れ出る声を聞きながら、じっとセイラの様子を窺う。


 アオバは、セイラの本心を見抜けずにいた。辞めたいと言いながら、聖女然として振舞うのは何故か。聖女であると周囲に信じさせることで、身の安全を確保していると言われれば、そうなのかもしれない。だが、力が無い以上、必要以上に特別な存在として振舞うのは得策ではない。


 セイラはそれを理解しているはずなのに、それに沿わない行動を取っている。だから、少しでも本意を見ようとして、聞いたのだ。『本当に、そう思っている?』と。


 じっと見つめる視線に耐えかねたのか、セイラが顔ごと逸らし、目を伏せた。


「だ、だって、俺には……」

「──××××ー×、×××~」


 セイラの言葉を遮るように、語尾が間延びした女性の声が扉越しに聞こえたかと思うと、こちらの了承も取らずに開けられた。ピンクブロンドの少女が顔を覗かせ、「ほらいた」と言いたげに後ろにいる人物に話しかけた。


 慌てて耳飾りを付け直す。


「テルーナさん……と、コーディアさん」


 髪をおろしていたので一瞬誰だか分からなかったが、扉を開けたのはテルーナで、その後ろにいたのはコーディアだった。彼は心配そうな表情でセイラを見、それからこちらを見て少しむっとしたような顔になる。


「……このような時間に何を?」

「あっ、あーっ違う、違う! 私から遊びに来たの! 話もあったし!」


 慌ててセイラが立ち上がってコーディアの目の前まで歩み寄ると、「何も変なことなんてないよ」と弁明をした。


「それに、二人っきりってわけじゃないしさ」


 半歩振り返って、セイラは目配せをする。おそらくペルルの事を指しているのだと思うが、当の本人は、脇に積まれたトランプを一枚一枚捲っては、机の端から隙間なく並べるという妙な遊びを始めている為、返事はなかった。


 コーディアの鋭い視線がペルルの方に向いたのを見て、その視線を遮るように少し立ち位置を移動する。


「すみません、ちょっと話し込んじゃって」

「せめて扉は開けておいてもらいたいものですね」

「本当に申し訳ない……」

「そ、それより、どうしたの、コーディア。今日のお仕事はもう終わったでしょ?」


 話題を変えようと、セイラが口を挟む。上目遣いで見つめられると弱いのか、コーディアは「うぐ」と物が詰まったような音を小さく鳴らして、わずかに硬直した。


「い……いえ、少し、忘れ物を取りに戻っただけで……」

「ああ、それで私が部屋にいなかったから、探してくれてたのね?」

「……はい」

「それは──」


 何か言いかけて、セイラの視線がテルーナやアオバの方に向き、彼は口を噤んだ。それから、誤魔化すようにほほ笑んで、コーディアの背を軽く叩いた。


「心配かけてごめん。同胞と会えたのが嬉しくて、はしゃぎすぎちゃったみたい。アオバもごめんね」

「あ、ああ。うん。僕は何ともないから」

「テルーナさんも、ご迷惑をおかけしました。おやすみなさい」

「いーえ。お気になさらずぅ。おやすみなさぁい」


 小さく手を振って、セイラはコーディアの背を押すようにして、その場を立ち去った。残ったテルーナが、ちらりと横目でこちらを窺ってくる。『ああいうのが好きなの? ふーん』と言いたげな視線から顔を逸らし、話題を変える。


「ええと……テルーナさんは、こんな時間までお仕事ですか……?」


 髪はおろしていたが、服装が寝間着では無く、普段通りの恰好に剣を腰に差した状態だった為にそう尋ねると、彼女は表情を変えずに「鍛錬帰りですよ」と返答した。


「え、この時間に?」

「朝晩は必ずやらないと、鈍る気がして嫌なんですよねぇ」

「へ~。努力家だね」


 スポーツ系の部活に入っている同級生の自主トレの話を聞いた時のような感想が、思わず口をつく。言ってから、『ちょっと馴れ馴れしかったな』と思い直し、「すみません」と謝罪の言葉を述べて彼女の顔を見ると、ポカンとした顔でこちらを見ていた。


「な、何か……?」

「いえ……そういう反応されたの、久しぶりでしたので」


 こちらがキョトンとすれば、テルーナは「ああそっか」と呟く。


「御使い様はあんまり、世情に詳しくなさそうですもんねぇ……」

「え。あの、僕、変な事言ってましたか?」

「聖騎士に鍛錬だなんて必要なぁい。世間一般ではそういう認識ですよぉ」

「そうなんですか……」


 騎士を名乗っている以上は、誰かを守っているはずで、その為にも日夜鍛錬を欠かさないというのは普通の事かと思っていた。指摘されてから少し考え込み、理解する。


「聖騎士は精霊の加護を受けているので、わざわざ鍛えなくても強いから……ですね」

「そうですよぉ。そもそも頑丈ですからね、我々。適当に剣を振り回して突撃すれば~、大抵の敵は倒せますぅ」

「なるほど。あ、じゃあ、鍛錬はお一人で?」

「いえ。ビッカーピス様とやってましたぁ」


 人差し指を立ててくるくると回しながら、テルーナは続ける。


「あの方は誰よりも聖騎士至上主義であるからこそ、聖騎士に強さや正しさを求めています。鍛錬を欠かさず、己の理想に邁進する……憧れますぅ」

「目標、みたいな?」

「まさかぁー」


 おどけた調子で、テルーナは「あんな風になりたくてもなれないなぁって意味ですよぉ」と肩をすくめて見せた。水浴びをしてきたのか、濡れたピンクブロンドの髪が、肩の辺りでくしゃりと潰れる。


「“憧れ”は、自分に無いものだから眩しくて、羨ましくて欲しくなっちゃうものの事ですよぉ。手が届いた時点で、付与価値は下がりまくりですからぁ、目標とはまた違いますよぉ」

「まぁ、そうだな」


 テルーナが思う『憧れ』の定義を聞いていると、不意に肯定する声が横から割り込んできた。その聞き慣れた威厳ある声にビクリと肩を揺らすと、近辺の壁をすり抜けて、ユラが姿を見せた。彼女が部屋を離れてから、もう随分経っていたらしい。


 ユラの声が聞こえたのはペルルも同じだったようで、カードを並べる遊びを中断して、ペルルが駆け寄ってきた。アオバの足元でうろうろしながら、ペルルは真珠色の大きな目でユラを見上げている。


「で、それは部屋で大人しく寝るより重要な話なの?」

「すみません……」

「はい?」


 テルーナからすれば急に謝罪しだしたようにしか見えなかったからか、丸い目をぱちくりとさせて、キョトンとしている彼女に「もう遅いですから」と断りを入れる。


「っと、確かに子供はねんねの時間ですね~。お祈りはしましたかぁ?」

「はい」

「感心、感心。じゃ、おやすみなさぁい」


 胸の高さでゆるく手を振って立ち去るテルーナを見送り、真正面で肩を薙刀で叩くユラからそっと顔を逸らす。斬りかかって来るとは思わないが、さすがに抜き身の武器を持って睨みつけられては怖くないわけがない。


 不機嫌そうに先に部屋に入ったユラの後を追い、後ろ手で扉を閉める。彼女のツリ目がちな灰色の双眸が机の上に並んだトランプに向いたのを確認しつつ、意を決して声をかける。


「あの、お、おかえりなさい」

「ただいま。で、アオバ」

「……はい」

「遊んだ形跡があるけれど?」

「その……セイラが、来てまして」

「重要な話か?」


 口籠った時点で沈黙を選んだも同然で、またそれは『大した話題では無かった』という回答に違いなく、ユラの眉間に皺が寄った。


「……さっさと寝ろ」

「あ、えと、先に片付けてから」

「朝までペルルの暇つぶしに使うから、そのままでいい。アオバは寝なさい」


 顔を近づけられるたびに、触れられないのは分かっていたが、条件反射で一歩ずつ後退し、気づけばベッドの縁に膝の裏を引っ掻けて、尻餅をつくようにベッドに座り込んだ。そのまま監視する目で見下ろされると抵抗できず、靴を脱いでベッドに上がる。


 寝転がり、ユラの居る方に顔を向けると、すぐ隣で彼女が壁にもたれかかっているのが見えた。ペルルは椅子に座り、先ほどの遊びの続きに興じている。


「ユラさんって……」

「重要な話か」

「僕の中では」

「聞こう」

「御兄弟とか、いました?」


 言った途端、ユラは大げさなほどに大きなため息をついて、呆れたように視線だけこちらに寄越した。


「いない。一人っ子だった」

「僕と一緒なんですね……あ、いえ、面倒見がいいなぁって思って」

「……年の離れた親戚やその兄弟の面倒を見ていたから」


 呆れて何も返してこなくなるかと思っていたが、少し間があって彼女はぽつりと返答した。ああやっぱり、小さい子と触れ合う機会のある人だったのかと、腑に落ちる。


 それと同時に、ユラが僅かでも自分自身の話をしてくれたのが嬉しかった。


「じゃあ、こうして離れて仕事してると、ちょっと寂しいですね」


 だから、会話を続けてしまった。


「もういない」


 そんな返答がされるとは、夢にも思っていなかったのだ。


「私が殺した」


 多くの感情を押し込めた、淡々とした事務的な声でそう言って、ユラは俯いた。不味い部分に触れてしまった。瞬時にその事に気づき、血の気が引く。


「ユラさ──」

「寝ろ」

「え、あ、その、ごめんなさい」

「いいから、寝ろ」


 一瞬の声の震えを誤魔化して、ユラは続けた。


「それと、忘れて」


 ひどく悲しい声色だった。

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