02-2 溝に似た傷痕
◇ 01
目を閉じてどれほど経ったか。
さすがに九時に寝ろと言われても寝付けず、寝返りを打った拍子に目を開けた。じっとしている間にユラは部屋を離れたようで、見当たらなかった。目の前にはこちらの真似をしていたのか、目を閉じていたペルルがちらりとこちらを見、目が合うと構って貰えると思ったのか、額を胸の辺りに押し付けて来た。
「前々から思ってたんだけど……ペルルって寝てる?」
「んー?」
「えっと……目を閉じて、次に開けたら朝になってたって事、ある?」
「んー……ある」
寝てはいるのか。少し安堵して頭を撫でると、ペルルは続けてこう言った。
「いっかいだけ」
「一回だけか……眠たくはならない?」
「ららない」
「そっかぁ」
フラン・シュラになると睡眠はあまり必要ないのだろうか。本格的に生態を調べる必要があるが、それはフィル・デに教えてもらった『面白い人』に聞くのが一番手っ取り早いだろう。文字も読めない今のアオバでは、単独で調査も難しいのだから。
「ねえ、ペルル。もしもの話なんだけどさ。もし、フラン・シュラを人間に戻す方法が無かったら……どうしよっか」
「んん?」
「戻す方法、見つかるかな……」
『もしも』ではなく、見つからない気がしている。まず頼みの綱であるユラはハッキリと『無い』と答えているし、情報通であるフィル・デも、フラン・シュラが人間と同じ生命の輝きがあると知っている聖騎士も、フラン・シュラを人間に戻す方法は知らなかった。探せば案外見つかるかもしれないと、誰かが言ってはいたけれど、その声の主はこうも言っていたのだ。
無ければ無かったで、また新しい希望を見つけるだけだ……と。だが、アオバはペルルに『人間に戻す』と約束している以上、その方法が無かった場合のその後の方針というのは、ペルルに一任するしかなかった。
体を起こすと、一拍遅れてペルルも体を起こし、下から顔を覗き込んできた。
「いんげんもどるとぉ、ぺるるは、あおばといっしょいられる?」
真珠色の目を瞬かせて、人形じみた精巧な顔に何の表情も浮かべず、ペルルは形の良い唇を動かす。
「あおばいっしょなら、ぺるるものららくていい」
「うーん……でもずっと一緒にいられるとは限らないよ?」
「どして?」
「僕の家系……あー、ええとね、お父さんとか、お母さんの兄弟とか、親とか、そういう繋がりがある人達なんだけどね。その人たちが皆、長生きできない事が多くて」
「んー……?」
「残ってる人も若い人ばっかりで、お爺ちゃんとかお祖母ちゃん世代の人なんて見た事ないんだ。それぐらい、短い一生しか生きられないんだよ」
言いながら、薄い記憶を探る。母方の祖父母はいるが親戚はおらず、父方も最高でも二十代前後しか見当たらなかったのだ。父いわくよく事故に遭いがちな家系で、そもそも子供が生まれにくいような事も言っていて、待望の新世代であるアオバは顔を出す度に大層歓迎された思い出がある。
ペルルは少し首を傾げ、「うーん」と声を漏らしながら頷いた。言葉の詳細は分からずとも、雰囲気は伝わったようだった。
「ぺるるはあおばいっしょがいい。あおばといっしょいれるのがいい」
だが、返事は変わっていなかった。
「ペルルはどうして、僕と一緒にいてくれるの?」
一緒がいい。ペルルが言う度に気になっていた疑問を投げる。
最初はおそらく、アオバの見張りだったはずなのだ。能力の暴発によってつなぎ合わせてしまったフラン・シュラを元に戻すという口約束を、アオバが果たすかどうか見張る為にペルルは今の姿になった……ように見えた。しかし形を変えた事でペルルは明らかに記憶障害を起こし、アオバが手を引くからついて来るようになり、それが今も続いている状態だ。
ペルルが一緒に居てくれるのは本当にありがたかった。ペルルがいなければ、アオバはゲーシ・ビルの一件──思い出したくない影が目の前に現れた事──で、心が折れていただろう。ユラの気遣いに甘えて、あの場で動かず、“黒い霧”ごとガシェンが切られる所を見ることになったはずだ。それではダメだと、『誰にでも優しいところがあると言ったじゃないか』とペルルに言われたから、アオバは今もこうして誰かの善意を信じていられた。
アオバはペルルからたくさんの恩恵を受けている。だが、ペルルに何か返せているかと言えば、何もできていないのが現状だ。最初にした約束の解決策は未だ見つからず、ペルルの模倣行為を都合よく優しさを見い出して、甘えてしまってはいないか。
ペルルはユラのように自主的に、アオバを守ると言ったわけでもないのに。
しばし見つめあっていると、ペルルはむぐむぐと口を動かした。
「かんがえとく」
今答えを急いては、返答次第ではアオバが傷つくと気を遣われたような気がする。
それに感謝の言葉を返し、指でペルルの白い髪を梳く。
「……そういえば、“あやちゃん”の事は思い出せた?」
ここ数日の構えなかった分を取り戻さんとばかりに、会話を続けてペルル独特のラピエルの呼称を尋ねてみる。急な話題変更だったが、ペルルは嫌な顔一つせず、相変わらず無表情のまま返答した。
「あやちゃんはねぇ、しゃべる、あんまりない。いっかいだけ、となりの……いす」
「ううん……ちょっと待ってね」
少ない語彙でどうにか伝えようとするペルルの分かりにくい言葉を、なんとか解読する。
「無口な人だった?」
「ちがうー」
「あー……じゃあ、あんまり話した事がない人ってこと?」
「そ」
「隣の椅子……は、一旦置いといて。とりあえず、知り合いではあったんだね? そんなに話した事はないけど、名前は知ってる、みたいな」
「そう」
頷くペルルを見て、とりあえず半分ぐらいは正解していたことに安堵する。
「あやちゃんの姿は、ラピエルと似てる?」
「んーん」
「似てないのに、分かったの?」
「うん」
雰囲気か何か似ているところがあったのだろうか? だが、ラピエルもペルルの方を見て反応していた事を考えると、他人の空似というわけでもないらしい。ユラが立てた推察『生前の知り合いである別の誰かと勘違いしているのではないか』というのは外れているようだ。
「じゃあ……今のあやちゃんの目的ってわかる?」
「んー……」
これは心当たりがないらしい。
「あやちゃんは、どんな人だった?」
質問を変える。「ペルルから見た印象でいいよ」と付け足せば、ペルルはしばらく唸った後、ゆっくりと瞬きをした。
「……ふつー?」
「普通、とは……」
「あんまり、はなしたことない」
「ああ、そっか」
でも。と、ペルルは続けた。
「わたしが、『そんなんじゃ、だぁれもたすけてくれないよ』ゆってから、おかしくなった」
わたし。
その呼称に、固まる。ペルルが自身をそう呼んだのは過去に一度だけ。この世界の住人であるユアラが、表立ってアオバと会話していた時だ。つまり今、ペルルの中の誰かが、あやちゃんと面識のある誰かが話している。
『そんなんじゃ、誰も助けてくれないよ』──。
忠告に聞こえるその言葉に、記憶の奥にあった文字が脳裏をかすめた。
──『私は誰の助けも必要としません』。
過去にアオバが見た、誰かの遺書に書かれていた言葉だ。
「君は……」
続くはずだった言葉は、戸を叩かれた事で途切れてしまった。少し遠慮がちに開いた扉から、セイラが黒髪をゆるく三つ編みにした頭を覗かせた。目が合うと、跳ねるようにして部屋に上がり、後ろ手で扉を閉じた。
「あ、よかった。まだ起きてた」
「何かあった?」
「ううん。お忍びで来ちゃった」
さっきコーディアと会った事を考えると、本来なら部屋から出ずに過ごす時間なのだろう。「バレたら怒られない?」と聞きながら体を起こすと、「そん時は道連れだぞ」と楽し気な声色で返されてしまった。
「せっかく奇跡的に同胞に会えたんだから、今のうちにいっぱい喋っとかないとね」
そう遠くない別れを想像したのか、セイラはため息をこらえた表情を見せた。
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