◇ 11

「どうって……」


 思い当たるものがない。能力を使った直後に何か変わった事があるわけではないし、遅れて何かが起きた事もない。だが、自然の法則も何もかもを無視したこの力が、何の代償も無しに使えるとは考えにくい。


 うーん。と声を小さく漏らすと、セイラが下から顔を覗き込んだ。


「目に見えないタイプの反動とか? 寿命が縮むとか、そういうの」

「あー、それだったら確かに分からないかも──」


 不意に、とん、と肩が叩かれた。叩かれた方を振り返っても誰もおらず、ああユラか、と思い耳飾りを装着した、その瞬間。


「聖女様」


 コーディアがそう声をかけながら近づいて来た。見えるようになったユラが、視界の端で肩をすくめる。


「さっきからずっと、睨まれていたぞ」


 ユラにそう言われて、ようやくコーディアがずっとアオバに良い顔をしない理由が分かった。テルーナがリコルの周囲の人間を警戒する理由と同じだ。突然やってきた冴えない男と、自分の好きな人が親し気に話していれば、気になるし苛立ちだって覚えるだろう。


 今だって、よく考えずとも、セイラとはかなり体を密着させていたように思う。彼女(ではないが、名目上)に好意を寄せているであろうコーディアから見れば、良い気がしないのは当然だ。


 コーディアは一瞬、鋭い視線をこちらに向けてから、セイラに笑顔で続ける。


「食事の準備が整いました」

「分かった。行こ、アオバ」


 セイラは言いながら立ち上がり、砂をはらうと、他に汚れがついていないか確認するように半回転し、気になるものは無かったのか、満足そうに一つ頷いた。


「そういえばアオバ。他の人たちは?」

「リコルさんとウェルヤさんは、ちょっと体動かすって言って外に出てて、テルーナさん……あ、二つ結びの女性聖騎士は、隣町に一旦戻ってる。すぐ帰って来ると思う」


 歩き出したセイラの後を追いながら、コーディアが補足する。


「テルーナ=リペリンから、先に食事をして構わないと言伝を預かっております」

「そっか。少し気が引けるけれど、本人がそう言っていたのなら、お言葉に甘えましょうか」

「それから、リコル様の使用人からも、主と食事の席を同じくするわけにはいきません、との事です。お二人には、後程お出ししようかと」

「そっか……皆で食べればいいと思うんだけどなぁ……」


 小さく息を吐くセイラから、珍しくコーディアは視線を外し、こちらを振り返った。


 ひゅう、とそよ風が通り抜ける。瞬間、背後から人が来る気配がして、アオバも振り返った。


「あ、アオバ君」

「リコルさん……と、あれっ、ウェルヤさん、どうされたんですか?」


 部屋を出た時と変わらず穏やかな調子で声をかけて来たリコルが、ぐったりとしたウェルヤに肩を貸して歩いて来た。歩く力も残されていないのか、ウェルヤは半ば引きずられている。


「七周目で参ってしまったみたいでね」

「七周は走ったんですか……リコルさん、まだまだ元気そうですけど」

「リコル様は……風の精霊が、ずっと……補助して……まし、た……ので……」

「らしいよ。決してウェルヤの体力が無いわけでは無いから、軽んじないでくれ」


 はきはきと真面目にそう言ったリコルに対し、ウェルヤは蚊が鳴くような声で「この人よりは無いです……」と申告したが、聞こえていないのか無視しているだけなのか、リコルは周囲を見渡し、やや落胆した。


「テルーナはまだ戻っていないんだね」


 先に食べていて良いそうですよ、と伝えるが、どうもそれが理由で落胆したわけでは無かったようで、リコルは小さく首を振った。


「折角だから、昔みたいに一緒に食事ができたら、なんて考えていただけさ」

「昔馴染みでしたっけ」

「ああ。ただここ数年、テルーナは忙しかったからね。中々話す機会も無かったから……と思ったんだけど、副隊長ともなれば、隊の外でも忙しいのは当然か。しょうがない」


 少し羨ましそうにそう言って、リコルは少し先にいるセイラたちに目を向けると、ウェルヤを引きずりながら近づいて行った。


「少しこの者を休ませたいのですが……」

「あ……はい。案内させましょう。コーディア、人を」

「はい」


 任されたコーディアは周囲を見渡し、手近にいた使用人に声をかけに行った。その間にセイラがこちらに小走りで近づいて来た。耳を指さしたので、耳飾りを外す。


「やばい、何回見てもすっげー美形」

「あ、はい」

「エンペル王子のコスやってくんねーかな……絶対似合う……あーでも、ロズバイのキャラもできるし、それならこっちも合わせて……」


 顔を合わせた時からリコルの顔を見つめていたのは、似合いそうなキャラを思い浮かべていたからのようで、セイラは饒舌になる。しかし、すぐに自分の服装を見直すと、ため息を吐き、


「……聖女セイラはもう、疲れたな」


 聞き取れない程小さな声で、そう呟いた。


***


 食事はつつがなく終わり、再び話し合いが行われ(この頃にはウェルヤは復活していた)、夜の九時──お祈りの時間を前に終了すると、各々部屋へと案内された。宿屋の一室よりもずっと広い客室は、大きなベッドと椅子とテーブルだけの簡素な(一つ一つは高級そうではあったが)空間だった。


 しばらくは部屋でじっとしていたものの、ペルルが枕に埋もれて遊び始めるとアオバもやる事がなくなってしまう。ユラは思案中なのか、はたまたアオバには見えない何かを確認しているのか、先ほどから沈黙を貫いており、人がいる気配はあるのに室内はしんとしていた。


 落ち着かなくて、席を立つ。どこかに行く気配を察知したのか、ペルルが顔を上げ、ユラも視線をこちらに向けた。


「どうした?」


 一人になりたくなった。……とは言えず、咄嗟に言い訳が口をつく。


「ええと、手水に……」

「そうか。ペルルは私が見ておく」

「すみません」

「気にしないで。屋敷の中は気配を追える範囲内だ。多少は自由にして構わない」


 セイラの事を常に監視されていると思ったが、程度の差はあれど自分も似たようなものだったな、と頭の隅で考えつつ、もう一度ユラに礼をして部屋を出た。長い廊下に大きな窓がずらりと並び、その窓からは相変わらず赤い日差しが差し込んでいて、時間間隔が狂う。もうそろそろ九時になって、それを知らせる為の鐘が鳴るはずだ。


 ユラにああ言った手前、手水トイレに行かないと怒られそうだなと、目的と行動がまるで纏まっていない思考を内心笑いつつ、歩き始める。


(久しぶりに、一人だ)


 人気のない廊下に響く、一人分の足音を聞きながらふと考えた。この世界に来てから、ペルルと出会って以降はずっと、一人になった事はなかった。全く知らない土地に一人放り出される事などなく、常にユラが情報を提供してくれることで知識を得、隣にペルルがいることで『しっかりしなくては』と自身を奮い立たせ続けていた。二人がいる事で安心していたのだ。


 同じ敷地内にいるというのに、一人であるというだけで心細く感じ、赤い日差しによって生み出される黒い影が、少し不気味に見えた。


「アオバ様?」


 不意に声が耳に届き、振り返った。まだ聞き馴染みの薄い声の持ち主は、リヴェル・クシオンの星詠みである青年、コーディアだった。彼は赤い日差しに横顔を照らしながら、やや小走りで近寄って来た。


「どうされましたか、このような時間に」

「あ、いえ、ちょっと……一人になりたくて」


 わずかに苛立ちが含まれた彼の言葉に返答してから、結果として心細い思いをしている現状に矛盾を感じて苦笑し、コーディアを正面から見つめる。背はアオバやリコルより少し高いぐらいだろうか。小柄なセイラと並んで見る機会が多いせいか、その身長差から威圧感を感じていたものの、一対一で顔を合わせてみると、案外怖くは無い。


「……あの、対談の時は失礼しました。貴方たちから見ればフラン・シュラは物を溶かす怪物だと言う事を……失念してしまっていて」


 今更ながら、頭を下げる。あの時はそのまま話が進んでしまい、謝罪できていないままだった。


 やはりタイミングが妙だったからか、コーディアは目を丸くさせて固まり、我に返ると慌ててアオバの両肩を掴んで顔を上げさせた。疲労の色が滲む瞳と、真正面からかち合う。


「お、おやめください、このような所で……貴方にも、貴方の立場というものがあります。それを考えるべきです」

「え、いえ、その……」

「貴方がどう思おうとも、アオバ様は御使い様なのです。一星詠みなどに、易々と頭を下げてはなりません」


 矢継ぎ早にそう言われ、アオバは思わず「すみません」と、つい再び謝罪の言葉を口に出してしまうと、「それです、それ」とコーディアに窘められる。


「貴方も聖女様も、何故、何かにつけて謝られるのですか? お二人とも、ただ在るだけで良い、特別な存在。もっと威厳を持っていただきたい」


 思わずまた謝りそうになって、アオバは何度か口をパクパクさせた後、「は……はい」と、どうにか謝罪の言葉以外で返事をした。


「あの、でも、コーディアさんは確か……星詠みの中でも、高位の方ですよね……? そのような方に、常識の無い発言をしてしまったこちらの不手際ですから、その……謝らせてほしくて……」


 聖女を呼ぶ儀式で最前列にいたと、セイラは言っていた。トップといわずとも、上位に位置するはずだ。転生者が来なければ、おそらく王族に次ぐ権力者だ。自らの意思でその地位にいる人間が、(魅了の力を持つセイラはともかく)神聖なオーラも何もないアオバにへりくだるのはどうなのだろうか。それこそ聖騎士の十番隊のように、こちらを見下していたっておかしくはないだろうに。


「……聖女様がこの地に再び訪れたのは、聖女様のご慈悲。我々星詠みの儀式が、成功したわけではありません。星詠みはただの人……貴方たちとは違う」


 コーディアはあくまでも、聖女召喚の儀式をセイラの『おかげ』としたいようだった。


「アオバ様も、そうでしょう?」

「え?」

「嘆き苦しみ、“黒い霧”を生む人類を、憐れに思って遣わされた。違いますか?」


 違う、と否定したかった。だが真正面から切実に願うその想いごと否定する勇気が出ず、視線を逸らすにとどめた。


「違うのですか」


 尚も、コーディアは問い質す。本人に追い詰める気は無いのかもしれないが、言葉尻に緊迫した音を滲ませる彼の言葉は、じわじわとアオバから逃げ場を奪っていく。『はい』という返事以外が、排除されていく。


「御使い様。貴方は御使い様でしょう。どうか──」

「──コーディア、何をしているの?」


 聞き慣れぬ声に、コーディアがハッとして姿勢を正した。彼の後ろから、カツンカツンと硬い音を立てて、数人の取り巻きを連れて、一人の女性が歩み寄って来る。その女性はコーディアと同じ白いローブを羽織り、歩みを進める度にそれをひらひらと揺らした。


「は──っ失敬、ケルダ高次官殿」

「何をしているの、と聞いたのよ?」


 どこかのほほんとした様子で、ケルダ、と呼ばれた女性は、微笑んでいるように見える細い目をちらりとこちらに向けた。アッシュブラウンの髪が、日差しを浴びている部分だけブロンドのように輝いている。歳の頃は、五十代前半といったところだ。足が悪いのだろうか、花の模様が刻まれた杖をついている。


「い、いえ……少々、雑談を」

「そう? 問い詰めているように見えたのだけれど……まあ、信じましょう。聖女を呼んだ功績に免じてね」


 にこやかな表情のまま、ケルダは「それと」と、続けた。


「あまり星詠みを卑下しないで。精霊と人間の橋渡しをする、大切な仕事よ」


 夜を知らせる鐘の音が、どこからともなく聞こえてくる。


 コーディアが何かに耐えるように、袖の下で拳を握った。そんな彼の様子を気づいていないのか、ケルダはこちらに丁寧に頭を下げ、踵を返した。カツンカツンと、硬い音が遠ざかっていく。


「……もう夜ですね。お祈りは済まされましたか?」


 コーディアは多くの感情を抑え込んだ表情でこちらに向き直り、ぎこちなく言う。「まだです」と返せば、彼は「このような場で恐縮ですが」と前置きして、胸の前で指を折り重ね、静かに祈りの言葉を紡ぐ。


「私たちの生命の光よ、救いの道を照らしてください。今日の誤りは明日には真実を、今日の悲しみは明日には喜びに……今日の理解は明日からの愛に」


 あまりにも事務的な、音読しているだけの声が言う。


「罪が夜に溶けて、朝の恵みとなるように、この大地に祈ります。明日も先も、皆が……幸せでありますように。……良い夢を、御使い様」

「ありがとうございます。コーディアさんも、良い夢を」


 アオバの返答を最後まで待たず、コーディアはケルダの後を追うようにして去って行った。


(大変そうだな……)


 宗教的な職種といえど、組織の一員となると、人間関係で苦労するというのはどこにでもある問題なのだろう。彼が聖女や御使いといった特別な存在に、縋る気持ちを少しだけ理解できたような気がした。


 誰だって、責任なんて負いたくなくて、自分以外の……何か超常現象的な力を持った特別な何かに、何もかも任せてしまいたくなるものである。だから、神様はどのような世界にもいるのだ。


 部屋に戻ろうとして、気配を追っているユラに勘繰られるとマズイかと思い直し、手水を経由する。部屋の扉を開けると、出入口付近で待機していたペルルに押し開けた扉が当たりそうになった。


「わっ……とと、大丈夫? 当たらなかった?」

「んじょぶ」

「よかった」

「アオバ。鐘が鳴ったぞ。お祈りを済ませて、今日はもう寝なさい」

「はい」


 窓際にいたユラに言われ、ペルルを連れてベッドに上がる。ダブルベッドサイズなので、ペルルが並んでも窮屈に感じない。


「私たちの生命の光よ、救いの道を照らしてください」

「ん。さすがにもう覚えたか」

「ちょっとだけ、です。暗唱はまだまだできそうにないので、続きはお願いしてもいいですか?」

「ああ」


 ユラは口元に笑みを浮かべて頷いた。紡がれる言葉を最後まで聞き遂げると、彼女は小さく息をついてアオバの頭を撫でるように手を動かすと、「少し外に出てくる」と告げて、ふらりと壁をすり抜けて去って行った。


「明日も先も、皆が幸せでありますように……か」


 ユラが出て行った方向を見つめるペルルの頭を撫でながら、オーディールの存在を確立させるための呪文を、口にする。命の輝きに救いを求める、他に縋るものが無い、そんな詩。祈れば罪は夜に溶け消え、明日には恵みに変わるだなんて、小心者のアオバには、どうしても心から信じては言えなかった。

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