◇ 10

 目的地も決めずにうろうろしていると、中庭に出た。公園と言われても頷いてしまいそうな程広い空間に、手入れされた草花が植えられている。


(中庭でこの広さなら、屋敷入れるともっとあるよな。リコルさん本当に外周走ってるんだろうか……)


 軽い運動をしに行った青年を気にかけつつ、目の前の景色を眺める。この季節でも咲く花はあるようで、小ぶりな白い花が、道として敷かれた石の両脇に咲いている。


「おー……ペルルほら見て、お花綺麗だよ」

「おはなー」


 こちらの声に反応して、ペルルが身をよじって同じ方向を見たが、特別興味はないようで、しばらく花を視界に入れていたが、触ろうとはしなかった。


 中庭に入ってみたかったが、さすがに家人が付き添っていない状況では憚られて、その場で見るだけに留めていると、奥の方で誰かが立ち上がった。


 赤い日差しに照らされた長い黒髪が、風を受けて揺れる。


 リヴェル・クシオン連邦の聖女、セイラだ。


 こちらに気づいたセイラは、パッと表情を明るくすると、風で乱れた髪をさっと手櫛で直し、手招きをした。


 なんとなく周囲を見渡してから、遠慮がちに中庭に足を踏み入れる。一歩踏み入れば気まずさから、足早になってセイラの目の前まで移動すると彼女は笑みを浮かべ、自身の耳を指さした。


「そっちで話そ」

「あ、うん。分かった」


 一旦ユラに目配せしてから、ペルルを降ろし、耳飾りを外した。降ろされてしまったペルルは、若干不満そうだ。


「さっきはごめんね。ビッカーピスには一応、注意しといたから。……まあ、反省はしてなさそうだったけど」

「大丈夫だよ。怪我したわけじゃないし」

「ホントごめん……」


 言いながら、セイラは短いスカートの裾が崩れないように、手で押さえてからその場にしゃがみ込んだ。それからこちらを見上げ、座って、と言いたげに手招きをする。素直に従って座ると、背中にペルルが乗った。それに構いながら、セイラと会話を続行する。


「ビッカーピスさんも、聖女信仰強い感じ?」

「……みたい。なんかね、聖女って一説では、最初の聖騎士の生みの親らしくって。ビッカーピスはそれをすごーく信じてるんだ」


 そういえば、ビッカーピスは何度か聖女を『聖騎士の母』と呼んでいた。そういう理由だったらしい。


「そうなんだ……じゃあ、聖騎士って結構、聖女信仰強そうだね」

「んー……まあ、そうなる、かも? ああでも、特に十番隊はそれが強いっぽい。あの隊、聖騎士至上主義なんだよね。リッキーも、ほら、すごい美形の、あのー……えー……」

「リコルさん?」

「そうそう、リコル。彼に失礼な態度だったでしょ」


 貴族相手でも、聖騎士でないのなら見下げる傾向にあるらしい。思い返せば、彼はテルーナばかり見ていて、アオバやリコルの方をほとんど見ていなかったし、部下らしき他の聖騎士たちも、アオバらを雑に扱っていた。言われずとも気づく程に、露骨だった。


「僕はあれぐらいの扱いの方が、楽だけど」

「そう? んー、まあそっか。私もあんまり、特別扱いは得意じゃないかも。今だって……」


 セイラがちらりと視線を背後に向けた。視線を追ってみると、柱の陰にコーディアが待機しているのが見えた。


「ずーっとああやって監視されるの、キツいからね」

「あはは……じゃあ今は、ちょっと一人にしてー、みたいな感じ?」


 はにかみながら、セイラは頷いた。


「こういうところも、聖女を辞めたい理由かな」

「でも、あんなに国の人たちを想って、何かしたいって言っていたじゃないか」

「それとこれとは、話が別だよ」


 指先で手近な植物の葉に触れながら、セイラは少し俯いて言う。その横顔は、日差しで輪郭が白くなっている。


「ねえ、アオバ。聖女がどんなものか知ってる?」

「え、と。遺跡に現れた、女の人……だっけ? 飢饉の時に現れて、“黒い霧”を晴らしたっていう……」

「そう。だけど、私には“黒い霧”を晴らす力はない。土地を豊かに出来るわけじゃない。誰かを救える力もない。私がラピエルから貰った力は、そういうのじゃなかった」

「話し合いの時、コーディアさんに使ってた……」

「はは、やっぱ気づくよね」


 膝を抱えるようにして、困ったようにセイラは笑顔を浮かべた。


「私に与えられた力は、多分──魅了、だと思う」

「魅了……好意を操れるってこと?」

「まあ、一時的にね。ずっとは無理。でも、一回好きになったら、熱が引いても無下にできないって人が多くて、この有様って言うか……能力の把握に、ちょっと実験しすぎたって言うか……」


 待ちに待った聖女が『可憐なだけの何もできない乙女』でも、誰も否定しなかったのは、そういうことだったのか。好きだから、一度は好きになったから、否定したくなかった。好意的に見てしまうという思考を誘導する能力の残存。ただ、それだけだったのだ。


「でもそれなら、誰かと一緒に逃げるって事もできるんじゃないかな。魅了して、どこかに連れ出してもらえば……」


 好意を寄せる相手の頼みなら、聞いてくれる人はいるだろう。勿論その感情は嘘なので、気は悪いが。そんな事を思ったまま口にすると、セイラは「馬鹿」と、ため息交じりに返してくる。


「私が聖女で、常に他人の目があるから、何とかなってるの。好きな子と命がけで二人っきりの逃避行なんて……手を出さない男がいると思う?」

「思う」

「馬鹿じゃん……いやアオバはなんか、草食っぽいけどさ」

「でもほら、コーディアさんとかなら、大丈夫そうじゃない?」


 星詠みの青年の名を上げると、セイラは口を噤んだ。彼は聖女に対する信仰心が強いし、セイラに対する好意も強い。セイラを大事にしており、乱暴な真似をするとも思えない。説得さえ成功すれば、協力者としては一番適切だろう。そんなアオバの考えが透けて見えたのか、セイラは手前の植物に視線を落としつつ、口を開いた。


「コーディアは多分、外に出たがらないと思う」

「それは、聖女がこの国に必要だから?」

「……違う、と思う。ただ、あいつはここ以外じゃ駄目かもっていうか……あいつに一番バレるとマズイっていうか……」


 考え込むように、セイラは一度額を膝につけて唸り、何か決心した様子で顔を上げた。それからこちらに手を差し出した。何だろうかと思いながらも、ペルルを片腕で背負い直し、セイラに近い方の手を出すと、彼女はその腕を絡めとって体をぴたりとくっつけた。


「え、ちょ」


 思わず距離を取ろうとしたアオバよりも早く、セイラはアオバの手を自身の股間に当てた。ぎょっとして大きく肩を揺らし──スカート越しに、女性には無いはずのものの感触がして固まった。


「……えっ?」


 ぎこちなく、アオバはセイラの顔をまじまじと見つめた。薄い肩、艶やかな黒髪。やや童顔の、可憐な少女に見える。だが。


「お……男、の子……?」


 中性的な容姿は、然程珍しくはない。特に近年では、そういった雰囲気の人物はモデルにも起用されており、アオバも町中で見た事だってあった。それでも、セイラはあまりにも少女にしか見えなかった。


「そ、の……私、声変わりが、来なくて。背も、百五十ちょっとで、止まってて」

「え、え? 待って。その恰好は?」

「や、だからその……し、知らない? 土曜の朝にやってる、アニメの……」

「コスプレってこと?」


 しどろもどろに答えるセイラの言葉の続きを、先回りして聞くと、彼女──いや、彼は、頷いた。


「ちょっと、いけるんじゃねって思ってやったら、こう……」

「あ、大丈夫。そういう趣味の人もいるよね」

「別に普段からってワケじゃねーよ!? これの時だけ! コスプレだけ!」


 声を荒げ、我に返ってセイラは咳払いをし、声を潜め、顔を寄せた。近くで見ても、やはり男性には見えない。化粧のおかげだろうかと観察してみるが、粉をはたいている程度で、ほぼスッピンに近い。元々可愛らしい顔立ちなのだろう。


「この事、他の人は……」

「知ってたら聖女だとか呼んでないって……三年隠し通したの、よくやった方だろ? でもさ、そろそろさすがに限界なの。アオバの力は、物作ったりできるんでしょ? 私のなんかより、ずっとずっと有用じゃん、助けてよ御使い様~!」


 お願い~。と言いたげに、セイラはアオバの手を両手で包む。三年間魅了の力で乗り切っただけあって、行動が『甘える事で世渡りしてきた人間』染みている。


(確かにこの状況は逃げたくもなるか……)


 伝説になっている聖女と勘違いされている上に、周囲に好意を寄せてもらうだけの能力、監視され続ける日常……十代の多感な時期に、これだけストレスを感じる空間で、よく三年も持ったものだ。フラン・シュラに変貌していないのは奇跡かもしれない。


「でもそれなら尚更どうして、民の為に、なんて言ったんだ?」


 無闇に厄介ごとに首を突っ込もうとせず、大人しくしていれば、伝説の聖女という存在感は色あせていそうなものだけれど。そう疑問を込めて聞くと、セイラは張り付けたような笑顔で返答した。


「セイラはそんなことしない」

「何?」

「か、貫音セイラは、菩薩精神の持ち主だから……」

「え、何。コスプレキャラの話してる?」


 話がかみ合わず、キョトンとして聞き返すと、セイラは戸惑った。


「そ、そうです……。セイラなら、困ってる人見捨てたりしないし、絶対助けようとするだろうと思って……そしたらなんか、周りの皆が、『貴方こそ、まさに聖女だ』とかって担がれまくって……」

「ええと、つまり? キャラになりきって受け答えしてたら、聖女として箔がついてしまったって事?」

「だ、だって……コスプレ中はキャラになりきりたいって言うか……己を捨てていたいっていうか……」


 セイラはしょんぼりした様子で頷いた。何してるんだろうこの人。呆れたようなこちらの視線に耐えかねて、セイラは「しょうがないじゃん!」と声を上げた。


「この世界に来た最初の最初に、魅了の力とか知らなくて無意識に、コーディアに能力使っちゃったんだよ! 最大出力のすっごいやつを! 聖女を呼ぶ儀式を最前列でやってたコーディアに、使っちゃって! 惚れられて! 聖女だって勘違いされて! それが今の! 状況なの!」


 コーディアにバレたくない、という言葉の意味を今理解した。逃げ出したいという気持ちを気づかれたくないのではなく、男である事を知られたくなかったのだ。可憐な少女に恋している男に、実は男性ですよ、なんて言えるわけがなかったのだ。


 セイラは涙目で、こちらの両肩を掴むとガクガクと揺さぶった。


「アオバだって、能力を初めて使った時は変な事になったりしただろ、しててくれ、頼む!」

「う、うん。僕も意図せずフラン・シュラを巨大化させちゃったけど……」

「えっ、それどうしたの?」

「元に戻すからちょっと待って欲しいってお願いしたら、こうなった」


 背中に乗っているペルルを指さすと、セイラは絶句し、地面に手をついて項垂れた。


「可愛い女の子ゲットしてんじゃねーよ!!」

「えぇ……」

「男ばっかりから熱視線受けてるへの当てつけかよ!」


 最初以外は自分で蒔いた種だろうに。とは、さすがに言わず、思うだけに留めておいた。まだ何か喚き立てそうだったセイラに、「素が出てるよ」と小声で注意すると、彼女、いや彼は、口を噤んだ。間が空いてちょうど良かったので、気になった事を聞いてみる。


「どうしてコーディアさんに使ったのが、最大出力だって分かったの?」


 アオバは未だに、自身に与えられている力の範囲や出力といったものが理解できていなかった。セイラはどうやってそれを知ったのだろうか。項垂れていたセイラは、その場に正座するような形になると、「すぐ分かるじゃん」と、今更何をと言いたげに口を開く。


「力使った時、反動があるんだよ。私の場合は『声が出なくなる』んだ」

「声……ああ、そういえば喉押さえてたね」


 先ほどの話し合いの場で、コーディアに能力を使った後、セイラは確かに口をパクパクさせているだけで、声を出せなくなっていた。その後、突然音源が復帰したような、妙な声の出し方をしたのは、能力使用による反動だったようだ。


「出力を上げれば上げる程、声が出なくなる期間が伸びるんだ。最初にコーディアに使った時は、一か月ぐらい声が出なかった。その後何回か実験して、軽くお願いを通す程度なら、一分ぐらい。効果を数日持たすなら、三日。半年持たすと、一か月ってところ。だから、今のところの最大出力が、最初にコーディアに使ったやつってだけなんだ」

「そういうことか……」

「だから、さっきアオバが言ったみたいに、誰かに長時間効果が持つように魅了をかけたら、私も長期間声が出せない。もし相手に何かされても、大声も出せないし、この体格じゃどうあがいても負けるし、その上男ってバレたら何されるか……」


 大きくため息をつき、セイラは「それで」と言葉を紡いだ。


「アオバの能力は、どういう反動なの?」

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