◇ 04

「なんでしょうね、頼み事って」


 その場にしゃがみ込んで、フィル・デが広げた商品を興味深そうに眺めるペルルの横で、アオバは考える。結婚した幼馴染の女の子が、町で小馬鹿にされているアニューに何を願うのだろうか。


 既に続きは聞いているだろうリコルは、気まずそうに視線をそらした。フィル・デはそんなリコルを見て口元に弧を描く。


「さあね。続きは、別のフィル・デ=フォルトに聞いてごらん」


 決まり文句のようにそう言って、フィル・デは本を閉じた。


 用事が済んだので、ペルルを立たせて一歩下がると、テルーナが入れ替わるようにフィル・デの前に立ち、白い石を投げ渡した。


「ちょっと情報を仕入れても、よろしいですかぁ?」

「はいはい、何かな?」

「聖女についてですぅ」


 フィル・デの長い前髪の奥で、光る瞳孔が持ち上がった。


「その昔、このリヴェル・クシオンのどこかの遺跡に、赤い目の女が現れ──」

「伝説の話ではなく、今この国にいるという、怪しい女についてですよぉ?」


 返金させますよぉ? と強く言われると、フィル・デは「冗談だったのに」と肩をすくめた。


「聖女様、ねぇ。なぁんにもできない、可憐な乙女の事だろう? 特に情報らしい情報はないよ。何せ、誇張でもなんでもなく、本当に何にもできない、ただの女の子だからね。まあ……」


 ちらりと、フィル・デがこちらを見た。


「本物かもしれない御使い様も、ただの男の子に見えるけどね」


 視線を避けるように数歩下がると、テルーナはため息をついて、話題を変えた。


「では、クレモントの情報をください~。あそこ、一か月前から、聖騎士ですらたどり着けなくなってますから」

「ああ、それならどうやら、一人の少年が、精霊を食べた事がきっかけみたいだよ。水の精霊だったんだけど──」


 最後尾で黙って周囲の音を聞いていたユラが、ふと顔を上げた。


 何かあったのかと、思わず周囲を見渡し、何気なく近くの曲り角を覗き込んだ。困っているような雰囲気がしたのだ。


「──あ、あの、すみません、離してください……っ」


 弱々しい女性の高い声が、かすかに聞こえた。声がした方向を大雑把に判断し、簡単に迷ってしまいそうなほど似たような造りの裏路地を進んで行く。


「いそ、急いで、いますので」

「いいじゃん。そう言わずにさ、ちょっと遊ぶぐらい時間あるっしょ?」

「ほんのちょっとだって」

「いや、あの、本当に時間なくて」


 声が近くなってきた。再び周囲をきょろきょろと見渡していると、ユラが左の角を指さした。そちらを覗き込むと、ガラの悪そうな男が二人、小柄な少女を壁際に追い込んでいた。少女は外套を頭から被り、顔は見えないものの、全身から困っている空気を出していた。


「何してるんですか?」


 つい、ユラがいるから大丈夫だと安心して、声をかけてしまった。すぐに『いくらユラが強いとはいえ、うっかり人を殺したりしたらシャレにならないぞ』と考え直し、失敗したと思いつつも、少女を背にするようにして間に入る。ユラに止められたのか、ペルルはその場を動かなかったのを視認し、男たちと向き合う。


「急いでいるみたい、ですし……今日のところは」

「なに、お前。この子の何?」

「いや、何って言われると、通りすがりで、知らない子ですけど……」


 頼りにならないのが見て取れたのか、少女がこちらの服の裾を掴みながらも困った表情を浮かべた。


「こ、こういう割り込みは、強くてかっこいい奴がしなくちゃ駄目だ」

「弱くて野暮ったいのが来てごめん……」


 言ってる間に、ユラが数歩、歩み寄ってきた。薙刀の柄で肩を軽く叩き、片付けでも始めるか、程度の気兼ねで近づいてくる。頼むから力加減はしてくれと願っていると、そこに──


「君達、そこで何をしている?」


 穏やかな声が、普段よりも鋭い印象で飛んできた。顔をそちらに向けると、ペルルの横からリコルが歩み出た。


 建物の影に入っても、その美しさは陰りを知らない。もはやそういうテーマで描かれた絵画のような男は、その場の全員の視線を釘付けにしながら真っすぐにやって来る。


「ッだぁー! くそ! 次から次へと邪魔しやがって!」


 束の間、男たちは彼に見とれていたようだったが、我に返ったのか、男の一人が短剣を腰から抜いた。その風貌(少なくとも制服ではない、小綺麗とは言い難い服装だ)から見て衛兵というわけでも無さそうなので、単なる無作法者なのだろう。


 もう一人の男も武器を取り出そうとしたのを見て、リコルは腰から下げていた片手剣を抜いた。午前中の爽やかな日差しを浴びて、刃がきらりと光る。


(……ん?)


 その光り方に、違和感があった。


「あ?」

「なんだ、お前それ……」


 刃物に明るいとは言えないアオバですら、違和感があったのだ。凶器を持ち歩く男たちには、一目でそれの正体に気づいたに違いない。


 その光の返し方は、刃物のそれではなかった。まるでアルミ拍を綺麗に張り付けただけのような、ぺったりとした輝き方で──アオバの観察が終わる前に、男が噴出した。


「っぶ、あはははっ! なんだそれは! 模造剣じゃないか!」

「玩具の剣で王子様気どりか~?」


 模造剣であったことは図星のようで、リコルは恥ずかしそうな表情になりつつも剣を構えた。武器そのものはともかくとして、中々様になっているように思える。


「し、……仕方が無いだろう。本物の剣は、怪我をしたら危ないからと、父が持つ事を許してくれない」

「おいおい、過保護なお坊ちゃんは、家で文学とやらにでも勤しみな。こんな路地裏をうろついちゃ、身ぐるみ剥がれる──ぞッ!!」


 不意を突く動きで、男が突然リコルに斬りかかった。遅れてアオバはユラに援護を求めて視線をやるが、彼女は薙刀を構えておらず、腕を組んで観察体勢に入っていた。


 ガキンッ、と硬い物同士がぶつかり合う音が響き──男が態勢を崩した。押し返された勢いを殺し切れず、仰け反ったところを模造剣で切りつけられると、その場に背から倒れた。


 リコルが転がった男の肩を踏んで動きを封じる。その背後に回っていたもう一人が殴り掛かり──振り返りもせずに、リコルは軽やかな動きで剣を持ち替え、肘打ちのような動きで相手に剣を突き出した。見事に鳩尾に入ったのか、男は壁に叩きつけられると、動かなくなってしまった。


 どうにかなって安堵するも、ユラはどうして動かなかったのかと抗議的に視線を送ると、「自信があるようだったし、力量を少し見たくて」と、あっけらかんな様子で返された。


「ふむ。的確に急所のみの攻撃か。中々良い師を持っているようだ」


 この場はもう安全だと判断したのか、感心するユラの下にペルルが寄ってきたかと思うと、男たちの顔を覗き込み、それから何か訴えるように、こちらを見つめて来た。


「なおさない?」

「えっ、あー……どうだろ、切り傷とかなら、できそうだけど」


 脳震盪などの場合は、どうすれば治せるだろうか。見た目には怪我らしい怪我のない男たちを観察しながら、そのような事を考えていると、アオバの背後で隠れるようにしていた少女が、周囲を窺い始めた。危険が無い事を確認し終えると、少女は握りしめていた服の裾をおそるおそる離した。


「た、助かりました。ありがとう」

「いえ……あ、僕じゃないよね。リコルさん」


 男らが動かない事を確認し、模造剣を鞘に戻したリコルが、こちらの呼びかけに振り返る。紺色のリボンで一束にまとめられた艶やかな金髪が、建物の影の中だというのに、僅かな光源を受けてきらりと光った。


 動きが一々きらきらしてるな、この人。と内心そんな感想を浮かべるアオバを他所に、リコルは少女の前に歩み寄ると、片手を背に回して丁寧にお辞儀をした。


「無事で何よりだ。怪我はなかったかい?」

「ひゃ……は、はい」

「それはよかった」


 真正面から輝かしい笑顔を受け、少女は気恥ずかしそうに俯いた。テルーナがリコルに近づく人間を警戒する理由を察しつつ、アオバは少女に向き直った。


 瞬間、少女は目を瞬かせ、固まった。


「そ、その制服……×××」


 彼女の言葉の後半部分が、上手く聞き取れなかった。いや、翻訳機では翻訳し切れなかった、というべきだろうか。首を傾げたアオバを見て、少女は慌てた様子で口元を手で覆い、何でもないと言いたげに首を振った。


「人通りのある所まで送ろうか?」


 こんな薄暗く、人気のない場所を通るよりは安全だろうと提案すると、少女はぎょっとした顔になり、胸の前に手で×を作った。


「そ、それは駄目!」

「でも、こんなところ通ってたら、また変な人に声かけられるかもしれないし……」

「駄目ったら、駄目! 人目に付く場所なんて、すぐ見つかっちゃう!」

「え?」

「──みーつけたっ」


 誰かに追われているのだろうか? キョトンとしていると、頭上から声が降りかかった。遊び半分、残りもからかい半分、といった真面目さが微塵も感じられない声の主は、近くの建物から数人を連れて降り立った。その誰もが、軍服のようなデザインの、白い服を着用し、それぞれ違う特徴の剣を所持していた。


 聖騎士だ。


「無断で散歩っすか。勘弁してくださいよー、ほら、帰りますよ」

「ま、待って。私はただ……」


 見覚えのある男が、少女に手を差し出した。


 その人物は癖のように、目にかかりそうな長い前髪をかき上げ──こちらに気づき、止まった。それから視線は地面で伸びている二人の男に向けられ、再びアオバたちの方に戻された。


「……」

「……」


 しばし無言で向き合っていたが、リコルが親し気に一歩近づいたその瞬間、


「はい確保ー」


 軽薄さが滲むその男──朝方アオバの部屋に来た聖騎士の一人、リッキー=ラ・セリュオは、リコルの手を縄で縛った。


「えっ」

「いけません、いけませんね、君ぃ。あろうことか、この方に手を出そうなどと。あっはっは」


 わざとらしく笑うリッキーに目をやっている内に、他の聖騎士の手によってアオバの手にも縄がかけられた。驚いている間にも、地面で伸びている男らが捕縛される。


「あ、あの、僕たちその人たちとは関係が無……」

「はいはい、話は向こうで聞いてあげましょーね」


 少女に詰め寄った仲間だと思われたのだろうか。抵抗しようとしたアオバに、ユラが耳打ちをする。


「大丈夫だ。敵意は感じない」

「でも……」

「多分、また迎えに行くのが面倒だから、このまま聖女のところに連れて行こうという算段だろうな」


 また往復するのが嫌なのか。そう言われると、確かにそうかと考えるが、それにしても乱暴である。そんなユラとのやり取りは見えない少女は、慌ててリッキーの腕を掴むが、あっさりと抱えられてしまった。


「待って、リッキー! その人たちは、私を助けてくれただけなの!」

「そうですか。はいはい。じゃあ帰りましょーね、我らが

「!」


 聖女!?


 その言葉に、思わず少女を見た。聞き返そうと口を開けば、じたばたする少女を全く意に介さず、ちゃっかりペルルも他の隊員に抱えさせて、リッキーは路地を出て走り出す。


「え、ちょ、待って、聖女って」

「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」


 一人の隊員に口を抑え込まれ、大人しく口を閉じた。その間にも遠のいていく彼の背を、アオバを抱えた隊士も追い始める。


 一気に景色が変わるのを薄目で見ていると、風を切る音ばかりが入る耳が、遠くで焦ったように怒鳴るテルーナの声を捕えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る