◇ 05
数分程強風に煽られたかと思うと、不意にそれが治まった。秋風で冷えた頬が、血の巡りでじわりじわりと熱くなってくる。その場にゆっくりと下ろされたので、周囲を見渡すと、庭園の先にレンガ造りの屋敷が見えた。例にもれず、二階建てだ。
「ここは?」
「リヴェル・クシオンの首都、イヴェオンの議会堂かな」
別の方向を見ていたリコルが、アオバが見ていた建物とは別の建造物を指さした。同じくレンガ造りの、こちらは三階建てで、最上階には庭園側にバルコニーが設置されている。
リコルの答えを聞いて、未だ抱えられたままである少女が補足する。
「大まかには、正解です。正しくは、議会堂の隣……ですけど」
つまるところ、ものの数分で町を越えて来たということになる。聖騎士の脚力を、素直に感心していると、後を追いかけて来たであろうテルーナが、ウェルヤを抱えて近くに降りた。
「このボンクラ男ぉ! リコル様に何をしているんですか!!」
「うわぁっ、俺を追って来てくれたんすか! 感激~」
「アンタなわけないでしょぉ!! ぶっ飛ばしますよ!?」
わざとらしく目を輝かせるリッキーを無視し、テルーナはリコルに駆け寄ると、そちらには「心配しましたぁ」と可愛い子ぶりつつも素早く縄を解き、再びリッキーを睨みつけた。対するリッキーは、変わらず軽薄な調子で「そんなに怒る事無いっしょ」と口を開く。
「聖騎士でもない、貴族にすら及ばない、その辺の一般人と大差ない無価値な男に、なーんでそうまで肩入れするのか理解できねーや」
「……品性を疑います。リコル様には価値しかありませんし、発言に気を付けてくれます?」
こめかみに青筋を浮かべるテルーナと、飄々とした態度のリッキーの様子を窺っている間に、ユラが薙刀の刃先で縄を切ってくれたのか、手首を縛っていた縄が地面に落ちた。それを見ていたペルルが、黙ってユラに腕を差し出し、同様に拘束を解いてもらう。
リッキーは「降ろして」とじたばたする少女を抱え直し、「丁度いいんで、このまま聖女様に会って行ってくださいよ」と言い、周囲の聖騎士たちにアオバらを屋敷に上げるよう指示して、少女を屋敷へと連れて去って行った。
「案内します。こちらへどうぞ」
仏頂面のまま、聖騎士が屋敷に向かって歩き出す。振り返り、こちらが戸惑っているのを見ると、苛立たし気に夕空色の目をこちらに向けた。
「お早く」
「あ、はいっ。い、行きましょう、か」
確認するようにリコルたちに視線を配ると、彼は普段通りの(どちらかといえば機嫌良く)穏やかな様子で頷き、聖騎士の後を歩み始めた。その背を、ペルルの手を引いて追いながら、思う。
(よく怒らないな……)
アオバが同じ立場だったら、落ち込んでいるような気がする。リコルは多分高貴な身分だろうに、一般人と大差ないだの、無価値だの言われて──自身の価値については、リコルも『無価値だ』と言っていたとはいえ──自分で言うのと他人に言われるのとでは、受けるダメージは違うと思うのだけれど。
考え事をしている間に、広い庭園を抜け、屋敷の前にたどり着いた。開けられた両開きの扉をくぐり、広々としたエントランスを抜け、二階の一室に案内される。
テーブルを挟むようにしてソファが並ぶ、一般的な客間のような部屋だった。
「聖女様の準備が整いますまで、少々お待ちください」
ぶっきらぼうにそう言って、二人の聖騎士を残して残りの面々は部屋を出て行った。どうすればよいかとたじろぐアオバを他所に、リコルは然程緊張もせず慣れた様子でソファの一つに腰を掛けた。彼の背面にウェルヤが立ち、テルーナは残された聖騎士らと共に扉近くの壁際に立った。
やはり、役職ごとに立ち位置が決まっているらしい。ユラを見やれば、彼女はアオバから離れ過ぎないよう、近くの壁にもたれかかっていた。では、御使い扱いされている一般人はどこに立つべきだろうかと悩んでいると、リコルが隣のソファを軽く叩いた。
「アオバ君は座らないのかい?」
「えっと……」
「聖女が会いたがっているのは君だよ。つまり、客人だ。立って待たせていたと知ったら、聖女も気が悪いだろう」
そういうものか、と言い聞かせて座らせてもらい、ペルルを抱えてソファに上げ、半分開けて隣に座ってもらった。
「……聖女様との謁見って、こういう場所でするんですね?」
想像していたような場所と違う、という気持ちを込めれば伝わったようで、リコルが口を開いた。
「リヴェル・クシオンは、王族も王城も無いからね。要人を呼ぶとなると、議会堂か、その隣──この屋敷ぐらいだろう。ここは“星詠み”たちの仕事場だから、聖女関連となれば、議会堂よりはこの屋敷の方が適しているかな」
「星詠み、というのは」
「精霊の気配に、敏感な者の事だ。天気の移り変わりや大地の豊かさ、洪水や土砂崩れといった天災を、ある程度先読みできる。ウェルヤも、その家系だね」
リコルが従者であるウェルヤを振り返ると、彼は頷くように静かに頭を下げた。
「私が精霊の気配に疎いものだから、母が世話係に“星詠み”を選んでくださったんだ……と、まあこういった感じで、シャニアでは“星詠み”というのは、特別な者という程ではないのだけれど、リヴェル・クシオンでは特殊な職務が与えられている」
「……あ。そっか、精霊の声が聞ける、王族がいないからですね」
二週間程前に、ユラから聞いたこの国の事を思い出す。確か、過去には王族がいたが、途絶えてしまい、その結果何度も国が分裂や統合を繰り返す事になったのだ。
「そういうことだ。十年前まであった、土贄の儀の贄の選出を、この国では“星詠み”が担当していた。聖女信仰も、“星詠み”が大きく関わっている。王族や聖職者としての役割も持っている……が、政治とは切り離された職業でもある」
「その“星詠み”の屋敷に呼ばれたって事は……聖女は一応、この国の政治からは離れている体裁なんですね」
肯定的に頷き、リコルは「とはいえ」と続けた。
「突然現れた壁も、“黒い霧”も、『聖女がいる』ただそれだけの理由で国民が落ち着きを取り戻すところを見るに、影響力は無視できないもののはずだ。完全に切り離しているとは言えないだろうね」
まあシャニアも、英雄様を政治利用しているから人の事は言えないか。と独り言のようにリコルは付け足した。
この世界に来てからは、政治的な話はこれまでほとんど聞くことが無かったので、少し新鮮な気持ちで聞いていると、扉がノックされ、見知らぬ青年が顔を見せた。
歳の頃は二十代前半か、半ばといったところだろうか。三角形の中で蔦が絡み合った、伝統模様らしき刺繍が入った長いローブを羽織った、清潔感あるその男は、部屋に一歩だけ足を踏み入れた。
「御使い様は、どなたですか?」
見知った面々がアオバの方を見た。青年もつられた様子でアオバに視線をやり、戸惑った表情を浮かべる。
「き、君が?」
「あ、ええと……すみません、地味で」
「ああいや、そういうつもりでは……」
相手の思考を予想して、立ち上がりながらそう言うと、図星だったようで、青年は少しばつの悪い顔になった。彼は咳払いを一つし、丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました。私は、リヴェル・クシオンの“星詠み”、コーディア=レッシンルィクと申します」
「こうでぃあ、れっしん、りく……」
「ルィクです」
慣れない発音に手間取りつつ、アオバも自己紹介をする。ソファの上で膝立ちをし、背もたれに顎を乗せていたペルルも自発的に名乗ったことで、少し場の空気が緩む。
「アオバ様、先に聖女様にお会いしてもらってもよろしいでしょうか。個人的に話があるそうでして……」
「分かりました」
コーディアの下へと移動するアオバを見て、ついて行こうとソファを下りたペルルをリコルが捕まえ、軽々と持ち上げて膝の上に乗せた。
「ペルルはここで、私たちと一緒に待とうか」
「うー、ぺるるも、あおばといっしょ……」
「すぐ帰って来るよ」
ね? と確認するように、リコルがこちらに目をやった。
「はい。すみません、ちょっとの間だけ、ペルルをお願いします。ペルルもちょっとだけ、待っててね」
「うー」
唸るペルルの下に戻り、頭を撫でると少し落ち着きはしたものの、無表情ながら不満そうに俯いた。
「あおば、ねない?」
「ん? うん」
「心配なら、私が付いて行こうか」
横からユラが口を挟んだ。
「この間の人攫いの時みたいに、少し離れた間にアオバが意識不明になるのが嫌なんでしょう。寝ている間は、ペルルは構って貰えないからな」
「あ、そういうことか……」
以前の出来事がまた繰り返されるのを、嫌がっているなんて気が付かなかった。言われて見れば、あの時、目を覚ましたアオバにペルルはずっとくっついていた。アオバが眠っていた二日間分、構って欲しかったのかもしれない。
ペルルは真珠色の目を瞬かせ、しばらく「んー」と悩んでいるのか、抑揚のない平坦な調子で唸ると、顔を上げた。
「ゆらいっしょなら、いいよ」
「決まりだな。行くぞ、アオバ」
ユラはさらりとそう言って、先にコーディアの下に歩み寄った。それを視界の端に写しつつ、アオバはこちらをじっと上目遣いで見上げるペルルの頭を撫でた。
「ありがとう、ペルル。いい子で待っててね」
「ぺるるはえらいからー、だいじょぶ」
戻ったらたくさん褒めようと決めて、ユラと共にコーディアの下に近寄り、聖女に会うべく廊下に出た。
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