◇ 03

 そのまま宿を出ると、秋の澄んだ空気が肌を撫でた。どこか不安気な町民らとすれ違いつつも、町を数分進んだところで、先頭を歩いていたリコルが少し歩幅を調整して、隣に並んだ。


 リコルはそれから、まるで内緒話でもするように声を潜めた。


「私も『アオバ君』って呼んでもいいかな」

「へ? 構いませんが……」


 生前の友人にそっくりの、毒牙の抜ける穏やかな声が言う。突然なんでまた、と声には出さなかったものの、顔に出ていたのかリコルは自然と続けた。


「私が声をかけると、アオバはなんだか悲しそうな顔をする事があるから……仲良しさんなテルーナを参考にしてみようかと思って」


 そこまで分かりやすかったかと、少しぎくりとしてしまった。同じ声だと、どうしてももう会えない友人と重ねてしまい、少し落ち込んでいたのを、さすがに失礼だろうと隠していたつもりだったが、気づかれていたようだった。苦笑するアオバに、リコルは穏やかな声色のまま、冗談半分といった調子で言う。


「私も、御使い様と親睦を深めたいからね」


 朗らかな彼の言葉を、ありがたく受け入れようとして、隣に並んだテルーナの視線で言葉を飲み込んだ。笑顔なのに、何故か殺気を感じる。


「よかったですねぇ、アオバ君」

「そっ……そうですね……」


 ぎこちなく答え、足早にペルルの手を引いて、テルーナたちから距離を取った。誤解を解くのに、もう少しかかりそうだ。


 宿を出て、リコルたちに先頭を譲り、市街地へと向かう。宿の窓からも賑やかさは見て取れたが、進むにつれて賑やかさは増え、ペルルと手を繋いでいるよりもはぐれないだろうと判断し、だっこに切り替えた。想像よりも遥かに軽いペルルに若干驚いたが、普段が少食なのでそんなものなのだろうと思い込む事にした。


「──わぁっ、これすごい。何に使うんだろうね、ペルル」

「ねー」


 今まで訪れた町よりもはるかに広く、多くの屋台が出ている街並みが目につき、つい興奮気味に見渡す。リコルの従者であるウェルヤに名前を呼ばれて振り返り、慌てて戻って謝罪するが、咎めているわけではないと、彼は手振りを見せた。


「ラメランディカルは、リヴェル・クシオンでも一、二を争う程の賑わいがある町ですからね。興奮するのも無理もない──」

「これなんだろう? ウェルヤ、知っているか?」

「リコル様はもう少し落ち着いていただけますか?」


 いつの間にか一行から少し離れた場所で、リコルが屋台を覗き込んでいた。「貴方幾つなんですか」などと小言交じりにウェルヤはリコルを引っ張って戻って来ると、咳払いを一つし、賑わいから少し逸れた方向を顎で指した。


「御使い様がフィル・デ=フォルトに用事があるようだ、とグラン=バディレッカから窺っております。あちらにいると思いますが、いかがされますか」

「……あー、でも僕、今はお金が……」

「私が出そう」


 さらりと、リコルはそう言うと、要件も聞かずに歩き出してしまった。ため息を堪えてリコルを追うウェルヤの後をついていくと、人通りがやや疎らな通路の壁際に、フィル・デ=フォルトは以前と同じように地面に布を広げ、その上に商品を並べて座っていた。


(他国でもいるんだな……)


 顔が似た他人という、そう高くない確率が当たり前のように複数存在していることに困惑しつつ近づくと、遠目でも目立つ人物がいたからか、こちらが彼を見つけるとほぼ同時に、彼も顔を上げると、少し遅れて「おや」と声を出した。目の前まで近づくと、フィル・デ=フォルトはぼさついた長い前髪で隠れてしまった目元の代わりに、晒している口元に笑みを浮かべた。


「これはまた……相変わらずの目を惹く美しさですな、リコル坊ちゃん」

「私はそんなに目立つか?」


 不思議そうにリコルはそう言って、視線をこちらに向けたので、自覚が薄い事に驚きながらも「まあ……そうですね」と返答する。何故か顔をしかめるリコルは置いて置き、アオバは一歩前に出ると、視線を合わせる為にその場に屈んだ。


「あの。フィル・デさんに頼みがあるんです」


 言われて、少し間があって、フィル・デ=フォルトは自身の袖口を見た。それから何か思い出したように膝を打つと、「はいはい、何かな」と、陽気に返事をした。


「フィル・デ=フォルトは身の回りの品から情報まで、大抵の物なら何でも揃う! 品切れだったらごめんなさいね」

「買い物ではなくて……伝言を頼めないかと、思いまして」

「伝言? どこの誰にかな?」


 ゲーシ・ビルのドライオに……と言おうとして、少し迷う。ラリャンザのカインとフロワに、彼らの両親がそちらに帰ろうとしていることも、伝えたかった。


 悩んでいる間にリコルが白い石を取り出し、フィル・デが用意した天秤の皿の上に置いた。ガンッと大きな音がしたのでそちらを見ると、重りを放り出す勢いで、石を置いた皿が下がったようだった。思わず、といった様子でフィル・デが笑う。


「ははは。これなら、二、三件頼んでもお釣りが出ちゃうな」

「よし。アオバ君、伝えたい人全員に、伝言をしよう」

「ありがたいですけど、お金はもっと大事に使った方が良いのでは……」

「気にしない、気にしない」


 ほら。と促され、その言葉に甘えて二件の伝言を終えると、フィル・デは地面を指先でなぞった。現代でいうところの算盤を何もない所で弾いていた彼は、計算途中で顔を上げる。


「他に要件は無いのかい? 例えば、情報だとか」

「ええと……では、フラン・シュラが人間に戻す方法とかは」

「フラン・シュラの退治方法でなく、人間にする方法と来たか」


 膝を叩き、フィル・デはからからと笑う。


「いやぁ、聞いた事がないよ。そもそも、君の言い方ではまるで、最初は人間だったみたいに聞こえたけれど、アレって、人間が転じたモノなのかい?」


 とてもそうには見えないけどね。と感想を溢しながらも、フィル・デは記憶を探るように、空を仰いだ。


「『分からない』という事が知れてよかったね、と言ってもいいところだが、それじゃあ金額に見合わないってもんだ。そうだな、シャニアに向かうつもりなら、コレドゥ・アラに寄ってみるといい。その田舎町の図書館に、面白い人がいる」

「……田舎町に、図書館があるんですか?」


 面白い人、という言葉に引っかからないわけではなかったが(フィル・デが明らかに、笑いを堪えるような調子で言ったので余計に)、それよりも、特に識字率が低いとされる田舎町に図書館があるのが意外だった。フィル・デは立てた人差し指をくるくると回しながら言う。


「コレドゥ・アラは、王都やその周辺都市の通り道にある町でね。かつては、そこそこ発展した町だったのさ。まあ、今は宿場の従業員以外、ほとんど人が住んではいないのだけど」


 ちらりと、フィル・デの視線がリコルに向けられた。目が合った彼が気まずそうな顔になるのも気にせず、フィル・デは続けた。


「そういった都合で、金持ちの暇つぶしとして図書館があるわけさ。その図書館に、フラン・シュラの研究をしている男がいる。その人に会って、話を聞いてみるといい。方法は見つからずとも、有意義な時間は過ごせるだろうよ」

「分かりました。ありがとうございます」

「おっと、どういたしまして」


 こちらが頭を下げると、つられてフィル・デもぺこりとお辞儀をした。伝言二件に情報料を払っても、天秤を壊しかねない重さの貨幣ではやはり大量に釣りが出たのか、フィル・デはいくつか適当な物品をこちらに寄越し、満足気に高価な価値がある石を仕舞った。それから手元に置いていた本を引き寄せた。


「ところで、“貧弱アニュー”の続きは聞くかい?」


 こちらがすでに、その物語を知っている前提で、フィル・デは笑い、アオバを指さした。


「君はゲーシ・ビルの宿屋で、始まりを聞いただろう?」

「……どうして、それを?」

「そういうものなのさ、フィル・デ=フォルトというのは」


 それから彼はリコルに顔を向け、「坊ちゃんは、もう少し先まで聞きましたな」と、声をかけた。


「ああ。でも、アオバに合わせて構わないよ。シャニアに戻るまでには、追いつくだろうから」


 胡散臭い程にきらきらとした空気を漂わせながら、リコルは微笑んだ。リコルは了承してから、思い出したようにテルーナの方を見たが、彼女は「私はもう、最後にどうなったのか知ってますのでぇ」と、気にしないでと言いたげに手を振った。


「え、もう完結してたのか?」


 二人の会話を聞いて、フィル・デは唇を尖らせた。


「まだだよ。まだ。いけないなぁ、見たからって、勝手に結末を決めつけるなんて。それに、ストゥロいわく、物語の最後はいつだって、幸福な結末でなくては」

「辛い過去も、死ぬ間際の今思えば幸せでした。……なんてのは無しですよぉ」


 そういうの、興醒めですぅ。と付け足したテルーナに、フィル・デは舌を鳴らして指を振り、「それを決めるのは俺じゃない」と、無責任に言い放った。


「では、素晴らしきお得意様に、“続き”を語ろうか」


 フィル・デが本を開くと、ふわりと風が巻き上がり、近くを転がっていた枯葉が、演じるようにくるりくるりと舞った。

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