◇ 03

 金髪の青年──リコルが先ほどと同じ椅子に座ると、生真面目そうな男性は盆ごとアオバに譲り、扉付近に立った。


「食べながらでいい。少し話そうか。私はリコル。そっちの彼は、ウェルビリング=ヤヲルヤ。私の世話をしてくれている。少し長いから、ウェルヤと呼ぶといい」

「ご、ご丁寧にどうも……」


 友達によく似た声に、涙腺が緩むのを堪えてウェルヤと紹介された男性にも頭を下げる。それから、アオバにべったりとくっついていたペルルを彼らと対面するように座らせ、こちらも自己紹介をした。


「アオバ=クロノです。この子は……」

「ぺるるです」


 自ら名乗ったのを見て、偉いぞとペルルの頭を撫でる。それを大人しく受けるペルルを見つめ、微笑ましそうに目を細めてリコルは言う。


「仲良しさんだね。さて──単刀直入に聞くが、君はラリャンザで御使い様と呼ばれていた少年と、同一人物かい?」

「えっと……多分」


 未だにカインやロレイヤ夫妻と出会った町の名前がラリャンザで良いのか、確信が持てずに頷けば、リコルは満面の笑みでウェルヤに「ほら! 言ったろう! 当たった!」と子供の様に無邪気に喜んだ。


「あ、あの?」

「ああ、すまないね。私は君を見た瞬間に、ラリャンザで噂になっていた御使い様だろうと直感的に思ったのだけど、ウェルヤは、『違うかもしれない』と認めてくれなくて」

「不可思議な現れ方をしましたが、それ以外は極めて普通の少年ではありませんか……御使いと呼ぶには、あまりにも……」

「ラリャンザの町に現れた御使いも、普通の少年だったと言われていたじゃないか。ウェルヤは人の話を聞かないな」

「問答無用で保護区に突入した貴方にだけは言われたくありません!!」

「──でもどうして、あのような……紐みたいになっていたんだい? 精霊の仕業ではないと、テルーナたちは言っていたけれど」


 ウェルヤの小言にも似たツッコミを完全に無視し、リコルは興味津々なのを隠さずに、吐息が感じ取れそうなほどに顔を近づけてアオバを見つめている。変わった距離感の人だなと思いながら、リコルの質問を誤魔化す。


「あれは何というか……色々あって?」

「へぇ、そうか」

「いや何納得しているんですか」


 曖昧すぎる返答をあっさりと受け容れたリコルに、ウェルヤが口を挟んだ。


「どう考えても、何か隠してます! 誤魔化しています!」

「誰だって隠し事の一つや二つあるだろう。詮索しすぎると嫌われてしまうよ」


 論点がズレているような気がするリコルに、これ以上黙っているとどんどん話が進められてしまうと思い、アオバは失礼を承知で口を挟んだ。


「あ、の……僕は、御使いと呼ばれるような者ではありません。この力も借り物で……現に、使いこなせてはいません」

「そうなのかい? 君はあの洞窟で、誘拐犯たちを制圧していたじゃないか」

「いいえ。暴力的手段に出てしまいました。それ以外の方法を、思いつきも試しもせず、相手を傷つけてしまったんです。御使いなどと、呼ばれる程……正しい存在だとは、思えません」


 リコルはちらりと、ウェルヤの方を見た。困った様子もなく、不思議そうに視線をアオバに戻した。


「それで多くの命が助かった。彼らは悪い事をして、制裁を受けただけだ」

「その罪を裁くのは、僕がするべきことですか?」

「君がただの人間だと言うのなら、はっきりと違うと答えよう。だが、君が御使いであるならば……答えは変わってくるだろうね」


 静かに、リコルは言う。


「“力ある者は、力なき者を守りなさい”。これは私が人づてに聞いた教えの一つだが……少なくとも、御使いにはそうあって欲しいと、望んでいる。あの場で力なき者は、連れ去られた少女たちだった。君は彼女らを守った。それだけの話だよ」


 そう言い切ると、リコルは話題を打ち切って続けた。


「そうそう、君と知り合いだと言うアティという少年なのだけど。一度、ゲーシ・ビルに戻って君の荷物を取って来るから、ここで少し待つように。と、伝言を預かっている」

「えっ、そんなわざわざ……」


 自分で取りに戻るのに。と付け足すと、リコルは困ったような笑みを浮かべた。


「そうしたいのは山々だけど、今は通行止めの件もあって、我々一般人では関所に行くのも、馬車を使っても二週間はかかるだろう。聖騎士の足には敵わないよ。折角だから甘えておこう」

「……うん? あの、すみません。ここって、サネルチェじゃないんですか?」


 明らかに国境を超える前提で話す彼に疑問を持って質問を投げると、リコルは「言い忘れていたね」と答えた。


「ここはリヴェル・クシオン連邦の西部、ラメランディカルだよ」

「……えっ」


 思わずユラを見た。特に動揺しないあたり、彼女はとっくに知っていたのだろう。当然だ。アオバが目を覚ますまで二日程時間があったのだから、ある程度の情報収集は終わっていると考えて良いだろう。言わなかったというよりは、伝えそびれていたのか、ユラは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「とはいえ、事情が事情だからね。役所に行って、事情説明をして……あとは身分証の提示と、いくつか書類に署名をすれば、すぐに帰れるはずだよ」


 数日前に聞いたような台詞に、アオバは頭を抱えた。


 おそるおそる、身分証明できるものが無いと告げると、リコルは端正な顔立ちに驚きの表情を浮かべた。美しい青の瞳が、真ん丸になっている。


「い、今時……身分証明を持たない人がいるなんて……あ、ああ、いや、書類は持っていたよね」


 話しながら思い出したのか、不意にリコルは懐を探り、何かを取り出した。


 少し皺がついてしまった書類と、銀色の薄いケースだ。最初に訪れた町で、シャルフから貰ったものだった。それらの下から更にもう一つ、黒い──


「──あ」


 認識した瞬間に、奪うようにそれを掴んだ。薄い液晶を両手で隠すように覆った。それは、もう電源が入らない、スマートフォンだった。自分でも何故、リコルの手から強奪したのか分からず、目を白黒とさせていた。個人情報の塊だからと、大層大事にしていたわけではなかったはずだ。そもそもこの世界の住人が見たところで、意味不明の文字記号の羅列でしかないだろう。にもかかわらず、何故か、手元にない事で強烈な不安感が湧き出たのだ。文明が違うからだとか、そういった常識に囚われた考えが浮かび上がる前に、アオバの手はリコルからスマートフォンをひったくっていた。


 きょとんとしていたリコルが、小首をかしげる。


「すまない。大事なものだったかな」

「そ……その……いえ」

「なんだか不思議な物だったし、この書類だって大事なものだろう? 小さい子たちが興味を持って、触り出したものだから預かっていたんだ。丁寧に扱ってはいたと思うけど……傷がついたりしてたら申し訳ない」


 完全なる善意で、持っていてくれたようだった。高貴な身分であろう相手に失礼な事をしたと、我に返って謝罪を重ねるが、リコルは然程気にしていない様子で、残った書類と銀のケースをこちらに手渡した。


「他国ではあるけれど、私から口利きをすれば書類は通るかもしれない」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。まあ、それが通れば君は御使い様ではなく、ただの人だと証明されるわけだけど……うーん、とはいえ、無いと不便か……」

「皆さん持っているんですよね、身分証」

「当然ですね」


 扉を背にして、ウェルヤが言う。


「どこ出身で、今どこに住んでいる何者なのか、精霊に証明する為のものです。君は姓名どちらも珍しいので、同姓同名はいらっしゃらないとは思いますが、もしもの事があったら困るでしょう」

「……なるほど」


 ついつい役所の手続きに使う為だけの書類だと考えてしまっていたが、この世界では何でも精霊基準だった事を思い出す。精霊への証明の為の書類らしい。確かに、死者の名を嫌っているのは精霊なのだから、同姓同名の為にも必要なのだろう。


「何にしても、君はアティが戻ってくるまで安静にしていてくれ。精霊の呪いも、完全解呪とはいかなかったから……いや、ラリャンザの御使い様は、精霊の呪いを解いたんだったな。自分でどうにか出来るか?」


 リコルの言葉で精霊に呪われていた事を思い出し、否定的に首を振った。


「いえ……あれはその、ユース……リニッタ? というところの薬があったからで……僕自身は何もしていません」

「そうだったのか。うーん、ユースリニッタ薬堂の薬か……この辺りで取り扱っているのか?」


 リコルの視線を受けて、ウェルヤが少し考えた後、「後で聞き込みをしておきます」と答えると、リコルは「頼んだ」と短く返し、視線をアオバに戻した。


「心配せずとも、今は随分と大人しくしているそうだよ。君はしばらく安静、体力が回復したら歩く練習を始めよう。さすがにシャニアに戻るまで、私たちで抱えて運ぶのは骨が折れそうだからね」

「そ、そこまでお手を煩わせるわけには……」

「いいじゃないか。私たちも一旦、国に戻ろうと思っていたんだ。まさか定期報告が交通規制で届いていなかったなんて……ここらで戻らないと、今度こそ兄さんに外出禁止を言い渡されてしまうから……」


 後半にかけて切実に言うリコルから悪いものは感じ取れず、ユラに確認の意味を込めて視線をやると、彼女は迷わず頷いた。了承と受け取り、アオバも頷き返す。


「分かりました。では、僕も早くに復帰できるよう、頑張ります」

「まずは安静に、ね。アオバ」

「……はい」


 名を呼ぶ声の懐かしさに、熱くなった目元を隠すように俯いた。

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