◇ 04

 黙り込んだアオバを見て、疲れさせてしまったと勘違いしたのか「聞きたい事はたくさんあるけれど、病み上がりに質問攻めも失礼だったね」とリコルたちは席を外した。静かになったこじんまりとした部屋の中で、ペルルが飛ぶようにベッドから降りた。


「じゃんて、よぶ」

「呼べる?」

「ぺるる、えらいからできる」

「じゃあ、お願いしてもいいかな」

「ん」


 頷いて、ペルルは小走りで部屋を出て行った。ほんの一週間ほど前の、かつて洞窟で出会った頃の手を引かれるだけの少女の姿をしたフラン・シュラは、もう随分と自分で考え、行動できるまでに成長していた。


「ペルル、普通の子みたいに見えますね」

「そうだな。貴方に褒められたい、以外の感情が分からんのが厄介だが」


 小さい子なら、行動の動機はそんなものじゃないだろうか。あまり幼い子供と触れ合う機会の無いアオバは、世間一般で想定されるそんな答えを脳裏に浮かべる。それからふと、ユラに視線をやった。


「何?」

「あ、いえ……僕らが連れて行かれた時、ユラさんちょっと……辛そうだったので、もしかして疲れていたのかなと……」

「……仮に疲労だった場合、二日もあったのだから、とっくに疲れは取れている」


 少しだけユラの言葉が詰まった。言いたく無さそうに視線を逸らし、感情を削ぎ落した声で、事務的に彼女はそう答え、もういいだろうと言いたげに手をヒラヒラとさせた。


「すみません。ユラさんの事、あまり知らないから……気のせいだったなら、それでいいんですけど……」

「私だって、貴方の事はよく知らない。でも、それでいいでしょう。拠点に行って事情の説明だけして、後は、貴方は自由の身になれる。……それだけ理解してくれれば、それでいい」


 初めて出会った時のように、ユラは距離を感じる話し方をする。厳格に、忠実に、仕事だけに目を向けている。他の事は考えたくないと言わんばかりに、彼女は仕事以外の要素を突っぱねていた。


「ユラさん」

「……」

「僕を守る事が、自分の為になると……だから、守らせてほしいとユラさんは言ってくれましたが、僕には逆に……追い込まれているように見えるんです」


 既にオーディールの復活がアオバの存在そのものの危機に直結していた事で、ユラには余計な心配をかけていた。一人で保護区に落ちた時も、ユラはペルルの面倒を見ながら追いかけてきてくれた。人攫いに遭った時だって、彼女は相手が人攫いだと知る前から『首を突っ込みすぎるな』と警告していた。そしてアオバは結果的に面倒ごとに巻き込まれ、ユラに迎えに来てもらっている。相当に負担をかけているのは、誰の目にも明らかだ。


「だから……僕を守ることが、ユラさんにとって辛い事なら、もう──」

「──私が守りたいものは、貴方ではないのかもしれない」


 ポツリと、ユラは呟いた。俯いても、ひとまとめにされた髪が乱れる事は無く、整った顔立ちが苦し気に歪むのが、はっきりと見えた。


「貴方を守れば……何もかもを失ってから手にしたこの力で、かつて守りたかったものを今度こそ守れると……そこには何の意味も無いのに、私はそれを証明しようとしている」


 だから、と。彼女は続けた。


「貴方を守らせてほしい。これは、私の為だ」


 切実な願いを、拒否できるわけもなく、それが本当に、ユラの為になるのかと、疑問を解消できないまま、アオバはただ「はい」と頷いた。


 しばらくして、子供らしい軽快で間隔の短い足音が戻ってきた。それは扉の前で止まり、二度ほど扉が叩かれる。「どうぞ」と答えると「んー」という唸り声の後、少し手間取った様子でペルルが扉を開けた。


「ペルル、おかえり」

「ん。んー……?」


 走ってベッドまで近づき、ペルルはいそいそとベッドに上がった。それからアオバとユラの間に流れる空気に首をかしげていたが、ほとんど同時に扉から見慣れない女性が困った顔でこちらを覗くと、そちらに向き直った。


「あの……?」

「あ、ごめんなさい。僕が呼んできて欲しいって、この子にお願いしたんです」

「そう、なんですか……?」


 いきなり少女に呼び出され(それもおそらく十分な説明もなかっただろう)、よく知らない男の前に連れ出されたのだから、困惑するのは当然だった。重ねて謝罪をすると、女性は慌てた様子で部屋に入り、頭を下げた。


「こちらこそ、お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。貴方様のおかげで、怪我が一つも残らず……」


 何の話か分からず、まじまじと女性を観察する。服装が替わり、身だしなみもきちんと整えていたのですぐには分からなかったが、あの時アオバたちが連れて行かれた檻の中で、暴行を受けていた女性だった。


「あっ、大丈夫でしたか? まだ痛いところとか……」

「痛みも傷も、もうどこにもありません。貴方様のおかげです、御使い様」

「い、いや、御使いっていうのは、たまにそう呼ばれるだけで、皆が想定しているものとは違うと、思うんですけど……」


 しどろもどろに答えると、「本当に、普通の男の子みたいですねぇ」としみじみ言われてしまった。あまり否定するのも、希望や願望を壊すような気がして強く言えないまま、女性の顔にカインの面影を見つけ、確認をする。


「違ったら、否定してください。シャニア王国のラリャンザという町で、墓守をされていましたか?」


 出稼ぎ人だと、誘拐犯側の男が言っていた。条件は合っているはずだ。


 女性は驚いたように目を丸くし、戸惑いながら頷いた。


「え、ええ……その通りです。墓守をしていたのは、夫の方ですが……」

「では、カインとフロワ──んぐっ」


 子供たちの名を上げた瞬間、女性が慌てたようにアオバの口を手で押さえた。怯えた顔で、首を振っている。


「い、いけません、いくら御使い様といえど、しにっ……死人の、名を、口にしては……!」


 口を塞ぐ手を震わせて、女性は言う。


「ご、ご存じでしょうけれど、ラリャンザは、フラン・シュラの大群が押し寄せて以降、連絡が取れず……子も……下の子は、体が弱くて、薬がいるのに……私たちは、届けにいけなくて……フラン・シュラから逃げおおせていたとしても、もう……」


 連絡手段が少ない世界では、たった一通手紙が届かないだけで命綱が断たれたような気分になるのだろう。ましてや精霊に呪われていたフロワの状況を思えば、希望を持つのは難しい。


 口を覆う手を剥がし、両手で包み込んで「大丈夫ですよ」と声をかける。


「僕は、多分……そのラリャンザから来たんです。すみません、町の名前までは把握していなくて……でも、フラン・シュラの大群が来た時、町にいました。カインとフロワとも会っています。二人とも、生きています」


 女性は目を見開いて固まっていたかと思うと、その場にゆっくりとへたり込んだ。声を出さないで、唇が動く。「本当に?」と。


「元気ですよ。フロワの容態もかなり落ち着いたみたいで、たくさん話したがっていました」

「フロワが、生きてる……?」

「はい。カインも、今は家を……あ、その、フラン・シュラがいっぱい来たから、カインの家が崩れちゃって……今はロレイヤさんと、ディオルさんの家に居候しています」

「ロレイヤ……ああっ、そうだったの、私……もう諦めて……! 御使い様、ありがとうございます、ありがとうございます……っ」


 自身の包み込まれた手を、更に上からもう片方の手でアオバの手を包み、女性は気持ちを伝えんばかりにぎゅっと力を込めた。それから赤くなってしまった目元を拭い、顔を上げた。


「こうしてはいられませんね。夫にも、伝えないと」

「ご夫婦で連れ去られていらしたんですか?」

「ええ……情けない事に、出稼ぎから故郷に戻る為に、通行止めを避けて迂回に迂回を重ねていたら、少し迷ってしまって……事情を話して親切な方に道案内を頼めたと思ったら、あの場に連れていかれてしまって……でもそのおかげで、御使い様に会えたのです。この出会いに感謝しなくては」


 そんな大それた存在ではないですよ、と前置きして、伝えておくべきことを伝える。


「二人とも、帰られないご両親の事を心配していました。会って、安心させてあげてください」

「はい!」


 勢いよく返事をしてから、女性は再度お礼を言い、ペルルの手も取って「呼びに来てくれてありがとうね」と声をかけると、扉の前で何度も何度もこちらが申し訳なくなるほど頭を下げると、笑顔で去って行った。


(よかった……これで二人が安心できる)


 安堵して息をつくと、ユラが薙刀の柄の部分でアオバを小突き、受け取って以降盆ごと膝に乗せたままだった食事を指さした。


「そろそろ食べたらどうだ?」

「あっ、そうでした。ペルルはご飯食べた?」

「たべたよ」


 答えながら、ペルルはやや不満そうにアオバの肩に顎を置いた。


「ぎゅうはー」

「あ、そっか。まだだったね」


 応える為に盆を脇に移動させようとすると、ユラが「こら」と口を挟んだ。


「アオバは先に食べなさい。ペルルも、後にしなさい、後に」

「ぺるる、たくさぁまったのにー、あおばおきたのにー」

「ならもう少し待てるな?」

「うー」


 拗ねたのか、ペルルはその場に寝転がった。複数の人間を混ぜてできたとは思えない程、本当にただの子供のようだなとペルルを観察していると、枕まで移動し、うつ伏せになって枕に顔をうずめると動かなくなった。


「ごめんね、すぐ食べるからね」


 こちらの呼びかけに反応するように、小さな足が二回程パタパタと動いた。


 宣言通り急いで食べてしまおうと、動きの鈍い指でスプーンを支え、煮込まれて角が取れた根菜と、見慣れない穀物が少量入ったスープを口に含む。薄い。独特なハーブの香りも薄いが、味も薄い。病人食である事を考えると普通なのかもしれない。乾燥したパンを千切り、口に放り込む。


「ドライオさんにも連絡取らないとな……」

「アティがしてくれるんじゃないか?」

「いえ、やっぱり自分で釈明しておきたいなぁって。結局、片付けを途中で放り出してしまいましたから。それから、誘拐犯の方々の怪我も、治しに行かなくてはいけませんし……」


 それが済んだら、とりあえずは抱えている問題は解決だろうか。他に何も無かったかと思考を巡らせる。


 誘拐被害者たちの様子も見ておきたい。そうだ、ロゼは……再会できるか分からないが、会う事があったら真っ先に謝罪しよう。触っただけで崖に落ちて行ってしまったのだから、気を悪くしているに違いない。それから……シャニアに戻って、王都の方面に向かって……もしも王都に寄れたなら、役所にシャルフが異動しているはずだから、挨拶はしておきたいし……。


 思いつくままに、やるべきことをまとめ、食事を終える。片付けに行こうとベッドから降り──体重を支えきれずに膝から崩れ落ち、どうにか盆は取り落とさずに済んだものの、強打してしまった膝から来る痛みに悶絶する。


「……まずは歩けるようになってからだな」

「はい……」


 呆れたように呟いたユラの言葉に、羞恥心で顔が熱くなるのを感じながら頷き返した。

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