◇ 06
何が起こったのか、まったく分からなかった。
グシャリと音が聞こえたかと思うと、ペルルに向けられていた短剣が、腕ごとその場に落ちた。ボタボタと血が落ちて、鉄の錆びた匂いが強くなり──腕を食われた男が絶叫した。
「ぎゃああああッ!!」
牙のようだった岩肌が蛇のように長く伸び、男の腕を噛み千切っていた。男が急に手放したからか、ペルルがその場に落とされ、小首をかしげている。
「な、なんだ、これは!? 精霊!?」
退避した男たちは、まだ胸の辺りが光ったままで、呆然とその光景を見ていたアオバに目を留めた。
「お、お前か! おい、止めろ! 今すぐ止めねぇと、ガキどもを──」
言われて、ハッとして少女らを見た。怯えた表情で彼女たちは、突然動き出した岩肌から少しでも距離を取ろうと、一か所に身を寄せていた。
(あ、そうか。今なら……)
想像した。ここと隔絶するように壁が出来れば、ユラが人を呼んで来るまでは安心のはずだ、と。恐怖の対象から離れさせられる。
胸の辺りが更に光り、能力が発動する。地響きと共に岩肌は動き出し、瞬く間に壁へと変貌する。
「あお……」
「じっとして!」
「う……?」
駆け寄ろうとしたペルルを制止し、壁の内側に仕舞った。さすがに男たちに抱えられていた少年は無理だったが、過半数は保護下に入れた。これでしばらくは大丈夫のはずだ。
安堵する間も無く、背後から後頭部を殴られた。抵抗もできずに直撃した痛みに、前のめりに倒れ込むと、髪を掴んで顔を上げさせられた。
「おい。今すぐ部下を離せ」
「ま……待って……今、やって……」
「さっさとしろ!!」
巨漢が声を張り上げると、洞窟内が振動した。今すぐ逃げてしまいたい気持ちに駆られながら、能力の一つを解除しようとするが、上手く働かない。
(そう、いえば……今までこの能力で作った物が、消えたりってしたこと無いな……)
一度作ればそれっきりなのだろうか。だが、それなら別のやり方がある。今までと同じように、一度作った物に、また違う要素を付与すればいい。
(口を開け……その人の手を離せ……!)
すぅっと、胸の光が引いた。岩で出来た蛇は口を開くと、元あった牙のような岩と共に、いそいそと岩の隙間に戻って行った。
「あ、あぁあ……あ……っ」
腕を噛み千切られた男が、その場に倒れ、うめき声をあげている。獣に食いちぎられた断面から、赤黒い液体がとめどなく溢れていく。
……酷い事をしてしまった。いや、元はと言えば彼がペルルに手を上げようとしたのが原因だが、だからといってここまでしても良いという言い訳にはならない。腕の力で体を起こすアオバを、男が押さえつけた。
「動くな」
「ど、どいてください! 治さないと、血が……あの出血量では、死んでしまいます!」
「誰がやったと思って……」
引かない男を無視して、アオバはその場で、うめく男に手をかざす。千切れた手が遠い……。
(近くに移動させないと……)
ぼこりと、岩が動き出す。形を変え、大きさを変え、やや乱暴ながらに男の下に手を移動させる。どうにかすぐ傍まで運び、想像する。噛み千切られた断面の蘇生、それから、切れた神経を繋ぎ、肉を繋ぐ。元あったものを、元あった場所に。
みしみしと音がする。その度に男がのたうち回り、繋ごうとした位置がずれる。何度も何度もそれを訂正し、治し続けた。体感としては十分かけて、男の腕を元に戻した。
「っは……はぁ……」
どっと疲労が襲い掛かる。先ほどよりも視界が暗い。貧血のようにも思えたが、それ以外にも瞼が重くなり、目を開けていられない程に眠かった。
体が思ったように動かせず、のろのろと身を縮ませる。……寒い。吐き気がする。
頭が痛い。暗がりでありながらも鮮明だったはずの景色が、見えなくなっていく。
「このガキ……怪我を治せるだけじゃねぇらしい」
見えない中で、体が宙に浮いて不安定になった。抱え上げられたのか、腹部に触れているような感触がする。
「ど、どうしますか、親方。この壁……」
「ほっとけ。どのみち、こいつに言う事を聞かせる餌だ。それより、このでかい収穫……本物の御使いと、人間の盾をどう使うか、考えようじゃねえか」
***
男たちの足音が遠ざかっていく。だが、まだ気は抜けなかった。突如壁が出来た事で生まれた影の中に、何かいた。
「……」
捕らわれた少女らは誰もがその存在に気づき、息を殺す。ソレはゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてくる。足を引きずるような動きで、よたつき、不安定な様子で近づいてくる。ソレは覚束ない様子で手を伸ばし──
ガシャンッ!! と音を立てて、檻を掴んだ。誰かの短い悲鳴が上がった。
”黒い霧“が、形を得てそこにいた。
形を得た”黒い霧“が、檻の隙間から手を伸ばす。文字通り、影が隙間を縫って伸びてくる。自分よりも年下らしい少女を庇うように背に隠していたルファは、ソレから目を離せないでいた。
(助けて、お兄ちゃん……っ)
度重なる恐怖に喉がひきつり、声が出ない。その代わりの態度として、ルファは救いを求めるように、”黒い霧“に向かって手を伸ばした。
(なんで私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの……!)
ひやりとした空気がその場に停滞しているような、奇妙な感触がした。
そして”黒い霧“は、ルファをすり抜けて、姿を消した。
「な……ん、で……」
呆然として、掠れた小さな声が漏れ出る。激しい鼓動の音で聴覚を埋めながらも、その場を支配していた緊張感は解かれ、しかし恐怖が抜けるわけもなく、ルファたちは無言でへたり込んだ。
「御使い様の、せい?」
誰かが言う。多分皆思っていた。それが正しいかどうかなんて分からない。だけど、それ以外に理由が見当たらない。
(アオバが御使い様……?)
あの男らの話ではそうらしい。聞こえて来た言葉を反芻するが、ルファには納得できなかった。ルファがアオバと出会ったのは昨日だ。保護区で倒れていたのを、偶然にもそちらにドライオを探しに行ったアティが連れて帰ってきた。目を覚ました彼はいかにも普通で、穏やかで、遠慮がちで、親切な、にこにこしているだけの普通の少年だ。
(どっちかって言えば……)
視線を持ち上げる。檻の外……とはいえ、壁の内側だが、ぽつんと立っている真っ白な少女がそこにいた。ペルルだ。先ほどの”黒い霧“の事も、気にしていない様子でぼんやりと立っている。彼女はアオバと一緒に保護された、無口で、見た目の割に幼い雰囲気の少女だった。肌も髪も真っ白で、身に着けた衣服も白い。唯一の色と言える目は、なんとも不思議な色で、そこにいるだけで神秘的だった。もしもペルルを御使いだと言われたら、その容姿だけで、何もせずとも納得してしまいそうな説得力がある。
「あ、貴方は……何かできないの」
強張る体を無理に動かし、ペルルに言う。
「ずっとアオバと一緒だったでしょ。アオバが御使い様だって言うなら、貴方もそうなんじゃないの」
無表情な、人形じみた顔が振り返った。長い睫毛に縁取られたその目は、何の感情の色も浮かべていない。
「ね、ねえ、助けてよ。家に帰してよ……帰りたい……」
藁にも縋る思いで、自分よりも幼い見た目の少女に、遠慮がちに感情をぶつける。アオバは岩を生き物のように操れた。彼女も何かできるかもしれない。いや、何かできてくれないと困る。しかし、ペルルは不思議そうに首を傾げた。
「? あおば、が……ここ、あけ……あー……あけたた、かれえる」
「そ、そんなわけないじゃん! アイツらが来て、売り飛ばされるに決まってるんだから!」
「んんー……?」
納得がいかないのか、ペルルは首をかしげてみたり、無表情ながらも不思議そうにこちらを見つめる。
「みんな、やさし、からー……だーじょぶ、だよ」
「や、優しい!? 誰が!? あいつらのこと言ってんの!? やめてよ! なに見て言ってるわけ!?」
苛立ちが隠せなくなり、ルファは声を荒げた。しかし、どうにもぴんと来ない様子のペルルに更に苛立ち、カッとなって立ち上がり、ずかずかと檻の扉に向かい、ペルルの傍に行こうとすると、横から手が伸びてきて、押さえ込まれた。ルファたちがここに来た時、既に檻にいて暴行されていた女性だった。服は破れ、血が滲んでいるが、傷はどこにもない。
「だ……だめよ。落ち着いて」
「っでも!」
「狭い場所でカリカリしても、誰かを傷つけるだけよ。ほら、ゆっくり息を吸って、吐いて」
両手を握り、女性が言い聞かせる。丁度、ルファの母親と同じぐらいの歳の女性の言葉に、自然と従って深呼吸をする。数回繰り返し、再び息を吸った途端、ぽろぽろと涙が零れ落ち、ルファはその場に座り込んだ。
「帰りたいよぉ……!」
ルファにつられるようにして、周囲の子供たちもボロボロと泣き始める。全く気に留めていない様子のペルルだけが、不思議そうに目をまた瞬かせていたが、じっと女性を見ていたかと思うと、開けっ放しだった扉をくぐって近づいて来た。
「ぺるるです」
「へ?」
突然の自己紹介にキョトンとする女性を、ペルルはじっと見つめる。女性は困った顔をしながらも、子供の会話に付き合って、名乗り返す。
「フィルス=ジャンティーよ。ペルルちゃんはどこから来たの?」
「んー……わかんない……?」
「あら」
「わかんない、けどぉ……あおばが、いっしょ、いく? いった、から……いっしょ、いる。あおばは、ぺるるとやぁそくした、けどぉ、ぺるるしらない……ぺるるになるまえ、わかんない」
たどたどしくペルルは語りながら、フィルスと名乗った女性の顔をじっと見つめている。
「じゃんてー……」
ペルルはぽつりと彼女の名前を繰り返すと、不揃いな石が詰め込まれた穴に視線をやった。ペルルを目で追っていたフィルスは物悲しげな顔をする。
「そこは……あいつらが追わないようにって、塞いじゃったの……こんなにたくさん連れて来られるって分かってたら……」
唯一の脱出口が、使えない。従来の出入り口はアオバの不思議な能力で塞がれており(身の危険が無い分、ありがたかったが)、ルファたちは逃げ場がなかった。町で異変に気付いた誰かが、迎えに来てくれるのを待つしかないのだろうか。それはいつ来る? そもそも気づいてくれる? 大人たちは何をしているのか。人攫いだからとしり込みをしているのか? ルファ達の事はもう諦めて、日常に戻るのだろうか?
ルファが死者になったら、もう誰にも思い出してもらえないのだろうか。
(なんで、私がこんな目に……)
心の中で恨み言を吐いた。頼れる人もいない。想像上の兄では助けてくれない。自分でどうにかしなくてはならない。どうやって? 俯くルファの耳に、少女とも少年とも分からない声が聞こえた。
「おいで、おいで」
顔を上げ、声の主を探る。
場も雰囲気も暗い中、ペルルが周囲を見渡すと、壁に歩み寄った。
「みんな、わらうとぉ、あおば、よろこぶ。ぺるる、ぎゅーしてもらえる。いいこと」
言いながら、ペルルは壁に手をついた。
彼女は壁に手をついたまま、身を逸らした。そして勢いよく──壁に頭を打ち付けた。
「ひっ……!」
ぐしゃりとペルルの頭が潰れた。まるで泥団子を壁にぶつけたように、いとも簡単に、あっけなく、彼女の頭は潰れてしまった。しかし、壁にへばりついたのは、血ではなかった。
黒く粘着質な液体が、壁に張り付いた。頭が壊れ、首が取れ、順番に胴体から足にかけて全てが黒い泥に変貌し、
ジュッ!
と、音を立てて壁を溶かした。
穴が開いた先は洞窟で、奥へと続いているのが見え──その先の遠くで、影に溶け込んだ誰かが手招きをしていた。ルファにしか見えていないのか、誰もその人物に反応せず、壁に飛び散った黒い泥が周囲を溶かしながら一か所にまとまり出すのを悲鳴も上げずに見守っている。
人一人通れるほどの大きさまで壁が溶けると、地面に落ちた黒い泥……フラン・シュラは、勢いをつけて伸びあがり、元のペルルの姿になった。人型のフラン・シュラがいたのだという驚きと、傍にいていいのかという恐怖とでせめぎ合うその場でルファは、
「ほら、おいで。こっちにおいで」
ルファにしか聞こえない声が、含み笑いをしながら手招きをしているのを、ぼうっと見ていた。
***
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