◇ 05
ガラガラと車輪が回る音が、少し和らいだ。それと同時に、荷台の空気は冷え、息が白くなる。
(雪原……保護区に入ったのか……? どうしよう、どんどん町から離れてる……)
ユラならきっと迎えに来てくれる。それが揺らぐことは無かったが、荷馬車の中で声も上げれず震えている少女たちを家に帰してあげられるだろうか、という心配がずっと頭にあった。そしてもう一人、アオバが気にかけている人物がいた。
「…………」
隣で弱々しい呼吸の音がする。紺のような、紫のような、不思議な色合いの髪。半開きの目は紅色だ。薄暗い空間でも、やや童顔寄りの整った顔立ちだと分かる、荷台に押し込まれたアオバに下敷きにされた少年は、うつろな表情で虚空を見つめている。
アオバに押しつぶされた時も、少女らの悲鳴に男らが怒声を上げた時も、少年は声も上げず、震えもせず、荷物のように身じろぎ一つしなかった。生きている気配が、まるでないのだ。露出した見るに堪えない程の大量の傷が目に留まる。
(この傷……全身にありそうだな。出血死しかかっているのか? 打撲痕も……でもこの大きさ、出血量から見て、暴行じゃない。多分、高所から落ちたか、交通事故……は無いか)
弱っていたところを、あの男たちに拾われたのだろう。少し冷静になって荷台の中を観察してみれば、少女らに交じって、年端も行かない少年も数人へたり込んでいた。更によくよく見て見れば、性別問わず誰もが怪我をしていた。連れ去られる時に抵抗したのかもしれない。
(気休めかもしれないけど……)
隣で弱り切った少年の傷に、手をかざす。一つ一つの傷を閉じていく想像をすれば、胸の辺りが淡く光り、彼の傷が肉を寄せて傷を閉じる音が小さく聞こえだした。ある程度大きな傷が塞がったのを見て、今度はペルルの隣で固まっているルファに近づき、首元に手をかざす。
(暗くてよく見えないけど……確か、首に薄く怪我をしていた気がする)
痛みを取り除く事を考え、皮膚を引っ掻いたような傷が閉じるのを想像する。胸の光が収まったのを確認し、治っただろうと仮定して、誰かの足を踏まないように移動し、一人一人の怪我を閉じさせる。
「どこか痛い子はいない?」
小声で話しかければ、近くにいた数人が首を振った。安堵して元いた位置に屈みながら戻ると、馬車が止まったのか、ガクンと荷台が大きく揺れた。反動で足がもつれ、転ぶその先にあの傷だらけだった少年が見えて、慌てて壁に手をついた。皮膚がめくれ上がった手の平が、荒い木の目に擦れた痛みに耐え、どうにか腕の力で崩れた体勢を支える。
「降りろ」
男の声と共に、荷台が開けられる。鈍い光が差し込み、中にいた少女たちが顔をしかめた。出入口に近い子らから、乱暴に下ろされて行く。アオバが少年を抱えて降りると、目の前に洞窟があった。中には灯りがあるのか、暗い洞窟の奥からほんのりとオレンジ色が見える。それがまるで、日の光で血潮が透けて見えているかのようで、入口に連なったつららも相まって、雪景色の中に巨大な生き物が擬態し、口を大きく開けているように見えた。
子供たちの視線がアオバに向いた。彼らからすれば、アオバが唯一頼れる年上だ。当然の期待だった。思わず周囲に目をやるが、吹雪で数メートル先すらもう見えなかった。純粋に逃げる事も難しそうだ。アオバは期待に応えられそうにないと落ち込むと、その事に気づいたのか、男はアオバの腕を掴み、洞窟の中へと引きこんだ。その表情は、明らかに自分たちの方が優位だと、理解した笑みを浮かべていた。
「こいつに頼ったって無駄だぜ。こいつには、傷を治して、治した相手に精霊の加護を与える、程度の力しかねぇのさ。なぁ、御使い様?」
「……」
精霊の加護については初耳だったが、抵抗する手段がないのは事実だった。目を伏せたアオバに、男は下賤な笑い声をあげて、少女らを一瞥する。
「大人しくついて来い。良い子にしてれば、待遇の良い場所に行けるかもしれねぇぜ」
アオバの態度に落胆した様子で、少女らは男たちに挟まれて洞窟の奥へと進む。連れて行かれた先にあったのは、元々あったであろう空洞に、後から柵を付けた簡易的な檻だった。既に一人が入っていて──男の仲間らしきまた別の男性が、その人物にこん棒を振るっていた。その場に倒れ込んだ成人の女性は、地面を血で濡らしている。
「! な、何をしているんですか!?」
「ああッ!?」
思わず声を上げて止めに入ったが、逆に低い声で威圧されて縮こまる。殴りつけるのに使っていたこん棒から、ボタボタと赤黒い血が流れ落ちる。
「おいおい、どうしたって言うんだ」
「どうしたもねぇよ! このクソが、何人か逃がしやがった!」
興奮気味の男は、苛立った表情で檻から出てくる。彼が出た事で、檻の中の一部……壁に空いた穴に、サイズの合わない石が数個押し込まれていた。
「逃がした中に、あの学生が、ガーネットがいたんだ! 一番価値のある奴だ! クソが! 出稼ぎ人だって言うから、金を持っているかと思えば大した金額じゃねえし、商品は逃がすし、ろくでもねえ!」
元々仲間というわけでもなく、金目当てで連れ込まれ、拉致された子供の脱走を手伝い、自分はその場に残って時間稼ぎを行った……といったところだろうか。息も絶え絶えな良い人に駆け寄り、檻の隙間から彼らの手に触れると、アオバは傷の治癒を試みる。
「あ? 何してんだ、このガキ──」
胸の辺りが淡く光る。みちみちと音を立てて、傷が塞がっていく。
「……なんだ、そりゃ」
呆然とその光景を見ていた男に、アオバたちを連れて来た男はにんまりと口元に笑みを浮かべる。檻の扉を開け、少女たちを押し込んだ。アオバから少年をはぎ取り、同じように檻へと入れようとしたその時だった。
「待て。そのガキもこっちに寄越せ」
洞窟内に低い声が響く。足を引きずるようにして、奥から縦にも横にも大きな影が歩み寄る。
「遠くからでも分かった……こいつ、精霊王の加護を受けている」
「せ、精霊王の!? このガキが!?」
視認できる距離まで来ると、その存在だけで威圧感があった。相当体を鍛えてきたのだろう。見るからに筋肉質な巨漢が、獣耳の少女に寄り添われるようにして現れた。
宿で見た人物とは比べものにならない威厳を持ったリーダー格らしき男は、舐めるように少年を眺める。
「……後天的に
男の視線が少年から離れ、アオバに向く。
「精霊を騒がしているのはお前か。かの聖女と似た特徴だな」
「そうなんです、親方! こいつ、傷をあっという間に治す力があるんです!」
「ほぉ……」
ずりずりと、片足を引きずって男が目の前までやって来ると、その足をアオバの前に突き出した。
「治してみろ。本物なら、丁重に扱ってやる」
「……」
躊躇いがちに、アオバはその足に手をかざした。引きずっていたということは、骨折か、それとも壊死か、捻挫を大げさに扱っているのか、アキレス腱などが切れてしまったのか……靴の上からは何一つ判断がつかない。じっと観察し、靴が変形していることに気づき、骨折と仮定し、それを治す想像をする。まずは、ずれているであろう骨を、本来の位置に──。
みしっと、音がした。
瞬間、男の足がアオバの腹部に飛んだ。
「──ぐ、え……っ」
「痛ッてぇなぁ!? 何しやがる!!」
「大丈夫ですか、親方!?」
「げほっ……うぇ……ッ」
怒号が飛ぶのを聞きながら、能力を使い続ける。
(今ので、元の位置には戻ったはず……後は折れた部分を治せば、痛みは引くはず……)
倒れ込んだその場で、手をかざす。
「こいつ、まだ何か……っ」
取り巻きの男がこん棒に手を伸ばしたその時、親方と慕われる男が「ん?」と声を上げたかと思うと、いきり立つ彼らを制止した。
「待て。んん? お? おお! 治ってる! おい、治ってるぞ!」
足首をぐるりと回し終えると、支えにしていた獣耳の少女を突き飛ばし、男は歓喜の声を上げる。そのままアオバの頬を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「へぇ……本物か。地味だが悪くない顔だ。傍に置いてやる。ククク……裏切り者のエイーユが聞いたら、さぞ後悔するだろうな、価値ある品が、俺の手元にあるなんてよぉ」
男はそう言って、取り巻きに顎で檻の中を指した。
「適当に見繕って、選別しておけ。売り物にならねぇのは、好きにしろ」
「ま、待って……ください」
咽ながら、アオバは抗議した。
「その人たちに、手を上げないでください……僕が言う事を聞きますから、家に……げほっ……帰して、あげてください」
そういう約束だったはずだ。だが、そんなものは知らないと言わんばかりに、男は鼻で笑った。
「そりゃできねぇな。人一人捕まえるのに、どれだけの危険を冒していると思う? だが、取引としてなら聞いてやる。こいつらは売らない。その代わり、お前が言う事を聞かなかったら、一人ずつお前の目の前で殺す」
「そんな……」
「口答えか? おい、一人出せ」
ガラリと、檻の扉が開けられる音がした。少女らが短い悲鳴を上げる。身を守るように体を縮ませる姿を見て、胸が締め付けられた。
「見せしめだ」
無作為に、誰かが選ばれた。男が、真っ白な少女の腕を掴み、引きずった。
「あおばぁ」
「! ペルルっ! や、やめてください! その子は……!」
ぐいっと、男がペルルを引き上げた。小さな体のペルルはあっけなく浮いてしまう。アオバの言葉など聞きもせず、男はそのまま、腰から下げた短剣を抜き出した。
まだ上手く息が吸えない中、アオバは動いた。しかし、すぐに目の前の巨漢に押さえつけられてしまった。切先がペルルの首を掠めようとするのが視界に入る。ああ、駄目だ。ダメだ。傷つけないでくれと、声にも出せずに訴えた。
動けないままで、アオバは目を見開いた。洞窟内の景色がよく見える。刃が鈍く光った──獣耳の少女が、無関心を装いながら顔を逸らす──堅そうな岩肌が、うすぼんやりとした灯りに照らされている──死んだように動かない少年の瞼が、僅かに動いた──自然に出来た洞窟なのだろう、男たちの身長ぎりぎりの天井は鋭くて──檻の中で少女らの表情が強張り、女性が立ち上がろうとしている──真珠色の瞳の少女は、無表情のままで、自らを摘まみ上げる男を不思議そうに見つめていた。
(あ──)
現実逃避のように、思考がペルルから逸れた。
彼らの頭上にある、照明替わりのほんのりとした灯りに照らされた荒い岩肌が、鋭くて、堅そうで、ぎざぎざと並ぶ姿がまるで……。
(牙、みたいだ)
そう想像した瞬間、今までにない強さで、胸の辺りが光を放った。
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