◇ 07

 意識が朦朧とするアオバは、洞窟の奥に作られた別の檻の中に投げ込まれた。音でしか判断が出来ないが、隣に精霊王に加護を与えられているという少年が降ろされ、続いて誰かの裸足の足音が耳元でした。


「お前はそこで見張ってろ。いいな」

「……はい」


 少女の声だった。この誘拐犯たちのリーダーらしき巨漢を支えて立っていた人物だろう。男たちのものと思われる足音が遠ざかり、すぐ近くに少女が座った気配がした。


「……君は、さっきの人たちと、どういう関係……?」


 時々喉を引きつらせながらも、何とかそう声をかけてみた。気分の悪さは落ち着いてきたのか、視界が少しだけ明るくなり、隣で体育座りをしている獣耳の少女が見えた。


(あの耳……ラピエルのと似てるな……)


 いわゆる獣人、というやつだろうか。ラピエルもその種族が元になった姿をしているのかもしれない。


「……見たら分かるでしょ。攫われたの。何年も前に」

「そっかぁ……」

「長生きしたいなら、あいつらの言う事は全部聞いて。それがどんな恥辱だとしても、口答えしないで。同じ境遇の奴が逃げ出そうとしたら、すぐに言いつけて。そうしたら……生きていられる」


 俯いて、視線をどこか遠くに投げたまま、少女は言う。傷だらけの皮膚が目について、手をかざすと静かに払われた。


「やめて」

「……ごめん」


 素直に引き下がり、地面に手をついて体を起こした。落ち着いていた気分の悪さが再び襲い掛かり、視界がぐらりと揺れるが、先ほどまでよりも継続はせず、すぐに視界が戻ってきた。


 隣でぴくりとも動かない少年を、指先でつつく。反射も抵抗も無く、少年はただ弱い呼吸を繰り返している。


「精霊王の加護か……」


 聖騎士であるテルーナは、自身の事を『寿命以外では死なない』と言っていた。この少年も似たようなものになっているのだろうか。意識もなく、ただ呼吸をするだけの日々を、寿命が尽きるまで繰り返す状態を、『加護を与えられた』と言えるのだろうか。


(こんなの、呪いと変わらないじゃないか……)


 人間の意思を無視して、体が耐えられないような力を与えるなんて横暴だ。


 アオバは自身の首元に下がる音叉を手に取った。鎖から外れた音叉は杖になり、既に僅かに音を響かせていた。


(……もしかして、これ……フラン・シュラだから鳴っているんじゃなくて、精神状態が悪いと鳴るんじゃないか……?)


 杖の先端についた音叉を見上げ、思考する。


 フラン・シュラは転生者たちが発狂することで、ラピエルが施した術式が発動し、肉体が溶け落ち、同じように溶けた転生者たちが集まって形になっている。つまるところ、フラン・シュラの中にいる人々は全員発狂状態なのだ。故に、この音叉は鳴る。たった一人だけ選ばれた命は、音叉の音色によって調整され、精神状態が正常になり、記憶を失った後もその肉体の生物として活動ができる……のかもしれない。


(だとすれば……意識が遠くなっている彼も、この音を聞けば、もしかしたら……)


 だが、それこそ横暴ではないのか?


「……何してるの」


 少女が問う。


「目を覚ましてあげるの?」


 獣耳をこちらに向けて、少女はじっとアオバを見つめる。


「そいつが嫌がったら、どうするの」

「……」

「その体が嫌で意識を戻さないのかもしれないじゃない。目を覚まして、こんな体は嫌だって言ったら、どうするの」


 アオバより数個年下と思しき少女は、諦めた表情のまま、言う。


「やめようよ。大人しくしとけば、生きていられるんだから。余計な事しないで」


 彼女はどれ程前から、この環境にいるのだろうか。一人で、ただ生きる為だけに、多くのものを犠牲にしてきたのだろうか。良心を捨て、抵抗を辞め、何よりも生きる事だけを選び続ける日々。


「ただ息をしているだけでいいのか?」


 この少女は自分の足で歩けるのに、自力では動けない彼に似ていた。


「生きたいって思うのは、すごく尊い事だけど……それだけを心の拠り所にしていたら、大事な物も捨ててしまうよ」

「……知ったような事言わないで」

「君がそれで納得しているなら、僕は何も言わないよ。でも、もしも……あの人たちの下から離れて、自由に……外を見て見たいなら、そうすべきだと思う」


 少年の手を取り、杖を鳴らす。リン、と細く高い音が洞窟内に響く。


「ここを出よう。大丈夫。もしもあの男の人たちに見つかっても、僕を差し出せば君に被害は及ばない」

「……でも」


 途切れることなく、音叉は震え続ける。崩れてしまった心を、元の形に戻す。隠してしまった感情を、引きずり出す。動かなくなった意識を、叩き起こす。少年だけでなく、おそらく少女にもその音は響く。


「ね、ねえ、でも、よ。でもね。その人が、起きて、嫌がったら、アンタに責任とれるの?」

「その時は……」


 ぴくりと、少年の指が動いた。虚ろだった瞳に光が入り、紅色の目にアオバを映した。音叉の震えはすっと引き、静かになった空間で、少年は数回瞬きをした。


「その時は、俺を殺せ」


 想定よりも低い声で、少年は水分が行きわたっていない掠れた音を絞り出す。


「普通の奴じゃ無理でも、アンタならできるだろ……御使い様」


 それはどうだろうか。答えようと口を開くと、少年が手の平をこちらに突き出し、「何も言うな」と言わんばかりに制止した。軽快に起き上がろうとして、間接がバキバキと鳴り、少年は険しい表情を浮かべながらぎこちなく体を起こした。


「っあ……痛ってぇ……! どこだ……ここ……」

「お、おはよう……」

「こんな時に挨拶かよ……呑気な奴だな、お前」


 少年はしかめっ面で首を回している。その度にゴキゴキと音が鳴るのが、少々怖い。


「クソ……ッ、あのド低能精霊、無茶苦茶やりやがって……! 全部くれてやるつったのに、聖騎士の卵エイ・サクレだと……っ、馬鹿にしやがって……」


 ぶつぶつと愚痴を吐いていた少年は、重たそうに壁にもたれかかった。傷は治ったが、快調とはいえない状況らしく、顔色はいつまでも悪いままだ。


「あの……ごめんなさい。嫌だった、かな……」


 おずおずと話しかけると、疲れ果てた瞳がじろりとアオバを見た。


「何、が?」

「君の、意識を戻してしまった事……」

「ああ……そういうことね。まあ、嫌だよ。何もかも諦めて……死んでもいいかって……そう思って、精霊に全部くれてやったのに、まだ生きてるんだから……」


 軽い調子で少年は言う。元の性格では、威勢のいい人物だったのだろう。その言葉に後ろ暗さは全くなく、どこか清々しいまでの素直さを感じ取れた。そんな彼が、死んでもいいと諦めるような出来事があって、意識を閉じてしまっていたのに、起こしてしまったのだ。アオバは落ち込んで、少年に手をかざす。


「ごめんなさい……じゃあ、なるべく苦しまない方法を試してみるから……」

「アンタ優しそうに見えて案外鬼畜だな?」


 かざした手は、呆れた表情を浮かべた少年によって、弱々しく振り払われた。


「泥すすって生き永らえたんだ……どうせなら、アイツごと道ずれにしてやる」

「アイツ?」

「俺の、友達」


 少年は意地の悪い笑みを浮かべてそう言って、よろよろと立ち上がった。


「ひと月前から、世界中の精霊が荒れてるんだろ……? あれ、なぁ……その友達が、やらかしてんだ……っはぁ……ああこのっ、体が重てぇな……!」


 少年が檻に指を引っ掻けると、檻はまるで針金のようにあっさりと曲がった。獣耳の少女が、驚いたように耳をピンと立てる。


「いつも、俺の前を歩いてる……何でもそうだ……喧嘩も、読み書きも、俺より出来る……強くて、カッコよくて、謙虚で、あの子も……ああ、いや……皆アイツの事が好きで……憎たらしいけどさぁ……優しい奴なんだ……アンタに、御使い様に……ちょっと、似てる」


 檻が、メキメキと音を立て湾曲していく。ついに人一人通れる大きさにまで広げてしまうと、少年はその場にへたり込んだ。


「っ……はは……駄目だ。全然力、入んねぇ……ド低能つっても、精霊王……いや……生まれながらに、加護を与えられなかった……俺の体には、強大すぎる、のか……」


 彼の言葉通り、内なる力に肉体が耐え切れなかったのか、皮膚が裂け、血が飛び散った。アオバは体を引きずって少年に近づき、その傷の治癒を試みる。胸の光が眩しく感じる程に視界は暗いままだったが、少年が困惑したのが伝わった。


「何してんだ、アンタ……」

「怪我を、していたから……ああ、そうだ。精霊の力に耐えらえるように、体を強くとか、できるかも……」


 もうほとんど頭が回っていなかった。アオバは思った事をそのまま口に出して、言葉通りに能力を行使する。


「……何考えてんだって、意味なんだけど」

「うん……?」

「アンタが今生かそうとしてる男は、人一人殺しに行くって言ってるんだぞ」

「うん……それは、さっき聞いたよ」


 上の空で、返事をする。


「それが、君の生きる理由になるなら……優しい人の暴挙を、止めてあげたいって、君はそう思っているみたいだから……悪い結果には、きっとならないよ」

「……」


 彼の言葉から、その友人とやらに憎しみや嫌悪は感じ取れなかった。きっと彼は、友人を止めたいだけだ。その手段として暴力を選び、自身も罰を受ける覚悟でいる。なら、大丈夫だろう。己の罪を理解し、罰される事を当然としている優しい人ならば、きっと。


(この子達を、外に出してあげなくちゃ……)


 この場で、あの男たちの言う事を聞くだけの生活を、彼らにさせたくない。だが、どうすればいい? 非力な自分に何が出来る? もっと力があればよかったのに。見るからに屈強な体なら、連れて来られた子供たちも、安心できただろうに。どちらかと言えば線の細いアオバに、それは期待できない。


 悔しくなって、俯いた。冷たい地面に触れる手が、目に入った。


(……そうだ)


 ドタバタと足音がして、男たちが何人か部屋に駆け込んできた。あのリーダー格らしき巨漢ではない。物音がしたから遣わされた下っ端だろう。そしてアオバたちが檻を壊して外に出ていることに気づくと、近くにあった(設備の余りだろうか)角材を手に取った。


「おい! どうやったかは知らんが、戻──」


 回らない頭が、漠然とした意識で能力を行使する。荒く息を吸い込み、想像した。この洞窟の全体が能力の範囲内になるように、巡り渡った神経を介して信号を伝える。保護区内は精霊が多い。おそらくは、この洞窟内にも精霊が蔓延り、掌握している。ならば、この洞窟の所有権を、。さっきだって、一部は操れた。男の腕を噛み千切る程の力を出せた。ならば、ここら一帯を操られれば、ユラたちが来るまでの時間を、もっと安全に稼げる。


 静かに、強く、胸の辺りが光った。アオバが手をかざすまでもなく、岩肌に自然に出来た突起物が伸び、男たちの行く手を阻んだ。手足だけを狙い、武器を奪い、動きを妨害する。


「……っは……は……ああ、うん……ちょっと、慣れて来た」


 かなり曖昧ではあるものの、洞窟内の人の動きが分かる。子供たちは集まってじっとしているはずだから、それ以外の人間の動きを一時的に封じれば良い。胸の光は途切れることなく輝き、この部屋の外で男たちの悲鳴が上がる。能力は上手く行使できている。だが、それと同時に疲労感が増していく。洞窟内を動かそうとする度に、大きな抵抗を感じる。おそらくは、精霊たちがこの洞窟という自然の所有権を奪い返そうと、躍起になっているのだろう。


(これは……長時間は持たないな)


 男が怯えた顔で角材を振り回すのを、頭上からずるりと垂れ落ちた岩が押さえ込む。傷つけないように包み込み、しかし確実に、相手の動きを奪い、アオバは覚束ない足取りで男たちに歩み寄った。


 音叉の杖で体を支える。リン、と音がした。


「ごめんなさい……貴方もきっと、優しい人なんだろうけど……連れ去るのは、悪い事だから……誰かを傷つけることは、駄目なんです。だから──」


 脳を介さず、思ったままが口をつく。まるで自分の口ではないかのようで、他人事のように遅れて自身の声を辿っていく。それでもやはり、声はアオバ自身のもので、出てくる言葉に予想はついた。そして今更ながらに、理解した。ガシェンの子が、何を望んでいたのかを。


 同じような立場になって、自分が関わるようになって初めて理解した。やはり自分の事しか考えられない偽善者で、御使いなどと名乗るのはおこがましい人間だと再認識する。


「あとで一緒に、怒られましょうね」


 自分勝手で申し訳なくて、アオバは眉尻を下げてほほ笑んだ。硬化した岩を撫でていると、背後で精霊王の加護を受けた少年が、よたつき、獣耳の少女が慌てて支えて、どうにか立ち上がった。


「……御使い様、なのか」

「そういうのじゃ、ないよ……」

「…………なあ、外と通じる道を作れるか? 例えば、そこの壁を壊したり、とか」

「ここで待っていて。すぐ、助けが来るから……」

「駄目だ。今すぐ外に出させろ」


 強い決意が込められた声に逆らえず、岩壁に意識を向ければ、壁はぐにゃりとねじ曲がり、大きな穴が開く。外に繋がったのか、少しは治まった吹雪の音が聞こえ、すっと冷えた空気が入り込む。


「ああ、ちょっと待って」


 返事を待たずに、能力を使う。見えはしないが、バサリという音がしたので、上手く想像を形にできているはずだ。


「何だこれ」

「寒いだろうから、気休めだとは思うけど、持って行って」


 作り出したのは、ドライオにかけたものと同じ毛布だ。もう帰ることはない自室の押し入れに仕舞われているものと同じ……だと思う。取り落とす音がしなかったので、おそらく持っていってくれたのだろう。遠ざかる足音とは反対に、停滞している方へと首を向ける。


「君は行かないの?」


 外へと足を踏み出した少年から手を離し、立ちすくんでいた少女に声をかける。


 僅かな間があって、少女は外へと踏み出した。躊躇いがちに少年の後を追いかける。


「なあ、御使い様」


 少年の声が少し離れたところから聞こえた。


「全部終わったら、花火を上げるから」

「花火……あるんだ、ここ」

「あ? あるって。でっけぇやつ上げるから、ちゃんと空を見てろよ」


 挑発的な声でそう言って、今度は少し真剣な声色で少年は「だから」と続けた。


「全部が終わって、俺がただ息をするだけになったら、そしたら……頼むよ」

「……うん」


 雪を踏む音が、少しずつ遠のいていく。少し眠気が強まった、回らない頭を素通りして、うろ覚えの言葉が口をつく。


「──今日の悲しみは……明日には喜びに、今日の理解は、明日からの愛に……明日も先も、皆が幸せでありますように……」


 精一杯の願いを込めて、祈り、杖を支えに歩き出す。部屋を出た先は、不自然な丸い岩があちこちの壁にへばりつくように成っていた。この下におそらくは、誘拐犯たちが動きを封じられているのだろう。傷つけてしまった事への罪悪感に襲われて、ただでさえ不調なのに眩暈がした。


 ──今更何万、何億を殺したって、そう変わらないだろう?


 不意に脳内で再生されたラピエルの声に、胸のざわつきがわずかに治まる。思えばラピエルはいつだって、言葉の端々に不快さを表しながらも、褒め、慰め、助言し続けていた。やはりあの子も優しい人だ。


(今、貴方の言葉に救われている、なんて言ったら……ラピエルは嫌がるかな……)


 げんなりした顔を思い浮かべて、何故かおかしくて笑ってしまった。

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