◇ 05

 喧嘩が収まると、集まっていた人々は散り散りになった。その中をアティと共にドライオを支えながら、彼の家に戻ると、椅子にどかりと座ったドライオは、落ち込んだように俯いた。先ほどの熱量が逃がし切れていないのか、まだ息が荒い。


「水汲んできますね」


 少なくとも酒を飲むよりはいいだろうと、移動しようとして、アティに止められた。


「いや、俺が行く。アオバはドライオの傍についていてあげてほしい」

「え、でも」

「君は人を落ち着かせる何かを持っているみたいだから。頼む。それに……子供相手に暴れるような真似は、さすがにドライオもしないだろう?」


 ちらりと、アティがドライオに目で問いかけると、俯きながらもドライオは片手を上げた。それを了承と受け取ったのか、「じゃあ」とアティは部屋を移動した。


 途端にその場は静かになった。気まずい空気の中、ペルルが椅子を引いた音がやけに大きく聞こえた。よじ登るようにしてペルルが座り、ドライオの真似をして俯き、そのまま机の上に突っ伏した。すぐに飽きたのか、アオバの手に触れて遊び出した。


「……お前は、神様はいると思うか」


 ぽつりとドライオが聞いてきた。戸惑ってしまい、すぐに答えることができず、アオバは小さく謝罪した。そんなアオバを責めているわけではないと言いたげに、ドライオは軽く手を振った。


「俺はなぁ、神様はいると思ってる。元々、半信半疑だったが、こう悪いことばっかり続くとなぁ……いるんだろうって、思っちまう。俺の事が大嫌いな神様が、いるんだろうなぁ……」

「そんなことは……」

「御使いが現れたんだから、いるんだろうよ」

「……本物だと、思いますか」

「本物だろうよ。神様はいるんだから……」


 もはや因果がどちらにあるのか分からなくなってきた。


「ドライオさんは何故、御使いに悪い人を懲らしめて欲しかったんですか?」

「あー……?」

「だってドライオさん、腕っぷしもあるじゃないですか」


 ペルルに遊ばれていた手で彼女の頭を一撫でして離してもらい、ドライオの傍につく。俯いてしまった彼を見下ろさぬよう、膝をつき、下から声をかけた。


「それに、貴方はとっても優しい」

「何を……」

「聖騎士が皆怪物だなんて、思ってないでしょう?」

「……」


 アティの名前を出された時、ドライオは止まった。聖騎士であれば誰でも悪なのだと、心から思ってはいないはずだ。もしそう考えていたのなら、もっと強くアティに対して反発しているはずだ。だから違う。でも、心の底から信じる事ができないでもいる。


「……あの手紙が、理由ですか……?」


 躊躇いがちに切り出すと、驚いたようにドライオが目を見開いた。


「なんでお前が、そのことを……」

「ご、ごめんなさい。今朝、ドライオさんに会いに来た時に見てしまって……」

「あ……ああ、片付け忘れちまってたか、毎晩見てたから……」


 記憶があやふやなのか、ドライオは自身の失態だと受け取ったようだった。実際は、しっかりと片付けられていたのを、家探しをしたアオバが見つけたので、バツが悪くて視線を逸らす。


「あれは……貴方の子からの、ですか」

「……ああ」


 僅かな間があって、ドライオは小さく声を溢して頷いた。


「いつ?」

「儀式が終わった後だ……あの子がこの家を出て、五か月後だった。うちの住所までは知らなかったんだろうな。役所経由でうちに届けられた。でもなぁ……あんなの、偽物だ。うちの子は、読み書きが出来たんだ。俺も知った時は驚いたもんだ。町の奴らも知らないだろうけどな……。だから分かるんだよ。あの子の字じゃなかったって」


 ああ、やっぱり。聖騎士によって偽装された遺書だと考えて、ドライオはずっと聖騎士を憎んでいた。


「あんな、適当な言葉で、俺の子を騙りやがって……」


 力なく、ドライオは机に握りこぶしをぶつけた。僅かな振動に、ペルルが顔を上げた。しばらくペルルは目をぱちくりとさせていたが、少しして、口をむぐむぐと動かした。


「どして、てがみきたの」

「え?」

「かー……かく……? かく、なかったらー、おここ……おこら、れないのに」

「ええと……手紙を書かなかったら、怒られる事もなかったのに、どうして手紙を届けたのかって事?」

「んー」


 文字の区切る位置や言葉そのものが滅茶苦茶なうえ、抑揚がないせいで、どういったニュアンスで伝えたいのか分かりにくいペルルの言葉をどうにか聞き返すが、正解なのかそうでないのか分からない返事をされてしまった。


 とはいえ、確かにペルルが言った(と思う)通り、手紙を偽装せずに、何の連絡も寄越さなければ、聖騎士もここまで恨まれる事は無かっただろう。元気づけるにしても、わざわざ贄として死んでしまった子供を装わず、聖騎士として手紙を出せばよかったはずだ。


「何か理由があったのかな……」


 アティの言葉通りなら、その人物は役目として連れて行った子供の死を、真摯に受け止めていた。神経を逆なでするような行為を好んでするとは思えない。


「お前さんは……人を良い風に見ようとしすぎだ……あの聖騎士にそんな考えがあるかよ……」


 背中を曲げ、その内丸まってしまいそうなドライオを下から見上げ、言う。


「そうかもしれません。でも、誰にだって優しい一面があるから、僕はそれを信じます」


 その時、部屋の出入り口から物音がした。顔を上げると、コップを持ったアティが部屋に戻ってきたところだった。


「アティ。聞きづらい事なんだけど、君はドライオさんの子を連れて行った聖騎士と知り合いだったよね」


 言われた瞬間、ドライオが彼を見たので、アティはぎょっとしてコップを滑り落としそうになった。彼は間一髪で飲み口のあたりで掴み直すと、ため息をついてコップを机に置いた。


「……そうだが」

「何か聞いてないかな。どうしてドライオさんに、子の遺書を装った手紙を送ったのか……」

「……? 何の話だ」


 幼いながらに整った顔に、アティは訝し気な表情を浮かべた。予想外の反応にこちらも首をかしげると、彼は胸ポケットから、小さく折りたたまれた紙を取り出した。偽りの遺書と同じように、血でこげ茶色に汚れている。


「その人から預かった手紙だ。修復するのに時間がかかったと言っていた」

「修復……?」


 聞き返すと、アティは言いにくそうに視線を数回逸らすように動かした。


「……十五年前の土贄の儀は、途中で贄を失っている」


 言葉が出てこなかった。涼し気な空気が、肌寒い。開口したままだった口から、ようやく「え」と、声が漏れる。


「保護区を回る直前の町で、花の毒を摂取して、血を吐いて死んだと、と聞いた」


 手紙を机の上に置き、アティは言う。


「それでも、贄に選ばれた以上は、連れて行かねばと……彼は遺体を連れて保護区を回り……儀式を終えた後、遺書の存在に気づいたそうだ」

「なら、そのまま返してくれれば……」


 懇願するように、ドライオが言う。震える指先で手紙に触れ、アティの言葉を一言一句聞き漏らすまいと、傾聴する。


「贄の最期は、服の欠片を探す事すら難しい程に食い尽くされる。遺書の破片を見つけただけでも奇跡的だ。十五年間、精霊の力を頼りに修復してきたのが、これだ。それ以前のものは知らない」

「え、あれ、じゃあ、その人は手紙を返そうとしてたってこと?」

「ああ。断じて、遺書の偽装などするような奴じゃない。その場しのぎの誤魔化しを、何より嫌う男だ」


 丁度耳元で、カサリと音がした。首ごとそちらに向けると、ドライオが手紙を開いたところだった。アオバの位置からは裏面しか見えないが、血で滲んだインクが青っぽい色で所々広がっているのが分かる。


 手紙を持つ太い指の震えは止まる事なく、手紙を取り落としそうにな程だった。次第にドライオの目に涙が溜まり、表情はぐしゃぐしゃになっていく。


 何が書かれているのか分からない。文字を見せられたところで、アオバには読めない。綴られているのは、彼を労わる言葉だろうか。責める言葉だろうか。そのどちらであったとしても、アオバが取る行動は変わらない。


「遅ぇんだよ……何もかも。お前ら聖騎士は、いつも……遅い……ッ!」


 喉を絞めたような声だった。その声には、嘆きと、悔しさと、ほんの僅かな怒りが込められていた。その怒りを、増幅させてはいけない。


「これも嘘だ……たった一人の肉親に、『死んで来い』って笑いながら言われた子供が、俺なんかの心配……するはずねぇんだ」


 これ以上彼に、後悔してほしくない。


「ドライオさん」

「御使い様が本物なら……俺たち聖職者を罰してくれ。そうだろ。なあ。俺の事を大嫌いな神様は、信じるから。早く罪だったと言ってくれ。俺たちは偽物を崇めました。嘘をさも正しい事のように教えて周りました。あまつさえ、自分の子を怪物に差し出しました……」

「そこに書かれた言葉は、嘘なんですか。貴方の子の、本当の最期の言葉じゃないんですか」


 聞きたくないと言いたげに、ドライオは俯いた。耳を塞いだ。その手を──アティが引きはがした。


「信じてあげてください。貴方の子の優しさを。僕には、何が書かれているか分かりません。でもきっと、貴方を想う言葉が書かれていると、信じます」

「何も、何も知らねえくせに」

「はい、その通りです。全部僕の希望でしかありません。でも、貴方は優しい人だから……貴方の子もきっと、優しい子だと思うんです。例えそうじゃなくても」


 嘘でもいい。


「貴方は既に、罰されました」


 なんの罪かは分からないけど。


「これ以上の苦痛は、貴方に必要ないんです」


 頬を伝った涙が落ち、彼の胸元に滲みを作った。そうまでしてようやく涙が零れた事に気づいたドライオは、両手で顔を覆った。


 リン、と音叉が鳴る。


 ドライオの手元にある手紙と、聖書の下に敷かれた紙きれから、それぞれ小さな粒が一つずつ転がり出ると、二つは空中で引かれ合い、ぴったりとくっつくと一つの光の粒に成った。それは風に煽られるようにふわりと舞いあがると、一度ドライオの周りをぐるりと一周し、静かに天井を突き抜けて、空へと還っていった。


 今消えたのは、ドライオの子だろうか。もしそうならば、ずっと見ていたのだろうか。十五年間ずっと、己を責め続けたドライオと、聖騎士の二人が心配だったのだろうか。


 ドライオの泣き声につられて目頭が熱くなり始めるアオバの後ろで、ペルルが椅子から降りた。ガリガリ、と音を立ててペルルは椅子を戻すと、聖書が置かれた棚の方に顔を向けた。


「じゃあ。これ、だれの」


 問題はまだ解決し切っていないと言いたげに、舌足らずな声はそう言った。

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