◇ 04

 ユラに案内されてたどり着いたのは、レンガ造りの横に広い二階建ての家だった。扉が複数あるところを見るに、長屋のような共同住居のようだ。その内の一つの扉を指さし、ユラは言う。


「この部屋だ。少し見てくるから、アオバはここで待っていてほしい」

「分かりました」


 壁をすり抜けて、一室に入るユラを見送り、アオバはペルルと並んでその建物を見る。表札のようなものが無い為、誰の家かまでは分からない。社員寮かもしれないし、普通の住宅かもしれない。


(ドライオさんの家と共通点は無さそうだよな……となると、住んでいる人がラピエルと関係があるのかな)


 ラピエルの正体も目的も分からないのだ。彼(彼女かもしれないが)に人を傷つけるような行いを辞めるよう説得するにしても、何かとっかかりが欲しかった。腕を組み、思考だけを動かしていると、不意にペルルが繋いだ手を引っ張った。


「わ。どうしたの?」


 少し屈んで話しかければ、ペルルは道の向こう、人だかりが出来ている場所を黙って指さした。再度「何?」と問いかけると、一言、


「どらいお」


 とだけ答えた。


***


 内心ユラに謝罪をしながらペルルが言う場所に近づいてみると、町の人々がざわついている。遠巻きに少し背伸びをして騒動の中心を覗き込むと、ドライオとテルーナがいた。ドライオはその場に転がっており、テルーナは立ってはいたものの、憮然とした表情で彼を見下ろしていた。そんなテルーナの後ろで、グランが呆然としている。


「な、何があったんですか!?」


 人をかき分けてその場に近づくと、我に返ったグランがアオバに気づいた。


「い、いや、何が何だか……この男が急に難癖をつけてきて……」


 この二人からすれば、突然酔っ払いに絡まれたとしか映らなかっただろう。テルーナとドライオとを交互に見、とりあえずドライオを起こす。


「大丈夫ですか、二人とも……」

「大丈夫ですよぉ。その人、掴みかかろうとした勢いで、そのまま転んだだけですのでぇ」


 転んだから助け起こそうとしただけなのに、怒鳴りつけられて困りますよぉ。と、テルーナが唇を尖らせる。一方のドライオはというと、転んだ際に多少の擦り傷を負った程度のようで、太い腕を振り回した。


「大丈夫だろうよ、そうだろうよ! 聖騎士だからなぁ! 怪物の仲間なんだからなぁ!」

「ど、ドライオさん、落ち着いて!」

「なんでこの町に聖騎士がいやがるんだ! 今度は誰の子を連れて行く気だ!?」

「誰も連れて行きませんよぉ。いつまで昔の事を引きずっているんですかね~」


 頬を膨らませ、わざとらしく「怒ってますよ」という態度を取りながら、テルーナはドライオを睨みつけた。殺気が無いせいか、あまり怖くはない。それを見て苦笑するアオバの肩を支えにして、よろめきながら、強いアルコール臭を漂わせてドライオは立ち上がった。


「ああ、ああ、その目だ。それが怪物の目だ、鏡をよく見るんだな! 俺の子を物みてぇに連れて行きやがって! 嘘つきの怪物野郎が!」

「だーかーらっ! それは十年以上も前の話でしょう! 十年前なんて私はまだまだ子供で、全然関係ないんですけどぉ」


 飄々とした態度で応対するテルーナだったが、逆にそれがふざけている風に取られたのか、ドライオは声を荒げた。


「人の子供を怪物にやっておいて、その言い草はなんだ! やっぱり怪物だ! お前は化け物の仲間なんだ!」

「ちょ、ちょっと、一旦落ち着きましょうって!」


 食ってかかるドライオを宥めようと、二人の間に入ってドライオに向き直る。


 でも、何を言えばいい? ドライオにとって聖騎士は多分、自分の子どもの最期の言葉すら偽った奴らだ。この人は違うと言ったところで、聞き入れてはくれないだろう。


「ドライオ! 何をしているんだ!?」


 思考を遮るように、男の声が横から入って来る。レベゾンだ。


「ああもう、こうなるって思ったから、家から出ないようにしたかったのに……!」

「お前、レベゾン、お前、知ってたんだな、聖騎士が来てるって! お前もなんで怒らねぇんだ! お前だって──子供を連れて行かれただろうが!」


 驚いて、レベゾンを見た。彼もドライオと同じ境遇だったなんて。


「こいつはな、こいつらはなぁ! 俺の子だけじゃ足りねえって! 俺のかみさんが、命と引き換えに生んだあの子だけじゃ、俺の跡取りじゃ足りないって!! それで、お前のところの子供も連れて行った!!」


 ドライオが聖騎士にここまで怒り狂う理由に納得した。ただ連れて行かれたわけじゃなかったのだ。物のように扱われたあげく、ドライオの子の命では神様は満たされないと、その命の価値にまでケチを付けられていたのだ。しかし、言われたレベゾンは、消極的な様子で眉尻を下げた。


「それは……でも、その子に言ったって、しょうがないだろ……」

「どうせ、こいつも同じだ! 人を下に見てる! 俺たちのことを価値のない奴だって思ってんだよ!」

「んな……っ! 聞き捨てなりません! こっちがどれだけあなた方を守る事を誓って……」

「──それが押し付けがましいんだよ!!」


 暴れるドライオをどうにか押さえ込むが、貧弱なアオバではすぐに振り切られてしまいそうだ。


「誰が頼んだ、そんなこと! 誰も頼んでねえ! なのに、助けてやってる、手伝ってあげてるってなぁ、それが人を下に見てるって言ってんだ!!」


 耳が痛い話だった。ドライオは別にアオバに向かって言っているわけではないけれど、それでも棘ついた言葉が過去の行動を縛り上げていく。自分勝手で我儘で、偽善的な行動に、傷ついている人がいるのに、アオバには救う事が出来ない。失った子を、生き返らせることもできない。その悲しみを和らげる慰めの言葉すら思い浮かばない。


「今に見てろ、お前らの時代は終わる! 本物の御使い様が現れたんだ! 偽物の聖者は皆いなくなれ!」


 ドライオが縋るその御使いは、本物でもなければ、そんな力も持っていないのに。今こうして、ドライオを抑え込むのが精いっぱいなのに。


「ドライオ……」


 レベゾンが、震える声を絞り出した。


「それ、アティにも言えるのか……?」

「!」

「俺だって、聖騎士にも神様にも思うところはあるよ。でも、アティ見てたら、良い奴はいるんだって、聖騎士だからって皆同じじゃない! お前もいつまでもそんなこと言ってないで……!」


 一瞬、ドライオの視線が背後に向けられた。何かを確認するような動きに気を取られた瞬間、


「──」


 ドライオが、アオバの腕を振り切った。酔いなど消し飛ばした追い詰められた表情で、想定よりもずっと俊敏に彼は動いた。


(あ……っ)


 力いっぱい振り上げられた拳が──割って入って来たアティの手の平が受け止めた。銀灰色の髪が風圧で揺れ、俯きがちだったアティは静かに顔を上げた。燃えるような赤い目が、まっすぐにドライオを見つめた。


 いつの間にかグランがレベゾンの肩を掴んで引き寄せ、彼を庇うようにテルーナが前に出ていた。あの一瞬で、力のある彼らはそれだけ動けたのだ。アオバだけが、直接引き留めていたにもかかわらず何もできなかった。


「あ、アティ……」


 助かった。言おうとした言葉は、ドライオの怒声で消し飛んだ。


「なんで止めた!! こいつは! こいつは、よりにもよって! 何考えて……!」

「……」


 黙ったまま、アティはじっとドライオを眺めた。悲し気な表情に、ドライオもたじろぐ。それを見て、アティは掴んだままだったドライオの拳を離した。


 反動でよたついたドライオを、アオバは慌てて支える。勢いでぶつかった首元の音叉が、小さく音を鳴らす。


「大丈夫ですか!?」

「あ──……あ、ああ……」


 ふいに、ドライオが落ち着いた。それまで彼の中を激しい勢いで巡っていた熱量が、抜けてしまったようにストンと、その表情から血気が引いた。


 そんなアオバたちに背を向け、アティはテルーナに向き直った。


「よく耐えてくれた。仕事の邪魔をして悪かったね」

「なぁんか上から目線ですねぇ……まあいいですけど」


 張り詰めた空気が緩んだからか、レベゾンがその場にずるりと倒れ込んだ。それを見て、慌てた様子で衛兵の一人がドライオの後ろから駆け寄った。彼を抱えようとしてもたつく衛兵から、テルーナはまるで猫でも摘まみ上げるように軽々とレベゾンを抱えると、衛兵に向き直った。


「この人のお家はどこですかぁ? 運びますよ~」

「さすが聖騎士様! 助かります!」

「はいはい。グラン君、ちょっとだけ寄り道しますね~」

「あ、はい」


 テルーナは衛兵が指した方に足を向けた。その後を追おうとした衛兵が、アティを振り返る。


「君も、手当てをしよう。おいで」

「結構。かすり傷にもならん」

「そ、そうか。本当に、聖騎士っていうのは……」


 続きそうだった言葉は、アティの「早く行け」という淡泊な対応によって断たれた。衛兵は困り笑顔を浮かべて、少し先でこちらを見ているテルーナの下へと走り去って行った。


 それを見送ってから、アティはこちらを振り返り、口元に形だけの笑みを浮かべた。


「家まで送ろう。アオバも来い」

「う、うん」


 その小さな体と似つかない、有無を言わさぬ口調に威圧され、無駄に何度も頷き返し、そんなアオバを見てペルルがカクカクと首を揺らした。

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