◇ 06

***


 目的の部屋に入ったユラは、障害物をまったく気にも留めることなく各部屋を見て回っていた。玄関と一体化している水場と居間。厠と水浴び場は共同らしく部屋の外にあった。一畳にも満たない物置。居間に直接繋がる部屋は寝室らしく、寝台と机だけでいっぱいだ。


 机の上に散乱した書物と、すり鉢、それから乾燥した青い花びらから見るに、薬学に精通した人物の部屋かもしれないな、と推測する。


 “権限”を使用してみるが、世界の意思がまだ本調子ではないせいか、相変わらず情報の開示は中途半端だった。


(ふぅん。これがサリャの花か)


 それでも物の名前ぐらいは出せるようで、半透明のパネルに映される文字に視線を落とす。机の上にぽつぽつと落ちている青い花が、以前の町でカインが見せたがっていた夏に咲く花、サリャらしい。


(こうやって掏っているということは、薬物か何かに使える物なのか?)


 詳細が欲しくてパネルを凝視するが、夏に咲く事と、群生地、後は似た形をした花がある事以外は、文字が潰れて読めない。


(……まあ、今はいいか。さて、ラピエルの気配は……)


 ユラの思考に合わせるように、花の詳細を出していたパネルが閉じ、新しく別のパネルが展開される。世界地図の上に、数字が細かく表示されたそれは、ラピエルの気配を数値で表すよう設定したものだ。地図は世界から近場の物へと切り替わり、ユラの現在地にまで絞り込まれる。やはり、ほんの僅かだが数値が高い。特に、この部屋だ。


 周囲を見渡し、ラピエルに関連しそうなものを探る。物さえ見つければ、後はアオバにこの部屋の住人と交渉してもらい、それを見せてもらえばいい。……だが、どうにも見当たらない。


(ドライオの部屋にあったのは、血痕のついた遺書。似たような手紙でもあれば、と思ったんだがな……)


 表面的に分かるものではないのかもしれない。だとすれば、直接アオバに探してもらうなりした方が早いだろう。もう一度部屋を見渡し、今度はこの部屋の持ち主に関する手がかりを探っていると、玄関の方で物音がした。


「ここですかぁ?」

「あ……ああ……はぁ」


 壁をすり抜けて居間に出向くと、女性聖騎士のテルーナが、レベゾンを抱えて部屋に入ってきた。扉を開けているのは衛兵だろうか、彼はテルーナの後に続いてグランが部屋に上がったのを確認してから部屋に上がり、台所の傍にある水瓶から水を汲むと、レベゾンに差し出した。


「飲めるか?」

「ああ、悪い……」


 レベゾンが椅子に座ったところで、そういえば扉を開けた時にアオバたちが見えなかったな、と思い、気配を探る。……いない。


(またフラフラと……まったく)


 誰かが目の前で転んで手当てをしに家まで運んでいるのか、はたまた手伝いを頼まれたのか、理由は見ていないので分からないが、まあ大方そんなところだろう。迎えに行くか、と居間を横切ると、受け取った水を一気に煽ったレベゾンが、その場で深々と頭を下げた。


「すみません、仕事中に……」

「いえいえ~。じゃあ、私たちはこれで」

「あっ! 待ってください!」


 立ち去ろうとするテルーナたちを、衛兵らしき男が引き留めた。


「聖騎士様、随分歩き回られてお疲れでしょう? 少し休憩されては」

「あー、いえ。私は……」

「レベゾン。ほら、この間いいのが手に入ったって言ってただろ? 出してあげたら?」


 その時、視界の端で、パネルの数値が変動した。


 今にもその部屋を出ようとしていたユラは足を止め、パネルを見る。ドライオの家に出ていたラピエルの気配が、0になっていた。何かあったのだろうか。確認しようとした瞬間、権限の一部が更に復活した。


(な、なんだ……? 誰かが祈りでも捧げたのか? オーディールがどこかで復活した……?)


 突然起きたそれらに困惑しながら、そういえば、と先ほどの部屋の方に視線を向ける。


(少しだけでも、さっきの開示情報が見えたり、とか……)


 部屋に入らずとも、履歴からサリャの花の情報が再び開かれる。花の名称、属名、群生地、それから……。


「ああ、いいねぇ。聖騎士様には、お世話になったし」


 声に合わせて、ユラは顔を上げた。重い腰を上げて、レベゾンは戸棚を開くのが目に入る。影になって見づらいが、“権限”は問答無用で使用され、その奥に仕舞われた物の成分表が羅列する。


「よい菓子が、手に入ったんです」


***


 聖書を除け、血に汚れた偽物の遺書を取り出す。アオバには記号の羅列にしか見えない短い文章を目で追いかけた。


「この手紙、役所を経由して来たって言ってましたよね?」


 すすり泣きながら、ドライオは頷いた。


「分かりました。少し、役所に行って聞いてみます。持って来られた方の名前は分かりますか?」

「……レベゾンだ。あいつが、血相変えて……朝っぱらから持ってきた……」


 今朝ドライオの家に来ていた人だ。顔を思い出しながら頷き、偽物の遺書をドライオに見せながら、言う。


「これ、お借りします」

「ああ……そのまま捨てちまってくれ……」

「……用事が済んだら返しに来ますから、その時に、必要が無ければ一緒に処分しましょう」


 偽物とはいえ、何か意図があって書かれただろうそれを、アオバが処分するのはどうかと思った。もしかすれば、本当に善意で、ドライオが落ち込まないよう書かれたものかもしれない。処分した後でそれが発覚しては大変だ。


「じゃあ、行ってきます」


 ペルルの手を引いて玄関扉の前に体を向けると、既にアティが半分程扉を開けて待っていた。散乱した物で埋まる部屋で本物の遺書を抱きしめるように胸に押し当てて泣くドライオに振り返り、その場を去ろうとして──言い忘れていた事を思い出し、閉じかけた扉を掴む。


「あの! 昨日の片付け、途中で放り出してすみませんでした! 戻ったらやりますね!」


 少しポカンとした顔で、ドライオが顔を上げた。一瞬間があって、濡れた口角を釣り上げた。


「……おう。悪いね」


 互いに手を振り合い、今度こそ扉を閉じた。


「君はこの町にまだ詳しくないだろ? 俺が案内しよう」


 先に外に出ていたアティがそう言って、先導を始めた。


「ありがとう。でも、いいの? ドライオさんの傍についていなくて……」

「俺が出来る事はもう無いよ。それに、子の事を考えている時は一人にしてくれと、数日前に怒られたところだ」


 アティの反応は、どこまでも淡々としていた。預かっていた手紙をドライオに返す事、その目的の為に動いていただけで、自身の感情が伴っていないように思えた。手紙を返す為だけに町に何日も滞在し、タイミングを計っていた忍耐力を考えると、まったく情熱が無いというわけでもなさそうだが。


「それで、その偽物の手紙とやらを、俺にも見せてくれないか? そんなものが届いていたなんて、知らなかった」


 言われるがままに渡すと、アティは手紙の文字をさっと読み飛ばした。


「……随分短いな」

「だよね……」

「気休めにしたって、もう少し書くだろう。とくにアイツ、筆まめだからな。逆に、変な慣用句を使って、偽物だと気づかれるほうがよっぽどアイツらしい」


 アイツというのは、件の聖騎士の事だろう。アティの言い分からは、やはり生真面目な人物を思い描く。返された手紙を撫でると、少しごわついた手触りがする。


「それ、レベゾンが書いたと思うか?」

「うーん……どうだろ」


 アティが疑いの目を持ったのは、手紙を持って来たというレベゾンだった。彼はドライオと親交があって、騒動の様子からも気の弱さが垣間見えた。あの様子では、ドライオが普段から彼を振り回している事は想像に難くない。その鬱憤が溜まって……とも考えられるが。


「でも、レベゾンさんも儀式で子供を亡くしてるんだ。その辛さが分かるのに、子供の死を利用して仕返しなんてするのかな……」

「辛さが分かるからこそ、より辛い目に遭わせる方法を思いつく。しかもその怒りの矛先を、聖騎士に押し付け、自分は安全圏に居続ける……やろうと思えばやれる、だろうね」

「そうかなぁ……」


 手紙に書かれた読めない記号と、血痕をぼんやりと見つめていると、ふと見覚えがあるような気がして目を瞬かせた。


(この血の跡、本物の手紙と似てる……?)


 記憶の中で、本物の遺書と偽物の遺書と重ね合わせる。滲んだ血の形が同じ……いや、僅かにだが血の付着具合が違う。偽物の方は少しぼやけた輪郭をしている。


(偽物の方は、一度濡らしたのか。でも、同じような形の滲みが出来ているなら、これはドライオさんの子が持っていた便箋で間違いないはず。多分、重ねて……その上から大量の血がついて……)


 なら、手紙は贄が死亡してからこの町に持ち込まれた。


 ……誰が?


「……ね、アティ。ドライオさんの子が亡くなったのは、花の毒を食べたからって言ってたけど……贄は、決められたものしか食べられないんじゃ……?」

「ん、ああ。それは保護区に入ってからだ。むしろ、その先からは好きな物を食べられないからと、保護区に入る直前は好きな物を好きなだけ食べる贄が多いと聞く」

「そっか。じゃあ、その中に毒が入ってたってこと?」

「そうなるな。ただ、一つ気になっていて」


 歩む速度を少し落とし、アティはアオバの隣に並び立つと、声を潜めた。


「使われた毒は、サリャの花なんだ」

「え、毒あるの?」

「特殊な加工をすれば、ね。自然に毒になることはないよ。見た目も綺麗だから、観賞用としても使われる。でも、アイツの話によれば、その場にあったのはソリュの花だったんだ」


 聞いた事の無い名前に首をかしげると、困った様子もなくアティは補足してくれた。


「サリャの花によく似た花だ。この二種をまとめて“双子花”と呼ぶこともある。ソリュの花には毒が無いから、観賞用の花として贈り物にもよく使われる。ドライオの子の最期の食事だからと、机に飾ってあったそうだ。ソリュの花は、蜜が甘い事でも有名でね。俺も昔は、咲いているのを見つけたら吸ったな」


 ツツジの花みたいなものだろうか。へぇ、と相槌を打てば、アティは「だから」と続けた。


「ドライオの子も、その花の蜜が好きだったらしく、吸った。でも、花には毒が塗られていた」

「それって……」

「誰かが意図的に、花に毒を塗っていて、それを摂取してしまった贄は、血を吐いて死亡したそうだ。他殺と言っても過言ではあるまい」


 さぞ苦しかった事だろう。ただでさえ、これから死に行くと決まっていたのに、毒で吐血なんて……。子の無念を考えると、自然と顔をしかめてしまう。書かれた文字こそ偽物でも、紙を濡らす血は本物なのだ。手紙に視線を落とし──“本物”との違いに気づき、今度はまったく違う意味で顔をしかめた。


「……毒が塗られていたのは、花だけ?」


 アオバの質問の意図が分からないと言いたげに、アティは眉をひそめる。


「ええと、確かそうだったと聞いている」

「その毒って、ちょっと舐めるだけでも致死量になる?」

「え? いや……大体、匙で山盛り二杯ぐらいが致死量だったと思う。……あ、そうか。花の蜜を吸ったぐらいでは、吐血するはずないということか……どうしたんだ、アオバ?」


 険しい表情になってしまっていたのか、困惑した様子でアティがアオバを覗き込む。


「つまり……ドライオさんの子は、その食事で摂取する以前から、毒を盛られていた」

「!」


 アティの赤い目が、はっとしたように見開いた。

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