◇ 12

 パタン、と。フィル・デ=フォルトが本を閉じると、朧気な人形劇をしていた湯気は、ゆらりと形を失った。


「アニューはこの後、どうなるんですか?」


 慣れない味の最期の一口を咀嚼しながら聞いてみれば、フィル・デは口元に弧を描き、肩をすくめた。


「続きは、別のフィル・デ=フォルトに聞いてごらん」

「そういう旅人向けの、販売促進の劇だ」

「ああ、なるほど……」


 アティの短いながらも的確な返答に頷く。


 今回は無料で聞けたが、おそらく次回からは何か購入したオマケとして聞ける、というものなのだろう。あちこちの町に出向く旅人に、お得意様になってもらうのが目的らしい。


 「面白味の無い人だよね、相変わらず」と、フィル・デは言う。


「君もアニューに思うところ、あるだろうに」

「ふん」


 鼻を鳴らして一蹴し、アティは食後のお茶をすすっている。


 こちらもようやく口の中の物を飲み込み、食事を終えると、厨房から出て来たルファが、荷物を持って別の出入り口に向かうのが見えて、立ち上がった。


「ちょっと手伝ってくる」

「俺が行こうか?」

「ううん。あれぐらいなら、僕でも平気だよ」


 少し重くなってきた瞼をこすり、ペルルをアティたちに託してその場を離れた。


 裏口らしき場所で、荷物を持ったまま扉を開けようと四苦八苦しているルファが見え、後ろからドアノブに手を伸ばした。


「──……! あ、な、なんだ、アオバかぁ」


 突然死角から手が出て来たからか、びくりと一度大きく痙攣してルファは固まり、大きく目を見開いて振り返った。その手がアオバだと分かると、肩の力を抜き──ともすれば落胆ともとれる表情で──緊張感ごと吐き出すように息をついた。


「あ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……」

「分かってるって。開けて、開けて」


 ルファが少し横に逸れたので、隙間を縫うようにして扉を開けた。赤い日差しが目に飛び込んでくる。先に外に出て扉を支え、荷物を数個受け取っていると、近くの窓にフィル・デの背が見えた。室内で壁にもたれるようにして立っているユラと、目が合う。ついてこなかったのは、目が届く範囲だと知っていたからのようだ。


 ユラに会釈し、視線をルファに戻す。彼女は丁度、運んでいた荷物を積み上げているところだった。


「それ、何?」

「んー? 廃棄物っていうか……」

「肥料とかには、しないの?」

「普段はそうするんだけどね」


 荷物の一つを開けて見せ、生肉らしき欠片を、ルファは指さした。


「青い粉がついてるの、見える?」

「……うん。あるね」

「これ多分、毒なのよ」


 毒。ぎょっとしてルファを見ると、彼女は憤慨した様子で眉を吊り上げていた。いわく、今朝見た時には青い粉は付着してなかった、らしい。他の客に出すものと混じらないよう除けて保存していたそうなので、実質的な被害は無いようだ。


「確証はないけど、もしもの事があったら困るでしょう? まったくもう! どこの誰かしら! 折角、頑張ってくれるアティのために、昨日山で狩ってきたのに!」

「ルファが狩ったんだ、それ……」

「そうよ! ちょっと頑張って、そこそこおっきいの狩ったのに、信じられない! 犯人見つけたら、もうぼっこぼこよ!」


 正義感が強いのか、血気盛んなのか、ルファは拳を振り回した。「薬とか詳しいんだね」と溢すと、「倉庫にそういう本があったの。掃除の時に見つけたんだけどね。私、ちょっとだけ文字が読めるの」とルファは自慢気に笑う。


「毒を盛るのは、怪物相手だけにしてほしいわ」


 そういう物語があるのだろうか。憤慨するルファに、そう尋ねてみると、「小さい頃に読んでもらった事無い?」と不思議そうにこちらを見つめた後に、「王族信仰のお話に、そういうのがあるのよ」と付け足した。


 荷物を適当に壁際に寄せて、ルファは筋肉をほぐすように伸びをした。見よう見真似でアオバも近くに荷物を下ろしていると、ルファは急かしながらこちらの手を取って、宿へと引っ張って行く。


「そろそろお祈りの時間ね。早く戻りましょ」

「お祈りの時間?」

「なんでも、ラリャンザに現れた御使い様が、『九時頃にお祈りをしてほしい』って頼んだそうよ」


 噂が回るのが早いというか……。


(シャルフさん、僕が言ってた事守ってくれたのか……)


 生真面目な役人の顔を思い浮かべ、律儀さに感謝しながらルファの手を握り返した。水仕事で荒れているのか、ざらついている。


 彼女が後ろを向いている事を良い事に、能力を使って治癒を試みる。胸の辺りが淡く光り、皮膚の感触が柔らかくなると、違和感があったのか、ルファが振り返った。


 思わず手を離すと、効力が届かなくなったのか、胸の光は消えた。……見えてない、といいけど。


「そ、そういえば、ルファ。アティの事だけど」


 追及されないように話題を提供すると、ルファは困ったようにほほ笑んだ。


「ああ……それね。あんまり聞かないほうが良いって、お父さんが」

「あ、そう……?」

「事情があるのかもだし、アティは悪い人じゃなさそうだし……あーうん、でも、気になるのは気になるんだけど……き、聞けたら聞いてみようかな……?」


 これはルファが自分で考えて、直接聞くかどうか決めた方がよさそうだ。そう判断して、アオバは欠伸をかみ殺して頷いた。


(なんか……眠いな)


 妙な眠気に抵抗すべく、瞼をこする。食堂に戻ると、祈りの体勢に入っていた輪に加わり、どうにか祈りの言葉までは耐えたが、部屋に戻ろうと立ち上がった途端、アオバは意識を失った。


***


 窓の向こうは赤い光で照らされている。とうに就寝時間は過ぎていたが、その少女──ネティアは未だに興奮冷めやらぬ表情で、寝台の上で自身の手を掲げていた。


(あれはきっと、御使い様だわ!)


 捻り上げられてからずっと痛みがあった手首が、少し触れられただけで治ってしまったのだ。それに、アオバがネティアの手に触れたあの瞬間、僅かにだが胸の辺りが光っているのを見た。あれがきっと、御使いの力が発揮された証拠だ。


(御使い様に治してもらってから、精霊たちも機嫌が良いし……ああ、それにペルルちゃん! 思い出しただけで創作意欲が沸いて仕方がないわ!)


 紙があれば、完成図案を何百枚も書けそうだ。布と針があれば、何着でも作れるだろう。そのどちらも取り上げられているので、何もできないのがもやもやしてしまう。


 勢いをつけて起き上がり、寝台から降りる。静かに扉を開け、周囲を確認する。学院貸し切りの宿屋は就寝時間を過ぎているだけあって、同級生たちは一人として見当たらない。


(私の裁縫道具は確か、先生たちが泊っている部屋の隣だったわね)


 忍び足で部屋を出、音が鳴らないように階段を下りる。目当ての部屋の前まで来ると、教員たちはまだ起きているのか、賑やかな話声が廊下にまで聞こえていた。お喋りに夢中の間に回収しちゃえ、と、倉庫のようになった部屋へと侵入する。


(あった!)


 意外にも目に付く場所に置かれていた道具箱を回収し、抱きしめる。あとは部屋に戻って、寝たふりでもしながら裁縫をしよう。


 気分よく部屋を出る。人の姿は無い。道具箱の中から、一本だけ針を取り出す。想像の中で服を縫い上げながら、指揮棒でも振るように針を振るう。軽い足取りで廊下を進み、階段を上ろうとした時だった。前から降りて来た人物にぶつかった。


「あ……」


 しまった、先生かも。真っ先にその考えになり、体を硬直させ、その人物を見上げた。


 大柄な男だった。先生じゃない。先生ではないが、見覚えがある。昼間に、別の宿屋の前で騒いでいた……。


「おっと、静かにしとけよ」


 大きな手が、無造作にネティアの口元を掴むように押さえ込んだ。いつの間にか後ろにいたもう一人が、ネティアの体を抱え上げると、いとも簡単に少女の足は宙に浮いた。


***


「──報告は以上です」

「では、次」


 上官の視線が隣に移ると、グランは一歩後ろに下がり、手を背中で組んだ体勢に戻す。学生服を着ているのはグランだけで、部屋にいる面々は皆、衛兵の制服を着用している。グランも、数年前まではそれを着ていた。


 グラン=バディレッカは、騎士見習いの身であり、学園衛兵として働いていた。数か月後の試験に合格すれば、王家直属の近衛騎士になれる。そんな彼が衛兵の制服ではなく学生服を着ているのは、学園側からの要請でネティアの護衛についたからである。学生に威圧感を与えない為に、歳の近いグランが選ばれ、同じ理由で学生服を着用する決まりとなった。当然だが、同級生らはグランが学生ではないことは承知済みである。


 四六時中ネティアの傍につかねばならないグランだったが、彼女が就寝する時間は別だった。日中の報告のために、こうして衛兵たちの集まりに参加するため、彼女とは別行動になる。


「西区担当より報告──」


 同僚の報告を聞き流しながら、ネティアはちゃんと寝ているだろうか、などと考える。いや多分寝ていない。部屋で別れた時、随分と興奮した様子だった。あれは絶対寝てない。


(まあ、寝てないにしても、大人しくさえしてくれれば……)


 などと、甘めに見積もっていた時だった。


 カラリ、と。小さなものが落ちる音が、廊下側から聞こえた気がした。思わず周囲の様子を窺うが、反応したのは扉に一番近いグランだけのようだった。


 気のせいだろうか? 首を扉に向ければ、当然のように上官から「何をしている」と厳しい声が飛んでくる。


「い、いえ。物音がしたので」


 正直に答えれば、上官は「確認しろ」と言いたげに顎で扉を指した。


 一礼をしてから、扉に向かう。戸を開け、誰もいない事を確認する。気のせいだったかと扉を閉じようとして、グランの後ろから廊下を見ていた上官が「待て」と声を発した。


「何か落ちている」

「へ?」

「階段の前だ」


 よく見えるな。素直に感心しながら、廊下に出て、言われた場所を確認する。影になった場所に、針が落ちていた。おそらく上官の位置からは、日差しで反射したのが見えたのだろう。針を拾い上げ──その針に宿る精霊の気配に覚えがあり、固まった。


「グラン、どうした?」

「これ、ネティアの……」

「げ。道具回収した時に落としたかな」


 違う。道具を回収したのは、何時間も前だ。物音がしたのはついさっき。物音の正体がこの針なら、これは持ち出されたのだ。


 はっとして顔を上げ、階段を上る。ネティアがいるはずの部屋の扉を押し開けるが、彼女の姿はそこにはない。慌てて階段を降り、上官の下に戻る。


「ほ、報告します! いません! ネティアが──」


 あまりにも世に広まってしまった結果、おいそれと呼べなくなった彼女の本来の名を、グランは叫んだ。


「裁縫術師、ガーネット=ライが、部屋にいません!!」


***


 ガラン、ガランと、鐘の音が町に響く。周囲の家屋から、祈りの声が聞こえてきて、丁度たった今、この町に足を踏み入れた少女は、おや、と意外そうな表情をした。


「まぁだ、町を上げて信仰深いところがあるんですねぇ。感心、感心~」


 ピンクブロンドのツインテールと、秋の夕空色の目を赤い日差しで照らしながら、少女は細い剣を腰に戻した。上質な衣服にかかってしまった砂ぼこりを払うと、胸の前で指を組み、小さな声で祈りを捧げる。


「罪が夜に溶けて、朝の恵みとなるように、この大地に祈ります……明日も先も、皆が幸せでありますように──っと。これでよぉし」


 祈りを終えると、途端に開放的になり、少女は大きく伸びをする。足元には、ゴロツキとしか言えない男たちがのびており、少女はその男たちを、少し離れて戦闘を見ていた衛兵に引き渡した。


「さ、さすがです、聖騎士様!」

「いえいえ~、聖騎士ですからぁ。ところで、金髪に青い目の、超超超美形の男の人、見てません?」

「え、さ、さぁ……?」


 ここもハズレか、と言いたげに少女は「じゃあいいです」と唇を尖らせた。


(シャニアにいらっしゃらないなら、もう隣国かと思ったんだけど……おかしいなぁ。あの方の移動速度なら、この近辺にいると思ったのに……もしかして、反対方向に来ちゃった?)


 考え事をしていると、衛兵の一人が声をかけてきた。向き直ると、緊張気味に声を上げられる。


「あ、あの! 今日はもう遅いですから、どうぞ町に泊っていってください! 聖騎士様の来訪用に、宿には必ず一室、空きを作ってありますので!」

「いえ、ご存じでしょうけれどぉ、聖騎士は寿命以外で死にませんので、休憩は結構ですぅ」


 例え腕がもげようが、心臓が破裂しようが、精霊に与えられた加護のおかげで、聖騎士は死なない。否。加護を与えた精霊が、死を許さない。肉体が塵となっても、聖騎士は生きる。精霊が望むまま、愛でられる。これが生まれながらにして精霊に祝福された者なのだ。


 その頑丈さ故に、聖騎士および聖騎士の卵エイ・サクレは多少の無茶が利く。不眠不休でも、十日ぐらいなら常人の倍以上働ける。当たり前の常識である。が、何故か衛兵は聖騎士の少女を引き留める。


「いえいえいえ、そう言わずに! いやぁ、最近、不届き者が本当に多くて困っていまして! 聖騎士様がおられるだけで、犯罪も減るというもの!」

「はーん。都合の良い厄除けですねぇ?」


 町に着いた途端に声をかけられたかと思ったら、ならず者の相手をさせられたのでこの快活な衛兵の言わんとする事を直感的に理解する。しかし、ほんの少し見ただけでも分かる、わざとかと疑う程のすさんな警備を、整えてやる程度で治安は改善しそうなものだが。提案するのも面倒で、少女はぐいぐいと背を押されながら(当然ながら余裕で抵抗できるが、あえて押されながら)、宿へと向かわされる。


「こちらはどうでしょう! 昼間、オーディールが見つかった宿です!」

「へ~。オーディールって実在してたんですねぇ……頼んだら見せてもらえたりしますかぁ?」

「ええ! 私どもが交渉させていただきます!」

「よろしくお願いしますね~」


 一刻も早く探し出したい人がいる。まあ、でも。


(徹夜明けのお肌ぼろぼろで会いたくはないし……ちょっと休憩挟もうかなぁ)


 既に三日程寝ていないのだ。頬を撫で、肌の傷みの蓄積を気にしながら、聖騎士の少女は宿屋に足を踏み入れた。


***

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