◇ 09

 テーブルに頬杖をつき、宿の食堂に移動された例の机と、その上にぽつんと座っているオーディールを取り囲む人々を遠巻きに眺める。若い世代は実物のオーディールを見るのが初めてらしく、「本当にいたのねぇ」と素朴な感想を言い、三十代以降の世代は、「まだいてくれたのか」「ありがてぇ」と拝むような状況だった。


 宿の外からも噂を聞いて人が集まり、食堂の中は人でごった返していた。アオバがそれをロビーの方から見ていると、後ろから声変わりが始まったばかりの掠れた声が耳に届いた。


「何の騒ぎだ?」

「アティ。さっき、倉庫でオーディールが見つかったんだ」


 麻袋をいくつも肩に担いで戻ってきたアティが、その場に荷物を下ろした。その視線から、厨房に運びたいらしい事が伝わったが、あの人だかりを荷物を持ってかき分けるのは難しいだろう。


「また姿を見せてくれるようになったのか」

「見た事あるの?」

「ああ。十年以上前にな」


 となると、アティは二歳ぐらいの頃の話だろうか。それとも、小柄なだけで本当はもう少し年齢を重ねているのだろうか。


 食堂に入るのを諦めたアティが、ため息交じりにひじ掛けに腰を乗せた。


「アティっていくつだっけ」

「あー……十四、五歳だ、多分」

「なんでそんな曖昧な……」


 あまり自身の事に興味がないのだろうか。その年齢で一人旅をしている事を考えると、家族関係が少し複雑なのかもしれない。


「四、五歳の頃の記憶なんてよく覚えてるね」

「え? あ、ああ、うん」


 自分だったらどうかな、と昔の事を思い出そうとするが、記憶がはっきりしているのは小学校の高学年からぐらいなもので、幼児どころか低学年の頃の記憶すらも霞がかっていて、はっきりしない。これといって大きな出来事が無かったのかもしれないけど。


 アオバから視線を逸らすように、食堂の方を見ていたアティが、懐かしそうに目を細めた。


「……精霊も嬉しそうだな」

「精霊とオーディールって仲良いんだね」

「ああ。精霊にとっては、天敵である黒い霧を晴らしてくれる存在だからね。オーディールはどう思ってるのか分からないけど」


 言われて見れば確かに、精霊の機嫌がどうとかはよく聞くが、オーディールの様子については誰も何も言わない。もしかすると、その生態はこの世界の人間たちにもよく知られていないのかもしれない。


「あ、アティ! ごめんごめん、こっち通って!」


 人込みからルファが籠を抱えて抜け出してくると、アティを見つけて声をかけて来た。廊下の方を指さし、「左奥の扉から、厨房に入れるよ」と説明を加える。


 説明を聞いて、アティは再び荷物を抱え、言われた通りに廊下を進んでいった。入れ替わるようにしてルファが残されたアオバたちに向き直り、バスケットを差し出した。


「でね。アオバにはドライオのところにこれを持って行ってほしいの」

「これは?」

「着替えと、食事。いつもは私が持って行ってるんだけど……あ、最近はアティにまかせっきりだけどね。ここだけの話、私、ドライオの事ちょっと苦手なんだよね」


 言いにくそうにルファは「私が小さい頃は、ドライオってもっと気の良いおじさんだったらしいんだけどさぁ」と付け足した。


 そっか、と頷いてバスケットを受け取る。事情はどうあれ、若い女性が酔っ払いの男と二人で会いたくない気持ちは察する事ができる。


「ええと、場所は……」

「ああ、ちょっと待ってて。一緒に行くわ。オーディールが何を食べるのかとか、聞きたいし」


 そう言って、ルファが受付の奥の部屋に入ると、「買い出し行ってくる!」という声を響かせ、鞄を持って戻ってきた。


「じゃ、行きましょ」


***


 大通りを抜けて、細い路地に入り込む。


「そこを右に曲がったら、突き当りに教会があるの。その隣がドライオの家よ」


 ルファに言われるがまま進むと、小さな教会と、その隣に住居らしき建物が見えた。扉の無い、開けっ放しの教会は、二畳ほどの広さしかなく、遠目で見てもその小ささが分かる。出入口から手を伸ばせば届きそうな距離にある祭壇には、やはり精霊の卵らしきオブジェクトがあり、その後ろには、前の町の教会では見なかった短剣(多分レプリカだろう)と、グラスが並んで置いてあった。


(あれ? どこかで見た、か……?)


 どれに対してそう思ったのかも定かではなかったが、不思議と見覚えがあるような気がして少し首をかしげる。ペルルが真似をして首を傾げたのが見えて我に返り、本来の目的の為にペルルの手を引いて教会の隣の家屋の前まで行き、ノックをする。「あー?」というくぐもった声がして、のそのそという足音が近づき、扉が開いた。


「酒は今飲んでねぇぞ~」

「こんにちは」

「なんだあ、お前らか。またアティかと思ったぜ」


 赤い顔で出て来たドライオは、アオバを見て豪快に笑い声をあげた。名前を覚えきれていない様子だったので、改めて「アオバです」と名乗る。


「は~、アオバか。変わった名前だな。なんて意味だ?」

「ええと、新緑を過ぎた頃の青い葉っぱ……ですかね」


 中に入るよう促されたので、素直に答えながら家に上がる。ドライオは「一番いい頃の緑だ」と笑いながら、「アティじゃねえならいいか」と酒瓶を煽ろうとして、少し間が合って考え直したのか、名残惜しそうに酒瓶を手元に置きつつも、どかりと椅子に座るに留めた。


「これ、宿からです」

「あー、その辺置いててくれ」


 バスケットを見せると、使った食器が山ほど置かれた台を指さされた。


(どこに置いたらいいんだ……)


 あまりにも物が多くて置く場所がない。困惑するアオバの後ろで、ルファがドライオに話しかける。


「ねえ、ドライオ。オーディールって何を食べるか知っている?」

「あぁ? 知るかよ。なんで今頃、そいつの名前が出てくるんだ」

「出て来たのよ、うちに。オーディールがいたの! ねぇ、本当は知ってるんでしょ? 教えてよぉ」


 彼らの会話を背中で聞きながら、アオバはペルルにバスケットを持ってもらい、袖を捲った。


「ここ、ちょっと片付けていいですか」


 言いながら食器を重ねて台所に持って行く。そちらも随分長い間、台所として使用していないどころか片付けもされず、既に使用済みの食器類でいっぱいだった。近くの食器棚はほとんど空で、隅にクモの巣が張っている。


(先に棚を綺麗にした方がいいか)


 周囲を見渡すと、その動きで察した様子のルファが布巾を持ってきた。


「教えてくれたっていいのに。ケチ!」


 ぶつくさと言いながら、ルファは手際よく戸棚を拭いていく。そちらは彼女に任せ、アオバは台所を片付ける事に注力した。しまいやすいだろう皿を選んで洗い、水気を切っている間に床のゴミを掃除し、それがひと段落したら洗った食器を拭いて棚に仕舞う。それを何度となく繰り返す。その様子のアオバたちを見て「物好きだねぇ」と零すドライオの横で、ユラが部屋を見渡していた。


 また洗った食器の水気を切る間に、レンガ造りの台所の壁を拭いていると、カラフルな石がはめ込まれている事に気づいた。その部分を重点的に拭いてみると、色硝子でオーディールを模したタイルがはめ込まれていた。


「ドライオさんって、牧師さんとかですか?」


 そういえば教会の横だったな、と現在地を思い返して聞く。


「……ぼくしぃ?」

「あ、えっと、教会で神様の事を教えたりとか、そういう人です」

「……あー……聖職者のことか?」


 そうか、『牧師』という言葉が無いのか。ドライオの言葉に「そうです」と頷くと、「まあなぁ」と返ってきた。


「といっても、今はもう、なぁ」

「ですよね……あ、でも、教会は綺麗でしたね。どなたか管理されてるんですか?」

「あれはアティがやったの。教会は綺麗に使わなきゃ駄目だーって言って、一人であっという間に直しちゃった」


 食器を片付けていたルファが口を挟んだ。アティか。やっぱりまだ例の怪物を神様だと思っているのだろうか。壁の掃除を一旦切り上げ、また食器を片付ける作業に戻ると、ドライオは独り言のように言葉を続けた。


「あいつも良く分からん奴よなぁ。急にどっかからやって来て、教会直して、町の奴らに言われるがまま手伝いして、頼んでもねぇのに俺の面倒見に来てよぉ」

「面倒見の良い人なんじゃないですか」

「そんなんじゃねえなぁ。あいつ、なんか変なんだよ」


 食器を片付け終えると、少しだけ机の上にスペースが空いた。ペルルからバスケットを受け取り、ようやく机の上に置けた。


「あいつ、俺の子供の事、知ってやがった」


 子供? 思わず周囲を見渡した。子供どころか、ドライオはどう見ても一人暮らしだ。


「妻子持ちだったんだろうな」


 独り言のようにユラが呟いた。聞き返したいのを堪えて視線を投げると、それに気づいたユラが、片付けられた食器を指さした。


「食器がほとんど、三つずつだ。妻と子供との三人家族だったんじゃないか。でも、多分……」


 言いながら、ユラは部屋をぐるりと見渡した。


「奥の部屋は物置状態。部屋に二つある寝台の、片方は埃をかぶっている。一人分の移動跡しか見当たらない、ということは、その二人はこの家に住んでいないか、亡くなっているかのどちらかだ」


 だとしたら、他所から来たアティがドライオの家族の事を知っているのは、確かに不気味だ。


 ルファも、考え込んでいるのか、手が止まっている。


「……それは、変ね。だって……土贄の儀の事は……」


 土贄? 知らない単語を聞き返そうとした時だった。


 ダンッ!! と強くテーブルが叩かれた。叩きつけたドライオの拳が赤くなるほど強く、置かれていた食器類の位置がずれるほどの力で、テーブルが揺れた。はっとしたように、ルファが口元を押さえる。


「ご、ごめんなさい、私……」

「……出ていけ」


 これまでにない低い声に威圧され、ルファが震えあがってアオバの手を取った。


「い、行こ、アオバ」

「え……まだ途中……」

「いいからっ!」


 ルファの怯えた表情に、それ以上強く言えず、手に持っていた物は全てその場に置かれ、アオバたちは言われるがまま、ドライオの家を出た。乱暴に開けられたままの扉を振り返り──


「え」


 思わず、薄く開いた口から声が漏れた。ルファに手を引かれながら、見開いた目は扉の向こうから離せなかった。


 少年とも少女ともつかない、白い衣服を着こんだ人物が、部屋の中で壁に寄りかかっているのが見えたのだ。


(なんで、ラピエルがドライオさんの家に……!?)

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