◇ 10
土贄の儀とは何か。
聞いた事も無い言葉だと正直に答えれば、言葉数少なく買い出しを行った後、ルファは重い口調で切り出した。まだアオバの頭の中は、一瞬見えたラピエルの事を気にかけていたが、どうにかそれを隅に置いて、ルファの言葉に耳を傾ける。
彼女が言うには、十年前、神様だった人食いの怪物が打倒されるまで、八百年に渡って続けられた儀式だった、と。
「一年に一人、場合によっては、三人、四人……神様に選ばれた子供は、保護区に連れて行かれたんだって」
十年前の事となると、ルファはまだ五、六歳だからか、どうしても伝聞のような言い方になった。
「選ばれた子供は、喉を潰されて、決められた物しか食べさせてもらえないの。贄に選ばれた子供と一緒に、神様に選ばれた聖騎士か
少しずつ日が傾く帰り道、肩を落としたルファは言う。
「ドライオのところは……奥さんがね、出産で亡くなっているの。なのに、子供まで贄に選ばれて……。その時の光景は異様だったって、お父さんが言ってた」
「異様……?」
「ドライオは、聖職者だったから……土贄の儀は神様に選ばれる素晴らしい事だって、教える役目でしょう? だから、本当は嫌で嫌でしょうがなかったでしょうに、子供の肩を叩いて、『お前は神様に選ばれたんだ』って、笑顔で励ましてたって……それを、町の皆で喜んでたんだって……」
子が死ぬと分かっていて、笑顔で差し出した。町を上げて、それを肯定した。親にすら庇ってもらえず、連れて行かれる子供はどんな気分だっただろうか。贄に選ばれた子供らと近い年頃だろうペルルに視線をやると、アオバに手を引かれながら大きな目をパチクリとさせてルファを見ていた。
「でも、結局。神様じゃなかった。人食いの怪物に、みんなで喜んで生贄を与えていただけだった。疑う事なくそれを尊い事のように教えていた聖職者たちは、皆教会を去ったわ」
だから、教会は廃れていた。ユラが目を伏せ、小さくため息をついた。情報を整理しながら、アオバは疑問を口にする。
「……どうして、例の英雄さんは、神様を倒そうとしたの?」
十年前の時点では、怪物はまだ神様だったはずだ。しかも八百年に渡って信仰されている。崇めるべき神と刷り込まれているだろうに、それを倒そうなどと思う事があるのだろうか。
「あの人は、第二王子を救おうとしたのよ」
「第二王子……どこの?」
「シャニア王国の王子様よ。王族はこれまで、“精霊と対話ができる”って理由で、贄に選ばれることは無かったんだけど……第二王子は、その能力が無かったから、選ばれてしまったんだと思う」
視界の端で、ユラが僅かに頷くような仕草をした。おそらく、王族が精霊と話せる事は聖書に載っていたのだろう。
「その王子様を救うために、英雄さんは動いたんだね」
「そう。それで、神様じゃなくて、怪物だったって皆が気づいた。……でもね、こうも思っちゃったのね。“もっと早く倒してくれたら”って」
「!」
──遅ェんだよ、動くのがよぉ。
ドライオが言っていたのは、そういう事か。困ったようにほほ笑むルファが、横目でアオバを見る。
「神様が人食いの怪物だってわかってから、皆、土贄の儀の事は言わなくなったわ。だってほら、知らなかったとはいえ、ドライオがすすんで……笑顔で、子供を怪物に差し出したなんて……ねぇ。この儀式の話題は、話す事自体が良くないって感じで、私ぐらいの年代だと知らない子の方が多いの。私も、時々お父さんから聞いてる程度だし……。だから……」
ルファの視線は進行方向に向けられた。遠くでアティが、大荷物を抱えて町の人と話しながら歩いているのが見えた。また手伝いをしているらしい。
──町の奴らに言われるがまま手伝いして、頼んでもねぇのに俺の面倒見に来てよぉ。
──ただ、助けになりたい。何も知らせず、手助けがしたい。……ただの、自己満足の旅だ。
彼は、何を責めているのだろう。誰に助けられて、今こうしているのだろうか。
──姓名どちらかだけを名乗る人は、隠し事をしている。
「隠してるのに。アティはどうやって知ったのかな……」
ポツリと、ルファが呟いた。
***
赤い日差しが宿の部屋を照らす。カーテンを引いて日を遮れば、少しだけ部屋は薄暗くなった。ペルルがベッドに寝転がって枕を抱え、隣に立つユラの袖に、触れられもしないのにちょっかいをかけている。
「ラピエルがドライオの家にいた、か。私には認識できなかったが……」
そんなペルルに手だけで構いながら、アオバの話を聞いたユラは口を開いた。視線はどこを見ているのか、手前の方でせわしなく動いている。見えた時点で伝えなかった事を指摘しつつ、ユラは「近くにフラン・シュラの気配は無かったから、まあ大丈夫でしょう」と付け足した。怒ってはいないようだと、少しほっとする。
「僕の見間違いでしょうか……」
「どうだろうな……今の私は気配に疎い。前の町にラピエルがいたことも、今アオバから聞くまで知らなかったぐらいだ。それに……うーん、やっぱり駄目か」
「どうしました?」
ため息交じりにユラが片手で頭を抱えた。視線がようやくこちらを見る。
「ラピエルの存在や気配と呼べるものが、この世界全体に満遍なく広がっているせいで、上手く感知できない。数値だけ見れば、どこにでもいるようにも見えるし、どこにもいないようにも思える。ああ忌々しい。奴は本当に神様になるつもりか」
控え目な舌打ちをして、ユラは眉間に皺を寄せながら、頭を抱える手に力を込めた。そのあまりの強さに肌が白くなっていたので、「怪我をしてしまいますよ」と指摘すると、我に返ったのか、ユラは緩く息を吐きながら手を離した。
「でも、どうしてロレイヤさんの家の前や、ドライオさんのところにいたんでしょうか?」
「子供を亡くしている、という共通点はあるが……他はさっぱり分からない。少し探ってみるか。奴を倒す手がかりになるやもしれん」
町を出るまでの目標に頷き返したところで、扉が無遠慮に開けられ、銀灰色の頭が覗いた。アティだ。
「あれ。もう戻ってたのか」
「うん。おかえり」
「ただいま。そうそう、もう少ししたら食事ができるから」
食事代はいいのかと尋ねると、「俺の働きで十分賄える、だとさ」と、あっさり返された。それから、抱えていた布を部屋の端に広げ、枕と掛布団をその上に置いた。
「俺がこっちで寝るから、そっちはアオバが使ってくれ」
「え、いやいや、僕が間借りしてるんだから……」
「いいから。女の子を床に寝かす趣味は無いし、見ず知らずの男と同衾させるのも非常識だろ」
「あ、ああ、うん、そうだよね……ありがとう」
どうやら、ペルルに気を遣ってくれたらしい。
(やっぱりいい人だよなぁ……変に疑うのは良くないよね)
町ぐるみで隠していた話題とはいえ、人が多く関われば口の軽い人が出てきてもおかしくはない。ドライオの子供の事はそういう人から聞いて、不憫に思って手助けをしているだけだろう。
「アティは、土贄の儀の事って、どれぐらい聞いたことがあるの?」
「……」
長い前髪に隠された赤い瞳が、じろりとこちらを見た。
「…………人並には」
「そ、そう?」
聞かないほうが良い話題だったか。視線を逸らし、ベッドの上で転がっているペルルの髪を指で梳く。
「ドライオさんのところ、選ばれたって……そういう、話聞いちゃって」
「本人からか?」
「ううん。別の話の時に、触れちゃったみたい」
「……そうか」
ガチャリと、重そうな音が聞こえた。ちらりとアティの方を見ると、大剣を下ろし、床に引いた布団の上に座ったところだった。
「十五年前だ」
「え?」
「ドライオの子が、連れて行かれたのが、十五年前なんだ」
壁に背を預け、アティは思い出すように目を閉じた。
「現役聖騎士が、連れて行く役目だった。俺の知り合いだ」
「!」
いやに大人びた赤い目が開き、天井を仰いだ。剣を右腕で支えながら、彼は言葉を紡ぐ。
「彼は罪の意識のようなものを持っていて、『何故俺は死ねないんだ』と、よく愚痴っていた。それでも俺はずっと、土贄の儀は神聖なものだと信じていた。結局、あれは人食いの怪物の仕業だった、ということになってしまったけどね。……これで疑いは晴れたかな?」
「えっ」
「君は素直過ぎるからすぐわかるよ。ドライオに、俺が家族の事を知っているから不気味だとでも言われたんだろう?」
何もかもバレていたようだ。誤魔化すようにはにかめば、「責めているわけではないよ。町ぐるみで口を閉ざす話題を知っていたら、当然の疑問だ」と淡々と付け足した。
「アティが町の皆の手助けをしているのも、ちょと疑問に思ってたみたい」
観念してドライオとの会話を口にすると、アティは小さな深呼吸をし、仰ぐのを止めた。カーテンの隙間から漏れる赤い日差しに、それとよく似た朱色の瞳が照らされる。それから、一切抜く気が無いと言わんばかりにベルトで幾重にも巻かれた鞘を、埃を払うように撫でた。
「育て親の教訓なんだ」
「教訓?」
「たった一人にも、愛する人も愛してくれる人がいる。故に、力ある者は、力なき者を守りなさい。……昔、そう教わった。だから……神様を殺した事を、間違いだとは思わない」
それでも、とアティは続けた。
「守ることの出来なかった命があるなら、それは力ある者の責任だとも、思う」
「だから、みんなの……ドライオさんの世話を焼いてるんだ……?」
「まあ、そんな感じだね」
肯定の意味を込めて頷きながら、アティは微笑んだ。彼を取り巻く空気はどこまでも静かで、感情の揺らぎを一切感じない。悦に浸っているわけでもなく、ただ、事務的に事実を肯定している。心からの優しさからの行動というよりも、責務からそのように行動しているように思えた。きっと、彼にとってはどうしても守らなければならない教えなのだろう。
「俺は、ドライオに前を向いて生きて欲しいんだ。何でもいいから生きる糧を見つけて、戻らない過去ではなく前を見てほしい。だけど、『皆が皆、お前みたいに強くはない』って突っぱねられてしまっていてな……」
アティなりの正しさが現れた言葉を聞いて思い出すのは、
──嘘でもよかった。
あの嘆きの一言だった。
アオバだってそうだった。前を向いて欲しかった。嘘をつきたくなかった。嘘に縋ってほしくなかった。見知らぬ誰であっても、目の前にいる以上は幸福でいてほしかった。だが、結果はどうだ? 自分の価値観を押し付けて、相手の生きる為の支えを奪っただけだった。あの町でアオバは“御使い”と言う名の“神の存在証明者”と周知されたから丸く収まったが、そうでなければ彼らは、生きる支えを失い、泣くだけの日々を送っていただろう。
ただの少年であるアオバには、何も出来なかった。目の前の、力ある少年は、どうだろうか。アオバと同じ道を辿って、傷つきはしないだろうか。それが気がかりだった。
「……アティは、神様っていると思う?」
「いたよ。英雄に殺されてからは、もういない」
思わず口をついて出て来た質問に、アティは即答した。
十年前に神と呼ばれた怪物を、歴史に残った一つの事実として、ただの固有名詞として、アティは『神様』と呼んでいるに過ぎなかった。
神様がいたこの世界で、アティは、神様を信じてはいなかった。
「……御使い様は、本物だと思う?」
「どうかな。俺は本物じゃないほうが、いいと思うけど」
「どうして?」
「噂によれば、フラン・シュラを消し去る以外は普通の少年なのだろう。だが、本物の御使いであったとすれば、誰もが都合の良い御使いを求める」
同調するように、ユラが頷く。彼女が見えないアティは、その気配にすら気づかず続けた。
「御使いらしい振舞い、御使いらしい強さ、御使いらしい言葉……。『普通の少年』の部分は見ないフリをして、『個々人が思う御使い』を求めるだろう。『普通の少年』がそれに耐えられるか……耐えられたとして、心をすり減らしやしないか、それが気がかりだ」
どこまでも誠実に、アティは言った。そこに嘘偽りはなく、本気でそう考えているのだと分かる。まるで自分の事のように考えて、胸を痛めてくれている。
実際、正しいと思う。自分が、求められる何もかもに、応えられるとは思えない。ただ──否定する事で傷つく誰かがいるのではないかと、考えてしまう。
「僕は……」
言葉を遮るように、部屋の扉がノックされた。返事をする前にルファが顔を覗かせると、「ご飯出来ましたよー」と事務的に口にし、目が合うと、にこっと笑みを浮かべた。そんなアオバとルファを尻目に、アティは扉に近づき、こちらを振り返った。
「さて、行くか。さっきも言ったが、金の事は気にしなくていい。好きなだけ食べろ」
「そうそう。たくさん食べて、大きくなってね」
「何故、俺の方を見て言う」
「だって年下のアオバより小っちゃいし……」
「僕、年上なんだけど……」
「えっ、嘘」
生前も実年齢より幼く見られる事が多かったが、彼らにはアオバは幾つに見えているのだろうか。二人の会話に苦笑しながらもペルルをベッドから降ろし、手を引いて部屋を出る。伝達はこの部屋が最後だったのか、ルファが横に並んだ。
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