◇ 08

 手伝いを申し入れてみると、意外にもすんなりと用事を頼まれた。どうやら、先にアティがアオバを部屋に泊める旨を伝えていたようで、「アティの関係者なら」という理由で信頼されたようだった。宿屋の従業員らの会話を聞く限り、そう長く滞在していないはずの彼が、こうも町の人の心を掌握しきれているのは、ある種の才能なのかもしれない。


 そうした経緯で頼まれたのは、倉庫の掃除だった。


「この間、食器をいくつか割っちゃって。新しいのを出したいんだけど、掃除をほったらかしにしてたせいで出せなくって」


 そう言って、宿屋で働いている少女、ルファは宿屋と細い廊下で繋がっている建物に案内すると、目の前に現れた扉を開けた。薄っすらと紫に色づいている髪を片側にまとめて結んだルファの後頭部を追うように、アオバたちも扉の中に入った。途端、ユラの目が探るように動いた。


「どうかしましたか……?」

「いや……」


 小声でやり取りをするアオバらを他所に、ルファは暗い部屋の壁にかけられたランタンに梯子を使って近づき、マッチでさっと火をつけた。連動するように他の壁にかかっているランタンにも火が入る。これも精霊のおかげなのだろうか、と見知った現実との乖離を観察していると、ルファが両手を叩いた。パンっと乾いた音が響く。


「で、アオバに手伝って欲しいのは、こっち」


 おいで、と手招きをしながら奥に向かうルファを、追いかける。


「あ、そっちに割れた硝子置いてるから、触らないでね」

「うん。ペルルはこの辺で待っててね」


 指さされた方向に目をやれば、桶に硝子が無造作に詰め込まれているのが見えた。それから遠ざけるようにペルルを出入口で待機させ、明るくなった倉庫内を見渡す。備え付けの戸棚には古びた書物が乱雑に並び、小さな木製クローゼットの蓋は劣化し、中に仕舞われたすり鉢や小瓶が覗いていた。子供用のベッドや勉強机といった家具は埃が被っており、もう随分と長い間使用されていないのが分かる。必要な物を詰め込んでいるというよりは、使わなくなった物を捨てきれず、この部屋に置いている、といった印象だ。


 ルファを探すと、年期の入った棚の前に立っていた。彼女がその棚の一番大きな取ってに手をかけて引くと、板がそのまま垂直に倒された。どうやら引き出しではなく、収納机だったらしい。


 広げられた机の中には、おそらく本棚だったであろう場所に真新しい食器が詰まれていた。


「なんでこんなところに……」

「いやぁ、ちょうどいい大きさだったから、使ってないしいいじゃん! って」


 見つかったら怒られそうだけどね。と言いながらルファは食器を取り出した。それを受け取り、出入口の方に積んでいく。ペルルは積まれていく食器をじっと見上げている。


「そう思ってたんだけど、また使うっていうからさ。まずいぞーって思ってたところだったんだよね。一人じゃ片付けるのも大変だし、アオバが来てくれて助かったよ」

「それはよかった。じゃあそれ、部屋のどこかに置くの?」


 机を指さすと、ルファは「うん」と頷いた。


「食堂に置くんだって。だってほら──」


 扉からまたルファの下に戻ると、詰め込まれていた荷物が減ったことで、机の正面に掘られた模様が見えるようになった。卵の模様だ。以前教会で見たものと同じ、台座に鎮座する精霊の卵が、掘られていた。


 この収納型の机は、簡易的に祈りの場を作るためのもののようだ。


「本物の御使い様が現れたなら、神様はきっといるものね」

「……本物だと思う?」


 水仕事で荒れた指で、ルファが溝をなぞった。アオバの問いかけに、彼女は「バカねぇ」と笑顔で言う。


「嘘でもいいのよ。それで気持ちが救われるなら、それでいいの」


 なんでもかんでも本物ならいいってわけじゃないのよ。そう付け足して、彼女は持ってきた濡れ布巾で、机を拭き始めた。


 ──嘘でもよかった。


 その言葉に今でも疑問が残る。信じたい言葉だけに耳を貸して、それ以外を否定する。それが何よりも楽で、救われたような気持ちになれる事は、一度縋ってしまったアオバには分かる。だけど、それは一時的だ。すぐに気分は陰鬱になって、次から次へと気持ちの良い言葉が欲しくなってしまう。だから、アオバは否定する。そんなものに縋るのは間違っている……。


 結局のところ、やっている事は同じだ。己の正しさだけを肯定して、相反する意見は封殺しているのだから。


(正しいなら何でもいいってわけじゃない、か……)


 ルファの言葉を頭の中で繰り返し、背伸びしたがりな年頃の彼女の意見に、気まずくなって、ぎこちなく笑って誤魔化した。


 段取りの良いルファが見える範囲が拭き終わる頃には、布巾は木の垢で黒ずんでいた。


「そっち持って。裏側も拭いちゃいましょ」


 言われるがまま机を移動させると、机から何かがぽとりと落ちた。思わず「ん?」と声を上げると、ルファが何、と言いたげに顔を上げた。


「いや、今何か落ちて……」


 言いながら、机の下を覗き込む。物の隙間に、紅色の蕾が落ちているのが見え、摘まみ上げた瞬間、それがびくりと痙攣した。


 驚いて取り落としそうになりながら、どうにか手の平に乗せると、微振動をしながらソレは蕾の帽子をアオバの方に向けた。


「あ、オーディール」

「うそっ! 本物!?」


 ルファが身を乗り出して手の上を覗き込んだ。彼女はしげしげと見つめると、大きな目を見開いて、感嘆の声を漏らした。


「ほ、本当にいたんだ……私、教会の窓の絵でしか知らなかったから……あっ、お父さんたちに教えなくちゃ!」


 ちょっと待ってて! と、ルファは慌ただしく倉庫から出て行った。入れ替わるように、ユラが歩み寄って来る。その表情は驚いた様子はなく(倉庫に入った時に、オーディールがいる事に気付いたのかもしれないが)何故だか苦々しい。


「各地で、復活しつつあるみたいだな」

「ですね。このまま元気になってくれるといいですね」

「……ああ」


 ユラの声は肯定したにもかかわらず、妙に覇気が無かった。彼女は考え事をしているのか、口元に指を当てて黙り込んでしまった。


 オーディールが復活する事で、ユラにとって不都合があったりするのだろうか? 聞いたら教えてくれる内容なのか……いや。


(話そうとしないってことは、多分話せない内容なんだ)


 初めてユラで出会った日にも、彼女がアオバの質問に黙った事があった。『転生者や神様といった事情に、何故詳しいのか』という問いに、触れるなと言いたげにユラは黙りこくったのだ。


(ユラさんはきっと、本物の御使い様なんだろうな)


 アオバのように、神様ごっこをしているラピエルに巻き込まれた人間ではなく、ユラはもっと大きな使命のようなものを背負ってここにいる。自らの意思でこの世界に来て、ラピエルの手からこの世界を解放しようとしている。この世界の人々が言うような、人間に都合の良い御使い様ではなく、人前に現れる事の無い本物の神様の遣い……そんな気がする。


 きっと、アオバに伝えられない要素がいくつかあるのだろう。転生者や神様のこと、複数の世界がある事もきっと、あれで話し過ぎているぐらいなのかもしれない。


 だからというわけではないけれど、アオバはユラを困らせたくなかった。ただでさえ、彼女はアオバを守ると言ってくれたのに、これ以上迷惑をかけられない。


(オーディールの復活は良い事だって、ユラさんは肯定してた。なら、理由はきっと他のことだ。例えば……)


 オーディールの話をするとき、ユラはアオバから視線を逸らす。アオバを見ないようにしている。気丈にふるまっているが、目の奥が怯えている。


(世界は救われるけれど、誰かが傷つく、とか)


 そしてそれを、ユラはアオバには言えない。


 言えないのは、その人に関係があるからではないか。だが、アオバの関係者は少ない。ユラはペルルを最初、斬るつもりだった。ペルルとアオバの約束も、彼女から見れば『アオバが一方的に宣言しただけのもの』であり、重要視するものではない。なら、その相手はペルルではない。なら、後は……?


 考え事をしながら、先ほど指さされた硝子の破片の前にまで移動する。割れた硝子の中から鋭い切り口のものを選び、指先を滑らせた。傷口はじんわりと熱を持ち、血を滲ませた。それをオーディールの口(蕾の先)に垂らすと、少しだけオーディールが元気になったように見えた。


「ゆらぁ」


 不意に、ペルルがユラを呼んだ。


 思わずそちらに顔を向けると、彼女はアオバを指さし、体はユラに向けて言った。


「あおば、きった」

「ちょ、ペルル……っ」

「……アオバ?」


 ペルルの告げ口に、ユラがむっとした表情で近づいてくる。そのまま視線は手に向けられ、慌てて背で隠すが「出せ」と短く威圧的に言われ、大人しくオーディールと一緒に手を差し出した。ユラは盛大にため息を吐いた。


「相談も無しにそういうことをするのはやめなさい」

「でも、オーディールに供物をあげるのに、ユラさんは反対しなかったですし……」

「相談しろと言っている」

「はい……」


 わずかな抵抗は静かにへし折られた。


 反省している間に、ルファが自身の父親である宿屋の主人を連れて戻って来て、彼女から見れば何故か落ち込んでいるアオバを見てキョトンとした。

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