◇ 08

 カインに聖書を返す事に成功した後、青葉たちは宿へと向かった。話を聞いていた役人にも同行してもらったおかげで、周囲の人々は青葉を御使いだと認識してうずうずとした表情をしつつも、先ほどのように取り囲むような真似はしなかった。


「御使い様なんですから、代金の請求なんてしませんのに」


 宿屋の女将、メアはそう言いながらも青葉の支払いに応じた。商売なのだから当然なのだが、ここでも押し問答があったらどうしようかと身構えていた青葉はホッとして、シャルフから半ば押し付けられた鞄を一旦床に置き、お金が入っている布袋を広げた。


 白い石としか言いようがないそれを、用意された天秤の皿の上に乗せる。重さで金額を出しているのかと思ったが、小さい石が大きい石より天秤を傾ける事もあったので、何か別の要素で動いているらしい。


「これって、どういう原理で動いているんですかね……?」

「精霊の加護が、この石の価値だよ」


 天秤が均等になるよう調整しながら、誰に向けてでもなくぼやくと、横から女性の声が割り込んだ。声のした方を見ると、ノースリーブの白いブラウスとカーキ色のショートパンツの上から黒い外套を羽織った、少しボーイッシュな印象の女性が、いつの間にか真横で受付に肘をついていた。青の短髪から覗く黒のツリ目が、じっと青葉を見つめている。


「この石は精霊の卵の欠片。この天秤に宿っている精霊が、その石の加護の具合を見て、価値を決め、天秤を動かす。そういう仕組みだよ」

「へぇ……」

「だから普通の石を乗せても……」


 言いながら、女性は皿の上に金色の小石(宝石かもしれない)を乗せた。白い石ならどれだけ小さくとも動いた天秤が、ピクリともしない。


「こんな風に、加護が無いなら動かさないってワケ」

「なるほど。へぇ~、じゃあ、この天秤の精霊は凄い目利きなんですね」


 女性が小石を取り除いたのを見届けてから、まだ少し足りないかと貨幣である精霊の卵の欠片を取り出すと、乗せてもいないのに天秤が動いた。そのまま、天秤は平行になる。


「あれ?」

「あはは。さすが御使い様。精霊の機嫌を勝ち取ったわね」

「?」

「精霊が機嫌を良くして、石に価値を追加したんだよ」

「そ、そういうことも、あるんですね……?」


 なんだか納得が行くような行かないような話だったが、まあ精霊が中心の世界では、こういうことも間々あるのだろう。精霊というおとぎ話の存在が確立している以上、あまり自身の常識と比較して考えないほうがいいかもしれない。


 支払いを終え、女性に礼を言う。


「教えてくださり、ありがとうございました」

「んーん。あんまり世間知らずだと、悪い奴に食べられちゃうから、気を付けなね」


 そう言って、女性は足元に視線をやる。置きっぱなしになっていた鞄が見え、慌てて手に取る。


「すみません……」

「ま、気を付けてね」


 忠告も貰い、改めてメアたち宿屋の従業員らに礼を言って宿を出る。しばらく宿屋の方を見ていたカインが「知らない顔だったなぁ」と呟いた。


「旅の人だったんじゃないか?」

「だろうな。いやぁ、災難だよな。旅の途中に立ち寄った町が、フラン・シュラ被害に遭った後、なんて」

「御使い様が来られたからよかったものの、コラド・八区みたいに壊滅したかもしれないと考えたら、おっかない話だよな」


 カインと役人の話を横で聞きながら、ユラに視線をやる。青葉の言いたい事が分かったようで、彼女は思い出すように言う。


「コラド・八区は、最初のフラン・シュラ被害を受けた町だ。このシャニア王国の……王都より、西側にある小さな町で、十年前、“人食いの怪物”を打倒した直後で盛り上がっていた時期、突然現れた大量のフラン・シュラによって壊滅した」

「……怪物が倒されてから、フラン・シュラが出てくるまでって、ほぼ同時期なんですね」

「ああ。私は、ラピエル自体はかなり前から存在していたんじゃないか、と考えている。この世界の神様……人食いの怪物が消えた事で、自由に動けるようになったのかもしれない」


 怪物側にも上下関係があるのだろうか。ユラの推察を聞きながら、少し考える。だとしたら、ラピエルが“遊んでいる”のは、長らく大人しくしていた反動とも言える。それを解消できれば、転生者を壊して物を溶かす怪物フラン・シュラを作って遊ぶ、などという凶行は止められるかもしれない。問題は、その解消方法が全く見当もつかないところなのだが。


 考え込んでいる内に、眉間に皺が寄っていたのか、カインが顔を覗き込んできた。


「アオバ?」

「わっ。な、何?」

「折角懐き始めたのに、また精霊が怖がってんぞ」

「また……?」


 精霊に何かしただろうか。死者の名を思わず口にしてしまった時こそ、怒りを買いかけたとは思うが、怖がらせるような真似はしていない……と思うのだけれど。


 キョトンとする青葉を見て、不可解そうに、カインが首を傾げた。


「分かんない? なんか、雰囲気っていうか……」

「御使い様に興味はあるけれど、どこまで近づいていいのか距離を測っているようです。先ほどの天秤の精霊とのやり取りで、好意的に感じてはいるようですが」

「うーん……ちょっと僕には……」


 やはり、精霊がいるのが当たり前の世界で生まれているからか、カインたちにはそれらを察知する力が身についているらしい。周囲の景色に目が行っているペルルはさておき、ユラに確認するように視線をやると、小さく首を振った。ユラにも精霊は知覚できないらしい。


「ごめんなさい。この霊体状態だと、感知できない物事が多い。ただ、精霊がアオバを怖がっているのは多分、この世界の人間ではないから、ではないだろうか。精霊にはこの世のものではない恐ろしい何かに見えているのかもしれない」


 まあ実際、この世の者ではないのだけれど。


 カインは何かを思い出そうと視線を宙にやり、腕を組む。


「何だっけな。何かで聞いたんだよ。精霊が怖がる人間の話」

「あー……クレモントじゃなくて……リヴェル?」

「そうそうリヴェル・クシオンの聖女!」


 役人とカインの謎の単語が飛び交うやり取りに困っていると、ユラが補足してくれる。


「国名だ。クレモントは、シャニア王国の南側にある小さな国。保護区を通らなければ他の国に渡れない、未開の地で、陸の孤島とも呼ばれている。リヴェル・クシオンは、南東にある国だ」


 なるほど、と頷き、カインに尋ねる。


「その聖女も、精霊に怖がられているの?」

「ああ。なんでも、三年前に突然、儀式の間っていうのかな? そこに現れて、奇妙な言葉を話してたんだって。それで更に精霊に怖がられたものだから、伝説にある聖女に違いないって」

「!」


 それはまるで、この地にやって来たばかりの青葉じゃないか。ユラと顔を見合わせる。その聖女は転生者の可能性が高い。いつぞやの服の発案者のように処刑されていなければいいが。


「リヴェル・クシオンには聖女伝説というものがありまして、世界の危機に際した時、祈りを捧げると、月の光に導かれて聖女が現れ、救いの手を差し伸べてくださる、とか」


 付け足すように、役人が更に情報を教えてくれる。


 青葉と同じ転生者であるなら、何らかの能力をラピエルから渡されているかもしれない。物によるが、青葉が御使いだと誤認されたように、その人物も与えられた能力で聖女と誤認される出来事があったのだろうか。


 その聖女に興味が湧いて来て、市場に入った事に気にも留めず、質問をする。


「その方は、何か成し遂げられたのですか?」

「いや、特に何も」

「は?」

「治安は良くなりましたが、何かしたかというと、何も」

「えっと……」

「伝説だと、黒い霧を晴らしたりできるらしいんだけど、あの聖女に関しては、そういうの出来なくて……ただいるだけっていうか……」


 それは、聖女なのか? ただの人間の女の子なのではと、国民は思わないのだろうか? 訝し気な青葉に、役人は言った。


「なんでも、とても可憐な乙女だそうで」


 ユラが大きなため息をついた。


「余裕があったら会ってみるか。優先順位は低めにしておく」

「はぁ」


 曖昧な相槌を打つと、場の空気の悪さを感じ取ったのか、「それより」とカインが強引に話題を変えた。


「買い物するんだろ?」


 そう言われて、かなり目的から脱線していた事に気づく。「そうだね」と笑いながら頬をかき、疎らな出店形式の市場に向き直った。


 聖女については、ユラが言った通り、余裕があったらでいいだろう。他国に渡る余裕は、今は無いのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る