◇ 09

 市場をぐるりと回り、時折ユラとも相談しながら必要なものを買い揃える。いつの間にか御使いの見目は町全体に知れ渡ってしまっていたらしく、行く先々で「御使い様だ」と妙に余所余所しく丁寧な扱いを受けるのは肩身が狭かった。


 ともあれ、旅の準備は整った。後は、この町から貰ったお金はこの町の為に使ってしまおうと、余ったお金で何か買えないかとうろついていると、不意に声をかけられた。


「羽振りがいい兄ちゃん。うちでも何か買っていかない?」


 声がした方を見ると、ボサボサ頭の男が軒先に座り込んでいた。長い前髪は顔の上半分を隠してしまい、口元以外で表情を読むことは難しい。肌の張り具合や声からして、まだ青年と呼べる歳だろう。他の店が屋台であるのに対し、彼は地面に布を広げ、その上に商品らしき雑貨などを置いている。どれもこれも、どうやって使えばいいのか分からない代物ばかりだ。


「俺は旅商人のフィル・デ=フォルト。日用雑貨から情報まで、なんでも手に入るよ。ところで兄ちゃん、御使い様なんだって?」

「あー……ええと、その、ちょっと誤解っていうか、まあ」

「まあ、お客さんになってくれるなら、御使い様でも何でもいいんだけどね。文字は読めるかなって」


 陽気な雰囲気で、フィル・デは商品とは別で背中で隠すように置いていた大きな鞄から、一冊の本を取り出した。


「今、王都で人気の“ぶんがく”さ。“ぶんがく”が何かって? さあ? 俺には学が無いんでね、文は読めても作家様とやらの考えはわからんさ。だが、これから大流行間違いなしの“ぶんがく”だ」


 謳うようにそう言って、フィル・デは青葉の目の前に本を置いた。分厚い表紙にはタイトルらしき文字と、鳥と卵の絵が描かれている。視線をやるまでもなく、ユラが翻訳して読み上げる。


「“金の卵を産む雌鶏”」

「金の卵……ってイソップ童話、でしたっけ」


 聞いた事のあるような題名に、思わず返答すると、フィル・デが「おしい!」と声を上げた。


「これは今話題の天才少女、ストゥロ=ヴィットラーネが書いた『寓話連作・アイソーポス』の一つ、『金の卵を産む雌鶏』さ」


 よく分からず、首をかしげる。アイソーポスはイソップ童話の著者の名前だったと思うが、ストゥロという名前は知らない。この世界の作家だろうかと、考えている青葉の向かいで、フィル・デは両手を広げ、通販番組の司会のように言葉を紡いでいく。


「これまで“ぶんがく”とやらは、精霊信仰、そして王家信仰のもの以外は認められない、とされてきたわけだけれど、それらも人食いの怪物が決めた規則でしか無い。神無き今、我々は新たな物語に触れ、感情を揺さぶるべきである! そして誰もがペンを手にし、夢を描く未来を獲得せよ! というのがストゥロの言う“ぶんがく”さ。彼女は旅人や学者なんかから話を聞いて、書き起こしているそうだけれど、本当にアイソーポスなんて人物がいるのかは不明だよ」


 こんなに面白い物語を知っているなら、ストゥロよりも先に有名になっていそうなもんだからね、と付け足し、フィル・デは「今は持っていないけれど」と更に続けた。


「他にも童話連作に『アンデルセン』や、『ペロー』なんてものも出ているよ。どれも子供のいる貴族に人気さ」


 どれも聞いた事のある作者名だ。ということは。


(これ書いたの、転生者か……)


 天才少女、と言われていたのだから、おそらく人間の女の子に転生した人物が書いているのだろう。本が好きな人物なのか、この世界に無かった文学を作り上げようと、本来の作者名をシリーズ名に使い、元いた世界の童話を書いているようだ。


 目の前に置かれた本を手に取り、ページを捲る。後ろから覗いていたユラが数行読み上げた限りでは、精霊がいるこの世界に合わせてアレンジされていた。


(さっき聞いた聖女といい、この本の作者といい、人間に転生して、この世界に馴染んで生活している人たちって結構いるのかも……)


 会って話してみたいなぁ、元いた世界の思い出話なんかをしてみたい……とうすぼんやり考えながら本を置こうとして、真横から刺さる視線に気づく。ペルルだ。彼女はじっと本を見つめている。


「……欲しい?」


 本を見せながら問いかけると、ペルルは大きく頷いた。食以外にも、あれこれと興味があるらしい。そういえば、聖書を開いていた時も、横から覗き込んでいたので、読書も(文字が読めているのかは不明だが)趣味なのかもしれない。


「じゃあこれ、買います。あと、この子に羽織るものが欲しいんですけど、ありますか?」

「服は今無いね。ベディベに行けば、あるはずだよ」

「ベディベ?」


 町の名前だろうか。聞き返すと、「隣町だよ。北西の方の」と付け足される。


「あそこはここよりも、道が整備されているからね。王都から物が流れて来やすいんだ」


 なるほど、と頷いてユラを見る。彼女も意図を汲み、頷き返した。


「王都と物流があるなら、ベディベに行けば王都行きの馬車か何かがあるはずだ。まずはそこに向かおう」


 行く先を決め、フィル・デに向き直り礼を言う。


「分かりました。ありがとうございます」

「そりゃどうも。おっと、本の代金は三百ヘビンだよ」

「はい」


 用意された天秤の片皿に、手際よく重りが乗せられる。石が入った布袋を取り出し、もう片方の皿に石を乗せて平行になるよう調節する。支払いが終わるとフィル・デは石を回収しながら口を開く。


「ところで御使い様、見たところ、護符は持っていないようだけれど、アテはあるのかい?」

「……はい?」


 何の話かと聞き返すと、フィル・デは口元に笑みを浮かべた。


「あはは。物知りなんだが無知なんだか、よく分からないお人だね。護符だよ、護符。山や川、それから保護区みたいに、精霊が多い場所は護符が無いと危ないよ」

「具体的に、どう危険なのでしょうか?」

「棲家から追い出そうと攻撃的になるんだよね。とあるお人は、護符を持たなかったばっかりに、実家まで追い回されて自室を砂で満たされた、とか。護符は精霊に対して『何もしませんので、見過ごしてください』っていう張り紙みたいなものさ。四、五人でまとまって行動するなら、一つあれば十分なんだけどね。離れ過ぎたら意味が無いけど」


 そうか、持っていないなら護符を持つ誰かをアテにすれば……という意味だったのか。先ほどの問いかけの意味が分かり、すっきりした反面、新たな問題に頭をかかえる。そもそも異世界人の青葉に、アテなど無い。


「護符って、どこかで売ってたりとか……」

「あれは役所で身分証明すれば貰えるけど、それ以外はねぇ……偽物が出回ってたりするから、ちゃんとしたところ以外では買わないほうが身のためだよ」

「……ですよね」


 真っ当な意見に同意する。高値で変な物を買いたくはないし、しょうがない。とはいっても、身分証明はシャルフが渡してくれたあの書類が受理されなければならないし、青葉が本物の御使いであると盛り上がるこの町の役所が、“青葉は人間である”という証になる書類を通してくれるだろうか。


「旅人の中にベディベに向かう人がいないか聞いて、頼んでみよう。宿屋に行けばいるはずだ」


 ユラの提案に頷いて返し、改めてフィル・デに礼をする。


「色々と情報もありがとうございます。ベディベに行ってみます」

「そうか。なら、ベディベにいるフィル・デ=フォルトにもよろしく」

「へ?」


 言葉の意味が分からず聞き返すが、彼は「へへへ」と声を出しながら、にやりと笑うばかりだった。


 不思議な人だな、その言い方ではフィル・デ=フォルトが他にもいるみたいじゃないか。それとも個人名ではなく屋号だったのだろうか、などと思いながらその場を後にする。


 青葉から少し離れた背後で人払いをしていたカインと役人の下に向かう後ろで、フィル・デが商売人らしく「お買い上げ、ありがとうございまーす」と声を上げた。

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